第39話 選べる客に、もう一度選ばれてから商売を名乗れ
ガレス・ローンは、逃げなかった。
金環商会の護衛を連れ、停戦会場の中央へ歩いてきた。二十四台の屋台も、三千人の客も見回したが、顔色一つ変えない。
「説明を求められたそうだな」
「偽の攻撃命令と通行札が、あんたの北倉庫につながった」
「倉庫の書式を使った者がいる。それだけだ。私が命じた証拠にはならない」
ガレスは帳簿を一瞥した。
「食料の集約も、移動竈の没収も、戦時統制令に基づく措置だ。自由な商人が好き勝手に運べば、強い者が奪い、弱い者には届かない。私は秩序を守った」
簡単には崩れない。
だからこそ、こいつは支部長まで上り詰めたのだ。
「その統制令なら、原本を調べました」
イルダが二枚の書面を広げた。
「王国が認めたのは、緊急時の倉庫共同使用です。移動竈の没収と解体を認める条文は、提出後に継ぎ足されている。紙の繊維も、使用された印泥も違います」
ガレスは一拍だけ黙った。
「現場の担当者が、必要な裁量を取ったのだろう」
「では、この支払いは?」
ニアが偽伝令の一人から押収した受領証を置いた。
北倉庫からの前金。成功時には残額を支払うという契約。受領印はガレスの秘書印だった。
「秘書が勝手に――」
「できません」
フィーナが静かに遮った。
「金環商会の冷蔵倉庫は、支部長印がなければ夜間に開かない。搬出記録には、あなたの魔力署名が残っています。王国軍と魔王領、双方の測定官が確認しました」
元上官がフィーナの隣に立つ。
「クライス責任者の鑑定に相違はない。王国軍魔導師団の名で証明する」
逃げ道が、一つずつ塞がった。
それでもガレスは頭を下げなかった。
「よかろう。局地戦を再開させるため、偽伝令を使ったのは私の判断だ」
平原に怒声が上がる。
ガレスはそれを片手で制した。
「だが、私を悪党と呼んで満足するな。今日ここに二十四台の屋台が集まったのは、英雄と古竜と魔王が手を貸したからだ。冬が来て、道が凍り、善意が尽きても同じ数を養えるのか?」
「善意だけで集まったんじゃない」
俺は屋台を指した。
パン屋は生地を売って利益を得た。村の料理人は自分たちの食材を商品にした。獣人商人は安全な道へ正当な通行料を設定した。魔族の料理人は、自分たちの味を自分たちで決めた。
誰も俺の施しだけで立っていない。
「あんたの倉庫一つが止まれば、全員が飢える。こっちは一台壊されても、残りが穴を埋める。二十四台全部が同じ商品を売る必要もない」
「ばらばらの商人はいずれ争う」
「争えるのは、選択肢があるからだ。値段も味も悪ければ、客は別の店へ行く。その客に次も選ばれるよう直すのが商売だ」
ガレスが初めて、俺ではなく列を見た。
人間兵は魔族の香辛料を少し試し、獣人の子どもは人間のパンをシチューへ浸している。混ざり合ったわけではない。それぞれ違うまま、同じ場所で選んでいた。
「飢えさせなければ戻らない客しかいないなら、それは商売じゃない」
俺はガレスを正面から見た。
「選べる客に、もう一度選ばれてから商売を名乗れ」
ガレスは長く黙った。
やがて、わずかに口元をゆがめる。
「今日の市場では、君の勝ちだ。だが冬を越しても同じことを言えるか、見届けられないのは残念だよ」
敗北を認めても、思想までは捨てなかった。
その方が、俺にはガレスらしく思えた。
王国の監察官と魔王領の法務官が、共同でガレスの拘束を宣言した。問われるのは意見ではない。統制令の偽造、軍用食の横流し、供物の詐取、輸送隊への魔物誘導、偽伝令への支払いだった。
金環商会灰風支部の営業権は停止され、倉庫と運搬車は被害を受けた村、商隊、兵士、ヴァルガルドへの補償に充てられることになった。
人々が去り始めた頃、フィーナの元上官が彼女へ深く頭を下げた。
「軍の冷蔵輸送を、君の基準で作り直してほしい。命令ではない。クライス責任者へ、正式に依頼する」
「記録を公開し、私に停止権を認めるなら引き受けます」
フィーナは迷わず条件を返した。
その隣では、数人の商隊主がニアの地図を囲んでいる。
「次の輸送から、街道調査を頼みたい」
「前払い半分。危険手当と負傷補償は別。あたしの認証を勝手に写したら、全街道で止めるからね」
「ニア責任者の条件に従う」
かつての雇い主も、今度は彼女の顔を見て答えた。
夕刻、人間領と魔王領の代表が停戦文書へ署名した。
三境のシチューが和平を作ったわけではない。
だが、湯気の向こうで相手の所在を確かめ、嘘を嘘だと調べる時間を、俺たちの店は確かに売った。




