第12話 冷やすだけの魔法が、腐敗を暴く
「う、うあああっ……! 腹が……腹が痛えぇぇっ!」
悲鳴のようなうめき声に、広場は一瞬にしてパニックに陥った。
数人の労働者が地面に倒れ伏し、脂汗を流して激しく嘔吐している。彼らの足元には、半分ほど食べられた肉串が転がっていた。
「食中毒だ! 移動竈の肉を食った奴らが倒れたぞ!」
誰かが叫んだ。その声に呼応するように、広場の端から金環商会の手代が数人の男を連れて足早に歩み出てきた。
「見ろ! だから移動営業などという得体の知れない真似は危険だと言ったのだ!」
手代の男は勝ち誇ったように声を張り上げた。
「固定された竈を持たず、不衛生な環境で調理をするからこういうことになる。ただちにこの場にある移動店をすべて閉鎖し、営業を永久に禁止すべきだ!」
周囲の労働者たちが不安そうに《ノマド》と俺を交互に見る。
ここで「うちの肉じゃない」と自己弁護を叫ぶのは三流のやることだ。客が求めているのは言い訳ではなく、目の前の安全である。
「リシア、野次馬を下がらせて倒れた人間の呼吸を確保しろ! ニア、落ちてる串の臭いを嗅げ!」
俺は即座に指示を飛ばし、フィーナに向き直った。
「フィーナ! あんたにはこの店の衛生管理責任者として調査権限を渡してある。あの肉と、模倣店の食材の状態を調べてくれ」
「は、はいっ!」
フィーナはこくりと頷くと、真っ直ぐに倒れた労働者たちの元へ向かった。彼女は転がっていた肉串に手をかざし、目を閉じる。
「……ひどいです」
フィーナの顔が険しくなった。
「表面は強火で焦がしてありますが、中心温度が全く上がっていません。それに、この肉の魔素の残留と温度変化の履歴……三日前から常温のまま放置されたような、不自然な温度低下の形跡があります。うちの冷蔵庫で三分ごとに温度記録をつけている肉とは全くの別物です」
「こっちも分かったよ、店長!」
ニアが模倣露店の屋台に顔を突っ込み、顔をしかめて戻ってきた。
「肉が腐りかけてる臭いを、キツい香辛料を大量に塗って誤魔化してる。うちが仕入れた新鮮な灰角兎じゃない。古い肉だよ」
二人の報告を聞き、俺は青ざめて震えている模倣露店の主人の胸倉を掴み上げた。
「聞いた通りだ。こんな腐りかけの肉、どこで仕入れた?」
「お、俺のせいじゃない!」
主人は悲鳴のように弁明した。
「金環商会の人間にそそのかされたんだ! 『あんな余所者の店に儲けさせるくらいなら、お前も同じものを売れ』って! 格安で肉も卸してやるからって言われて……!」
その言葉に、広場の空気が凍りついた。
金環商会の手代は「で、でたらめだ! そのような記録はない!」と狼狽えながら後退りする。
「おい、そこを退け!」
さらに騒ぎを大きくするように、広場の外から武装した兵士を連れた男たちが割り込んできた。
先頭を歩くのは、豪奢な青いローブを着た男だった。胸には王立魔導師団の紋章がある。
「チッ、市街の警備隊だけでなく、近くの駐屯地でも腹痛者が数人出た。今日の配給肉が原因かもしれん。貴様ら、商会の荷馬車にある肉をすべて検分――」
偉そうに指示を出していた魔導師団の男は、俺の横に立っているフィーナを見て、ギョッと目を見開いた。
「フィーナ……? 貴様、なぜこんな薄汚い広場にいる」
「ハインツ部隊長……」
フィーナが体を硬直させた。彼こそが、フィーナを『冷やすだけの無能』と見下し、魔導師団から追放した元上官だった。
ハインツと呼ばれた男は、足元に倒れている労働者と腐った肉串を見て、忌々しそうに舌打ちをした。
「フン、どこで何をしているかと思えば、こんな底辺の店で働いていたか。まあいい、ちょうどいいところにいた」
ハインツは傲慢な態度でフィーナに顎をしゃくった。
「軍で支給された金環商会の肉に、腐敗の疑いが出ている。貴様の魔法で荷車の肉を限界まで冷やして毒素の進行を止め、問題のある肉を選別しろ。これは王立魔導師団からの軍命だ。除籍されたとはいえ、少しは役に立つところを見せろ」
周囲の兵士たちが当然のようにフィーナを囲み、魔法を使わせようとする。
かつてのトラウマが蘇ったのか、フィーナの肩が微かに震えていた。
俺は黙ってフィーナの目を見た。
ここで俺が庇うのは簡単だ。だが、それでは彼女はずっと「無能扱いされた落ちこぼれ」のままだ。俺は彼女に、この店の衛生管理責任者としての全権を渡している。
フィーナは俺の視線を受け止めると、小さく、しかし力強く頷いた。
そして、彼女は元上官であるハインツの前に真っ直ぐに立ち塞がった。
「お断りします」
「……なんだと?」
ハインツが信じられないという顔でフィーナを見下ろす。
フィーナは眼鏡の位置を直し、はっきりとした声で宣言した。
「私は現在、移動料理店の衛生管理責任者です。仕入れ日時も不明、温度記録も一切残っていないような得体の知れない軍用食を、この清潔な販売区域の近くに持ち込んで検査するなど、衛生基準に照らして絶対に許可できません」
「き、貴様! たかが無能の分際で、この私に逆らう気か!」
ハインツが顔を真っ赤にして杖を振り上げようとした。
だが、その杖が振り下ろされるより早く、リシアがスッとフィーナの前に割り込み、大剣の柄をカチャリと鳴らした。
「彼女はうちの責任者だ。魔法使いの端くれなら、相手の実力と自分の立ち位置くらい弁えろ」
王国最強の剣聖の静かな威圧に、ハインツは息を呑んで硬直した。
「ぐっ……し、しかし、このままでは兵士たちに配る安全な肉が……!」
ハインツは顔を青ざめさせた。彼の部隊には、魔物素材の毒性や腐敗の兆候を、温度という絶対的な数値で精密に感知できる魔法使いはもういないのだ。彼自身が追い出したのだから世話はない。
「……店長。どうしますか」
フィーナが俺に視線を向けた。
「あんたの権限だ。好きにしろ。ただし、タダ働きはさせるなよ」
俺の言葉を聞き、フィーナは再びハインツに向き直った。
「私の温度管理と腐敗検知の技術が必要ならば、軍命などという言葉ではなく、正式な契約と対価を用意してください。私は、ただ冷やすだけの無能ではありませんから」
ハインツはギリッと奥歯を噛み締めたが、背に腹は代えられなかった。
彼は悔しさに顔を歪めながらも、深く頭を下げた。
「……分かった。王立魔導師団として、専門家である貴女に、軍用食の正式な検査を依頼する。報酬は規定の三倍払おう」
追放した側が、今は正式な契約相手としてフィーナの返事を待っていた。
軍を追放された落ちこぼれが、軍の部隊長から頭を下げて助けを求められる「不可欠な専門家」になったのだ。
騒動が一段落し、金環商会の手代は警備隊に連行されていった。
広場のパニックが収まった後、一部始終を静かに見届けていた竈印組合の検査官、イルダが俺の前に歩み出てきた。
「見事な対応だった、店主。食中毒の原因が金環商会の古い肉であったこと、そして君の店が徹底した温度記録と衛生基準を持っていることは十分に証明された」
イルダは手帳を閉じ、真剣な眼差しで俺を見た。
「だが、これで移動営業の危険性が払拭されたわけではない。明日は試験営業の五日目……最終日だ。明日の営業を、公開試験とする」
「公開試験?」
「ああ。制限時間内に三百食を売り切り、火事も病人も、そして客同士の混乱も一切出さないこと。それができれば、君の店に異世界初の『移動竈営業許可』を正式に発行しよう」




