第22話 腐った肉を渡したのは誰だ
「荷札……? なぜ金環商会の荷札が、王国の供物倉庫に落ちているのだ!」
討伐隊の隊長が、ニアの持ってきた木札を睨みつけて怒鳴った。
倉庫の管理役人は顔面を蒼白にしながら、首を激しく横に振る。
「わ、私には分かりません! 誰かが勝手に落としたゴミでしょう! 帳簿上は間違いなく、王国から指定された良質な肉、酒、香辛料が納入され、そのままの重量で山へ運び出されております。ほら、ここに記録が!」
役人は分厚い皮表紙の帳簿を抱え込み、隊長の前に突き出した。
「書類の通りに手続きをしただけです。古竜の奴が、いちゃもんをつけて街道を塞いでいるとしか……」
「むぅ……確かに、重量と品数の辻褄は合っているな」
帳簿を覗き込んだ隊長が、渋い顔で唸る。
書類の数字が合っている以上、軍人や役人はそれ以上踏み込めない。だが、数字の辻褄合わせで誤魔化しが利くなら、飲食業の原価管理など苦労はしない。
「帳簿の総量だけ見て納得するのは素人のやり方だ。貸せ」
俺は役人の手から半ば強引に帳簿を奪い取った。
カビと古いインクの匂いがするページをめくり、最近の取引記録に目を通す。
「フィーナ。王都から納入された日付と、山へ運び出された日付のページを開いた。数字を追ってくれ。俺は品目と規格を見る」
「はい、店長」
フィーナが俺の隣に立ち、細い指で数字の羅列を正確になぞり始める。彼女は在庫と原価の管理において、すでに《ノマド》の優秀な経理担当として仕上がっている。
「……おかしいですね」
数十秒後、フィーナが眼鏡の位置を直して言った。
「重量の合計は合っていますが、水分の比率が不自然です。王都からは『新鮮な生肉』として納入されているのに、山へ搬出された記録では『塩漬け肉』として同じ重量が計上されています」
「その通りだ」
俺は帳簿の該当箇所を指の腹で叩いた。
「生肉を塩漬けにして水分を抜けば、当然重量は軽くなる。同じ重量で搬出されている時点であり得ない。それに、この『樽の管理番号』だ。納入時と搬出時で、樽の規格を示す頭文字が変わっている」
俺は振り返り、倉庫の奥に積まれていた粗末な樽と、空の高級木箱を指差した。
「ニア。もう一度、お前の鼻で確認してくれ」
「うん、分かった」
ニアはまず、装飾の施された空の木箱に顔を突っ込んだ。
「こっちの木箱からは、上等なスパイスと、新鮮な獣の脂の匂いがする。すごくいい匂い」
次に、彼女は腐りかけの塩漬け肉が入った樽の匂いを嗅ぐ。
「こっちは最悪。カビと、劣化した安い塩の臭い。それに……古い油の臭いも混ざってる」
俺は討伐隊長と役人の前に立ち、結論を口にした。
「カラクリは簡単だ。王都から届いた良質な供物は、一度この倉庫に入った後、木箱ごと中身を抜かれて別のルートで金環商会へ『横流し』された。そして帳簿の重量の数字だけを合わせるために、商会が抱えていた廃棄寸前の古い塩漬け肉が粗末な樽に詰められ、古竜に押し付けられたんだ」
「なっ……」
役人が言葉を失い、へたり込む。
「俺たちが戦場で見た軍用食の横流しと同じ手口だ。あいつらは、飢えを利用して市場を独占するためなら何でもやる。古竜を怒らせて街道を封鎖させたのも、独立商人の流通を完全に止めるためのガレスの工作だったんだよ」
事実を突きつけられた討伐隊長は、ワナワナと震える手で剣の柄から手を離した。
「馬鹿な……。それでは、我々人間がただの契約破りの泥棒ではないか」
大義名分は崩れた。
王国軍がどれほど精強であろうと、自国の商会が供物を盗み、ゴミを押し付けたことが原因で怒っている古竜を、正義の剣で討伐することなどできはしない。それはただの強盗の居直りだ。
「討伐は中止だ。軍を下げろ」
俺が言うと、隊長は深く俯き、力なく頷いた。
「だが、どうするのだ。古竜の怒りは収まらんだろう。このまま街道が塞がれ続ければ……」
「言ったはずだ。俺が商売のやり方で道をこじ開けるとな」
俺は《ノマド》の冷蔵庫から、昨日ニアたちが森で仕入れてきた新鮮な灰角兎の肉と赤根菜を取り出すよう、フィーナに指示を出した。
翌日。約束の猶予期限。
俺たち《ノマド》の一行は、再び灰風山脈の入り口、切り立った岩山の下に立っていた。
背後には討伐隊の姿はない。俺とリシア、フィーナ、ニア、そしてボルグだけだ。
「おい、期限は今日だぞ人間! 我が供物はどうなった!」
岩山の頂から、古竜ヴァルガルドが巨大な翼を広げて舞い降りてきた。
着地の衝撃で地面が揺れ、土煙と高熱の息が吹き付ける。見上げるほどの巨体から発せられるプレッシャーは、何度対峙しても慣れるものではない。リシアがいつでも動けるように腰を落としている。
俺はメガホン代わりに両手を口元に当て、腹の底から叫んだ。
「調べてきたぞ、大口の客! あんたが受け取るはずだった良質な肉と酒は、金環商会という人間の商人が途中で横取りしていた! そして、帳簿の数字だけを誤魔化して、廃棄寸前のゴミ肉をあんたに押し付けたんだ!」
俺の言葉に、ヴァルガルドの琥珀色の瞳孔がスッと細くなった。
「……なるほど。小賢しい鼠どもが、我が供物を盗みおったか」
ゴロロロ、と喉の奥でマグマが煮えるような低い音が鳴る。
「そうだ。だから討伐隊は帰らせた。あんたが怒るのには正当な理由がある」
俺は荷車に乗せて持ってきた、腐りかけの塩漬け肉の入った樽を前に蹴り出した。
「これが証拠だ。人間の商人が契約を違えたこと、移動料理店の店主である俺が認めてやる」
ヴァルガルドは長い首を伸ばし、樽の中身を一瞥して鼻を鳴らした。
シュゥゥゥッ!
鼻から漏れた高熱の煙が樽に触れた瞬間、腐った肉は一瞬にして炭化し、白い灰となって風に消えた。
「……言い訳は分かった。我が怒りの矛先が、貴様ら全員ではないことも理解してやろう」
古竜はゆっくりと頭をもたげ、圧倒的な威圧感で俺を見下ろした。
「だが、人間の言葉など信じぬ。奪ったものを返すまで、この街道は一歩も通さん」
ヴァルガルドの顎の隙間から、チロチロと赤い炎が漏れる。
「口先だけで契約が戻ると思うな。人間の言葉ではなく、返された『物』で示せ。我が胃袋を満たす、真の供物をここへ並べてみせよ!」
明確な要求だった。
言い訳は聞いた。理屈も通った。だが、客の腹はまだ減ったままであり、契約で約束された商品は届いていないのだ。
なら、俺のやるべきことは一つしかない。




