第16話 貧しい者の煮込みを、名物へ変える
炭火の上で獣脂が弾け、香草の鋭い香りが広場を駆け抜ける。
村人たちの足が止まった。彼らの目は、真っ赤な炭火の上で音を立てて焼かれる肉の塊に釘付けになっている。
「さあ、焼けたぞ」
俺は一番強硬に拒絶していた村の男と、長老の前に『灰角兎の香草脂串』を差し出した。
「いや、だがそれはあの時の臭いウサギで……」
「食ってみろ。もし一口でも、あの冬の泥臭い味がしたなら、金は一文も払わなくていい」
俺の言葉に、やせ細った男はゴクリと大きく喉を鳴らした。
理屈では拒否していても、何日もまともな飯を食っていない肉体が、濃い脂の匂いに抗えるはずがない。男は震える手で串を受け取ると、意を決したように目を閉じ、肉に噛みついた。
カリッ。
炭火で炙られ、限界まで焼き切られた脂の表面が心地よい音を立てて砕ける。
「あっ……」
男が目を見開いた。
噛み締めた瞬間、口の中に溢れ出したのは濃厚な肉汁だ。だが、彼らが記憶しているような血生臭さは一切ない。ニアが厳選した木の実の強い酸味と、野生の香草の香りが、灰角兎の臭みを中和し、脂の重さを爽快な旨味へと昇華させている。
「どうだ。泥の味がするか?」
「……しねえ。全然しねえよ! なんだこれ、すげえうまい!」
男は夢中になって二口目、三口目と串の肉を引き千切り、あっという間に一本を平らげてしまった。
それを見ていた長老や他の村人たちも、たまらず銅貨を握りしめて販売口に殺到した。
「こっちにもくれ!」
「私にも!」
俺は次々と串を焼きながら、もう一つの仕込みをオーブンから引き出した。
「こっちは『赤根菜とチーズの焼きパイ』だ。熱いから気をつけろよ」
すり潰してペースト状にした赤根菜に、塩気のあるチーズを混ぜ込んで黒麦生地で包み焼きにしたものだ。見た目は香ばしい焼きパイであり、あの「赤い根っこ」の原型はどこにもない。
一口かじった村人たちは、チーズのコクと合わさった根菜のほのかな甘みに、ほうっと安堵の溜息を漏らした。
「信じられん……あの忌まわしい草の根とウサギが、こんなご馳走になるなんて」
長老が涙ぐみながらパイを咀嚼する。
「食材が悪かったんじゃない。あんたたちの調理法と、飢えの記憶が味を邪魔していただけだ」
俺は串をひっくり返しながら告げた。
「これからは、この灰角兎も赤根菜も、忌まわしい飢饉食なんかじゃない。あんたたちの村の立派な名物だ。胸を張って食え」
村人たちの顔から、亡霊のような暗い影が消えていた。
自分たちの住む森に、こんなにも美味い食材が眠っていたのだという事実が、彼らに生きる活力と誇りを取り戻させていた。
その夜。
用意していた食材をすべて売り切り、活気に満ちた村が静まり返った頃。
俺は《ノマド》の車内の片付けを終え、広場の隅に置いた小さな焚き火の前に座っていた。
火にかかっているのは、昼間に試作して失敗した『灰角兎と赤根菜の煮込み』の入った小鍋だ。
灰汁抜きもそこそこに水で煮込んだだけの、当時の村人たちの記憶を再現しようとして作ったもの。当然ながら、ひどく泥臭く、獣の臭みが鼻を突く。
俺は小鍋から木皿に煮込みをよそい、木のスプーンで口に運んだ。
「……不味いな」
思わず独り言が漏れる。酸味も旨味も足りず、ただ腹を膨らませるだけの餌だ。これをそのまま客に出さなかった俺の判断は正しかった。
だが、失敗作だからといって捨てるのは、食材に対する冒涜であり、商売人のやることではない。客や従業員に食わせるわけにはいかない以上、開発責任者である俺自身の胃袋で処理するのが筋だ。
俺が顔をしかめながら二口目を口に運ぼうとした、その時だった。
「こんな夜更けに、一人で何を食べている」
背後から、澄んだ声が降ってきた。
見上げると、夜の剣の修練を終えたらしいリシアが、軽装の鎧姿で立っていた。銀色の髪が、焚き火の光を受けて揺れている。
「リシアか。いや、ただの残り物の処理だ。あんたの夜食はフィーナが冷蔵庫に――」
「匂いで分かる。それは昼間、村人たちに出すのをやめた煮込み鍋だろう」
リシアは俺の隣にすとんと腰を下ろすと、焚き火の脇に積んであった予備の木皿とスプーンを手に取った。
そして無言のまま、小鍋の中に残っていた泥臭い煮込みの半分を、自分の皿によそった。
「おい、待て。それはまかないじゃない、ただの失敗作だ。剣聖のあんたが食うようなもんじゃない」
俺が止めようとしたが、リシアは意に介さず、スプーンで煮込みを掬って口に入れた。
一瞬、彼女の端正な眉根が微かに寄る。
「……ああ。確かに、ひどい味だ」
「だから言っただろう。残りは俺が食うから、よこせ」
俺が手を伸ばすと、リシアはその手を軽く払いのけた。
「断る。私はこの《ノマド》の警備責任者だ」
リシアは焚き火の炎を見つめながら、静かに言った。
「私やフィーナ、ニアには、いつも計算された一番美味い部分を食べさせておいて……店主であるお前だけが、誰も見ていないところで苦い失敗作を独り占めする。そんな不平等な契約は、結んだ覚えがないぞ」
「商売の責任は店主が被るもんだ」
「店は一人で回るものではないと、お前が言ったのだろう」
リシアの真っ直ぐな灰青色の瞳に見つめられ、俺は小さく息を吐いた。
彼女は俺を可哀想だと思って同情しているのではない。同じ店で働く仲間として、共に失敗の重さを分かち合おうとしてくれているのだ。
「……勝手にしろ」
「ああ、勝手にするさ」
パチパチとはぜる焚き火の音だけが響く中。
俺と王国最強の剣聖は、並んで座り、決して美味いとは言えない泥臭い煮込みを、無言で最後まで分け合って食べた。
不味いはずのその味は、なぜか少しだけ、腹の底を温かくしてくれた。
翌朝。
俺が仕込みの準備をしていると、広場に一人の若者が駆け込んできた。
昨日、俺の串を一番美味そうに食っていた村の男だ。
彼は《ノマド》のカウンターの前に立つと、真っ直ぐに俺の目を見て、勢いよく頭を下げた。
「頼む、店長! あの串とパイの作り方を、俺に教えてくれ!」
「……作り方を?」
「ああ! この村の森には、あのウサギも根っこも腐るほどある。俺もあんたみたいに、自分の屋台を出して、この街道を行き交う連中に村の名物を売りたいんだ!」
若者の瞳には、飢えへの絶望ではなく、明日への商売の熱が宿っていた。




