第14話 それでも来る
ここから少しの間、グレース視点で“二人の始まり”を描いていきます。
忘れ去られていた記憶と、二人の物語が少しずつ明かされていきます。
ゆるく見守っていただけたら嬉しいです。
「……レオ」
呼びかけた名前は、風に溶けて消えた。
数回しか呼べなかった彼の愛称。
もう届かないと分かっているのに、それでも呼ばずにはいられなかった。
「……これで、いいの」
そうしなければ、あの人は生きられないから。
指先が、わずかに透けていく。
それを見ても、もう驚きはなかった。
——これは、自分で選んだ結末だから。
そっと目を閉じる。
最後に浮かんだのは——
初めて、あの人に出会った日のことだった。
あの頃はまだ、こんな結末になるなんて少しも思っていなかった。
◇◇◇
「——動かないで。そこから、一歩でも動いたら……消すわよ」
「——は?」
これが、最初の会話だった。
その少し前。
草むらの奥で、小さな白い影が震えていた。
うさぎのようなものが、怯えたまま動かない。
草むらの奥で、小さな白い影が震えていた。
——うさぎ?
怪我でもしたのかと思い、一歩踏み出したその瞬間だった。
「……誰?」
金髪の男の子が、影から突然現れた。
ここは公爵家の敷地の中。
そこに入ってくるならただものじゃない。
それにそのすぐ背後には動かずに震えている白いものが見える。
(……もしかして、この子が攻撃を……?)
当の本人はきょろきょろとあたりを見回して隙だらけだ。
——やるなら、今しかない。
怖い気持ちを押し殺してそっと背後に忍び寄り、手に魔力を込める。
そして冒頭の会話に戻る。
振り返った男の子はポカンと私を見つめる。
「なんだそれ。いきなり物騒だな」
「……侵入者には、それくらいでちょうどいいでしょう?」
演技かもしれない。
——油断してはいけない。
自分にそう言い聞かせる。
「ここは、どこだ?」
「……あなたの知らなくていいところよ」
本気でわかってないのか、フリなのか。
ここは仮にも公爵家の敷地内だ。
偶然にも迷い込むことなどないはず。
「勝手に入ってきた時点で、十分不審者だわ」
「お前だって子供だろ」
「だから何?それが何か関係ある?」
子供だったらなんだというのか。
子供として当然の権利を、私は持ったこともないのに。
しかしこの男の子は本当に困惑しているような気がする。
敵ではないのか、見極めなければ——
自然と睨みつけるように、男の一挙手一投足に神経を張り詰める。
「……とにかく、帰って」
どこから侵入したのかわからないが、本当にこれが演技でないのであれば、帰ってもらって侵入口を塞ぐ必要がある。
「ここは、あなたが来ていい場所じゃない」
「……それは俺が決める」
「……は?」
(何を、言っているの?)
思ってもいなかった返しに一瞬思考が止まり、眉が、ぴくりと動く。
その間にも、男は言葉を続けた。
「俺は帰るつもりはない」
「……っ」
偉そうに言うその言葉に、理解できたことは——敵だということ。
そう認識した瞬間、手のひらに溜めていた魔力を男の足元に放った。
暗い魔力が弾けて消えた。
「危なっ!?」
とっさに男は身を引く。
足元の石は、ぱきりとひび割れた。
「……本当に撃ったな!?」
「言ったでしょう。消すって」
慌てる男にしれっと返すと、信じられないという気持ちが表情に表れている。
「お前……頭おかしいのか?」
「よく言われるわ」
侵入者に言われたくないが、会話する必要もない。
適当に返せばなんなんだ、こいつ、とでもいいたげな顔になった。
——変な人。
こんなふうに、ころころ表情が変わる人間を初めて見た。
侵入者だと思っていたが、こんなんでは無理では、と子供ながらに思ってしまった。
警戒は怠らずも、少し思考に耽っていると、またその男は口を開いた。
「……名前は?」
「——は?」
「名前だ。言えないならいいけど」
しばし逡巡する。
私の名前は言う必要はない。
しかし何故名前を聞いてくるのか。
——もしかして、聞き返したら答えてくれる?
「……あなたこそ」
「俺はレオナルド」
間を置かずに答えが帰ってきて驚く。
名前を明かす侵入者がいるものなのか。はたまた偽名なのか。
よくわからないが、この男の子は嘘を言っていないと、直感的に思った。
そして聞き覚えのある名前だと気づく。
そう、頭に主要な王侯貴族は叩き込まれている。
——この国の第一王子と同じ名前。
「……レオナルド?」
思わず復唱してしまうほどには動揺した。
本当に王子なのか。
王子なのであれば何故、こんなところにいるのか。
家の人にバレたら私の無礼な態度で罰を受けるのか。
「……で?お前は?」
きょとんとした顔で再度名前を聞かれる。
素直に教えていいものかもわからない。
王子の名前を語ったただの侵入者の可能性もある。
「……名乗る必要はないわ」
「じゃあ勝手に呼ぶ」
「は?」
「魔法が黒いから……クロ、とか」
「……ふざけてるの?」
——なんなの。こいつ。
闇魔法——ただそれだけでみんな私を忌み嫌ってるのに。
この黒い魔力が闇魔法だとわからないはずがない。
それともそれをわかった上で言っているのか。
どちらにせよ、私にこんなに普通に話しかけてくる人は、初めてだった。
「じゃあ自分で言え」
「言わない」
「じゃあクロだな」
「却下よ」
変な押し問答が続くも、段々とあんなに警戒していたのがバカらしくなってくる。
そのやりとりの中でほんの少しだけ、空気が緩んだ気がした。
——まぁどうせ、もう会うことはないでしょう。
そう思うと、胸がちくりと痛んだ気がした。
こんな短時間なのに、この時間を楽しんでいた自分がいたことに気づく。
同時に、もう会うことはないこの男にこれ以上構うのは無駄だと悟った。
気持ちの整理とともにため息がでる。
「……好きにしなさい。どうせ、もう来ないでしょうし」
(普通は、一度で懲りる)
「……来るけど」
「——は?」
「明日も来る」
今日何度目かの驚きが、口から溢れた。
その言葉を理解するのと同時に、胸に温かいものが灯る。
そんなの、信じてはいけない。
そう思ったのに。
「来なくていい」
「来る」
「来ないで」
「来る」
また押し問答が始まり、黙ってしまう。
その男はじっと私を見つめていた。
どうするべきなのか——答えはでない。
それでも、また会いたいと——思ってしまっている自分に気づいてしまった。
また裏切られるかもしれない。
それでも——気づけば口から言葉がでていた。
「……勝手にすれば」
「!? ああ!勝手にする!!」
そう言って、嬉しそうに笑った。
その日から、誰にも知られない秘密の時間が始まった。
王子と、孤独な少女の——たった一つの、逃げ場として。




