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悪女と呼ばれる公爵令嬢のことだけ、なぜか王太子は思い出せない  作者: はな
第二部:追憶の公爵令嬢──ときどき公爵令息

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第14話 それでも来る

 ここから少しの間、グレース視点で“二人の始まり”を描いていきます。

 忘れ去られていた記憶と、二人の物語が少しずつ明かされていきます。

 ゆるく見守っていただけたら嬉しいです。



「……レオ」


 呼びかけた名前は、風に溶けて消えた。


 数回しか呼べなかった彼の愛称。


 もう届かないと分かっているのに、それでも呼ばずにはいられなかった。


「……これで、いいの」


 そうしなければ、あの人は生きられないから。


 指先が、わずかに透けていく。

 それを見ても、もう驚きはなかった。


 ——これは、自分で選んだ結末だから。


 そっと目を閉じる。


 最後に浮かんだのは——


 初めて、あの人に出会った日のことだった。


 あの頃はまだ、こんな結末になるなんて少しも思っていなかった。


◇◇◇



「——動かないで。そこから、一歩でも動いたら……消すわよ」


「——は?」


 これが、最初の会話だった。


 その少し前。

 草むらの奥で、小さな白い影が震えていた。

 うさぎのようなものが、怯えたまま動かない。


 草むらの奥で、小さな白い影が震えていた。


 ——うさぎ?


 怪我でもしたのかと思い、一歩踏み出したその瞬間だった。


「……誰?」


 金髪の男の子が、影から突然現れた。


 ここは公爵家の敷地の中。

 そこに入ってくるならただものじゃない。

 それにそのすぐ背後には動かずに震えている白いものが見える。


(……もしかして、この子が攻撃を……?)


 当の本人はきょろきょろとあたりを見回して隙だらけだ。

 

 ——やるなら、今しかない。


 怖い気持ちを押し殺してそっと背後に忍び寄り、手に魔力を込める。


 そして冒頭の会話に戻る。


 振り返った男の子はポカンと私を見つめる。


「なんだそれ。いきなり物騒だな」

「……侵入者には、それくらいでちょうどいいでしょう?」


 演技かもしれない。

 ——油断してはいけない。


 自分にそう言い聞かせる。


「ここは、どこだ?」

「……あなたの知らなくていいところよ」


 本気でわかってないのか、フリなのか。

 ここは仮にも公爵家の敷地内だ。

 偶然にも迷い込むことなどないはず。


「勝手に入ってきた時点で、十分不審者だわ」

「お前だって子供だろ」

「だから何?それが何か関係ある?」


 子供だったらなんだというのか。

 子供として当然の権利を、私は持ったこともないのに。


 しかしこの男の子は本当に困惑しているような気がする。


 敵ではないのか、見極めなければ——

 

 自然と睨みつけるように、男の一挙手一投足に神経を張り詰める。


「……とにかく、帰って」


 どこから侵入したのかわからないが、本当にこれが演技でないのであれば、帰ってもらって侵入口を塞ぐ必要がある。


「ここは、あなたが来ていい場所じゃない」

「……それは俺が決める」


「……は?」


(何を、言っているの?)

 

 思ってもいなかった返しに一瞬思考が止まり、眉が、ぴくりと動く。

 その間にも、男は言葉を続けた。


「俺は帰るつもりはない」

「……っ」


 偉そうに言うその言葉に、理解できたことは——敵だということ。


 そう認識した瞬間、手のひらに溜めていた魔力を男の足元に放った。


 暗い魔力が弾けて消えた。


「危なっ!?」


 とっさに男は身を引く。

 足元の石は、ぱきりとひび割れた。


「……本当に撃ったな!?」

「言ったでしょう。消すって」


 慌てる男にしれっと返すと、信じられないという気持ちが表情に表れている。


「お前……頭おかしいのか?」

「よく言われるわ」


 侵入者に言われたくないが、会話する必要もない。

 適当に返せばなんなんだ、こいつ、とでもいいたげな顔になった。


 ——変な人。


 こんなふうに、ころころ表情が変わる人間を初めて見た。


 侵入者だと思っていたが、こんなんでは無理では、と子供ながらに思ってしまった。


 警戒は怠らずも、少し思考に耽っていると、またその男は口を開いた。


「……名前は?」

「——は?」

「名前だ。言えないならいいけど」


 しばし逡巡する。

 私の名前は言う必要はない。

 しかし何故名前を聞いてくるのか。


 ——もしかして、聞き返したら答えてくれる?


「……あなたこそ」

「俺はレオナルド」


 間を置かずに答えが帰ってきて驚く。


 名前を明かす侵入者がいるものなのか。はたまた偽名なのか。


 よくわからないが、この男の子は嘘を言っていないと、直感的に思った。


 そして聞き覚えのある名前だと気づく。

 そう、頭に主要な王侯貴族は叩き込まれている。


 ——この国の第一王子と同じ名前。


「……レオナルド?」


 思わず復唱してしまうほどには動揺した。


 本当に王子なのか。

 王子なのであれば何故、こんなところにいるのか。

 家の人にバレたら私の無礼な態度で罰を受けるのか。


「……で?お前は?」


 きょとんとした顔で再度名前を聞かれる。

 素直に教えていいものかもわからない。

 王子の名前を語ったただの侵入者の可能性もある。


「……名乗る必要はないわ」

「じゃあ勝手に呼ぶ」

「は?」

「魔法が黒いから……クロ、とか」

「……ふざけてるの?」


 ——なんなの。こいつ。


 闇魔法——ただそれだけでみんな私を忌み嫌ってるのに。

 この黒い魔力が闇魔法だとわからないはずがない。

 それともそれをわかった上で言っているのか。


 どちらにせよ、私にこんなに普通に話しかけてくる人は、初めてだった。


「じゃあ自分で言え」

「言わない」

「じゃあクロだな」

「却下よ」


 変な押し問答が続くも、段々とあんなに警戒していたのがバカらしくなってくる。


 そのやりとりの中でほんの少しだけ、空気が緩んだ気がした。


 ——まぁどうせ、もう会うことはないでしょう。


 そう思うと、胸がちくりと痛んだ気がした。

 こんな短時間なのに、この時間を楽しんでいた自分がいたことに気づく。


 同時に、もう会うことはないこの男にこれ以上構うのは無駄だと悟った。


 気持ちの整理とともにため息がでる。


「……好きにしなさい。どうせ、もう来ないでしょうし」


(普通は、一度で懲りる)


「……来るけど」

「——は?」

「明日も来る」


 今日何度目かの驚きが、口から溢れた。

 その言葉を理解するのと同時に、胸に温かいものが灯る。


 そんなの、信じてはいけない。

 そう思ったのに。


「来なくていい」

「来る」

「来ないで」

「来る」


 また押し問答が始まり、黙ってしまう。

 その男はじっと私を見つめていた。


 どうするべきなのか——答えはでない。


 それでも、また会いたいと——思ってしまっている自分に気づいてしまった。


 また裏切られるかもしれない。


 それでも——気づけば口から言葉がでていた。


「……勝手にすれば」

「!? ああ!勝手にする!!」


 そう言って、嬉しそうに笑った。


 

 その日から、誰にも知られない秘密の時間が始まった。


 王子と、孤独な少女の——たった一つの、逃げ場として。


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