第6話 動く竈に、許可は出せない
「城壁内への立ち入りはお断りだ。さっさとその鉄の箱ごと引き返せ」
ベルク城門の前で門番と押し問答をしていると、硬質な声が割って入った。
現れたのは、仕立ての良い簡素な服を着た初老の女性だった。鋭い眼光と、神経質そうに結ばれた口元が、彼女の厳格な性格を物語っている。胸元には、炎と鍋を模した銀の意匠――竈印組合の紋章が輝いていた。
「私が通達を出した竈印組合の検査官、イルダだ。君が戦場で煮炊きをして走ってきたという料理人だね」
「榊原拓海だ。通達の通り、移動する竈という理由だけで営業を禁止されるのは納得がいかない。防火と衛生の基準があるなら、検査を受けさせてくれ」
俺がそう返すと、イルダの後ろから立派な身なりの男が進み出てきた。外套には『金色の環』の刺繍がある。金環商会の手代らしき男だ。
男はイルダに耳打ちするように、しかし周囲に聞こえる大きな声で言った。
「イルダ殿。検査など時間の無駄ですぞ。かつて移動露店が火の不始末で都市を半焼させた悲劇をお忘れか。固定された竈を持たない流れ者に火を扱わせるなど、都市の安全を脅かす行為。我が金環商会は、移動営業の永久禁止を強く進言いたします」
男の言葉には、移動販売という新しい競争相手を法と前例の壁で徹底的に排除しようとする意図が透けて見えた。
だが、俺は男を無視し、イルダの表情と、役人たちが抱えている検査記録を見た。
彼女は金環商会の手代の言葉に同調して頷くことはせず、むしろ少しだけ鬱陶しそうに眉をひそめていた。
なるほど。この検査官は商会の息がかかった傀儡ではない。純粋に、都市の防火と公衆衛生を守るという自分の職務に忠実なだけだ。ならば、賄賂や感情論は逆効果になる。必要なのは、彼女の懸念を論理的に潰す「実績」だ。
「イルダ検査官。金環商会の言う通り、過去の火災事故という前例があるのは事実だろう。だが、前例がないからといって新しい技術を永久に禁止すれば、客の選択肢を奪うことになる」
俺は《ノマド》の車体を叩いた。
「俺の店は、過去の露店とは違う。火災対策も食材の保存技術も備わっている。それを言葉ではなく、実際の営業で証明させてもらえないか?」
「証明、だと?」
イルダが片眉を上げた。
「ああ。あんたが指定した条件で、試験営業をさせてくれ。行政の手続きで結論を出す前に、この店が安全に客を捌けるかどうか、あんた自身の目で審査してほしい」
俺の逆提案に、金環商会の男が「ふざけるな!」と声を荒らげたが、イルダは手でそれを制した。
「……面白い。そこまで自信があるなら、試させてもらおうじゃないか」
イルダは懐から手帳を取り出し、羽ペンで素早く条件を書き付けた。
「期間は今日から五日間。場所は火災のリスクが少ない城壁の外、労働者向けの広場に限定する。販売数は一日百食を上限とし、毎日営業終了後に正確な売上記録と、食材の保管状況を報告すること。ボヤ騒ぎ、食中毒、あるいは客同士の暴力沙汰が一件でも起きれば、その瞬間に試験は中止。この都市から永久追放とする。これでどうだ?」
「十分だ。感謝する」
俺は提示された条件を即諾した。
これで、見えない行政の手続きではなく、俺の得意な「現場の営業」という土俵で戦うことができる。
《ノマド》を城壁の外にある指定の広場へと移動させながら、俺は車内で従業員たちを集めた。
試験を乗り切るためには、全員の役割と責任を明確にする必要がある。
「ボルグ。あんたには車両の整備と、防火対策の全権を任せる。もし火の回りに不安があるなら、俺が急いでいても迷わず鉄板の火を落としてくれ」
「へっ、任せな。都市の役人にドワーフの仕事を見せつけてやる」
「リシアはこれまで通り、店と客列の護衛だ。列を乱す奴がいれば、怪我をさせない程度に威圧して追い返してくれ」
「承知した。規則を守らん輩は、私が並ばせる」
そして、俺はフィーナに向き直った。
「フィーナ。あんたには、試験の命綱である食材の温度管理と、毎日の売上記録の作成を任せたい。つまり、この店の『衛生管理責任者』だ」
「私が、責任者……?」
フィーナが目を丸くする。
「そうだ。いいか、よく聞いてくれ。商売をしていると、どうしても売上を優先して無理をしたくなる時がある。もし俺が、温度管理を怠った食材や、少しでも傷んだ疑いのある肉を客に出そうとしたら――あんたの権限で、俺から包丁を取り上げて営業を止めろ」
俺の言葉に、車内の空気が一瞬だけ固まった。
異世界の常識において、雇われた者が雇い主(店長)の指示に逆らい、商売を止める権限を持つなどあり得ないからだ。
「店長より、私の判断を……優先するんですか?」
フィーナが震える声で聞き返す。
「当然だ。衛生に関して妥協すれば店は終わる。あんたの魔法と判断が、この店の存続を握っているんだ。頼めるか?」
フィーナはごくりと唾を飲み込み、眼鏡の奥の瞳に強い決意の光を宿した。
「……はい。対象の温度管理と異常の検知、絶対にミスはしません。店長が間違えそうになったら、私が止めます」
「よし、頼もしいな」
足元では、補助清掃員扱いとなったピカがプルプルと震えながら床の小さな焦げカスを溶かしていた。
これで、組織の準備は整った。
翌日。
指定された城外の広場には、近隣の鉱山や街道工事に向かう労働者たち、そして旅人たちがひしめき合っていた。城壁の中の洗練された市民とは違い、日銭を稼ぎ、手早く腹を満たしたい客層だ。
フィーナが車内の壁に、どこからか調達してきた小さな黒板を掛けた。
そこにはチョークで白い文字が記されている。
『累計販売数:二百七食』
『現在の従業員:三人、整備士一人、スライム一匹』
『使用設備:仮設魔石機関、冷蔵庫』
俺がこれまで戦場で売ってきた数字だ。この黒板の数字を、五日間で確実に増やしていく。
「開店するぞ」
鉄板に火を入れ、獣脂を引く。香草で下処理をした灰角兎の肉が焼ける強烈な香りが、広場の冷たい空気を切り裂いて広がった。
「なんだなんだ? すげえいい匂いがするぞ」
「あの奇妙な鉄の馬車からだ。何か食い物を売ってるのか?」
匂いに釣られ、労働者たちが続々と《ノマド》の前に集まり始めた。
リシアが前に立ち、「武器を収めて、一列に並べ」と指示を出すと、彼らは物珍しそうにしながらも大人しく列を形成していく。
順調な滑り出しだ。
俺が最初の肉汁包みを仕上げようとした、その時だった。
「どきなさい。平民ども」
労働者たちのざわめきを切り裂くような、冷たく透き通った声が響いた。
列の後方から歩み出てきたのは、全身を上質な黒いドレスと外套で包んだ女だった。深く被ったフードの奥から、赤紫色の瞳が妖しく光っている。
周囲の泥臭い労働者たちとは明らかに異質な、圧倒的な存在感と威圧感。
女の両脇には、巨大な戦斧を持った屈強な二人の護衛が付き従い、列に並んでいる労働者たちを無理やり退かせて道を作っていた。
「おい、ふざけんな! 俺たちが先に並んで――」
文句を言おうとした労働者が、護衛に睨まれて悲鳴を上げて尻餅をつく。
黒衣の女は列の存在など一切意に介さず、悠然とした足取りで《ノマド》の販売口の真正面――つまり、列の最前線に割り込んで立ち止まった。




