第6話「お泊まりする」
朝。
いつもの通学路を、弥那子と珠美は並んで歩いていた。
空は今日も青い。
少しずつ夏の気配が濃くなってきた、そんな朝だった。
「なぁ、たまちゃん」
「ん?」
「うち、今日から一人暮らしするねん」
珠美は特別驚いた様子もなく答えた。
「何なん、急に。アパートでも借りたん?」
「……」
弥那子が足を止める。
「……もうちょっと驚いたり心配したりしてーな、たまちゃん」
「だって、どうせなんかひっかけみたいな話やろ?」
「ちぇー」
弥那子は口を尖らせた。
「バレたかー」
「やっぱり」
「せやけど、一人暮らしっていうのはほんまやで」
「どういうこと?」
「今日から、お父さんとお母さん、二泊三日で旅行行ってん」
「うん」
「だから」
弥那子は胸を張った。
「うち。二泊三日、一人暮らしやねん」
「……」
珠美は少し考えてから、きっぱりと言った。
「それは一人暮らしとは言わん」
「同じようなもんやん」
「だいぶん違う」
「どこが?」
「三日後に帰ってくるやろ」
「帰ってくるけど」
「家賃も払ってへんやろ」
「払ってへん」
「生活費も自分で稼いでへんやろ」
「稼いでへん」
「そもそも実家やろ」
「……」
弥那子は腕を組んだ。
「……一人で家におるんやから、一人暮らしみたいなもんやん」
「『一人暮らし体験』くらいやな」
「なんか急に規模が小さくなった!」
「最初から小さい話やったやん」
「むぅ……」
弥那子は納得いかない顔をしながら、また歩き始めた。
「まぁ、ええわ」
「で」
「で?」
「それがどうしたん?」
「それがなぁ……」
弥那子は少し間を置いてから、にやっと笑った。
「夜、一人やねん」
「うん」
「ちょっと寂しいやん?」
「まぁ、そうやな」
「怖いやん?」
「みなこ、幽霊とか信じるタイプやったっけ?」
「信じてへん」
「じゃあ何が怖いん?」
「……暗い廊下」
「それは幽霊と何が違うん」
「なんか怖いやん!」
珠美は笑った。
「で、どうするん?」
弥那子は少しだけ考える。
そして。
「……たまちゃん」
「ん?」
「今日、泊めてくれへん?」
珠美は少しも迷わなかった。
「ええよ」
「やったーー!」
弥那子が両手を上げる。
「お泊まり会や!」
「そんな大げさな」
「お泊まり会やで!」
「ただうちに泊まるだけやろ」
「それがお泊まり会やん!」
「そうなん?」
「そうや!」
弥那子は嬉しそうに笑った。
「何するん?」
「何って……」
珠美は考える。
「晩ご飯食べて」
「うん」
「お風呂入って」
「うん」
「喋って」
「うんうん」
「寝る」
「……」
弥那子は首を傾げた。
「それだけ?」
「それだけやろ」
「もっとあるやろ!」
「何が?」
「お泊まり会やで?」
「だから?」
「女子二人でお泊まり会やで?」
「うん」
「恋バナとか!」
「……」
「お菓子食べたり!」
「それはあるな」
「夜更かししたり!」
「次の日学校あるで」
「枕投げ!」
「近所迷惑や」
「……」
弥那子は腕を組んだ。
「たまちゃん、夢がないなぁ」
「みなこが夢見すぎなんや」
⸻
放課後。
弥那子は一度家に帰り、着替えや翌日の制服などを小さなバッグに詰め込んで、珠美の家へ向かった。
玄関を開けるなり、
「お邪魔しまーす!」
と元気よく声を上げる。
「ただいま」
珠美も続いて入る。
弥那子が振り返った。
「……なぁ」
「ん?」
「うちも『ただいま』言うた方がええ?」
「別に言わんでもええけど」
「ほな…」
弥那子はもう一度玄関に戻った。
「ただいまー!」
「おかえり」
「……」
弥那子は少し照れたように笑う。
「なんか、ええな」
「何が?」
「友達の家で『おかえり』って言われるん」
「そう?」
「うん」
珠美は何気なく笑った。
「じゃあ、三日間だけここをみなこの家にしたらええやん」
「ほんま?」
「うん」
「じゃあ、冷蔵庫開けてええ?」
「それは普通にあかん」
「なんでや!」
「人んちやから」
「家にしてくれたんちゃうんか!」
「そこまでとは言ってへん」
「ケチ!」
「何でやねん」
早くも漫才が始まった。
⸻
夕食を済ませた二人は、珠美の部屋へ戻った。
しばらくして。
「じゃーん!」
弥那子がパジャマ姿で現れた。
「……」
珠美が見る。
「……普通やな」
「なんやその感想!」
「いや、もっと派手なんかと思ってた」
「うちを何やと思ってんねん!」
「なんとなく」
「なんとなくで決めつけんな!」
「でも、普通に可愛いよ」
「……」
弥那子が止まった。
「……もう一回」
「何を?」
「今の」
「嫌や」
「なんで!」
「みなこ、すぐそれ言わせようとするやん」
「ええやん!」
「恥ずかしいから嫌」
「たまちゃんのくせに!」
「私のくせにって何」
「たまちゃん、こういうの平気そうやもん」
「平気ちゃうよ」
「ほんま?」
「ほんま」
「へぇ……」
弥那子はニヤニヤする。
「たまちゃんも普通の女の子なんやなぁ」
「当たり前やろ!」
「バスケ部のエースやから、寝るときもジャージかと思ってた」
「パジャマくらい着るわ!」
「バスケボール柄?」
「ちゃう」
「バスケゴール柄?」
「なんやそれ」
「バスケシューズ柄?」
「もうええって!」
弥那子は笑った。
「で、たまちゃんのパジャマは?」
「これ」
「……可愛いやん」
「普通やろ」
「なんか意外」
「なんで?」
「もっとスポーティーなんかと思ってた」
「パジャマまでバスケにせぇへんよ」
「何で?」
「何でもええやろ!」
「へへへ」
「笑うな」
二人は並んで布団を敷いた。
二組の布団。
その光景だけで、弥那子は妙に嬉しくなる。
「……ほんまにお泊まり会やな」
「さっきからそればっかりやな」
「だって楽しみやったんやもん」
「そんなに?」
「うん」
弥那子は布団にごろんと寝転がった。
「学校では毎日会ってるけど、こうやって夜に一緒におるんって、なんか新鮮やん」
「まぁ、それはそうやな」
珠美も隣の布団に座った。
部屋の明かりが少し落ちる。
外から聞こえていた車の音も、だんだん少なくなっていく。
「……なんか、ええな」
弥那子が小さく呟いた。
「うん」
しばらく二人とも黙っていた。
少しだけ、いつもと違う時間。
そして。
「なぁ、たまちゃん」
「ん?」
「恋バナしよ」
「やっぱり来たか」
「お泊まり会やから!」
「それ、何回言うん」
「大事なことやから」
「そうなん?」
「そうや!」
弥那子は布団の上でごろりと珠美のほうを向いた。
「たまちゃん、好きな人おる?」
「……」
珠美が黙る。
「お?」
「何?」
「今の間は何や?」
「別に」
「怪しい」
「怪しくない」
「おるん?」
「秘密」
「えーーー!」
弥那子が布団の上で転がる。
「なんでや!」
「なんでって……」
「友達やろ!」
「友達でも秘密くらいあるやろ」
「たまちゃんが秘密作った!」
「作ったんちゃう。もともとあるんや」
「気になるー!」
「みなこは?」
「うち?」
「うん」
弥那子は腕を組んで真剣に考えた。
「……」
「……」
「たまちゃん」
「だから!」
珠美が思わず吹き出す。
「なんでいつもそこ私なん!」
「別にええやん!」
「ええけど即答すんな!」
「だって一番好きな友達やもん」
「……」
今度は珠美が黙った。
「……」
「たまちゃん?」
「……それは」
珠美は少し照れながら笑った。
「私も嬉しいけど」
「ほんま?」
「うん」
「じゃあ、たまちゃんも言って」
「何を?」
「うちのこと好きって」
「……」
「ほら」
「嫌や」
「なんで!」
「恥ずかしい」
「さっきからそればっかりやん!」
「みなこが何回も言わせるからやろ!」
「一回だけ!」
「嫌!」
「お願い!」
「嫌やって!」
「たまちゃーん!」
「知らん!」
「冷たい!」
「あったかい!」
「うわーん!」
「泣き真似すんな!」
二人の声が夜の部屋に響く。
しばらくして。
「……ふふっ」
珠美が笑い出した。
「何笑ってんねん」
「いや、みなこらしいなぁと思って」
「何が?」
「どこにいても、結局いつも通りやなって」
弥那子は少し考えた。
「……たしかに」
「お泊まり会やのに」
「うん」
「全然しっとりせぇへんな」
「うちらにしっとりは無理やろ」
「まぁな」
二人は顔を見合わせる。
そして、同時に笑った。
⸻
「よし!」
弥那子が突然起き上がる。
「今日は夜更かしするで!」
「明日学校やで」
「大丈夫!」
「何が?」
「うち、体力あるから!」
「それ、昨日熱っぽかった人が言うことちゃうやろ」
「三十六・八は平熱や!」
「まだ言うてる」
「夜更かしする!」
「はいはい」
二人は布団に入りながら、またくだらない話を始めた。
学校の話。
クラスの話。
バスケ部の話。
茶道部の話。
今日の男子の話。
この間の雨の話。
話題は次々と変わっていく。
「そういや、こないだの雨なぁ」
「何?」
「傘、もうちょっと大きいの買ったほうがええんちゃう?」
「みなこがもっと傘の中に入ればええだけやろ」
「それでも肩濡れるやん」
「私も濡れてたやん」
「それはたまちゃんが傘をこっちに寄せへんから」
「みなこが押してきたんやろ!」
「そうやったっけ?」
「そうや!」
「覚えてへん」
「都合よすぎるやろ!」
「へへへ」
「ほんまにもう……」
笑い声が、また部屋に響く。
やがて。
「……みなこ?」
「んー?」
「眠くない?」
「全然」
「そう?」
「今日は夜更かしするから」
「そっか」
「うん……」
「……」
「……」
数分後。
「……」
「みなこ?」
「……」
「寝た?」
「……寝てへん」
「目つぶってるけど」
「これは……」
弥那子は目を閉じたまま、小さな声で言う。
「目を休ませてるだけや……」
「寝てるやん」
「寝てへん……」
「はいはい」
珠美は笑った。
そして。
「おやすみ、みなこ」
「……おやすみ、たまちゃん」
その声は、もう半分眠っていた。
⸻
翌朝。
「みなこ、起きて」
「……ん……」
「朝やで」
「……」
「学校行くで」
「……あと五分」
「昨日、夜更かしもしてへんのに」
「……したやん」
「何分?」
「……知らん」
「三十分」
「……」
弥那子がゆっくり目を開ける。
「……うそや」
「ほんま」
「もっと長かったやろ」
「全然」
「時計見せて」
珠美が時計を見せる。
弥那子はしばらく眺めたあと。
「……もうちょっと寝かせて」
「結局それかい」
「うーん……」
「ほら、起きて」
「たまちゃん、起こしてぇ」
「自分で起き」
「お姉ちゃんみたいに」
「誰がお姉ちゃんや」
「たまちゃん」
「私はみなこのお姉ちゃんちゃう」
「じゃあ、お母さん」
「もっとちゃう!」
「じゃあ……」
弥那子は布団の中から顔だけ出した。
「……みにこ係」
「何その係」
「たまちゃん専属」
「逆やろ!」
珠美は笑いながら布団をめくった。
「ほら、起きる!」
「うわー!」
「学校遅れるで!」
「起きる起きる!」
朝からまた、いつもの二人だった。
⸻
朝ご飯を食べ、支度を終える。
玄関を出る。
「いやー」
弥那子が伸びをした。
「楽しかったなぁ」
「そうやな」
「お泊まり会」
「うん」
「また泊まってええ?」
「ええよ」
「やった!」
弥那子が嬉しそうに笑う。
「じゃあ次はもっと夜更かししよな!」
「それは無理やろ」
「なんでや!」
「昨日三十分ももたんかったやん」
「次は本気出す!」
「何の勝負やねん」
「二人で寝落ち競争!」
「なんでそうなるん!」
朝の通学路に、二人の笑い声が響いた。
弥那子は昨日まで、一人で家にいるのが少し寂しいと思っていた。
けれど。
友達の家に泊まって。
一緒にご飯を食べて。
パジャマで喋って。
くだらない話をして。
結局、いつも通り笑って。
それだけだった。
特別なことなんて、何もない。
けれど――。
「なぁ、たまちゃん」
「ん?」
「また泊まりたいわ」
「うん。またおいで」
「……へへ」
その一言が、なんだか嬉しかった。
青い空の下。
二人は今日も並んで歩いていく。
昨日よりまた少し近くなったような気がする距離。
いつもと変わらない、二人の歩幅。
――『みにたま』の夜は、こうして終わった。
そして今日も、なんでもない一日が、始まる。
面白かったら、感想よろしくお願いします!
たくさん感想いただけたら、第2期も書きます!




