第26話 魔王領へ売れば、反逆者になる
「本日この刻をもって、魔王領側の者に対する一切の食料販売、および物資の提供を禁ずる! 違反者は反逆罪に処す!」
伝令の騎士の声が広場に響き渡ると、集まっていた労働者たちや、提携屋台の店主たちの間にざわめきが広がった。
「販売禁止だって……?」
「冗談じゃねえ。国境付近を行き交う旅人や行商人には、魔族や亜人も多いんだぞ。いちいち確認して売れっていうのか」
「あの商会のガレスとかいう男の差し金に違いない……!」
俺は腕を組み、伝令の背中を見送った。
ガレスは力ずくで俺の店を潰すのではなく、国家権力という巨大な法と大義名分を使って「逃げ場のない市場」を構築しにきた。法を破れば反逆者。従えば魔王領側の客を切り捨てることになり、彼らは飢える。
「店長……どうしますか。このままでは、魔族のお客さんに料理を出せなくなってしまいます」
フィーナが不安そうに記録板を抱きしめた。
「それに、せっかく規格屋台が増えてきたのに、販売相手を制限されたら利益も落ちますよ」
ニアも尻尾を下げてこぼす。
俺が言葉を返す前に、広場の外れから目立たない格好をした一人の男が足早に近づいてきた。
男は俺の顔を確認すると、懐から一通の封書を差し出し、何も言わずに小走りで立ち去っていった。
「なんだ、今の」
ボルグが首を傾げる中、俺は封書を受け取った。
上質な羊皮紙で包まれたそれは、奇妙なほど重い。裏返すと、真っ黒な蝋で封印が施されていた。
その封蝋の意匠を見た瞬間、俺の目がわずかに細くなった。
黒い角と、王冠を組み合わせた紋章。
それは、ベルクの広場に現れた『黒衣の女』が、代金とは別の心付けとして残していった記念銅貨の刻印と一致していた。
封を切って中身を読む。
「……なるほどな」
俺は羊皮紙を折り畳み、仲間たちに向き直った。
「黒衣の女からの、正式な営業依頼だ」
「営業依頼? どこで出店しろって言うんですか」
「魔王領の内部だ」
俺の言葉に、車内が静まり返った。
つい先ほど、王国から「魔王領へ食料を売れば反逆罪」という通達が出されたばかりだ。タイミングが良すぎる。黒衣の女は、王国の動きを察知した上で、俺がどちらを選ぶか試しているのだろう。
「店長、それは……さすがに危険じゃねえか? 王国に目をつけられちまう」
ボルグが渋い顔で言った。
「軍需物資や武器を売りに行くわけじゃない」
俺はきっぱりと言い切った。
「相手が人間だろうが魔族だろうが、民間人向けの料理と加工技術を通常価格で売るだけだ。『どちらの味方か』なんていう中立を装った曖昧な言葉は使わない。俺は商売人として、ルールを守って列に並ぶ客に飯を売る。ただそれだけだ」
俺の宣言に、フィーナとニア、ボルグが顔を見合わせ、やがて力強く頷いた。
「分かりました。衛生管理責任者として、魔王領の食材もしっかり検査します」
「あたしも、向こうの森で新しい香草を見つけてくるよ!」
「へっ、魔導車の調子は最高だ。どこへだって走ってやるぜ」
だが、一人だけ沈黙している者がいた。リシアだ。
彼女はレガリア王国第一騎士団に所属する、正真正銘の王国軍人である。王国の通達に真っ向から背き、魔王領で商売をする店に同行することは、彼女の立場を致命的に危うくする。
俺はリシアの方を向き、静かに告げた。
「リシア。あんたは王国の人間だ。ここで降りてもいい。護衛の契約はここで終了でも構わない」
リシアは俯いたまま、しばらく動かなかった。
彼女の腰にある大剣は、王国から与えられた『王国の剣』としての役割の象徴だ。それに背くことは、彼女のこれまでの人生を否定することにもなりかねない。
やがて、リシアはゆっくりと顔を上げた。
彼女の右手は、腰の剣ではなく、胸元の内ポケット――昨日俺が渡した『超高圧縮・獣脂干し肉ブロック』がしまってある場所にそっと触れていた。
「……王国の通達は、軍の理屈だ。だが、私はすでに腹を空かせた客を前にして、軍の理屈がどれほど無意味かを知っている」
リシアは灰青色の瞳で、真っ直ぐに俺を見た。
「私は今、王国の武器としてここにいるのではない。《ノマド》の警備責任者としてここにいる。それに……」
彼女はふっと、年相応の柔らかな笑みを浮かべた。
「この店の飯抜きで戦場に立つことなど、今の私にはもう考えられんからな。魔王領だろうがどこだろうが、私はお前の店に同行する」
王国の立場を承知の上での、明確な決断だった。
「そうか。なら、今日からあんたのまかないは肉増量だ」
「それは頼もしいな」
リシアの同行宣言により、リシアは王国の騎士列ではなく、《ノマド》の側へ立った。
俺たちは八台の規格屋台の店主たちを集め、ベルク周辺の人間領側での営業を彼らに任せるよう手配した。セントラルキッチンとしての《ノマド》が離れても、彼ら自身で仕入れと調理が回るように数日前から仕組みは整えてある。
「よし、出発するぞ」
俺が運転席に座り、魔石機関のレバーを押し込む。
《ノマド》は重低音を響かせながら、王国の通達など意に介さない様子で、魔王領の方角へ向かって灰風街道を力強く進み始めた。
数時間後。
灰風山脈の裾野を抜け、植生が少しずつ変化し始めたあたり。空気が微かに冷たさを帯び、独特の魔素の濃さを肌で感じる領域――魔王領側の境界付近に到達した。
「この辺りで一度店を開ける準備をしよう。依頼主が迎えに来るはずだ」
俺の指示で車を街道沿いの開けた場所に停め、展開式カウンターを下ろす。
周囲には、人間領では見かけない奇妙な植物が生い茂っている。客の気配はまだないが、バーナーに火を入れ、いつでも調理できるように鉄板を温めておく。
しばらくして、街道の奥から、土煙を上げてゆっくりと近づいてくる人影があった。
「……来ました。一人です」
見張りに立っていたリシアが、剣の柄に手をかけて低い声で言った。
近づいてきたのは、見覚えのある上等な黒いドレスに身を包んだ女性だった。
いつぞやの、黒衣の女だ。
だが、今回は様子が違っていた。
以前は深く被っていたフードを下ろしており、その顔がはっきりと露わになっている。艶やかな黒髪に、赤紫色の妖しい瞳。
そして何より目を引くのは、彼女の頭部の左右から伸びる、立派な『黒い角』だった。
人間ではない。ただの魔族でもない。
その身から発せられる魔力の波動は、隣にいる剣聖リシアと同等か、それ以上の凄まじい圧を持っていた。
女は俺たちが臨戦態勢を取っているのを気にも留めず、悠然とした足取りで《ノマド》の販売口の正面に立った。
彼女は赤い唇を歪め、艶然と微笑む。
「よく来たな、人間の料理人。王国の禁令に背き、本当に魔王領まで店を運んでくるとは」
女は角を隠そうともせず、真っ直ぐに俺の目を見据えた。
「歓迎しよう。私が、この領地を統べる魔王、アシェリア・ノクティスだ」




