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客が二万人、競合店はゼロ。異世界の戦場にキッチンカーごと転移した俺、剣聖も魔王も最後尾です  作者: 他力本願寺


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第15話 食べ物はある。食べたい姿をしていない

「馬鹿な……それを村に持ち込むな!」


 村の長老が、血相を変えて怒鳴り声を上げた。


 彼が震える指で差しているのは、ニアが森から大量に持ち帰ってきた灰角兎の死骸と、泥のついた赤根菜だ。周囲の大人たちも一様に顔を青ざめさせ、親の仇でも見るかのような目で食材を睨みつけている。


「えっ……なんで?」


 ニアが目を丸くして立ち尽くした。


「これ、森の奥にいっぱいあったよ? 鮮度だって悪くないし、ちゃんと血抜きもしてきたのに」


「鮮度の問題じゃねえんだよ!」


 やせ細った村の男が、吐き捨てるように言った。


「その赤い根っこと臭いウサギは、数年前の大飢饉の時に、俺たちが生き延びるために毎日毎日食わされた代物だ。泥臭くて、渋くて、血生臭い……思い出しただけでも吐き気がする。あんなもの、いくら腹が減ってても二度と食いたくねえ!」


 男の悲痛な叫びに、他の村人たちも深く頷く。


 ニアは納得がいかない様子で耳を伏せた。


「でも、ちゃんと香草を使って臭みを消せば――」


「ニア、待て。それ以上は言うな」


 俺はニアの肩に手を置き、反論を制止した。


 俺は長老に向き直り、静かに尋ねた。


「長老。当時は、そのウサギと根菜をどうやって調理して食べていたんだ?」


「調理なんて呼べるもんじゃねえ。ただ鍋にぶち込んで、水で煮ただけだ。硬い肉と筋だらけの根っこを、とにかくドロドロになるまで煮込んで、汁ごと無理やり喉の奥に流し込んだのさ。あの時の惨めな泥の匂いは、今でも鼻の奥にこびりついてる……」


 長老は顔を覆い、忌々しい記憶を振り払うように首を振った。


 それを見て、俺は全てを理解した。


 彼らは「食材」を拒絶しているのではない。


 食材から連想される「飢えと敗北の記憶」を拒絶しているのだ。


 人間は、舌で味を感じる前に、目と鼻と記憶で食事をする。どんなに高級な味付けを施したところで、見た目や匂いが当時の「惨めな泥のスープ」を連想させる限り、彼らの脳はそれを食べ物として受け付けない。


 味だけで客の心は動かせないのだ。


「……店長、どうする?」


 ニアが不安そうに見上げてくる。


「あたしたち、せっかく食材を見つけてきたのに。これじゃ売れないよ」


 俺は即座に決断を下した。


「当初予定していた『灰角兎と赤根菜の煮込み』のメニューは破棄する」


「えっ!? じゃあ、この食材は捨てるの?」


「まさか。仕入れた食材を無駄にする商売人がどこにいる」


 俺は腕をまくり、厨房の準備に取り掛かった。


「客の障壁が『記憶』なら、記憶を上書きするような全く別の料理に変えればいい。当時のドロドロの煮込み鍋を連想させない、新しい形と匂いだ。全員、仕込みを手伝ってくれ」


 明確な指示を受けた《ノマド》の従業員たちが、一斉に動き出した。


「ニア、あんたの鼻が頼りだ。森で採ってきた香草の中から、一番香りの強いものと、酸味の強い木の実を選び出してくれ。肉の獣臭さを抑える」


「任せて! この酸っぱい青い実を潰して混ぜれば、爽やかな匂いになるはずだよ!」


 ニアが山積みの野草の中から、迷いなく的確なスパイスを拾い上げていく。


「フィーナ、こっちに来てくれ。肉と一緒に仕入れた獣脂の塊だが、常温だと柔らかすぎて串に刺しにくい」


 俺が脂の入ったボウルを差し出すと、フィーナは真剣な顔で頷いた。


「分かりました。温度を二度まで急激に下げて、表面を硬化させます」


 彼女がボウルに両手をかざすと、脂の塊が瞬時に扱いやすい硬さへと変わる。俺はそれを包丁でサイコロ状に素早く切り分けた。ただ冷やすだけの魔法が、見事な仕込みの時短技術として機能している。


「ボルグ! 展開カウンターの横に、排煙筒を繋げた焼き台をセットしてくれ。今日は鉄板メインじゃない、炭火を使う」


「おう! 煙が客の目にいかねえように、風向きを計算して組んでやる!」


 俺は、ニアが調合した特製の香草と木の実の絞り汁に灰角兎の肉を揉み込み、硬く締めた獣脂と交互に長串に刺していった。赤根菜のほうは細かくすり潰し、パン屋の黒麦生地にチーズと一緒に包んで『焼きパイ』の具材として転用する。見た目から「赤い根っこ」の原型を隠すためだ。


 数十分後。


 広場には、まだ諦めきれないように腹を鳴らしている村人たちがまばらに残っていた。だが、彼らは俺の店に近づこうとはしない。あの忌まわしい肉が鍋で煮込まれ、再び泥のような匂いを放つと信じ込んでいるからだ。


「よし、準備はいいな」


 俺は《ノマド》の販売口を全開にし、真っ赤に熱された炭火の上に、仕込みを終えた数十本の串を一気に並べた。


 最初の脂が炭へ落ちた。


 白い煙が一筋立ち、続いて数十本の串から雫が落ちるたび、炭が赤く明滅した。


 鼻に残る獣臭ではない。酸味のある木の実と香草をまとった、腹の底を直接つかむ焼けた脂の香りだった。


「な、なんだ!?」


 背を向けて帰りかけていた村人たちが、驚いて一斉にこちらを振り返る。


 炭に落ちた脂は、濃厚な白い煙となって上空の排煙筒へと吸い込まれつつ、その一部が周囲に凄まじい勢いで広がっていった。


 それは、彼らが記憶しているような「泥と血の煮込み」の悲惨な匂いではなかった。


 木の実の爽やかな酸味。食欲を直接殴りつけるような香草の鋭い香り。そして何より、炭火で燻された獣肉と脂の、鼻腔を焼く焦げ香。


 匂いが広場を駆け抜け、村人たちの鼻腔を容赦なく貫く。


「なんだ……この、たまらなくいい匂いは……」


 長老が、信じられないという顔で鼻をヒクつかせた。


 俺は串をひっくり返し、さらに肉から滴る脂を炭火に落とす。


 パチパチと弾ける音と、視覚を刺激する分厚い肉の焼き色。それは貧しい寒村の飢餓食ではなく、華やかな王都の祭りで出されるような、極上の「屋台飯」の姿だった。


「お待たせした。新メニュー『灰角兎の香草脂串』だ」


 俺の言葉が届くか届かないかのうちに、広場から去ろうとしていた村人たちの足がピタリと止まった。


 理屈や記憶よりも先に、彼らの胃袋が、喉が、本能が、激しい音を立ててその香りを求めていた。

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