第40話 次の町も、競合ゼロ
一か月後。
灰風街道の朝に、聞き慣れたようで少し違う駆動音が響いた。
低い魔石機関のうなり。補強した車輪が砂利を踏む音。その後ろには、折り畳まれた小型屋台が六台、ぴたりと連結されている。
再建された《ノマド》は、以前より大きく、ずんぐりしていた。
調理台はある。冷却庫も、浄水器も、展開式カウンターもある。だが一台だけで全部を売り切るための車ではない。
食材、器具、交換部品と小型屋台を運び、必要な場所で複数の店を立ち上げる移動販売母艦だ。
「格好だけなら前の方が良かったな」
俺が言うと、ボルグは新品の外板を拳で叩いた。
「格好で客の腹は膨れん。今度は一台壊れても全部は止まらんぞ」
「最高だ」
今度は迷わずそう答えた。
車内の黒板には、フィーナの整った字が並んでいる。
累計販売数、一万五千食超。
提携屋台、二十四台。
営業地域、人間領、獣人集落、魔王領。
数字よりも、その下に書かれた役職が目に留まった。
衛生・品質責任者、フィーナ・クライス。
街道調査・出店配置責任者、ニア・ファング。
設備責任者、ボルグ・ダントン。
警備責任者、リシア・ヴァレン。
俺が書かせた肩書ではない。全員が自分で引き受けた仕事だ。
フィーナは王国軍と魔王領双方の冷蔵輸送基準をまとめ、危険な食材を見つければ俺の店も止める。
ニアは新しい街道地図の使用料を受け取り、獣人の調査員を二人雇った。
ボルグは量産屋台の注文に文句を言いながら、誰より楽しそうに図面を増やしている。
共通の移動竈営業許可も発行された。
どこで何を売っても自由、という免状ではない。防火、衛生、価格表示、納税の基準を満たした店が、三つの領域で同じ検査を受けられる許可だ。
固定店の料理人も移動屋台も、同じ基準の上で客に選ばれる。
ヴァルガルドは山脈の上を旋回し、次回の輸送代だと言って魔石をまた過払いしていった。
アシェリアからは、魔王領の屋台街を視察せよという、命令口調の正式発注書が届いている。
そしてリシアは、再建された車の横に立っていた。
王国との護衛契約も、《ノマド》との雇用契約も、停戦成立の日でいったん満了している。
「契約書は、まだ作っていない」
俺が言うと、リシアは灰青色の目を細めた。
「今度は私に、どんな役割を割り振るつもりだ?」
以前の俺なら、警備の範囲、給与、危険手当から話しただろう。
条件は必要だ。曖昧な好意で働かせるつもりはない。
だが、それだけでは足りないことを、ようやく知った。
「護衛としてじゃない。従業員としてでもない」
喉が、初めて出す商品名より乾いていた。
「俺が、あんたと一緒にいたい。これからも、食べたいものを聞かせてくれ」
リシアはしばらく黙っていた。
やがて、戦場では一度も見せなかったほど柔らかく笑う。
「食事と休憩は付くのか?」
「当然だ。給与も危険手当も付ける。ただし、それは一緒にいてほしい理由とは別だ」
「やっと契約書の外の言葉を覚えたな」
リシアは俺の手を取った。
「なら、契約成立だ」
荷台ではニアが笑いをこらえ、フィーナが帳簿で顔を隠している。ボルグだけは聞こえないふりで機関を点検していた。
俺は咳払いし、運転席へ逃げ込んだ。
助手席には三通の依頼書が置かれている。
王都の食品祭。
北方の雪原都市。
海を隔てた島国。
いずれも魅力的な市場だ。
だが俺が広げた地図には、もっと小さな印がある。
街道が三本交わるのに、宿も食堂もない場所。
商隊の通行量は不明。井戸の状態も、現地で採れる食材も調べなければならない。
以前なら、三分見れば正解を出せると思っていたかもしれない。
今は違う。
俺一人の仮説が外れても、味を見る者、道を見る者、温度を見る者、車を直す者がいる。
違う味を平均して三つとも台無しにした時も、二十四台の判断を一人で抱えて止めた時も、正解へ戻したのは現場にいる仲間だった。
そして、食べたいものを聞かせてくれる客がいる。
リシアが助手席へ乗り込み、地図をのぞいた。
「次は、どこで店を開く?」
俺は、まだ名前も付いていない街道を指した。
「客数は不明。競合は、たぶんゼロだ」
第一部 完




