第21話 山を越えたければ、古竜へ料理を出せ
「人間どもよ! 我が供物を盗み、契約を違えた泥棒どもめ! 奪ったものを返すまで、この街道は一歩も通さぬ!」
灰風山脈の入り口。天を突くような切り立った岩山の上から、地鳴りのような咆哮が響き渡った。
見上げれば、灰色の強靭な鱗に覆われた巨大な竜が、鋭い爪を岩に食い込ませてこちらを見下ろしている。山脈の主、古竜ヴァルガルドだ。
山脈の麓の街道には、王国軍の討伐隊が展開していたが、誰もが一歩も動けずにいた。古竜が放つ圧倒的な威圧感と、鼻先から漏れる高熱の煙が、兵士たちの足をすくませているのだ。
「隊長! このままでは商隊も輸送隊も足止めです!」
「ええい、分かっておる! だが相手は古竜だぞ! 理屈の通じない狂った魔物め、なんとしてでも討ち取るしか……!」
討伐隊の隊長が冷や汗を流しながら剣を抜く。
その横で、《ノマド》から降りたリシアが、静かに背の大剣の柄に手をかけた。
「……王国軍だけでは被害が広がる。私が前衛に出て、古竜の気を引く。その隙に――」
「リシア、待て。剣を収めろ」
俺はリシアの腕を掴み、大剣が鞘から抜けるのを物理的に止めた。
「店主? 何を言っている、相手は古竜だぞ。放置すれば周囲の村まで焼かれかねない」
リシアが焦ったように振り返る。俺は答える前に、古竜が焼いた場所と、意図的に残した退路を見比べた。
怒り狂ってはいるが、無差別に炎を吐いて村や人を焼き払っているわけではない。あくまで「街道を塞ぐ」という実力行使に出ているだけだ。
何より、古竜は明確に人間の言葉で「契約」と「供物」という概念を口にした。
「あれは討伐対象のモンスターじゃない」
俺は腕を組み、はっきりと告げた。
「通行の許可という『代金』を払ったのに、約束の『商品』を受け取れなかった大口顧客だ」
「……は? 顧客?」
リシアがポカンと口を開ける。
「そうだ。金だけ取って商品を送らなければ、客が怒鳴り込んでくるのは当たり前だ。真っ当な怒りを持ったクレーム客を、問答無用で斬り捨てるような店は三流以下だ」
クレーム対応の基本は、まず相手の言い分を聞き、事実関係を確認し、誠実な補填を行うことだ。武力で黙らせるなど論外である。
俺は丸腰のまま、討伐隊の前に歩み出た。
両手を口元に当ててメガホン代わりにし、岩山の上の古竜に向かって腹の底から叫ぶ。
「おい、そこの客! あんたが受け取るはずだった『供物』は、俺たちが探してやる!」
俺の声に、古竜ヴァルガルドがピクリと反応し、巨大な頭をゆっくりと下に向けてきた。
琥珀色の縦長の瞳孔が、俺という小さな人間を射抜く。
「……小賢しい人間め。貴様らに我が怒りが鎮められるとでも言うのか」
「ああ、きっちり商品を届けてやる! だから、一日の調査猶予をくれ! 明日の昼までに必ず原因を突き止める!」
古竜は鼻からシュゥゥッと熱い息を吐き出し、喉の奥で低く笑うような音を立てた。
「よかろう。一日だけ待ってやる。だが、我が供物が見つからねば、貴様らから先に灰にしてくれるわ」
ヴァルガルドはそう言い残すと、大きな翼を広げて山脈の奥へと飛び去っていった。
「な、なんだお前は! 古竜と勝手に約束などしおって!」
討伐隊の隊長が慌てて詰め寄ってくる。
「俺は移動料理店の店主だ。あんたたちが剣を振り回して死人の山を築く前に、商売のやり方で道をこじ開けてやるって言ってんだよ。案内しろ、古竜への供物を管理している倉庫へな」
俺たち《ノマド》の一行は、討伐隊の案内の下、山脈の麓にある『供物管理倉庫』へと向かった。
そこは、王国から送られてきた供物を一時的に保管し、古竜の元へ運ぶための施設だった。
石造りの頑丈な倉庫の前に着くと、管理役人が額の汗を拭いながら出てきた。
「お、お調べになるのは構いませんが、帳簿上は王国が指定した良質な肉、酒、香辛料が間違いなく納入されておりますぞ! 古竜の奴が難癖をつけているとしか……」
役人はそう言って、倉庫の重い扉を開けた。
中は薄暗く、ひんやりとしている。木箱や樽がいくつも積まれていた。
俺はニアを振り返った。
「ニア、出番だ。あんたの鼻で、この倉庫の中の『違和感』を探してくれ」
「任せてよ、店長」
ニアは山猫の耳をピンと立て、尻尾を揺らしながら倉庫の中へ足を踏み入れた。
彼女はクンクンと鼻を鳴らしながら、積まれた木箱や樽の間を素早く歩き回る。
数分後、ニアは倉庫の奥に積まれていた古い木箱の前でピタリと足を止めた。
「……おかしいね」
ニアは眉根を寄せて振り返った。
「何がだ?」
「お役人さんは、良質な肉や酒が納入されてたって言ったよね? でも、この倉庫全体から、そういう上等な脂やスパイスの匂いが全然しないんだ。代わりに、奥の方からすっごく酸っぱくて嫌な臭いがする」
俺とリシアは顔を見合わせ、ニアが指差した倉庫の最奥部へと進んだ。
そこには、正規の供物が入っていたはずの、豪奢な装飾が施された空の木箱がいくつか乱雑に積まれていた。そして、その裏側に隠されるようにして、泥にまみれた粗末な樽がいくつも置かれている。
「フィーナ、温度を確認できるか」
「はい……」
フィーナが樽に手をかざす。
「この樽の中身、温度が少し高いです。正常な保存処理がされていません。それに……腐敗が始まっている兆候があります」
俺は足元にあったバールを拾い上げ、粗末な樽の蓋を力任せにこじ開けた。
モワッとした強烈な酸っぱい悪臭が周囲に広がる。
中に入っていたのは、表面が変色し、腐敗寸前まで劣化した、ガチガチの塩漬け肉だった。
「ひどい……こんなゴミみたいな肉を、古竜の供物として山に運んでいたのか?」
リシアが鼻を覆いながら絶句する。
「ああ。これじゃあ古竜が『契約の供物を盗まれた』と怒り狂うのも当然だ。あいつらは、上等な肉を要求して通行を許可していたんだからな」
俺は樽の中身を睨みつけた。
良質な供物として王国が用意した品は、この倉庫に届いた後、別の場所へ運び出された。そして代わりに、このゴミのような塩漬け肉が詰め込まれ、古竜の元へ運ばれたのだ。
横流し。補給将校ドレイクがやっていたのと同じ、腐りきった中抜きだ。
「だが、誰がこんな大規模なすり替えを……」
リシアが呟いたその時。
「店長! これ見て!」
ニアが、乱雑に積まれた空の高級木箱の隙間から、一枚の汚れた木札を拾い上げてきた。
それは、本来の供物が運ばれてきた木箱に打ち付けられていたはずの荷札だった。
俺はニアから荷札を受け取り、そこに描かれたマークを確認した。
薄暗い倉庫の中でも、はっきりと読み取れる。
それは、兵士たちの保存食の袋や、魔物誘引香の入っていた木箱と同じ――『金色の環』の刻印だった。
「金環商会か……」
俺は低く呟き、荷札を強く握りしめた。
独立商人を魔物で襲わせるだけでなく、古竜の供物まで横流しし、山脈の流通を意図的に塞いでいたのだ。ガレスという男の、飢えと流通を完全に支配しようとする執念の深さが、この一枚の荷札から生々しく伝わってきた。




