第23話 供物ではなく、一緒に食う飯
「人間の言葉ではなく、返された『物』で示せ。我が胃袋を満たす、真の供物をここへ並べてみせよ!」
岩山の上から古竜ヴァルガルドが放った言葉は、絶対的な力を持つ者からの最終通告だった。
討伐隊の隊長が青ざめた顔で俺を見る。「て、店主殿。早く倉庫から取り戻した上等な肉と酒を並べるのだ! 奴の気が変わらんうちに!」
だが、俺は首を横に振った。
「馬鹿を言うな。それじゃ意味がない」
「な、なに?」
「奪われたものをそのまま返すだけなら、ただの泥棒の尻拭いだ。それに、怯えながら供物を捧げる人間と、それを威圧して受け取る竜という関係に戻るだけじゃないか」
俺は《ノマド》の厨房へ向かいながら、はっきりと告げた。
「俺は商売人だ。供物なんか一つも出さない。あいつには、俺の店の『客』になってもらう」
俺は《ノマド》の展開式カウンターを大きく開き、車内に積み込んでいた大鍋を火にかけた。
「ボルグ、一番強い炭火を頼む。フィーナ、温度管理だ。沸騰させずに、ギリギリの温度を保ち続けてくれ。ニアは村から持ってきた赤根菜の泥を洗って刻め!」
仲間たちが一斉に動き出す。
俺は倉庫から回収した良質な骨付き肉を、熱した大鍋の底で表面だけ焼き固めた。鍋底へ触れた面から色が変わり、骨の際から立つ深い香りが、塩漬け肉ばかりだった食卓との違いを告げた。
そこにたっぷりの水と、香り付けの香草、そして少しの酒を注ぎ込んだ。
「これより煮込みに入る。フィーナ、頼むぞ」
「はい、店長!」
コトコトと、鍋の中の液体が対流を始める。
ボルグが調整する強すぎず弱すぎない炭火の熱。それをフィーナが魔法で繊細にコントロールし、鍋全体の温度を均一に保つ。通常の竈では絶対に不可能な、魔導厨房ならではの精密な温度管理だ。
そのおかげで、肉は繊維を壊さずに柔らかくなり、不純な灰汁だけが次々と水面に浮き上がってくる。
俺は浮いてきた濁った脂と灰汁を、丁寧に、徹底的にお玉で掬い取り続けた。
スープが濁れば、味がぼやける。客に泥水を飲ませるわけにはいかないからだ。
数時間後。
肉が骨からホロリと外れるほど柔らかくなったところで、ニアが用意した赤根菜と山菜をたっぷりと投入する。
大鍋からは、肉の濃厚な旨味と、根菜の優しい甘みが溶け合った、抗いがたい香りが立ち上り始めた。
「よし、完成だ。火から下ろせ」
鍋の中を満たしているのは、濁りのない澄み切った琥珀色のスープだ。俺はその極上の煮込みを、ヴァルガルド用に用意した巨大な平皿にたっぷりと盛り付けた。
岩山から降りてきたヴァルガルドが、鼻をヒクつかせて巨大な皿を覗き込む。
「……ほう。良い匂いだ。これが貴様らの用意した供物か」
彼が長い舌を伸ばそうとした、その時だ。
「供物じゃないと言っただろう」
俺は木椀をいくつも取り出し、同じ大鍋から琥珀煮込みを次々とよそい始めた。
「リシア、フィーナ、ニア、ボルグ。それに荷運びを手伝ってくれた村の若者たちも、こっちへ来い。まかないの時間だ」
俺が言うと、仲間たちは慣れた様子で木椀を受け取り、ヴァルガルドの巨大な皿のすぐ隣に腰を下ろした。
「いただきまーす!」
「おお、肉がとろけるぜ!」
「赤根菜にスープが染み込んでて、本当に美味しいです……」
俺たち人間や獣人、ドワーフが、古竜のすぐ目の前で、古竜に出したものと全く同じ鍋の飯を夢中で食い始めたのだ。
「き、貴様ら……!」
ヴァルガルドが信じられないものを見るように目を丸くした。
「我が前で、我と同じものを食うというのか! 人間の分際で、この古竜と対等な真似を――」
「対等だ。同じ釜の飯を食う客同士だからな」
俺は自分の木椀のスープを啜りながら、ヴァルガルドを見上げた。
「あんたは恐ろしい怪物じゃない。ちゃんと対価を払って飯を買いに来た大口の客だ。だから、畏まって捧げる供物なんて出さない。俺たちが自信を持って美味いと言える飯を、あんたと一緒に食いたかったんだよ。冷める前に食え」
ヴァルガルドは呆気に取られたように俺たちを見渡し、やがて、ゆっくりと平皿に顔を近づけた。
ズルッ。
彼が巨大な舌で琥珀煮込みを掬い上げ、口に含む。
その瞬間、琥珀色の瞳孔がカッと大きく見開かれた。
極限まで灰汁を取り除いた澄んだスープは、肉の旨味が凝縮され、どこまでも深い。そこに赤根菜の自然な甘みが加わり、塩気だけが強かった古い塩漬け肉とは次元の違う、豊潤な味わいを生み出していた。骨付き肉は噛む必要もないほど柔らかく、舌の上でほろほろと崩れていく。
「な、なんだこれは……」
ヴァルガルドは唸り声を上げ、そこからはもう言葉を発しなかった。
ズルッ、バクッ、ズルルルゥゥッ!
巨大な平皿に盛られた数十人分の煮込みが、あっという間に古竜の胃袋へと消えていく。最後には、皿の表面についた一滴のスープさえも惜しむように、綺麗に舐め尽くしてしまった。
「ぷはぁっ……」
満足げな吐息と共に、ヴァルガルドから高熱の煙が漏れる。
「お粗末さま。口に合ったか?」
俺が空になった皿を回収しながら尋ねると、古竜はしばらく目を閉じて余韻を味わった後、ゆっくりと首を縦に振った。
「……見事だ。味もさることながら、我を恐れて泥にひれ伏すのではなく、隣で笑いながら同じ飯を食う人間を見たのは初めてだ。悪くない気分だぞ、店主よ」
ヴァルガルドは喉の奥でゴロロと笑い声を立てた。
「我が供物を盗んだ泥棒どもの件は、もうよい。この飯に免じて許してやろう。街道の封鎖は解除する!」
古竜の宣言に、遠巻きに見ていた討伐隊の兵士たちから、安堵のどよめきが上がった。
「助かるよ。あんたは話の分かる客だ」
俺が片付けを始めようとすると、ヴァルガルドが「待て」と声をかけた。
「我は対価を重んじる。契約の品を受け取った以上、これは今回の飯代だ。受け取れ」
ガランッ!
ヴァルガルドが口から吐き出したのは、大人の拳ほどもある巨大で純度の高い魔石の山だった。山脈の奥深くでしか採れない、都市に持っていけば家が何軒も建つほどの代物だ。
「おいおい、いくらなんでも払いすぎだ。これじゃお釣りが出せないぞ」
俺が苦笑して指摘すると、古竜はニヤリと牙を剥き出しにして笑った。
「構わん。過払い分は、次回の飯の前金として取っておけ。我は貴様の店が気に入ったのだ」
そう言って、ヴァルガルドは大きな翼をゆっくりと広げた。
「しかし、ただ金だけ置いていくというのもつまらんな。……おい、店主」
ヴァルガルドは《ノマド》の車体を興味深そうに見下ろした。
「貴様ら、これから山を越えて魔王領の方へ行く用事はないか?」
「えっ?」
「その奇妙な鉄の馬車、我の爪で掴めばちょうどいい具合に運べそうだ。代金代わりに、俺が山脈の向こう側までひとっ飛びで運んでやろうか?」
古竜ヴァルガルドの口から飛び出したのは、常識を根底から覆す、規格外の輸送契約の提案だった。




