第24話 キッチンカー、空を飛ぶ
「その奇妙な鉄の馬車、俺が山脈の向こうへ運んでやろうか?」
古竜ヴァルガルドの提案に、周囲の討伐隊や村の若者たちは息を呑んで固まった。
山脈の主である古竜が、人間の馬車を自ら運ぶなど、お伽話でも聞いたことがない。
「……面白い提案だな」
俺は《ノマド》の車体を見上げた。
金環商会のガレスによる兵糧攻めと偽情報は、一時的に凌いだとはいえ、灰風街道の人間領側を依然として不安定にしている。商圏を広げ、確実な利益を出すためには、山脈の向こう側――魔王領方面の市場へも直接アクセスするルートが必要だった。
だが、あの険しい岩山を馬車で越えるとなれば、激しい振動で車体は痛み、何日もかかって食材の鮮度が落ちる。フィーナの冷却魔法があるとはいえ、営業時間に間に合わなければ意味がない。
「空輸なら、鮮度を保ったまま数時間で魔王領側へ降りられるか」
俺は小さく頷き、ボルグに向き直った。
「ボルグ。こいつの爪でこの車を吊り上げても、車体が空中分解しないような頑丈な『骨』を組めるか?」
「へっ、ドワーフを舐めるなよ」
ボルグが工具箱を鳴らしてニヤリと笑う。
「半日待ちな。屋根と車台を太い鋼のパイプでガッチリと挟み込んで、竜の爪が引っかかる極太のフックを作ってやる。ちょっとやそっとじゃ歪まねえ専用骨格だ」
「よし、頼む」
俺はヴァルガルドに向き直った。
「話に乗ろう。だが、勘違いするなよ。俺はあんたを使い魔やペットにする気はないし、タダで運んでもらう気もない」
「ほう?」
「さっきあんたが払った大量の魔石の過払い分。その一部を『運賃』として相殺する。これは対等なビジネス、一回ごとの有償輸送契約だ」
俺の言葉に、ヴァルガルドは鼻からシュゥゥッと熱い息を吐き出し、喉の奥で笑い声を立てた。
「ふははは! この古竜をただの運送屋扱いするとは、ますます気に入ったぞ、人間。よかろう、その契約、結んでやる!」
半日後。
ボルグの手によって、《ノマド》は無骨で頑丈な鉄の骨組み(ロールケージ)で覆われていた。
屋根の四隅には、ヴァルガルドの鋭い爪が引っかかるための巨大なリングが溶接されている。
「準備はいいな!」
「ああ、いつでもいける」
俺たちが車内に乗り込み、各設備を固定したのを確認すると、ヴァルガルドが巨大な翼を羽ばたかせて《ノマド》の真上に舞い降りた。
ガコンッ!
巨大な爪が屋根のフックにがっちりと食い込む。
「飛ぶぞ、しっかり掴まっておれ!」
ヴァルガルドの力強い咆哮と共に、強烈な重力が車内を襲った。
「ひゃああっ!」
フィーナが冷蔵庫にしがみつき、ニアが「すっごいすっごい!」と窓に張り付く。リシアは腕を組んで微動だにしないが、その灰青色の瞳は驚きに少しだけ見開かれていた。
《ノマド》は、古竜に吊り下げられたまま、灰風山脈の険しい岩肌を一直線に越えていく。
「見ろ、下を!」
ボルグが窓の外を指差す。
はるか眼下には、人間領の城塞都市ベルクや、街道沿いの村々、そして山脈の向こう側にある魔王領の関所が見えた。
そして同時に、下界にいる無数の人間や魔族たちも、上空を飛ぶ『奇妙な鉄の箱』の存在にはっきりと気づいていた。
「おい、見ろ! 古竜が馬車を運んでるぞ!」
「あの中には、すげえ美味い飯を作る料理人が乗ってるらしいぜ!」
「移動する竈が、空を飛んで魔王領へ行ったぞ!」
驚愕の声が地上から上がる。
空飛ぶキッチンカー。これ以上ない、空前の宣伝だった。噂は瞬く間に両国へ広がるだろう。
だが、俺は車内で揺れに耐えながら、冷静に原価計算をしていた。
(……宣伝効果は抜群だが、この空輸を通常営業に組み込むのは無理だな)
あのサイズの古竜を満足させるだけの『飯代(運賃)』は高すぎる。日常的な仕入れや移動で使えば、確実に赤字になる。あくまで、山越えや緊急時のみの限定的な輸送手段だ。
数時間後。
山脈を越えた魔王領側の街道沿いに、ヴァルガルドは《ノマド》をそっと着陸させた。
「契約完了だ。我は一眠りする」
ヴァルガルドはそう言って、近くの岩山へと飛び去っていった。
「よし、店を開けるぞ」
俺たちが販売口を開けると、すでに上空の騒ぎを聞きつけた魔王領の兵士や、亜人の旅人たちが遠巻きに集まってきていた。
人間領の客とは違い、彼らは警戒心が強い。だが、厨房から漂う『赤根菜と骨付き肉の琥珀煮込み』の強烈な香りが、彼らの警戒心をあっさりと食欲に塗り替えていく。
「いらっしゃい。一人一食、種族と身分で値段は変わらない」
俺が声をかけると、恐る恐る近づいてきた角の生えた魔族が、銅貨を払って煮込みを受け取った。
「……うまい! 人間の飯が、こんなにうまいなんて!」
その一言が合図となり、魔王領側の客たちが一斉に《ノマド》の前へ列を作り始めた。人間領の時と何も変わらない、商売の光景だ。
忙しく立ち回る中、ふと、列の最後尾に並ぶ異質な存在に気づいた。
上等な黒いドレスと外套。深く被ったフードの奥から覗く、赤紫色の瞳。
かつて人間領の広場で、俺の商売の限界を試すように問いかけてきた、あの黒衣の女だった。
「……本当に来るとはな」
女は自分の順番が来ると、カウンターにあの『黒い銅貨』を置き、琥珀煮込みを受け取った。
「お前が『客がいればどこへでも行く』と言ったからな。見事だ、人間の料理人。この魔王領の地で、堂々と店を開くとは」
女は上品な仕草で煮込みを口に運び、満足げに微笑んだ。
「味も、相変わらず良い。だが……」
女は空になった器をカウンターに置き、真っ直ぐに俺を見つめた。
「人間と魔族。長年血を流し合ってきた敵同士の軍勢が、もし一つの場所に三千人集まり、互いに極限まで飢えて殺気立っていたら。……お前はそれでも、あの戦場の時と同じように、同じ規則で全員に飯を売れるか?」
女の放った問いは、単なる思考実験の響きではなかった。
それは、近い未来に必ず起こるであろう、巨大な商売の試練を予告する響きを帯びていた。




