第8話「割れたプリン」
「たまちゃんのアホー!!」
「なんやねん! ガサツみにこのくせに!!」
「もう知らん!」
「こっちこそ知らんわ!」
教室中に響く二人の声。
次の瞬間、弥那子は勢いよく教室を飛び出していった。
「……」
残された珠美も、何も言わない。
教室にいたクラスメイトたちは、誰も口を開かなかった。
いつもなら、どちらかが何か言えば、すぐにもう一人がツッコんで。
そのうち二人とも笑い出して。
「またやってるわ」
そんな感じで終わる。
それが、いつもの「みにたま」だった。
けれど今日は違った。
二人とも、本気で怒っていた。
――ことの始まりは、三十分ほど前に遡る。
昼休み。
弁当を広げようとしていた弥那子の前で、珠美が立ち上がった。
「みなこ、わたし今日お弁当ないから、購買でパン買ってくるわ」
「あれ、珍しいな」
「ちょっとバタバタしてて、朝作れへんかったんよ」
「そっか。ほな、待ってるわー」
「うん。すぐ戻ってくるから」
珠美はそう言って、教室を出ていった。
弥那子は手を振って見送る。
「いってらっしゃーい」
そして、廊下を曲がったたところで――。
珠美は、ちらりと後ろを振り返った。
誰もついてきていない。
「……よしよし」
小さく笑う。
「着いてこんかったな」
実は、今日の購買にはもう一つ目的があった。
購買でひそかに人気になっているもの。
小さな瓶に入った、少しお高めのプリン。
数が少なく、昼休みになるとすぐに売り切れてしまう。
「絶品らしいんよな……」
珠美は以前、クラスメイトが話しているのを聞いていた。
一度食べてみたいと思っていた。
そして、もう一つ。
「みなこにも食べさせたろ」
それが今日の目的だった。
弥那子には内緒。
二人で一緒に食べたら、きっと喜ぶ。
そう思った。
だから今日は、いつもより少しだけ急いでいた。
「まだあるかな……」
廊下を小走りに進む。
階段を下りる。
購買へ向かう。
そして――。
「……あった!」
棚の隅に、残り二つ。
珠美は思わず顔をほころばせた。
「よかったぁ……」
二つとも手に取る。
パンを買い、プリンも二つ。
会計を済ませる。
「これでよし」
プリンの入った袋を大事そうに持って、珠美は教室へ戻っていった。
その頃。
教室では弥那子が一人、机に座っていた。
「……」
珠美が出ていってから、まだそんなに時間は経っていない。
なのに。
「……遅いな、たまちゃん」
時計を見る。
まだ数分。
「……」
また時計を見る。
「いや、別に心配してるわけやないで?」
誰に言うでもなく呟く。
「購買なんてすぐそこやし」
机を指でトントン叩く。
「……」
また時計を見る。
「……遅いな」
とうとう立ち上がった。
「ちょっと見に行ったろ」
弥那子は教室の出口へ走り出す。
そして――。
「たまちゃん、遅――」
ドンッ!!
「うわっ!」
「えっ!?」
ドタッ!
バタン!
そして――。
パリーン!!
乾いた音が、廊下に響いた。
「……」
「……」
何が起きたのか分からない。
弥那子は床に尻もちをついていた。
「いったたた……」
お尻をさすりながら顔を上げる。
目の前には、倒れ込んでいる珠美。
「た、たまちゃん?」
「……」
珠美もゆっくり顔を上げる。
そして。
「……あ」
二人の間に転がっている、小さな瓶。
もう一つも、少し離れたところで割れている。
床にはプリンが広がっていた。
「……」
珠美の顔が固まる。
「……え?」
そして、数秒遅れて。
「あーーーーー!!!」
廊下に珠美の声が響いた。
「わたしのプリンがーー!!」
「……」
弥那子は何も言えない。
珠美は割れた瓶を見つめた。
その表情は、本気でショックを受けていた。
「……みなこ?」
「……うん」
「みなこが……ぶつかって来たん?」
「……ごめん」
弥那子は俯いた。
「たまちゃん遅いなー思て……迎えに行こうとしたら……」
「もう……!」
珠美が立ち上がる。
「なんで教室から走って出てくるんよ!」
「ごめんて」
「プリン割れてもたやん!」
「ほんまごめん。買って返すから……」
「そういう問題ちゃうねん!」
「……え?」
弥那子が顔を上げる。
珠美の目には、怒りと悔しさが混じっていた。
「今日のは、もうどうせ売り切れてるし!」
「じゃあ……明日買って……」
「もうええわ!」
珠美は袋を拾い上げる。
けれど、袋の中にはパンしか残っていない。
弥那子は小さく呟いた。
「……ほんま、ごめん」
いつもの弥那子なら、ここで何か一言返している。
「そんな怒らんでもええやん」とか。
「プリンごときで大げさや」とか。
でも今日は、言えなかった。
自分が悪い。
それは分かっている。
だから、ただ謝るしかなかった。
「……」
珠美も黙っていた。
その沈黙が、弥那子には余計につらかった。
「だから……」
珠美が口を開く。
「だから、あんたはガサツやねん!」
「……は?」
「ガサツやから、どこでもすぐ走るんやろ!」
「……」
弥那子の顔から表情が消えた。
「……今、それ関係ある?」
「あるわ!」
「うち、ちゃんと謝ってるやん」
「謝ったら何でもええん?」
「そういうこと言うてへんやん!」
「じゃあ何なん!」
「知らんわ!」
二人の声がどんどん大きくなる。
周囲のクラスメイトたちも、さすがに心配そうに見ていた。
「……もう知らん!」
弥那子が叫ぶ。
「たまちゃんのアホー!!」
「なんやねん!」
珠美も叫び返した。
「ガサツみにこのくせに!」
その瞬間。
弥那子の目が潤んだ。
「……っ」
何か言い返そうとして。
でも、言葉が出てこない。
唇を噛む。
そして――。
弥那子は走って教室を飛び出していった。
「……」
珠美は、その背中を見なかった。
止めることもしなかった。
やがて、誰もいなくなった廊下に目を向ける。
足元には、割れたプリン。
珠美はその場に、へたり込むように座った。
「……」
残ったプリンの瓶を見つめる。
もう中身はない。
ただ、甘い香りだけが少し残っていた。
珠美の目から、涙が一粒落ちた。
「……一緒に食べたかったのに……」
小さな声だった。
誰にも聞こえないくらいの。
それが、珠美自身にも意外だった。
怒っていた。
確かに怒っていた。
でも、本当は。
プリンを割られたことだけが悲しかったわけではない。
弥那子と一緒に食べようと思っていた。
「おいしいな」と言って。
「ほんまや!」と笑って。
そんな時間を楽しみにしていた。
それが、全部なくなってしまった気がした。
だから、余計に腹が立った。
だから、言ってしまった。
「……言いすぎた……」
珠美は俯いた。
けれど、今さら追いかけることもできなかった。
⸻
一方。
弥那子は走っていた。
教室を飛び出して。
廊下を曲がって。
階段を駆け下りて。
校舎の端を抜けて。
気づけば、体育館裏まで来ていた。
「はぁ……はぁ……」
弥那子は息を整えながら、壁にもたれた。
「……なんやねん」
目元を拭う。
「白玉のくせに……」
鼻をすすった。
「謝ってるのに……あんな怒らんでもええやん……」
悔しい。
腹が立つ。
悲しい。
いろんな感情が、ぐちゃぐちゃになっている。
「……うちかて悪かったんは分かってるもん」
小さく呟く。
「プリン割ったん、うちやし……」
分かっている。
だから謝った。
なのに。
「……ガサツとか……」
弥那子は座り込み膝を抱えた。
「……そんな言わんでもええやん」
目から、涙が一粒落ちた。
そのとき。
ふと、思い出した。
珠美が出ていくとき。
「すぐ戻ってくるから」
そう言っていた。
「……」
弥那子は少しだけ顔を上げた。
そして――。
あの廊下で割れた瓶を思い出す。
二つ。
「……あれ?」
弥那子の眉が動いた。
「プリン……」
確かに。
二つあった。
「……二つ?」
弥那子は立ち上がった。
「たまちゃん、弁当ないからパン買いに行ったんよな……」
プリンが二つ。
「……」
弥那子の表情が変わる。
「……もしかして」
胸の奥が、少しだけ痛くなった。
「うちの分も……?」
誰にも言われていない。
珠美も何も言っていない。
でも。
「……二人で食べよ思て、買って来てくれたんかな」
そう考えると。
さっきまでの怒りが、急に違うものに変わっていった。
珠美は、怒っていた。
でもそれ以上に。
楽しみにしていたのだ。
自分と一緒に食べることを。
「……」
弥那子は俯いた。
「……アホや、うち」
さっきとは違う意味で、目が熱くなった。
「たまちゃん……」
しばらく、その場にうずくまる。
⸻放課後。
チャイムと同時に走り出す弥那子。
それを、黙って横目に見送る珠美。
一人で歩く帰り道。
いつもなら隣にいる弥那子の姿がない。
「……」
珠美は俯いた。
「……ちょっと言いすぎたかな」
歩く速度が遅くなる。
「みなこ、ちゃんと謝ってたのに……」
自分でも分かっていた。
プリンが割れて悲しかった。
楽しみにしていたから、悔しかった。
でも。
「プリンくらい、また買えばええだけやのに……」
珠美はため息をついた。
「なんであんな言い方したんやろ……」
しばらく歩いて。
ふと立ち止まる。
「……」
そして、来た道を振り返った。
「……買お」
珠美は踵を返した。
向かった先は、近くのスーパー。
そして――。
「プリン二つください」
⸻
一方、弥那子も。
「プリン二つ!」
近くのコンビニでプリンを買っていた。
袋を受け取る。
「……よし」
そしてまた走り出す。
向かう場所は、決まっていた。
二人には、なんとなく分かっていた。
こういうとき。
相手が一人になりたいとき。
少し頭を冷やしたいとき。
そして――。
仲直りしたいけれど、素直に言い出せないとき。
きっと、あそこにいる。
河原の公園。
二人が何度も歩いてきた道の、その先。
日が沈み始めた空の下。
二つの影が、同じ場所へ向かっていた。
一つは、汗を流しながら走って。
もう一つは、少し早足で。
そして。
公園の入口。
「……」
「……」
二人の姿が、ほぼ同時に見えた。
「あ」
「……」
一瞬、二人とも立ち止まる。
そして、なぜか。
二人とも少しだけ顔をしかめた。
まだ怒っているような顔。
まだ納得していないような顔。
「……どないしたん、こんなとこで」
先に口を開いたのは弥那子だった。
「みなここそ」
珠美も負けじと返す。
「……」
「……」
しばらく睨み合う。
けれど。
二人とも、なんとなく分かっていた。
ここへ来た理由なんて、一つしかない。
弥那子が先に視線を落とした。
「……ごめん、たまちゃん」
「……!」
珠美の目が少しだけ開く。
「うちがガサツやから……」
弥那子は苦笑いした。
「たまちゃんが買ってくれたプリン、割ってもーて……」
珠美は黙っていた。
そして。
ふっと笑った。
「……もうええって」
「……たまちゃん?」
「プリンはまた買えばええだけやし」
少し照れくさそうに、珠美は言った。
「私こそ、言いすぎてごめん」
「……」
「……」
弥那子が顔を上げる。
珠美も、弥那子を見る。
そして。
二人とも、同時に何かを思い出したように。
「……あのな」
「……あのさ」
また声が重なる。
「「プリン買って来てん!」」
「……」
「……」
二人が持っている袋。
どちらの中にも。
プリンが二つ。
弥那子が袋を差し出す。
珠美も袋を差し出す。
しばらく、お互いの袋を見つめる。
そして――。
「「あははははは!!」」
二人とも腹を抱えて笑い出した。
さっきまで泣いていたのが嘘みたいに。
「なんやねん、もう!」
「なんでやねん!」
「うち、たまちゃんがプリン割れて悲しいんや思て!」
「私かて、みなこが怒ってると思って!」
「怒ってたわ!」
「私も!」
「でも買ってきたんや!」
「みなこもやん!」
また笑う。
涙がまだ少し残っている。
でも、今度の涙は悲しい涙ではなかった。
「……なぁ」
弥那子が笑いながら言う。
「なんでここって分かったん?」
珠美は少し得意げな顔をした。
「みなこの考えることくらい、お見通しや」
「へぇー」
弥那子がニヤッとする。
「ほんなら、うちがプリン買って来ることも分かってた?」
「……」
珠美が黙る。
「……それは分からんかった」
「なんやねん!」
弥那子が吹き出す。
「お見通しちゃうやん!」
「そこまでは分からんて!」
「ふふっ」
「ははっ」
二人でまた笑う。
しばらく笑ったあと。
珠美が袋を見た。
「……プリン食べよか」
弥那子も頷く。
「うん。食べよ!」
二人は並んでベンチに座った。
それぞれが持ってきたプリンを一つずつ取り出す。
「……」
「……」
「なぁ、たまちゃん」
「ん?」
「これ、めっちゃ美味しかったらどうする?」
「どうしよ」
「二つとも食べたなるかもしれへん」
「一個ずつや」
「えー」
「一個ずつ」
「……ちぇー」
弥那子はスプーンを入れる。
一口食べて。
「……」
珠美を見る。
「……」
珠美も一口食べる。
「……」
二人で顔を見合わせる。
「……美味しいな」
「……うん」
それだけ言って。
二人はまた笑った。
昼休みに割れてしまったプリン。
そのせいで、二人は少しだけ離れて。
少しだけ傷ついて。
少しだけ泣いた。
けれど。
そのおかげで。
相手が自分のことを考えてくれていたことにも気づけた。
きっと、プリンなんて。
また買えばいい。
今日買えなくても、明日買える。
明日が駄目でも、また別の日に買える。
けれど。
「一緒に食べよう」と思ってくれた気持ち。
「ごめん」と思ってくれた気持ち。
それは、瓶が割れたからといって、なくなるものではなかった。
「……なぁ、みなこ」
「ん?」
「今度また買おな」
「二個?」
「二個」
「絶対やで?」
「絶対」
「ほんなら今度は、うちが持つわ」
「……それが一番心配なんやけど」
「なんでやねん!」
「また走って割りそうやから」
「たまちゃんのアホ!」
「ガサツみにこ!」
「みにこ言うな!」
「みなこやったな」
「今さら直すな!」
河原に、二人の笑い声が響いた。
空はもう、夕焼けから少しずつ夜へ向かっている。
二人の頭上には、青空の名残があった。
そして。
空のどこかには、きっと一番星が出ていた。
けれど――。
「なぁ、帰りにコンビニ寄ってええ?」
「なんで?」
「プリンもう一個買いたい」
「食べ過ぎやって」
「たまちゃんも食べるやろ?」
「……食べる」
「ほな行こ!」
「結局行くんかい」
今日も二人は、一番星には気づかないのだった。
面白かったら、感想よろしくお願いします!
たくさん感想いただけたら、第2期も書きます!




