第35話 一人で二十四台へ命令するな
「店長、こっちの鍋が沸きすぎてる!」
「薪はどこへ取りに行けばいい!」
「人間用の列へ魔族の札が混じったぞ!」
試験営業を始めて五分で、平原は怒鳴り声と湯気に埋まった。
既存の規格屋台八台。荷車を改装した緊急屋台十六台。二十四台から上がる報告が、すべて俺へ集まってくる。
「鍋は火から外せ! 薪は西の荷車! 札は色を見て――」
一つ答える間に三つ増える。
俺が走るほど、次の現場が俺を待って止まった。
「店長、どうすればいい」
若い店主の手が、鍋の上で止まっている。俺の指示がなければ、二十四台が動けない。
一台の厨房なら、俺が全部を見渡せた。
二十四台では、俺自身が一番狭い通路になっていた。
報告が多すぎたのではない。
品質を揃えることと、判断を一か所へ集めることを同じだと思い込み、俺自身がすべての矢印を中央へ向けた。その設計が外れていた。
「全屋台、火を落としてください!」
フィーナの声が響いた。
「待て、今止めたら試験が――」
「衛生責任者として停止します。鍋の温度確認が遅れ、三台で保温上限を超えました。このまま続ける方が失格です」
彼女は俺の返事を待たず、赤い停止札を掲げた。
各屋台の火が順に落ちる。
王国軍の先遣隊に、フィーナを魔導師団から除籍した元上官がいた。彼は反射的に口を挟もうとしたが、フィーナが先に告げた。
「温度測定のできる魔導師を六名、貸してください。軍命ではなく、衛生管理責任者からの正式な業務依頼です。私の手順に従える者だけを」
男は一瞬黙り、やがて頭を下げた。
「……承知した。クライス責任者の指示に従う」
フィーナは六名を三組に分け、鍋へ番号札を付け、測定時刻と停止条件を教え始めた。もう俺へ確認を取らない。
「店長、地図を貸して」
ニアが俺の手から配置図を抜き取った。
「食材も薪も、いったん全部あんたの前を通してる。だから詰まるんだよ」
彼女は地図へ三本の線を引いた。
「北は人間用、東は獣人用、南は魔族用。倉庫番を三人置いて、各区域の屋台が直接取りに来る。追加が要る時は、赤、青、緑の木札を走者に渡す」
以前ニアを危険な先触れとして使っていた商隊主が、荷運び人を連れて前へ出た。
「ニア責任者。走者はうちで出す。どの道を空ければいい」
「中央は客用。荷車は外周だけ。南のぬかるみには板を敷いて」
「了解した」
命令されるだけだった少女が、今は複数の商隊を動かしている。
ボルグは故障札を黄色に統一し、修理班を二組に分けた。
リシアは列整理の責任者を各入口へ置き、暴力が起きた区域だけを閉じる仕組みに変えた。
誰も、俺の割り振りを待っていなかった。
「店主」
リシアがこちらを見る。
「お前が決めるべきことは、全部ではない」
俺は息を整え、黒板の前へ立った。
「優先順位を三つに絞る。第一に安全。第二に、負傷者と子ども。第三に、指定時刻を守ること。各区域の判断は責任者へ任せる」
黒板の下へ停止条件を書く。
食材温度の逸脱。
客列での暴力。
水の汚染。
「この三つだけは、担当者の判断で即時停止。俺の許可はいらない。それ以外は現場で決めてくれ」
二度目の試験を始めた。
最初の一巡では、北区域の薪が遅れた。ニアが走者の経路を変える。
二巡目では、獣人用の香草が一台へ偏った。担当料理人同士が木札を交換した。
三巡目。
俺は動かなかった。
二十四台の火が順番に上がり、別々の判断で鍋が仕上がり、同じ時刻に配給口へ並んだ。
フィーナが最後の温度札を確認する。
「全区域、基準内です」
ニアの走者が空の補充札を持ち帰る。
「遅れなし。外周路も空いたよ」
俺が一人で動かさなくても、店は回った。
その日の夕方、俺たちは三千枚の木札へ、所属、配給場所、時刻、食事制限を書き込んだ。
フィーナが温度記録欄を加え、ニアが通行経路の色を決める。リシアは武器預かり所の配置を変更し、敵軍同士が同時に武器へ手を伸ばせない距離を取った。
「受取記録は一か所へ集めないでください」
フィーナが三枚一組の記録板を並べた。
「客が持つ食券、屋台に残す控え、中央記録所の原簿。同じ番号を三か所へ残します。測温記録は両軍の魔導師が交代で確認し、原簿へ双方の封印を付けてもらいます」
一冊の帳簿を燃やされても、同じ出来事まで消されない仕組みだった。
食券は、俺一人の思いつきではなくなっていた。
平原の向こうから、人間軍と魔王軍、避難民の列が近づいてくる。
本番が始まる。




