第7話 新しいナイフ
王宮の中庭でルナリアの手当てをしていたカントは、彼女の傷を見て呟いた。
「いつもより傷が深いですね」
「やっぱり。なんか、いつもより切りにくくて」
「切れ味が落ちているのでは?」
「……だよね。捨てなきゃ。新しいの、手にはいるかなぁ」
ルナリアはなんてことないようにこぼす。カントは彼女を見てしばらく考えたあと、おもむろに懐から小さなナイフを取り出した。ナイフは月光を反射して鈍く光る。
「こちらをお使いになりますか?」
「……なにそれ」
「用途にちょうどいいものかと」
ルナリアはカントをじっと見つめる。その瞳には彼を試すような色が乗っていた。
「試してもいい?」
「あなたがやりたいのでしたら、どうぞ」
彼は笑ってナイフを差し出す。ルナリアはじっとナイフを見つめたあと、そっと視線をそらした。
「いいわ。今は気分じゃないし」
「そうですか」
カントはナイフを懐にしまう。
「くれないんだ」
「ええ。貸すだけです。使いたかったら、いつでもお声がけを」
軽い調子で笑うルナリアに対し、カントもあくまで軽く答える。
「終わりましたよ」
カントはそう言って立ち上がる。「それでは、また」と言って立ち去ろうとした彼の背中に、ルナリアは思わず「まって」と声をかけた。
「……次は、いつ会えんの」
「呼んでくだされば、飛んでいきますよ」
「あいも変わらず、リップサービスがお上手ね」
カントは軽く笑って「信用していただけませんでしたか」と答える。
「……では。こうするのはいかがでしょうか」
彼はそう言って、胸元から白いハンカチを取り出す。
「会いたいときは、これをあなたの部屋の窓に結んでください。すぐに飛んでいきます」
「……ほんとに?」
「ええ。気づき次第、すぐに」
ルナリアは受け取ったハンカチをじっと見つめる。ぎゅっと握ったハンカチが、やけに温かく感じた。
◇
その夜はやけに静かだった。部屋に戻ったルナリアは、ドアにもたれたまましばらく動かなかった。胸の奥がじわじわと騒ぐ。理由はわかっている。昼間の出来事が頭をよぎった。隣国の王子の視線、触れられた感触に鳥肌が立つ。
「……気持ち悪い」
ぽつりと吐き捨てて、彼女は机へ向かった。引き出しを開ける。そこにあるはずのナイフは、もうない。昼間に捨てたのだ。代わりに白い布が目に入る。カントから渡されたハンカチだ。
「……」
『会いたいときは、これをあなたの部屋の窓に結んでください。すぐに飛んでいきます』
彼の言葉が妙に鮮明に蘇る。
「……ばかじゃないの」
彼女はひとりごちる。自分でもわかっている。こんなもの、使う必要なんてない。今までだって、ずっと一人でやってきた。
そのはずなのに胸のざわめきは収まらない。
ルナリアはハンカチを手に取る。柔らかい布地が指に絡む。少しだけ温もりが残っている気がした。
「……来るわけ、ないでしょ。あいつも忙しいんだから」
そう言いながら、足は窓へ向かっていた。
窓を開ける。夜風が流れ込んでカーテンを揺らす。彼女はハンカチを窓枠に結びつけた。白い布が夜の中でかすかに揺れる。
「……これでいいでしょ」
吐き捨てるように言って、ベッドに腰を下ろす。手持ち無沙汰に指先をいじる。時間の感覚がやけに曖昧だった。
一分か、十分か、それとももっとか。どれくらい経ったのかわからない。
「姫」
カントの声がした。ルナリアは顔を上げる。中庭に人影が立っていた。
「お呼びでしょうか」
ルナリアは一瞬、言葉を失った。ほんのわずかに、喉が鳴る。
「……ほんとに、来た」
「僕は約束を守る男ですよ」
カントはいつもの調子で微笑む。
「……暇なの?」
「まさか。あなたのために時間を割いているんですよ」
「物好きね」
軽口を叩きながらも、ルナリアは立ち上がった。気づけば窓辺に近づいている。
カントは彼女の様子を一瞥して、わずかに首を傾げた。
「今日は、どちらを?」
「……は?」
「手当ですか。それとも」
カントは一呼吸おいて言葉を紡ぐ。
「ただ、会いたかっただけですか?」
「……っ」
ルナリアは思わず視線を逸らす。胸の奥がどくんと強く脈打った。
「……うるさい」
「失礼しました」
カントはあっさりと引く。その距離感が余計に落ち着かない。
「……こっち来てよ」
「お望みとあれば、と答えたいところですが。王女の部屋に部外者ははいれません」
「変なとこで真面目ね」
「規則を破ることはリスクですから」
ルナリアはため息をつきながらも、部屋を出た。冷たい夜風が、彼女の髪をそっと揺らした。
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