章二章 人食い沼の入り口1.5
「今夜、泊まるところはある?」
スカウトマンが、ふと恵子を見た。
恵子は目を伏せる。
「ないです」
スカウトマンは表情を変えなかった。
ただ、そうか、と言って少し間を置いてから、
「大変だったんだね」と静かに続けた。
恵子は何も言えなかった。
「じゃあ今日はここで休んでいきなさい」
毛布を一枚持ってきて、
「明日、担当のマネージャーが来るから」とだけ言い残し、スカウトマンは出ていった。ドアが静かに閉まる。
恵子は部屋の中を見回す。窓がなく、今が何時なのか外が明るいのか暗いのか分からなかった。
ソファに腰を下ろし、毛布を膝にかけた。
鞄の中に、母親の財布から抜いてきた札がまだ残っていて、恵子はそれを取り出して数えてから、鞄の底に押し込んだ。
テレビをつけ、音量を絞ると画面の中で誰かが笑っていた。内容は頭に入らず、ただ光が動いて音が鳴り続けていた。テレビの光だけが、暗い部屋の中で動き続けていた。
翌朝、廊下から複数の女の声がして、恵子はソファの上で目を開けた。毛布が半分床に落ちていて、口の中が乾いている。ドアの向こうが気になり、ドアを開く。
女の子が二人、廊下を歩いていた。同い年か、少し上くらいで、二人とも化粧をしていた。恵子と目が合った瞬間、「おはようございます」と一人が言った。綺麗な声だったが、目は笑っていない。もう一人も同じトーンで続け、二人はそのまま歩き続けて、声が廊下の奥へ遠ざかっていく。
恵子はその背に挨拶を返す。毛布を拾ってソファに戻した。髪が乱れているのは分かったが、部屋には鏡がなく、上手く直せなかった。
しばらくして、またドアが開いた。
「おはようございます、早川さん」
男の声だった。昨日とは違う声だった。
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