第7話「168」
その日の帰り道。
弥那子は一人だった。
いつもなら、弥那子の隣には珠美がいる。
学校を出て、いつもの道を歩いて。
信号を渡って。
いつもの橋を渡って。
途中でどうでもいい話をして。
そんな毎日だった。
「……なんか変な感じやなぁ」
弥那子は、一人で歩きながら呟いた。
珠美は家の用事があるらしく、今日は部活も休んで先に帰っている。
別におかしなことではない。
弥那子だって、一人で帰ることくらいある。
なのに。
「いつもと同じ道やのにな」
周りを見渡す。
見慣れた住宅街。
見慣れた店。
見慣れた信号。
見慣れた道路。
何も変わっていない。
それなのに。
「一人で歩くと、なんか別世界みたいやな」
そんなことを考えながら歩いているうちに、大きな川に架かる橋へと差しかかった。
橋の上を歩く。
川面が夕方の光を反射して、きらきらと輝いている。
弥那子はなんとなく足を止めた。
「……綺麗やな」
しばらく川を眺める。
そして、ふと。
「……ん?」
何となく後ろを振り返った。
橋のたもと。
さっきまで歩いてきた道。
そこに、見覚えのない店があった。
「……あれ?」
弥那子は目を細める。
小さな、可愛らしい店だった。
木製の看板。
そこには、丸みのある文字でこう書かれている。
『喫茶ひととせ』
「喫茶ひととせ……?」
弥那子は首を傾げた。
「新しく出来たんかな?」
今まで何度も通っている道だ。
なのに、こんな店があった記憶はない。
「気が付かんかったなぁ」
弥那子は店の前まで歩いていった。
窓から中を覗いてみる。
店内は少し薄暗い。
古い喫茶店のような、落ち着いた雰囲気だった。
そして。
「……ん?」
奥の席に、見覚えのある後ろ姿があった。
茶色い髪。
ポニーテール。
「……珠美?」
間違いない。
珠美だった。
向かい側には、白髪の高齢の女性らしき人物が座っている。
二人とも、何か話しているようだった。
「珠美、誰かと会うなんて言うてたかな?」
弥那子は首を傾げた。
別に隠れて会うようなことでもない。
「まぁ、ええか」
弥那子は店の扉を開けた。
カラン、カラン。
小さなベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
店員が振り返る。
「……あ」
弥那子は少し戸惑った。
珠美がこちらを見た。
「……」
けれど。
珠美は何も言わない。
視線を戻し、白髪の女性と話している。
「たまちゃん……?」
声をかけようとした、そのとき。
ポツ。
窓ガラスに雨粒が落ちた。
「ん?」
ポツ、ポツ。
雨はみるみるうちに強くなっていく。
「うわ、急に……」
外を見る。
さっきまで晴れていたはずなのに。
空はいつの間にか真っ黒な雲に覆われていた。
「なんやこれ」
ゴロゴロゴロ……。
雷鳴まで聞こえてくる。
「……天気変わりすぎやろ」
弥那子は珠美のところへ行こうとした。
けれど。
「まぁ、雨宿りするか」
声をかけるのをやめた。
少し離れた席に座る。
「たまちゃん、誰かと話してるみたいやし」
そう呟いた。
その瞬間。
バシャァァァッ!
「うわっ!」
店の入り口から、大量の水が流れ込んできた。
「きゃー!」
「なんやこれ!」
「扉閉めて!」
店内が一気に騒がしくなる。
窓の隙間からも水が入り込んでくる。
「ちょ、ちょっと待って!」
弥那子は椅子から立ち上がった。
外を見る。
道路まで水で埋まり始めている。
「……え?」
さっきまで普通の雨だったはずなのに。
いつの間にか、外は洪水のようになっていた。
「これ、帰れるん?」
誰かが叫ぶ。
「扉が開きません!」
「ええっ!?」
店員が扉を押す。
しかし、水圧でびくともしない。
「どうするんですか!」
「みなさん!」
一人の店員が声を上げた。
「こちらへ!」
「こちらってどこや!」
弥那子は思わずツッコんだ。
店員は店の奥へ走っていく。
他の客も続いていく。
「え、そっち?」
弥那子も慌てて後を追った。
厨房のような場所を抜ける。
その先には――
階段があった。
「……地下?」
弥那子は眉をひそめる。
「こんなところ、あったん?」
他の客はどんどん降りていく。
「待って!」
弥那子も階段を下りた。
階段の先には、暗い空間が広がっていた。
「……何ここ」
石造りの壁。
湿った空気。
頭上には古びた配管。
どう見ても。
「……地下水道やん」
さっきまで喫茶店にいたはずなのに。
なんで地下水道があるのか。
「いやいやいや……」
弥那子は周囲を見回した。
「喫茶店の厨房から地下水道って、どういう構造やねん」
けれど。
前を歩く人たちは、何も疑問に思っていないようだった。
仕方なく、弥那子もその後についていく。
しばらく進んだところで。
バタン!
突然、後ろから大きな音がした。
「!」
弥那子が振り返る。
そこには。
誰もいなかった。
「……え?」
さっきまで何人もいた。
店員も。
客も。
みんな一緒だったはずなのに。
「……どこ行ったん?」
弥那子は急いで戻る。
しかし。
誰もいない。
「ちょ、待ってや……」
静寂。
水の流れる音だけが聞こえる。
「……なんやねんこれ」
弥那子は頭を抱えた。
「どないすんねん……」
一人になった地下水道。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
でも。
「……帰りたい」
弥那子は小さく呟いた。
そのとき。
遠くから、何かが近づいてきた。
ぼんやりとした光。
「……?」
光が揺れている。
少しずつ。
少しずつ。
こちらへ近づいてくる。
「……なんやあれ」
弥那子は後ずさった。
逃げるべきか。
光に向かうべきか。
「どっちや……」
光は近づいてくる。
「こっち来てるよな?」
さらに近付いて来る。
「うわ、来た」
弥那子は壁際まで下がった。
すると。
「なにをしておるのかね?」
「ひゃっ!」
声がした。
光の向こうから現れたのは。
白い髭を生やし、白衣を着た老人だった。
「な、なんや……」
「こんなところで、どうしたのかね?」
「えーっと……」
弥那子は混乱しながら説明する。
「雨が……嵐になって……店に逃げ込んだら水が入ってきて……それで奥に逃げて……気ぃついたら誰もおらんくなって……」
「なるほど」
老人は頷いた。
「それなら」
老人は奥を指差した。
「ここを真っ直ぐ降りなさい」
「……はい?」
弥那子は老人の指差した方向を見る。
そこには――
青空が広がっていた。
「…………」
丘。
緑の草。
爽やかな風。
雲ひとつない空。
「……なんで?」
老人は何も答えない。
「いやいや」
弥那子は老人を見る。
「ここ地下水道やったよな?」
「……」
「なんで急に丘になってるん?」
「看板の矢印に沿って、そこの階段を降りて行くと下に小さな塔がある」
老人は淡々と続けた。
「そこへ行け」
「……」
「ではな」
「え?」
老人が光の中へ戻っていく。
「ちょ、待って!」
弥那子が追いかける。
しかし。
もう老人の姿はなかった。
「……なんやったん、今の」
弥那子はしばらく立ち尽くした。
けれど、他にどうしようもない。
「……まぁ、行くしかないか」
丘を下る。
途中、何度か分かれ道があった。
そのたびに。
「こっち……?」
小さな看板に矢印が書かれている。
「こっち行けってことやな」
その矢印に従って進む。
また分かれ道。
また看板。
「……親切なんか不親切なんか分からんな」
さらに進む。
やがて。
丘の下に、小さな塔が見えてきた。
「……あれか」
弥那子は塔の前まで歩いた。
塔には扉がある。
正面。
右。
左。
そして裏側。
四面すべてに、同じような扉がついている。
「……」
弥那子は塔を見上げた。
「なんで四つも扉あんねん」
もちろん答えはない。
「まぁ……入ってみるか」
一番近くの扉を開ける。
ギィ……。
中は暗い。
一歩入った、そのとき。
「168じゃ」
「……?」
老人の声がした。
「……なにが?」
返事はない。
「168って……?」
しばらく待つ。
「……」
何も聞こえない。
「……訳分からん」
弥那子は塔を出た。
すると目の前に一台の赤い車が止まっていた。
「……え?」
さっきまでなかった。
いつからあったのか。
弥那子は恐る恐る車を覗き込む。
誰も乗っていない。
「……」
辺りを見回す。
丘の向こうには、広い車道が続いていた。
時折、車が走っている。
「……てか」
弥那子は眉をひそめた。
「どこやねん、ここ」
そのとき。
「お嬢ちゃん、乗るんかい?」
「!!」
弥那子は飛び上がった。
さっきまで誰も乗っていなかったはずの赤い車。
そこに運転手がいる。
「いやいやいや!」
「乗るんかい?」
「乗らへんわ!」
「よっしゃ、ほな乗り!」
「いや、乗らへん言うてるけど!」
「珠美お嬢様がお待ちや」
「……」
弥那子の動きが止まった。
「……たまちゃんが?」
「そうや」
「てか」
弥那子は運転手を見る。
「お嬢様て何?」
「細かいことはええ」
「いや、そこ結構気になるけど」
「乗るんか?」
「……」
弥那子は考えた。
珠美が待っている。
なら。
「……乗る」
「よっしゃ!」
車に乗り込む。
後部座席に座った瞬間。
車が急発進した。
「うわぁぁぁ!」
ものすごい速度で走り出す。
「ちょっと! 速い速い!」
「お嬢様がお待ちや!」
「だからって飛ばしすぎやろ!」
車はどんどん走っていく。
景色が流れる。
「ちょ、たまちゃんどこにおるん!?」
運転手は答えない。
「なぁ!」
「……」
「聞こえてる!?」
「……」
すると。
突然。
弥那子は運転席に座っていた。
「え?」
ハンドルを握っている。
「……」
「えぇぇぇぇ!?」
「なんでうちが運転してんねん!」
車は走り続けている。
「ちょっと待って!」
「運転分からんて!」
「免許も持ってへん!」
当然、返事はない。
「ブレーキどこや!」
足元を見る。
なぜか、ブレーキだけは分かった。
「これや!」
思い切り踏み込む。
――ぐっ。
「……」
車は少し減速した。
「効いとる!」
しかし。
止まらない。
「止まってーや!」
さらに踏み込む。
「止まれー!」
速度は落ちる。
けれど。
止まり切らない。
「なんでやねん!」
車はそのまま狭い路地へ入っていく。
「ちょっ!」
右。
左。
また右。
「うわっ!」
ギリギリで角を曲がる。
「危なっ!」
壁。
電柱。
自転車。
謎の植木鉢。
すべてを紙一重で避けていく。
「なんで運転できてんねん、うち!」
「いや、できてへん!」
「止まらへん!」
車はゆるゆると進み続ける。
そして。
前方に民家。
「……」
「……」
「……止まって」
車は止まらない。
「止まってぇぇぇ!」
民家が近づく。
「ぶつかる!」
弥那子は目をつぶった。
――。
……。
「……?」
何も起こらない。
恐る恐る目を開ける。
車は止まっていた。
民家のほんの少し手前。
「……」
弥那子はしばらく固まった。
そして。
「……助かった……」
生命からがら車を降りる。
地面に足をつけた。
そして弥那子は顔を上げた。
「……」
目の前にあったのは。
見たことのある店。
木製の看板。
そこには。
『喫茶ひととせ』
「…………は?」
弥那子は口を開けたまま立ち尽くした。
「なんでやねん」
そのとき。
カラン、カラン。
店の扉が開いた。
「あ、みなこ」
珠美が出てきた。
「……」
「今帰り?」
「…………」
弥那子は珠美を指差す。
「あ……」
何か言おうとした。
「……」
声が出ない。
「みなこ?」
「……」
弥那子の足から力が抜ける。
その場にへたり込んだ。
「ちょ、みなこ!?」
「……もう……」
弥那子は小さく呟いた。
「わけ分からん……」
そして。
そのまま意識が遠のいていった。
ーーー
朝。
いつもの待ち合わせ場所。
「……ってゆー、夢を見てん」
「なんやそれ」
「168は、たまちゃんの身長やったわ」
「知らんがな」
「……」
「……」
今日も空は青かった。
面白かったら、感想よろしくお願いします!
たくさん感想いただけたら、第2期も書きます!




