第14話 明日も
——本当に来た。
公爵家の敷地外れにある抜け道の出口へ向かうと、昨日と同じ場所に、金髪の少年が立っていた。
来なくていいと何度も言ったはずなのに、レオナルドは私を見つけるなり、当然のように片手を上げる。
「よう」
「……本当に来たの?」
驚きを隠したつもりだったが、声に出てしまったらしい。レオナルドは不思議そうに瞬きをしてから、肩を竦めた。
「来るって言っただろ」
まるで、約束を守っただけだと言わんばかりの口ぶりだった。
昨日はあれほど警戒して、足元に魔法まで放ったというのに。どうしてこの人は、何事もなかったような顔で戻ってこられるのだろう。
「……暇なの?」
「失礼だな」
「普通、来ないわよ。こんなところ」
「俺、普通じゃないからな」
あっさり返され、思わず眉を寄せた。それは自慢することなのだろうか。
レオナルドは私の顔を見て、少し楽しそうに笑った。
「今日は撃たないのか?」
「撃ってほしいの?」
「遠慮しとく」
そんなやり取りをしていること自体が、妙だった。
昨日は名前を教えることさえ嫌だったのに、今日はもう、言い返す言葉を考えている。相手が何を言うのか、少しだけ楽しみにしている自分までいた。
それを認めるのが悔しくて、私はそっぽを向いた。
そのとき、草むらの奥で小さな物音がした。
反射的に顔を上げる。昨日、白い影を見つけた場所だった。
「……来ないで」
思わず鋭い声が出ると、レオナルドが足を止めた。
「どうした?」
「いいから、動かないで」
「……分かった」
昨日とは違い、彼はそれ以上ふざけず、素直にその場で待っていた。
私はそっと草むらへ近づき、葉をかき分ける。そこにいたのは、小さな白いウサギだった。
身体を丸め、耳を伏せている。逃げ出そうとしないのは、やはり怪我をしているかららしい。
「……昨日も、ここにいたのよ。この子」
独り言のつもりだったが、背後から小さく息を呑む音が聞こえた。
「……だから、あんなに警戒してたのか」
胸がどきりと鳴る。
知られたくなかった。弱ったウサギを守ろうとして、見知らぬ相手に魔法を撃ったなんて。そんな理由を聞かれたら、馬鹿にされるかもしれない。
「……別に。ただ、邪魔されたくなかっただけよ」
誤魔化すように言うと、レオナルドはそれ以上追及してこなかった。笑いもしなければ、余計な慰めも口にしない。
ただ私の隣にしゃがみ込み、ウサギの様子を覗き込んだ。
それだけのことが、少し不思議だった。
「……大丈夫よ。何もしないわ」
私はできるだけ優しく声をかけ、ウサギへ手を伸ばした。小さな身体がびくりと強張る。
逃げる力も残っていないのか、ウサギは草の上で震えるばかりだった。
「触るのか?」
「……ええ」
「噛まれるかもしれないぞ」
「それくらい平気よ」
ゆっくりと抱き上げると、白い毛の下に小さな傷が見えた。大きな怪我ではなさそうだが、血が滲んでいる。
どうすればいいのか考えていると、レオナルドが隣から手を差し出した。
「手、貸す」
「……え?」
「傷、見せてみろ」
「何かできるの?」
「多少はな」
半信半疑でウサギを支え直すと、彼は傷口へそっと手をかざした。
淡い光が白い毛を柔らかく照らす。その光に包まれるにつれて、滲んでいた赤が少しずつ薄れ、ウサギの震えも落ち着いていった。
「……光魔法?」
「まあな」
レオナルドは何でもないことのように答えた。
私は、彼の手元から目を離せなかった。黒い魔力しか使えない私とは、まるで反対の光。
けれど彼は、その違いを気にする様子もなく、ただ目の前の小さな生き物を助けようとしていた。
「……すごい」
気づけば、素直にそう言っていた。
「そうか?」
「ええ。本当に」
レオナルドがこちらを見る。その視線に気づいた途端、何だか恥ずかしくなって、私はウサギへ目を戻した。
ちょうどそのときだった。
腕の中のウサギが、突然身をよじった。
「っ!」
驚いて手を緩めると、小さな身体が草の上へ飛び降りる。傷が癒えて動けるようになったのだろう。ウサギはそのまま草むらへ駆け込もうとした。
「あ、待って——」
思わず追いかけたが、足元の斜面に気づくのが遅れた。靴が滑り、身体が大きく傾く。
「危ない!」
次の瞬間、腕を強く引かれた。転ぶはずだった身体が、誰かに支えられる。
「……何やってんだ」
すぐ近くで、呆れた声がした。
顔を上げると、思っていたよりも近くにレオナルドの顔があった。驚いて、反射的に身を引こうとする。
「……離して」
「怪我してないか?」
「……してないわ」
そう答えると、レオナルドは私が自分の足で立てるのを確かめてから、腕を離した。
少し離れた場所で、白いウサギが草むらへ消えていく。その後ろ姿を見送っているうちに、ようやく胸の鼓動が落ち着いてきた。
「……ありがと」
小さく呟くと、レオナルドが目を瞬かせた。
「え?」
「今、助けてくれたでしょう」
すると彼は、どこか意外そうに笑った。
「……ちゃんと礼、言えるんだな」
「どういう意味よ」
思わず睨み返す。昨日から失礼なことばかり言う人だ。
けれど、昨日ほど腹は立たなかった。
レオナルドもそれ以上からかわず、私の隣で草むらを眺めている。ウサギはもう見えない。
傷が治ったのなら、きっと大丈夫だろう。
ほっと息を吐いたところで、ふと、気になっていたことが口をついた。
「……ねえ」
「ん?」
「……明日も、来るの?」
言ってから、しまったと思った。これでは、私が待っているみたいではないか。
慌てて言い直そうとしたが、レオナルドは少しも迷わず頷いた。
「来る」
昨日と同じ返事だった。
ただ、それだけなのに、胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていく。
「……そう」
私はそれ以上何も言わず、草むらへ視線を戻した。
明日も来る。
その言葉を信じていいのか、まだ分からない。
けれど今日は、昨日よりも少しだけ、信じてみたいと思った。




