第3話「茶道部のわけ」
朝の京都は、今日もよく晴れていた。
住宅街の細い道を抜け、二人がいつも待ち合わせをする小さな交差点。
珠美は、いつものようにその場所で待っていた。
腕時計を見る。
七時四十八分。
「……あと二分か」
そう呟いたところで、遠くから何かが走ってくるのが見えた。
制服姿の女子高生。
黒いおかっぱ頭を揺らしながら、こちらへ向かってくる。
「たまちゃーーーん!」
「……やっぱり」
珠美は小さく笑った。
弥那子だった。
「たまちゃん、おはよー!」
「おはよう、みなこ」
「間に合った?」
「2分前、間に合ってるんちゃう?」
「よっしゃ!」
弥那子は胸を張った。
しかし、肩は上下している。
「……息、切れてるやん」
「ちょっとだけや」
「ちょっとだけって、肩めちゃくちゃ上下してるで」
「これは……朝の運動や」
「遅刻しそうになって走ってきただけやろ」
「ちゃう。健康のための朝の運動や」
「そういうことにしとこか」
珠美は笑いながら、弥那子の顔を見る。
前髪は少し乱れ、制服のリボンも微妙に曲がっている。
いつもの元気な弥那子ではあるが、今朝は特に元気だった。
「……しかし」
「ん?」
「茶道部らしからぬ様相やな」
「なんでやねん!」
弥那子が即座にツッコむ。
「朝から走ってきて、髪ぼさぼさで、リボン曲がってるし」
「通学に茶道部は関係ないやん!」
「まあ、それはそうやけど」
「茶道部員は毎朝、扇子持ってしずしず歩かなあかんの?」
「いや、そういう意味ちゃうって」
「ほんならええやん」
弥那子は乱れた前髪を手で整える。
その横で珠美は、ふと思った。
「そう言えばさ」
「ん?」
「みなこって、なんで茶道部に入ったん?」
「……」
弥那子の手が止まった。
「なんでって?」
「いや、だって」
珠美は弥那子を見る。
「こんなガサツ……」
「今なんて?」
「……元気いっぱいやのに」
「今、絶対『ガサツ』って言いかけたやろ」
「言いかけただけや」
「ほぼ言うてるやん!」
「いや、違うねん。言葉の選び方をちょっと間違えただけで」
「それを世間では失言と言うんやで」
「みなこ、朝から元気やなぁ」
「誰のせいや!」
弥那子が珠美の肩を軽く叩く。
「だいたい、うちのどこがガサツやねん」
「いっぱいあるやろ」
「例えば?」
「今もリボン曲がってるし」
「これは急いでたからや!」
「昨日も教科書を机に置くとき、ドンッて置いてたし」
「あれは机がそこにあったからや!」
「机があったらドンッて置くん?」
「……」
「ほら」
「……それはちょっと違う気がする」
「あと、昨日お弁当食べ終わったあと――」
「もうええ!」
弥那子は両手を上げた。
「うちのガサツエピソード発表会ちゃうねん!」
「ごめんごめん」
珠美は笑った。
弥那子は少しむくれながら歩き始める。
「……まあ、ええけどな」
弥那子は苦笑いした。
「むしろ、そうやから茶道部やねん」
「……え?」
珠美が首を傾げる。
「どういうこと?」
「そのまんまや」
「ますます分からへん」
弥那子は得意そうに笑った。
「つまりな――」
そして、少しだけ昔を思い出すように目を細めた。
「うちが茶道部に入ったんは、うちがガサツやったからやねん」
「……???」
珠美の頭の上に、本当に疑問符が浮かびそうだった。
⸻
弥那子が茶道部に入ったのは、高校に入学した春のことだった。
入学式から数日が経ったある日の夕方。
家のリビングで、弥那子はソファに寝転びながら、学校からもらってきた部活動案内の冊子を眺めていた。
「うーん……」
ページをめくる。
「バスケ……」
まためくる。
「バレー……」
まためくる。
「吹奏楽……」
さらにめくる。
「茶道……」
弥那子はそこで手を止めた。
「茶道かぁ」
そのとき、台所から母親の声がした。
「みなこ、部活決めたん?」
「まだー」
「何か入りたいのないの?」
「うーん……」
弥那子は冊子を眺めながら答えた。
「なんか、こう……うちに向いてる部活が分からへん」
「そう?」
「うん」
「みなこ、元気やし、運動部とかええんちゃう?」
「運動は嫌いやないけど、毎日走るのは嫌や」
「じゃあ文化部?」
「文化部って、静かにせなあかんイメージあるやん」
「それは偏見やろ」
母親は笑った。
そして、少し考えてから言った。
「ほな、茶道部か書道部にでも入って、少しは落ち着いたら?」
「なんでやねん!」
弥那子がソファから飛び起きた。
「うち、そんな落ち着きない?」
「ないやろ」
「ある!」
「朝から起きたと思ったら、家の中走ってるやん」
「急いでただけやん!」
「昨日も靴下片方だけ履いたまま学校行こうとしてたし」
「それは……」
弥那子は一瞬黙った。
「……靴下はあとから履けばええかなって」
「そういうところや」
「どこが悪いん?」
「全部や」
「ひど!」
母親は笑いながら食器を片付ける。
「まあ、茶道でも書道でも、少し静かになるかもしれへんやろ」
「うち、そんなにうるさい?」
「……」
「なんで黙るん!」
「自分で考えてみ」
「……」
弥那子は腕を組んだ。
「……まあ、ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ?」
「ほんのちょっと」
「うん?」
「……ほんのちょっとやで?」
「そういうことにしとこ」
「絶対納得してへんやろ!」
そんな会話をしながら、弥那子は部活動案内をもう一度見た。
茶道部。
書道部。
「……」
そして、弥那子は考えた。
「茶道部……」
「うん?」
「書道部……」
「うん」
「……」
しばらく黙ったあと。
弥那子は顔を上げた。
「茶道部にする」
「なんで?」
「お茶飲めるやろ?」
「……」
「あと、お菓子食べられるやろ?」
「……そこ?」
「そこや」
弥那子は満面の笑みを浮かべた。
「書道部より茶道部やろ!」
「理由が高校生としてどうなんやろな……」
「めっちゃ大事な理由やん」
「まあ……本人がええならええけど」
「よっしゃ!」
弥那子は両手を上げた。
「明日から茶道部や!」
「少しは落ち着いてな」
「任しとき!」
「その言い方がもう不安やわ」
「うち、茶道部で生まれ変わるから!」
「ほんまに?」
「おしとやかな女子高生になる!」
「……」
「なんでそんな顔するん?」
「いや……」
母親は少し笑った。
「三日くらいは続くかなと思って」
「三日て!」
リビングに弥那子の声が響いた。
⸻
「……というわけや」
回想を終えた弥那子が、得意そうに胸を張った。
珠美はしばらく黙っていた。
「……なるほど」
「分かった?」
「よーー分かったわ」
「何が?」
「みなこが茶道部に入った理由」
「?」
「……やっぱり、お菓子やったんやな」
「そこが一番大事や」
「正解かいな…」
珠美は呆れたように笑った。
けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
「でも、なんか安心したわ」
「何が?」
「みなこらしくて」
「……」
弥那子は少しだけ目を丸くした。
「なんやそれ」
「だって、茶道部に入ったって聞いたとき、もっと『日本文化に興味があります』とか、そういう理由かと思ってた」
「うちが?」
「うん」
「似合わへんやろ」
「……まあ、ちょっとだけ」
「ちょっとだけなんや」
「いや、かなり」
珠美は笑った。
「お茶とお菓子が理由って聞いたら、なんか納得した」
「なんやそれ」
「みなこらしいってこと」
「……」
弥那子も笑った。
「まあ、茶道部入ってから、お茶もお菓子も好きになったしな」
「そこはちゃんと成果出てるんや」
「あと、ちょっとだけおしとやかにもなった」
「どのへんが?」
「このへんとか…」
左手を頬に沿える弥那子。
「……昨日、茶室で『うわ、このお菓子めっちゃ美味しい!』って言ってたやん」
「……」
「しかも正座したまま両手上げてた」
「……それは」
弥那子は前を向いた。
「今日のうちとは別人や」
「本人やろ」
「知らん人や」
「みなこやったで」
「……」
「めっちゃみなこやった」
「もうええわ!」
二人の笑い声が、朝の通学路に響いた。
⸻
昼休み。
「なあ、たまちゃん」
「ん?」
「今日は教室以外でお弁当食べへん?」
「珍しいな」
「たまにはええやん」
「どこ行く?」
「中庭!」
弥那子が即答した。
「ええな」
二人は弁当を持って、中庭の隅にあるベンチへ向かった。
そこは校舎から少し離れていて、昼休みでもあまり人が来ない。
大きな木が一本立っていて、その枝葉の隙間から、青空が見える。
「ここ、ええやろ?」
「うん。静かやし」
「今日はここを、みにたま専用食堂とする!」
「勝手に名前つけんといて」
「なんでや」
「恥ずかしいやろ」
「誰もおらへんし」
「私がおる」
「たまちゃんは身内や」
「誰が身内や」
そう言いながら、珠美も笑っていた。
二人はベンチに腰掛ける。
「いただきます」
「いただきます」
弁当の包みを開く。
そして――。
「あ」
弥那子の動きが止まった。
「どうしたん?」
「……」
「みなこ?」
「……箸がない」
「え?」
「箸がない!」
弥那子が弁当箱を覗き込む。
「え、待って。なんで?」
「入れ忘れたん?」
「昨日、ちゃんと洗って……」
「それ、洗って終わったんちゃう?」
「……」
「入れ忘れたんやな」
「……うん」
弥那子は弁当箱の前で固まった。
「どうしよう」
「私のん貸したげる」
「ほんま?」
弥那子が顔を上げる。
珠美は鞄から何かを取り出した。
「はい」
「……」
弥那子はそれを見た。
「……なんでスプーンやねん!」
「いや、食べられるやろ」
「食べられるけど!」
「箸がないんやから仕方ないやん」
「お弁当やで?」
「知らんがな」
「スプーンで白ご飯食べるん?」
「食べたらええやん」
「いやいやいや!」
「いらんのやったら手で食べ」
「スプーン貸してください」
「素直やな」
「お願いします」
弥那子はスプーンを受け取った。
「……」
そして弁当箱の中身をすくう。
「……なんか変な感じする」
「そらそうやろ」
「スプーンでお弁当って……」
弥那子は一口食べた。
「……幼稚園以来やわ」
「そんな昔?」
「うん」
珠美は弥那子を見る。
スプーンを持って、ちょこんと座っている。
「……」
そして、ふと思いついたように。
「今日のみなこは、五歳児やな」
「え?」
珠美は弥那子の頭に手を乗せた。
「よしよし」
「……」
ぽん、ぽん。
やさしく頭を撫でる。
「ちょ、たまちゃん……」
「どうした、五歳児」
「うち、五歳児ちゃうし」
「スプーンでお弁当食べてるやん」
「それは箸を忘れただけや!」
「はいはい」
また、ぽんぽん。
弥那子は何か言おうとした。
けれど――。
やめた。
スプーンを口に咥えたまま、じっとしている。
頭を撫でられている。
「……」
なんやろ。
ちょっと恥ずかしい。
でも。
嫌ではない。
むしろ――。
(……たまちゃんに撫でてもらえるんやったら、五歳児も悪ないか)
そんなことを思ってしまった。
「……」
「みなこ?」
「ん?」
「なんで黙ってるん?」
「別に」
弥那子はスプーンを咥えたまま、少しだけ笑った。
「……おいしい?」
「うん」
「そっか」
珠美も笑う。
木の葉が風に揺れた。
葉っぱの隙間から差し込んだ光が、二人の制服の上でちらちらと揺れている。
空はどこまでも青かった。
「なあ、たまちゃん」
「ん?」
「明日は箸、忘れへんからな」
「うん」
「……たぶん」
「たぶんなんや」
「忘れたらまたスプーン貸してな」
「ええけど」
「ほんま?」
「うん」
「……」
弥那子は少しだけ嬉しそうに笑った。
「ほな、忘れてもええか」
「それはあかんやろ」
「なんでや!」
二人の笑い声が、中庭に響く。
青空と木漏れ日。
そして、少しの照れ臭さ。
そんなものが混じった、なんでもない昼休みだった。
面白かったら、感想よろしくお願いします!
たくさん感想いただけたら、第2期も書きます!




