第5話 王国の剣へ、食事を届けなかった男
「移動する奇妙な竈は、火災と秩序の乱れを招く危険物である。その店を城塞都市へ入れるな」
ベルク城門の門番が読み上げた通達は、明確な営業妨害だった。
羊皮紙に押された赤い封蝋には、『金色の環』の刻印がある。俺の店が戦場で敵味方に飯を売ったという報告を受け、金環商会という組織が先回りして手を打ったのだろう。
「困ったな。車輪が回るようになっても、道が塞がれちゃ意味がねえ」
助手席のボルグが忌々しそうに髭を撫でた。
その時、背後の街道から土煙を上げて接近してくる騎馬の集団があった。
「見つけたぞ! あの薄汚い鉄の馬車だ!」
怒声と共に現れたのは、戦場から退いた補給将校ドレイクだった。数十人の私兵と、その後ろには城塞都市から物資を運び出そうとしている数台の補給荷馬車を引き連れている。
ドレイクは門番が掲げている通達書を見ると、下卑た笑いを浮かべた。
「ほう、金環商会様からの通達が出ているとはな。ちょうどいい」
彼は馬から降り、《ノマド》の前にふんぞり返った。
「貴様の店は危険物として都市への立ち入りを禁じられた。王国軍補給将校であるこの私が、軍の権限においてその車体と中の食材を押収し、厳重に検分してやる。逆らえば反逆罪だ。降りろ!」
剣を抜く私兵たち。リシアが静かに腰の剣に手をやり、フィーナが怯えて俺の背後に隠れる。
力で突破することは可能だろう。だが、それは客に恐怖を与える行為であり、商売人の選ぶ道ではない。
俺は運転席を降り、ドレイクの顔ではなく、彼の背後にある補給荷馬車を観察した。
荷台には大量の木箱が積まれている。その木箱の側面には、戦場でリシアと魔族兵が持っていた空き袋と同じ『金色の環』の焼印が押されていた。さらに、木箱の隅には数字とアルファベットを組み合わせたような管理番号の札が打ち付けられている。
「押収に応じろと言うなら、一つ確認させろ」
俺はドレイクを無視し、真っ直ぐに補給荷馬車へと歩み寄った。
「な、なんだ貴様! 近寄るな!」
ドレイクが慌てて立ちはだかろうとするが、背後からリシアが放つ圧倒的な殺気に気圧され、一歩後ずさった。
俺は一番手前にあった頑丈な木箱の蓋に手をかけ、近くにあったバール代わりの工具で強引にこじ開けた。
中から出てきたのは、兵士たちに配られるようなカチカチの干し肉や酸っぱいパンではない。上質な塩漬け肉の塊、香辛料の小瓶、そして濃厚な蜂蜜の壺だった。
「ほぅ、最前線の兵士たちが飢えて倒れかけているっていうのに、随分と豪勢な補給品だな」
俺が木箱の中身を掲げて見せると、ドレイクに付き従っていた私兵たちの間にどよめきが起きた。彼ら自身も、まともな飯を食っていないはずだ。
「そ、それは……高位の将校向けの特別な配給だ! 貴様のような平民が触れていいものではない!」
「将校向けね。なるほど」
俺は木箱の側面に打ち付けられた番号札を指差した。
「リシア。あんたが本来受け取っているはずの『専用の高栄養食』の配給番号、覚えてるか?」
唐突に話を振られたリシアは、怪訝な顔をしながらも答えた。
「……ああ。私の部隊、第一騎士団の特種配給番号は『RK-01』だが」
「ビンゴだ」
俺は番号札を引き剥がし、周囲の兵士たち全員に見えるように高く掲げた。
木箱に刻印されていたのは、間違いなく『RK-01』の文字だった。
「どういうことだ……? それは、私の部隊の……」
リシアの灰青色の瞳が、信じられないものを見るように見開かれ、やがてドレイクへと鋭く突き刺さった。
俺はドレイクに向かって淡々と事実を突きつけた。
「簡単な理屈だ。あんたたちの上官は、剣聖専用の高級食材を金環商会から受け取りながら、それを前線には届けず自分の懐に入れた。そして、別のルートで金環商会に高く横流しして利益を得ていたんだろう。だからあんたの馬車に、剣聖の飯が積まれている」
「き、貴様! 根拠のないデタラメを……!」
「根拠なら、あんたの部下たちが一番よく分かってるんじゃないか?」
俺が顎で示すと、私兵たちの目はすでにドレイクへの忠誠を失っていた。
自分たちが飢えに苦しむ横で、上官は英雄の食料を盗んで私腹を肥やしていたのだ。怒りと軽蔑の視線が、一斉にドレイクに集中する。
「貴様……よくも」
リシアが低く唸り、一歩前へ出た。その大剣が抜かれるまでもなく、彼女から放たれる魔力の圧だけで、ドレイクは腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひぃっ……! ま、待て、これは金環商会のガレス殿の指示で……!」
「言い訳は軍の査問会議でするんだな」
リシアが一瞥すると、私兵たちはドレイクを守るどころか、彼を拘束するために動き出した。これで、俺の店を押収しようとする軍の権限は実質的に消滅した。
騒動が一段落し、俺は《ノマド》の厨房に戻ってバーナーに火を入れた。
ちょうど、城外で野営している兵士たちや、門前で足止めを食らっていた旅人たちが、匂いに釣られて集まり始めていた。
「よし、営業を開始する。一列に並べ!」
俺の掛け声と共に、兵士たち――その中にはなぜか紛れ込んでいる魔族の姿もあった――が、おとなしく列を作り始めた。
その時だ。
拘束を振り解き、ドレイクが目を血走らせてカウンターにすがりついてきた。
「め、飯を……! 私にもその肉をよこせ! 金ならいくらでも払う!」
横流しがバレて全てを失った絶望と、目の前で焼ける肉の抗いがたい匂いが、彼の理性を焼き切っていた。
俺は彼が差し出した金貨を見下ろし、冷たく言い放った。
「悪いが、あんたには売らない」
「な、なぜだ! 金ならあると言っているだろうが!」
「金の問題じゃない。この店は『武器を収めて、最後尾に並んだ客』にしか売らない。あんたはさっき、力ずくで列を乱そうとした。規則違反だ」
俺はドレイクを無視し、列の先頭にいた若い兵士に『炙り角兎と飴色玉葱の肉汁包み』を渡した。
「熱いから気をつけろよ」
「あ、ありがとうございます……!」
兵士が美味そうに肉汁をすする音。周囲の客たちが幸せそうに咀嚼する顔。
かつて権力を笠に着ていたドレイクだけが、その輪に入れず、耐え難い匂いと飢えの中で惨めに唾を飲み込んでいる。商売人としての、俺なりの落とし前だ。
営業の合間を見て、俺は車内を手伝ってくれている二人に声をかけた。
「リシア、フィーナ。改めて聞くが、あんたたちはどうする?」
二人が手を止めて俺を見る。
「ドレイクは失脚した。これであんたたちは自由だ。リシアは軍に戻ってもいいし、フィーナも王都へ向かう足代くらいは稼げただろう。ここで降りるか?」
少しの沈黙の後。
フィーナが眼鏡の位置を直し、真っ直ぐに俺を見た。
「降りません。私の魔法を『最高の設備』だと言ってくれたのは店長だけです。私はこの店の衛生管理責任者として、食中毒を一つも出さないと決めましたから」
「……給料の交渉はいつでも受け付けるぞ」
俺が苦笑すると、今度はリシアが腕を組んで口を開いた。
「私も残る」
「いいのか? 王国の剣聖様が、こんな路地裏の屋台みたいな車で油まみれになって」
「構わない。それに……」
リシアは少しだけ視線を逸らし、口元を緩めた。
「あなたの作る飯の味を覚えてしまった。もう、軍の干し肉には戻れそうにない」
「そうか。なら、今日から正式なうちの従業員だ。よろしく頼む」
最強の剣聖と、無能扱いされていた氷の魔導師。異世界で拾った二人の仲間が、この時、俺の店の正式な歯車として噛み合った。
だが、ドレイクの横流し問題を解決し、強力な従業員を得ても、目の前の最大の障壁はまだ崩れていない。
俺は城門の横に立てられた、真新しい木札を見上げた。
そこには相変わらず、『移動する竈、営業禁止』の冷酷な文字が刻まれている。
権力者の不正を暴いたところで、都市の法律や商会の利権までは変えられない。
客はいる。仲間もいる。だが、店を開くための許可がない。
ここから先は、商売の力でこじ開けるしかなかった。




