第33話 私たちは、設備ではない
夕闇の解体場で、《ノマド》は鉄の残骸になっていた。
車軸も厨房も使えない。大鍋と冷却庫も失った。停戦会場での営業まで、残り二十四時間。
「終わったな」
口に出すと、不思議なほど冷静になった。
「明日の依頼は断る。店は解散だ。給金と危険手当は、ヴァルガルドから預かった魔石を換金して払う」
設備がなければ商品は作れない。これ以上仲間を巻き込む前に損失を確定する。現代で何度も使ってきた撤退判断だった。
「解散だと?」
リシアの声が低く震えた。
次の瞬間、胸ぐらを掴まれた。
「車が壊れたら店は終わりか。ならば、私たちは何だ」
「三千食を作る設備がない。それは事実だ」
「私の剣は。フィーナの魔法は。ニアが作った道は。ボルグの技術は。私たちはお前にとって、剣か、冷蔵庫か、荷車か!」
怒声が夜気を震わせた。
王国で兵器として扱われてきた彼女へ、俺は同じことをしていた。役割を与え、賃金を払い、役に立つ限り大切にする。それを信頼だと思い込んでいた。
「お前まで、私たちを役割でしか見ていなかったのか」
「違う」
「なら、私たちがここにいるのに、なぜ終わったと言う!」
「怖かったからだ!」
言葉が喉からこぼれた。
「俺には剣も魔法もない。車までなくなって、どうやってあんたたちを守ればいいのか分からなかった。全部失う前に、俺の方から切り離そうとした。損切りなんて言葉で、自分が捨てられる前に逃げようとしたんだ」
リシアの手から力が抜けた。
「……本当に、馬鹿な店主だ」
彼女の腕が俺の背中へ回る。鎧は硬かったが、その内側の体温は確かだった。
「私たちは設備ではない。お前が切り離そうとしても、私たちがここにいると決めた以上、勝手に終わらせるな」
俺はしばらく動けなかった。
やがて、リシアの背へ手を回した。
「……悪かった。もう一度だけ、方法を探す」
抱擁が解けると、俺たちは残った物を地面へ並べた。
分散させていた規格屋台は八台。小鍋が十三。水樽は四。魔石はある。だが、三千食分の基礎スープを作る大鍋も、下処理を集約する作業台もない。
俺は軍の炊事釜を借りる案を出した。
王国側は統制令を理由に拒否した。
ならば軍を当てにしない。
俺とリシアは周辺の宿、民家、商隊を回り、ヴァルガルドから預かった魔石を担保に、使える鍋と竈をすべて借りようとした。
集まったのは大小四十九個の鍋だった。
数だけ見れば希望はある。だが口径も深さも材質もばらばらで、同じ火力では同じ時刻に仕上がらない。井戸から離れた民家へ食材を分配すれば、洗浄水と温度記録も追いつかない。
「この配置では、どこか一軒の異常を私が知るまでに半刻かかります」
フィーナが借り物の鍋を一つずつ調べ、首を振った。
「三千人に出す厨房として、安全を保証できません」
魔石を返し、四十九個の鍋を持ち主へ戻した。走り回った一刻が、そのまま失われた。
一食の量を半分にする案が頭をよぎった。
全員へ届いても、必要な栄養へ届かない。自分で消した。
八台で夜通し作り、冷まして運ぶ案も試算した。
フィーナが首を振った。
「保冷できます。でも、仕上げ温度へ戻す火力が足りません。途中で一台止まれば、残り全部が遅れます」
ボルグは《ノマド》の鉄板を外そうとしたが、中央に深い亀裂が走っていた。
それでも俺は、切断された外壁を継ぎ板にして塞げないかと頼んだ。
ボルグは黙って鉄板を火へかけ、水を張った。湯気が上がる前に継ぎ目が開き、黒い水が灰の上へ漏れ出した。
「客に出す鍋は、願掛けで直すもんじゃねえ」
反論できなかった。
ニアは周辺の村を回る最短経路を地面へ描いた。今から出ても、返事を持って戻れるのは夜明け前だ。
正解は出なかった。
地面へ書いた提供案は六つになり、その全てに俺自身が消した跡が残った。手を動かしても、交渉しても、今いる人数と設備だけでは三千食へ届かない。
俺たちは解体場の前で、初めて何も作れないまま夜を迎えた。
俺は各地の提携店へ使者を出した。必要な物は、屋台、鍋、荷車、料理人。報酬は後払いでも必ず出す。来るかどうかは相手に任せた。
それからは、待つしかなかった。
火のない厨房跡は冷えた。いつもなら肉や香草の匂いが染みついている服から、今夜は焼けた紙と鉄粉の臭いしかしない。
一刻が過ぎた。
返事はない。
二刻目。遠くで停戦会場を囲う杭の音が止み、平原が静まり返った。
「店主」
隣に座ったリシアが言う。
「待つのも、お前の仕事なのだな」
「一番苦手な仕事だ」
自分で作れば、失敗しても自分の責任で済む。他人に任せれば、来るかどうかさえ決められない。
それでも、仲間を部品ではなく人間として見るなら、選択を信じて待つしかない。
空が白み始めた頃、地面からかすかな振動が伝わった。
一台の荷車が、朝靄を割って現れた。
御者台には村の若者がいる。
その後ろに、二台目。
三台目。
パン屋、獣人の行商人、ドワーフ、魔族の料理人。
車輪の音は途切れず、細かった列が平原を埋めていく。
俺が一晩待った答えが、夜明けとともにこちらへ走ってきた。




