第25話 その街道を、私に売れ
古竜の輸送契約を利用し、魔王領側での営業を終えた《ノマド》は、再び空を飛んで人間領のベルク近郊まで戻ってきていた。
広場への道中、俺たちが街道を進んでいると、前方に道を塞ぐように停まっている一台の馬車があった。
金細工の装飾が施された、ひどく豪奢な馬車だ。御者台には重武装の護衛が控えている。
「……金環商会の馬車だ」
助手席のリシアが鋭く目を細め、腰の大剣に手をかけた。
馬車の扉が開き、一人の男がゆっくりと降りてきた。
仕立ての良い上質な服を着た、四十代半ばの男。白髪混じりの髪を綺麗に撫でつけ、その目には冷たいほどの知性が宿っている。
「初めましてと言うべきかな。移動料理店の店主殿」
男は威圧感を見せるわけでも、激昂するわけでもなく、穏やかな口調で俺に語りかけてきた。
「私は金環商会・灰風支部長、ガレス・ローン。……君の商売について、少し話をさせてもらえないか」
ついに現れた。
補給将校ドレイクに賄賂を渡し、模倣露店に腐った肉を卸し、魔物誘引香で独立商隊を潰し、古竜の供物を横流しした黒幕。
俺は《ノマド》のエンジンを切り、運転席から降りて男と真っ向から対峙した。
「話? あんたの手下に油をぶちまけられそうになった時なら、聞く耳もあったんだがな」
俺の皮肉に対し、ガレスは全く悪びれることなく薄く笑った。
「下部組織の荒事が過ぎたことは謝罪しよう。だが、君の移動営業と、その後に構築された二十台近い提携屋台網は、私が長年かけてこの灰風街道に構築した『食料供給の秩序』を大きく乱しているのだよ」
ガレスは懐から葉巻を取り出し、優雅な仕草で火をつけた。
「とはいえ、君の商才は見事だ。あれだけの短期間で、見捨てられた食材から新たな需要を掘り起こし、機能的な屋台の規格化まで成し遂げるとは。……どうだ、店主。君が持つ移動営業権、車両の技術、そして提携屋台網のすべてを、我が金環商会に売却しないか」
ガレスの提示した額は、この世界で一生遊んで暮らせるほどのとてつもない金額だった。
後ろで聞いていたボルグが「本気か……」と息を呑む。
「悪いが、断る」
俺は金額には一秒たりとも迷わず、即座に答えた。
「金額に不満があるなら、倍でも出そう」
「金の問題じゃない。俺の店をあんたに売れば、あんたはすぐに提携屋台から高額な上前をはね、安い材料を押し付け、商品の値段を上げるだろう。そして、街道の客はあんたの商会から高い飯を買うしかなくなる」
俺はガレスを真っ直ぐに睨みつけた。
「客が他店を選べる状態でも、もう一度選ばれて戻ってくるのが本物の商売だ。客の選択肢を減らし、逃げ道を塞いで得る利益のために、俺の店と技術をくれてやる気は微塵もない」
俺の拒絶を聞いたガレスは、ため息をついて葉巻の煙を長く吐き出した。
「……愚かな。君は自由な市場が民を豊かにすると信じているようだが、それは幻想だ。飢えた民衆に選択肢を与えれば、必ず奪い合いの混乱と暴動が起きる」
ガレスの目は、本気だった。
彼は単なる金の亡者ではない。自分の組織による統制と支配こそが、被害を最小限に抑える「秩序」であると狂信しているのだ。
「食料は一つの組織が管理すべきなのだよ。それが理解できないのなら、秩序のために君の事業を排除するまでだ。せいぜい、足元をすくわれないよう気をつけることだな」
ガレスは踵を返し、馬車に乗り込んで去っていった。
買収の決裂。彼はこれから、より直接的で国家権力を巻き込んだ手段で俺たちを潰しにくるだろう。
その夜。
俺は《ノマド》の厨房に残り、バーナーの火力を微調整しながら、ある試作品の仕上げに取り掛かっていた。
「店主。こんな夜更けに何をしている」
車の外で見回りをしていたリシアが、開いた販売口から顔を出した。
「……ちょうどいい、これを受け取ってくれ」
俺は耐油紙に厳重に包んだ、手のひらサイズの四角いブロックをリシアに放り投げた。
「なんだ、これは。ひどく重いが」
「『超高圧縮・獣脂干し肉ブロック』だ。フィーナの冷却と俺の加熱を限界まで繰り返して、水分を極限まで飛ばし、代わりに高カロリーの獣脂を極限まで染み込ませてある」
俺はぶっきらぼうに説明した。
「あんたの魔力炉は、普通の人間の数倍の栄養を消費する。戦場で補給が絶たれたら、あんたはあっという間に動けなくなるからな。これなら常温で数ヶ月は腐らないし、かじれば一口で凄まじいカロリーと塩分を摂取できる。前線で孤立しても、水さえあれば数日は戦えるはずだ」
リシアは手元のブロックと俺を交互に見つめ、目を大きく見開いた。
「これを……私のために、作ってくれていたのか?」
「勘違いするな。ただの携帯保存食の商品開発だ。あんたを実験台にしてるだけだ」
俺が視線を逸らすと、リシアはふっと柔らかく笑い、包みを大事そうに胸元に抱えた。
「ああ、そうだな。店主の商品開発に付き合おう。……ありがとう、拓海」
俺が忙しい営業と提携屋台の管理の合間を縫って、ずっと彼女の生存率を上げるためだけに試作を繰り返していたことなど、彼女には見透かされていた。
だが、その笑顔を見られただけで、深夜までの仕込みの苦労は十分に報われた気がした。
翌日。
ベルクの城門前の広場には、ボルグが追加で組み上げた規格屋台が並び、提携網はついに八台へと拡大していた。俺たちが連携して仕込みの最終チェックを行っていると、遠くから早馬が猛スピードで駆け込んでくるのが見えた。
馬から飛び降りたのは、王国の紋章を掲げた伝令の騎士だった。
彼は広場の中央に立つと、高らかに声を張り上げた。
「王国軍より通達! 現在、魔王領との国境付近にて軍事的緊張が高まっている! 本日この刻をもって、魔王領側の者に対する一切の食料販売、および物資の提供を禁ずる!」
伝令の言葉に、広場の空気が凍りついた。
「これに違反し、敵国へ利敵行為を働いた者は、いかなる理由があろうとも反逆罪として処断する!」
ガレスの仕業だ。
彼は俺たちを買収で取り込むことを諦め、商会に都合の良い偽情報を流して軍を動かし、俺の『種族で客を区別しない』という営業規則そのものを、国家権力という絶対的な壁で塞いできたのだ。




