第4話「雨の日のみにたま」
朝。
弥那子は、ベッドの中でスマートフォンを確認していた。
「……ん?」
メッセージが一件届いている。
送り主は珠美だった。
『今日は昼から雨やで。傘忘れんように』
「……」
弥那子は画面を見つめた。
そして、ふっと笑う。
「忘れるかいな」
慣れた手つきで返信する。
『了解!』
送信。
「よし」
スマートフォンを鞄にしまう。
パタパタと出かける準備をし、
そして弥那子は家を出た。
――その約十分後。
いつもの待ち合わせ場所。
珠美は一人で立っていた。
腕時計を見る。
七時四十六分。
「そろそろかな」
そう呟いたところで、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「たまちゃーーーん!」
「……」
珠美は顔を上げる。
黒いおかっぱ頭が、こちらへ向かって猛烈な勢いで走ってくる。
「おはよー!」
「おはよう、みなこ」
弥那子は珠美の前で急停止した。
「間に合った?」
「うん」
「よっしゃ!」
「……」
珠美は弥那子をじっと見る。
「なに?」
「いや」
「なんや?」
「……おはよう、案の定さん」
「なんや案の定て?」
弥那子が怪訝そうな顔をする。
「今朝、何のメッセージ送ったか覚えてる?」
「え?」
「今朝の」
「メッセージ?」
「私が送ったやつ」
「ああ、あれな」
弥那子は頷いた。
「『今日は昼から雨やで。傘忘れんように』やろ?」
「うん」
「ちゃんと読んだで」
「うん」
「返信もした」
「うん」
「『了解!』って」
「うん」
「……」
「……」
二人の間に、微妙な沈黙が流れた。
珠美は弥那子の顔を見る。
弥那子も珠美の顔を見る。
そして珠美は、静かに弥那子の全身を見た。
「……傘は?」
「……」
弥那子の目が泳いだ。
「…………あ」
「『あ』やない」
「……」
「忘れたん?」
「……」
「みなこ」
「……うん」
「朝わざわざメッセージしたったのに」
「……」
「『傘忘れんように』って」
「……はい」
「しかも『了解!』って返事してきたよな?」
「……しました」
「それで忘れるん?」
「……」
弥那子はしばらく黙ったあと。
「取ってくるわ!」
「待ち!」
「なんや!」
「今から家まで戻ってたら遅刻するで」
「……」
弥那子は腕時計を見る。
七時五十三分。
「……」
「な?」
「……しゃーない」
弥那子は腕を組んだ。
「こうなったら――」
そして、空を見上げる。
「うちの晴れ女パワーで乗り切る!」
「いや、無理やろ……」
「まだ降ってへんやん!」
「昼からやで雨」
「昼までに帰る!」
「学校行って、授業受けて、昼休み挟んで、放課後までおるんやで」
「……」
「どう考えても無理やろ」
「……晴れ女パワーを信じて」
「私は天気予報を信じるわ」
「薄情やなぁ」
「誰のせいや」
「……うちです」
「分かってるやん」
二人は歩き出した。
その直後。
「……あ」
「今度は何?」
「たまちゃん」
「ん?」
「今日、傘貸して」
「嫌や」
「即答やん!」
「自分が忘れたんやろ」
「そうやけど!」
「自業自得や」
「友達やろ!」
「友達やから朝、わざわざ教えたんやん」
「……」
「これ以上何をしてほしいん?」
「……一緒に濡れてほしい」
「なんでやねん」
「一人だけ濡れるの寂しいやん」
「知らんがな」
弥那子は笑った。
「たまちゃん冷たいわぁ」
「みなこが忘れっぽいだけや」
「うち、忘れっぽくないで」
「じゃあ何で傘ないん?」
「……」
「ほら」
「今日はたまたまや」
「昨日は?」
「昨日は……」
「一昨日は?」
「……」
「三日前は?」
「なんで過去まで掘るん!」
「実績があるからや」
「うちの信用、雨雲より薄いやん!」
「自分で言うな」
二人は笑いながら学校へ向かった。
⸻
昼休み。
弥那子は教室の窓から外を眺めていた。
空はまだ明るい。
雲は増えているものの、雨は降っていない。
「……」
弥那子は拳を握った。
「よし!」
ガッツポーズ。
「まだ降ってない!」
珠美は弁当を食べながら、ちらりと窓を見る。
「まだなんとかな」
「ほら、たまちゃん!」
「何が?」
「うちの晴れ女パワー!」
「まだ何も起きてへんやん」
「降ってないという奇跡が起きてる!」
「普通や」
「このままいける!」
「あと三時間あるで」
「いける!」
「天気予報でも、もうすぐ降り出す言うてるし」
スマホの天気予報を見ながら言う珠美。
「いける!」
「なんやねん、その自信……」
珠美は呆れたように笑った。
「そんなに言うなら、帰りまで晴れさせてみ」
「任せとき!」
弥那子は胸を叩いた。
「今日の京都の天気は、うちが支配する!」
「そこまで言う?」
「晴れ!」
「……」
「晴れ!」
「……」
「晴れぇ!」
「うるさい」
「なんでや!」
「教室で天気を念じるな」
「念じたら晴れるかもしれへんやん」
「そんなわけないやろ」
「夢がないなぁ、たまちゃんは」
「現実と天気予報を見てるだけや」
弥那子は再び窓の外を見る。
「でも、まだ降ってないで」
「もうけっこう曇ってるけどな」
「これはいける」
「はいはい」
「帰る頃には、雲ひとつない青空や」
「はいはい」
「そして太陽が――」
「はいはい」
「なんで全部『はいはい』なん!」
「みなこが楽しそうやから」
「……」
弥那子は少しだけ笑った。
「……たまちゃん、そういうとこ好きやわ」
「急に何?」
「なんとなく」
「そう」
「うん」
「ほら、弁当食べ」
「はーい」
弥那子は笑いながら弁当箱に向き直った。
窓の外では、雲が少しずつ厚くなっていた。
⸻
そして放課後。
二人が昇降口まで来たところで。
「……」
「……」
外から聞こえてくるのは、激しい雨音だった。
窓ガラスを叩く雨。
校庭はすっかり水浸し。
空は真っ黒。
さっきまでの晴れ女パワーは、跡形もなく消え去っていた。
弥那子は昇降口の外を見つめた。
「……」
珠美も隣に立っている。
「ほれ見てみぃ」
「……」
「晴れ女パワーは?」
「……」
「どこ行ったん?」
「……今、充電中」
「便利な能力やな」
「あと十分!」
「何が?」
「あと十分で雨、上がる!」
「上がらんて」
「いや、上がる!」
「天気予報見てみ」
「見ん!」
「現実逃避やん」
「あと十分!」
「無理やって」
「あと十分!」
「はいはい」
珠美はため息をついた。
しかし弥那子は一歩も動かない。
「……」
「……」
雨はますます強くなる。
五分経過。
「……」
さらに三分。
「……」
雨は一向に弱まらない。
珠美が時計を見る。
「みなこ」
「あと二分」
「何のカウントダウン?」
「晴れるまで」
「もうええやろ」
「あと一分」
「はいはい」
「……」
「……」
さらに一分。
雨は――
全然変わらない。
「……」
「……」
弥那子は静かに空を見た。
「……上がらんな」
「上がらんやろ」
「……」
「帰ろか」
「……」
珠美が傘を開いた。
「ほな、私は帰るで」
「待ってーな、たまちゃん!」
「何?」
「一緒に帰ろ!」
「傘ないやろ」
「そこをなんとか!」
「朝せっかく言うたったのに忘れたあんたがアホなんやろ」
「アホ言うな!」
「アホや」
「うちはアホちゃう!」
「じゃあ何で傘ないん?」
「……」
「はい」
「……うち、ちょっと抜けてるだけ」
「それをアホって言うんや」
「ひどい!」
「はいはい」
「最終手段がある!」
「何?」
弥那子は周囲を見渡した。
「その辺の傘を借り――」
「やめなさい」
珠美が即座に遮った。
「まだ最後まで言うてへん!」
「言わんでも分かる」
「なんで分かるん!」
「みなこやから」
「……」
弥那子は一瞬黙った。
「……さすがたまちゃん」
「褒めるところちゃうで」
「じゃあ最終奥義!」
「まだあるん?」
「ある!」
「なんやの、最終奥義て」
弥那子は、にやっと笑った。
「雨の日の究極イベントや!」
「……」
珠美の表情が変わる。
「嫌な予感しかせーへんな」
「なんで目ぇ逸らすん!」
「知らん」
「こっち見て」
「嫌や」
「たまちゃん!」
「何?」
「相合傘や!」
「……」
「……」
珠美は黙って弥那子を見る。
「誰と?」
「誰とって……」
弥那子は自分を指差した。
「うちと」
「そうなん?」
「そうや!」
「へぇ」
「へぇやない!」
「誰が相合傘するん?」
「うちら!」
「うちら?」
「うちらや!」
「そうなんや」
「なんで初めて聞いたみたいな顔するん!」
「いや、誰のことか分からへんかったから」
「絶対分かってたやろ!」
「さあ?」
「薄情な!」
弥那子は両手を広げた。
「うちらの仲やんか!」
「……」
「今まで一緒に学校行って!」
「うん」
「一緒にお弁当食べて!」
「うん」
「一緒に笑って!」
「うん」
「一緒に茶道部見学して!」
「それはみなこの部活や」
「とにかく!」
弥那子は胸を張った。
「親友やろ!」
「……」
「な?」
珠美はため息をついた。
「はいはい」
「……!」
「朝から分かってた」
「何が?」
「こうなることは」
「さすがたまちゃん!」
弥那子の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ入れて!」
「はいはい」
「やったー!」
弥那子は珠美の傘に飛び込んだ。
「ちょ、急に入ってこんといて!」
「濡れるやん!」
「濡れても自業自得やろ!」
「友達を見捨てるん?」
「見捨ててへんやん」
「ほんならもっとこっち!」
「狭い!」
「うち肩濡れてる!」
「私だっていっぱいいっぱいなんよ!」
「もうちょっと傘こっちにして!」
「無理やって!」
「えー!」
「入れてもろといて、あつかましいな!」
「だってー!」
「みなこ!」
「たまちゃん!」
「傘引っ張るな!」
「そっちが持っていくからや!」
「持っていってへん!」
「ほら、こっち!」
「だから無理やって!」
「肩濡れる!」
「私の肩も濡れてる!」
「たまちゃん背ぇ高いやん!」
「それ関係ある?」
「ある!」
「ない!」
「ある!」
「ない!」
二人は傘の柄を握りながら、互いに自分の側へ傘を寄せようとする。
右へ。
左へ。
また右へ。
そして――。
「ちょっと!」
「なに!」
「頭まで濡れる!」
「うちもや!」
「傘動かしすぎや!」
「たまちゃんが動かすからや!」
「みなこが動かすんやろ!」
「うちちゃう!」
「私ちゃう!」
いつの間にか、二人とも肩どころか頭まで濡れていた。
それでも、まだ傘を引っ張り合っている。
「もっとこっち!」
「無理!」
「ちょっとだけ!」
「もう十分やろ!」
「冷たい!」
「雨やからな!」
「そういうことちゃう!」
「分かってる!」
「じゃあ寄せて!」
「寄せたら私が濡れる!」
「うちも濡れてる!」
「知らん!」
「ひどい!」
「自分が傘忘れたんやろ!」
「……!」
「……!」
一瞬、二人の動きが止まる。
「……それ言う?」
「言うやろ」
「……」
「……」
弥那子は少しだけ口を尖らせた。
「……ごめん」
「……」
「朝、言うてくれたのに」
「……」
「忘れた」
「せやな」
「……ほんまごめん」
「もうええよ」
「……」
珠美は傘を少しだけ弥那子の方へ寄せた。
「ほら」
「……」
「これでええ?」
弥那子は珠美を見る。
「……うん」
「じゃあ行こ」
「うん」
二人は歩き出した。
その瞬間だった。
――バシャァァッ!
「……」
「……」
通り過ぎた車が、水たまりを盛大に跳ね上げた。
二人の制服に、頭から足元まで水しぶきがかかる。
「…………」
「…………」
二人は完全に停止した。
雨音だけが響いている。
弥那子が、ゆっくりと珠美を見る。
珠美も、ゆっくりと弥那子を見る。
そして。
「……帰ろか」
「……うん」
珠美は傘を閉じた。
「ええん?」
「もうええ」
「傘、意味なくなったな」
「うん」
「びしょびしょやな」
「うん」
「制服、重いな」
「うん」
「靴も……」
「うん」
「……」
「……」
「たまちゃん」
「ん?」
「……今日、楽しかったな」
「……」
珠美は少しだけ笑った。
「そうやな」
二人は並んで歩いていく。
傘も差さず。
制服もびしょ濡れ。
髪から雨水を滴らせながら。
さっきまでの言い合いが嘘みたいに、静かに並んで。
けれど、しばらくすると――。
「なあ、たまちゃん」
「何?」
「次からは傘忘れへんからな」
「ほんま?」
「ほんま」
「信用してええん?」
「……たぶん」
「やっぱり信用できへんな」
「なんでや!」
雨の中に、二人の笑い声が響いた。
雨足は、さらに強くなってきていた。
面白かったら、感想よろしくお願いします!
たくさん感想いただけたら、第2期も書きます!




