第8話 剣聖が、二度目も同じ列へ並んだ
試験営業二日目。
俺は開店前に竈印組合のイルダの元を訪れ、昨日の無事故の実績と、広場に集まる労働者たちの需要数を提示した。結果、彼女の許可を得て、今日から一日の販売上限を百五十食に引き上げることに成功していた。
指定された城外の広場に《ノマド》を停め、販売口を開ける。
すでに周囲には、昨日の味を覚えた労働者や、噂を聞きつけた旅人たちが集まり始めていた。
「よし、列を作ってくれ。今日も一人一個、順番通りだ」
俺が声をかけると、客たちは一斉に販売口の前へと並び始めた。
だが、その列の中ほどで、労働者たちが異様に縮こまり、道を開けるようにして空間を作っている場所があった。
そこに立っていたのは、見慣れた銀色の鎧を纏った女騎士――リシアだ。
非番なのか、あるいは休憩時間を利用して来たのかは分からないが、彼女は剣聖としての威圧感を隠すことなく、無言で列の途中に収まっていた。
「おい、あれって王国最強の剣聖様だろ……?」
「なんであんなお方が、俺たち平民と一緒に屋台の列に並んでるんだ?」
「店主の身内みたいなもんだろう? どうせ裏から声がかかって、特別扱いで一番先に飯を出してもらえるに決まってるさ」
労働者たちがひそひそと囁き合う声が、厨房の俺の耳にも届いた。
権力者や強い者が優先されるのは、この世界の常識だ。彼らがそう予想するのも無理はない。
だが、俺は鉄板の上で灰角兎の肉を焼きながら、一切声をかけなかった。
リシアもまた、黙って前の客の背中を見つめ、じりじりと進む列に律儀に付き従っている。
三十分ほど経ち、ようやくリシアの順番が回ってきた。
「いらっしゃい。注文は?」
俺が事務的に尋ねると、リシアはカウンターに交易銅貨を置こうとして、ふと動きを止めた。
「……昨日の戦場で食べた量では、まだ魔力炉が満たされない。本当は三つほど食べたいところだが、この店は一人一個の規則だったな」
リシアが少しだけ残念そうに言う。
彼女の異常な栄養消費量を考えれば当然だ。俺としては、身内である彼女の腹を満たしてやりたい気持ちはある。
だが、ここで俺が無償で肉を増やしてやったり、こっそり二つ渡したりすればどうなるか。
後ろに並んでいる数十人の客は、「結局、強い奴は特別扱いされる不公平な店だ」と判断する。一度失った客の信用は、二度と戻らない。
俺はフィーナに合図し、メニューを書いた黒板の端に、新しい木札を掛けさせた。
「一人一個の規則は曲げない。だが、客の需要に合わせた商品を用意するのは俺の仕事だ」
俺はあらかじめ仕込んでおいた、通常の倍の厚みに切った灰角兎の肉と獣脂を鉄板へ並べた。
厚い肉が低く鳴り、溶けた脂を飴色玉葱が吸い込んで、艶のある褐色へ変わっていく。少し大きめに伸ばした香草入りの生地で、重量を逃がさないよう二重に包んだ。
「新商品の『肉と脂の特盛り包み』だ。分厚い肉と追加の獣脂で、カロリーは通常の倍以上ある。値段は交易銅貨五枚。これでどうだ?」
裏メニューではなく、誰でも追加料金を払えば買える正式な高栄養商品。
それを見たリシアは、灰青色の瞳をパッと輝かせた。
「……素晴らしい。それを頼む」
リシアは追加の銅貨をカウンターに置き、熱々の特盛り包みを受け取った。
手に乗せた時点で、通常品とは重さが違う。リシアは厚切り肉を奥歯で噛み切り、脂を吸った玉葱ごとゆっくり飲み込んだ。二口、三口と進むにつれ、痩せた頬に色が戻り、張りつめていた肩が少しずつ下がっていく。
「これだ。熱いだけではない。身体の奥まで、きちんと足りていく」
彼女は急がず、最後の一口まで噛みしめた。
その一連のやり取りを見ていた後ろの労働者たちの目が、驚きから確かな信頼へと変わるのが分かった。
「おい、見たかよ。剣聖様でも特別扱いはなしか」
「ああ。金さえ払えば、俺たちでもあの特盛りが買えるってことだ」
「なんて公平な店だ。並んだ甲斐があるぜ!」
彼らの間にあった緊張が解け、活気のある食欲へと変わる。
誰もが安心して、自分の順番が来るのを待ち始めた。
リシアは食べ終えると、口元をハンカチで拭い、少しだけ販売口の脇に寄った。
そして、鉄板に向かう俺にだけ聞こえるような、小さな声でこぼした。
「……私が身分を明かせば、他の店なら並ばずに食う方が早いのは分かっている」
「だろうな。俺の店は不便だろう」
俺が苦笑すると、リシアはふっと柔らかく微笑んだ。
「いや。……この店で、自分の順番と料理を待つ時間も、嫌いではない」
それは、ただの護衛契約を超えた、彼女自身の意志による選択の言葉だった。
王国の兵器として扱われてきた彼女が、一人の客として時間を過ごす喜びを見つけてくれたのだ。俺は小さく頷き、次の客の注文へと向き直った。
フィーナが二度刻みで管理する食材温度、ボルグが整えた火力、そして俺の手返し。
三人――正確にはスライムのピカも含めて三人と一匹の連携は、昨日よりもはるかに洗練されていた。
広場に夕暮れの影が落ちる頃、最後の耐油紙が客の手へ渡った。空になった容器が奥から順に重なり、列の終端も販売口の前までたどり着く。
フィーナは黒板の「百五十」に小さな丸を付けた。客同士のトラブルも、火災の兆候もない。試験営業二日目の記録が、静かに一行増えた。
「よし、よくやった。片付けをして、まかないにしよう」
俺が鉄板の火を落とし、フィーナが黒板の販売数を書き換えようと車外に出た、その時だった。
「おい! お前がこの奇妙な鉄馬車の店主か!」
怒気に満ちた野太い声が、広場に響いた。
振り返ると、衣服を白い小麦粉で真っ白に汚した、恰幅の良い男たちが数人、血相を変えて《ノマド》に詰め寄ってきていた。手にはパンを捏ねるための麺棒や木べらを握りしめている。
「ひゃっ……!」
フィーナが驚いて車体に背中を押し付ける。
「誰だ、あんたたちは」
俺が販売口から身を乗り出して尋ねると、先頭に立った一番体の大きな男が、親の仇でも見るような目で俺を睨みつけた。
「俺たちはベルクのパン屋組合の者だ! お前らが昨日からここで安売りの肉包みなんか売りやがるせいで、城外の労働者たちがぱったりとうちの店に来なくなった!」
男はドンッ、と力任せにカウンターを叩いた。
「他所から来た余所者が、俺たちの客を奪うんじゃねえ! 今すぐここから出て行け!」
ドレイクの権力や、イルダの規則は乗り越えた。
だが、今目の前にいるのは、日々の生活を懸けて怒り狂う地元の同業者たちだ。
試験営業二日目の終わりに、俺は最も厄介な商売上の摩擦に直面していた。




