第4話 異世界初の魔導キッチンカー
アクセルを踏んでも、エンジンは二度と息を吹き返さなかった。
走行用の燃料が尽きたのだ。現代のガソリンスタンドなど、この世界のどこを探しても存在しない。
「……動かなくなったな」
助手席のリシアが、心配そうにダッシュボードを見つめる。
「私が牽こうか? 縄さえあれば、これくらいの箱、一人で引っ張れるが」
「気持ちはありがたいが、剣聖に車馬の真似事をさせるわけにはいかない。客から見て、店の信用に関わる」
俺は運転席を降り、周囲を見渡した。
幸いなことに、ここは関所を抜けた後の街道沿いだ。少し前方に、木造の大きな屋根と作業場を備えた施設が見える。壊れた馬車の車輪や荷台の木材が積まれているところを見るに、街道用の修理場だろう。
「あそこまで押す。手伝ってくれ」
俺はリシアとフィーナに声をかけ、三人で車の後部に手を当てた。リシアが軽く力を込めただけで、重さ数トンあるはずの《ノマド》が、まるで空箱のようにスルスルと前進し始める。彼女の筋力はどうなっているんだ。
修理場に車を滑り込ませると、奥からカンカンと金属を叩く音が止まり、ずんぐりとした人影が出てきた。
見事な赤茶色の髭を蓄え、分厚い革エプロンを身につけた男だ。筋骨隆々の腕には油汚れが染み付いている。ドワーフという種族だろう。
「なんだい、そりゃあ。随分とのっぺりした鉄の箱じゃないか」
男は目を丸くして《ノマド》に近づき、車体をペタペタと触り始めた。
「ほう、装飾は一切なし。だが板金の精度は異常に高い。車輪の軸には……なんだこのバネは。衝撃を逃がす構造か。馬鹿みたいに実用に特化した美しい鉄車だ」
「あんたがここの主か。俺は移動料理店の店主、拓海だ」
俺が名乗ると、ドワーフの男は「ボルグ・ダントンだ」と短く応じた。
「で、この美しい鉄車がどうしたって? 馬も繋いでないのに、どうやってここまで来た?」
「こいつの腹の中にある機関で走ってきたんだが、動かすための『餌』が切れた。直せるか?」
俺はボンネットを開け、内部のエンジンルームをボルグに見せた。
ボルグは目を輝かせて複雑な配管やシリンダーを覗き込んでいたが、やがてその構造を理解したのか、難しい顔をして腕を組んだ。
「……なるほどな。謎の液体を燃やして、その爆発の圧力で軸を回してるのか。考えた奴は天才だが、残念ながら俺には直せねえ」
「無理か」
「あぁ。そんな爆発を起こす魔法の液体なんて、この世界には存在しねえよ。餌がないんじゃ、こいつはただの鉄屑だ」
ボルグの宣告に、フィーナが不安そうに俺の顔を見た。
車が動かなければ、移動販売は終わる。ただの固定された箱になる。
だが、俺は数秒で思考を切り替えた。
「元の状態を再現しなくていい」
「あ?」
「俺は車のマニアじゃない、商売人だ。極論、このタイヤと呼ばれる車輪さえ回れば、俺は次の町で店を開ける。あんたの技術とこの世界のやり方で、こいつを動かせるか?」
俺の言葉に、ボルグはニヤリと髭の奥で笑った。
「……無茶を言う客は嫌いじゃねえ。元通りにはならねえが、魔導馬車に使ってる『魔石機関』を、こいつの車軸に無理やり噛ませることはできる。振動は酷くなるし、速度も落ちるぞ?」
「前に進むなら十分だ。頼む」
交渉は成立した。ボルグはすぐさま自分の工房から巨大な工具と、鈍く光る青い石が埋め込まれた金属の箱を引っ張り出してきた。
潜り込んだ車体の下から、火花と激しい金属音が鳴り響く。
作業を待つ間、俺は車内の片付けをしていた。すると、足元で「ひゃっ」とフィーナが小さな悲鳴を上げた。
「た、拓海さん! なにかいます!」
フィーナが指差す先、厨房の床を這っていたのは、手のひらサイズの半透明なスライムだった。
魔物かと思って身構えたが、スライムは冷蔵庫にある新鮮な食材には目もくれず、鉄板から床に跳ねた油汚れや焦げカスの部分にだけ吸い付き、綺麗に溶かして吸収していく。
「油汚れだけを食ってるのか?」
「……野生の洗浄スライムみたいですね。強い魔物や人間の気配には寄り付かないはずなんですが」
「厨房の強い匂いに引かれたか。食材に触れないなら、掃除の手間が省けるな。ピカとでも呼んでおこう」
俺はそれを害がないと判断し、放置することに決めた。衛生管理はフィーナの温度管理と熱湯消毒で補える。清掃コストの削減だ。
一方その頃。
俺たちがいる修理場から遠く離れた丘の上から、《ノマド》の姿をじっと観察している影があった。
男が羽織る外套の胸元には、『金色の環』の刻印が刺繍されている。
「あれか。戦場で敵味方両軍に食事を売り、我が商会の保存食をゴミ扱いさせたという奇妙な馬車は」
監視役の男は、ドレイク補給将校からの急報を受け、この街道を見張っていたのだ。
男は手元の羊皮紙に素早く何かを書き込むと、城塞都市ベルクに向けて早馬を走らせた。俺たちがその監視の目に気づくことはなかった。
数時間後。
「終わったぜ!」
車の下から這い出してきたボルグが、油まみれの顔で笑った。
運転席に座るよう促され、俺はボルグから渡された起動用のレバーを引いた。
ズウンッ! という重低音とともに、車体がガタガタと激しく震え出す。
アクセルペダルとは連動しない、魔石の出力を直接調整する荒削りな操縦機構だ。レバーを押し込むと、魔石機関が車軸を強制的に回し、《ノマド》がゆっくりと前進を始めた。
「動いた……!」
助手席のリシアが感嘆の声を漏らす。
速度は徒歩より少し速い程度。乗り心地は最悪で、厨房の調理器具がガチャガチャと鳴っている。
だが、間違いなく異世界の力で車が走っている。現代の設備と異世界の魔法技術が融合した、異世界初の『魔導キッチンカー』が誕生した瞬間だった。
「どうだ、俺の傑作は!」
「ああ、動く。これでベルクの町へ向かえる。代金はいくらだ?」
俺が窓から顔を出して尋ねると、ボルグは自分の工具箱を背負い、《ノマド》の助手席側のドアを開けて乗り込んできた。
「代金は出世払いでいい。その代わり、俺が手を入れた機関が、この鉄車をどう走らせるか最後まで見届けさせてもらうぜ。ベルクまで同行する」
「勝手にしろ。ただし、飯代は給料から引くからな」
こうして、頑固なドワーフの整備士が仲間に加わり、俺たちは城壁に囲まれた巨大な街――城塞都市ベルクへと到着した。
巨大な石造りの城門の前には、入城を待つ商隊の列ができている。
俺たちもその列に並び、順番が来たところで門番に通行証の申請を行おうとした。
だが、門番は《ノマド》の姿を見るなり顔をしかめ、手元の書類を開いた。
その書類には、見覚えのある『金色の環』が押された赤い封蝋がついている。
「お前が、戦場で飯を売っていたという料理人か」
門番は冷たい声で言った。
「ここに通達が出ている。移動する奇妙な竈は、火災と秩序の乱れを招く危険物であると。よって、その店を城塞都市へ入れるな」




