第10話「平凡に出会う」
神楽岡弥那子は、窓際の席で頬杖をつきながら、窓の外を眺めていた。
桜は、もうほとんど散っている。
入学して、一週間。
新しいクラスにも、少しずつ慣れてきた。
……と言っても。
「……」
弥那子は、まだクラスの誰ともまともに話していなかった。
別に、大人しい性格というわけではない。
むしろ家ではうるさいくらいだ。
ただ、自分から誰かに話しかけるのが、少し苦手だった。
教室のあちこちからは、すでに仲良くなった生徒たちの話し声が聞こえてくる。
「昨日のテレビ見た?」
「部活どうする?」
「一緒に帰ろーや」
楽しそうな声。
弥那子は、それを特に気にするでもなく、ぼんやりと外を眺めていた。
「うちとノリが合う子なんて、なかなかおらんやろしな……」
グラウンドでは運動部が走っている。
校門の近くでは、部活動の勧誘も始まっていた。
「部活なぁ……」
何かやりたいものがあるわけでもない。
入りたい部活も、まだ決まっていない。
「帰宅部ってのもなぁ……」
せっかくの高校生活。
「花の女子高生が、毎日まっすぐ家帰るんもなぁ……」
とはいえ、何がしたいかはよく分からない。
そんなことを考えていたときだった。
隣から視線を感じた。
さっきから、ちらちらと見られている。
気づいてはいた。
でも、気にしないふりをしていた。
しかし。
「……なぁ」
ついに弥那子が口を開いた。
「さっきからずっとうちのこと見とるみたいやけど、なに?」
視線は窓の外に向けたまま。
少し無愛想な言い方だった。
「あ、ごめんごめん。気づいてた?」
「そんだけ見られたら気づくわ」
「あはは。そうやんな。ごめんな」
そう言って頭をかきながら笑ったのは、隣の席の女子、白川珠美だった。
「神楽岡さん、いつも一人で外見てるなー、思てな」
「……それがなにか?」
「いや、別に。なんでもないけど」
珠美はそう言いながら、椅子から立ち上がった。
そして、弥那子の前の席まで行くと、椅子をくるりと反対向きにする。
「よいしょ」
そのまま、弥那子のほうを向いて座った。
そこで初めて、弥那子は珠美の顔をまともに見た。
笑顔だった。
弥那子は無表情。
二人は、数秒ほど見つめ合った。
「……」
「……」
先に目を逸らしたのは弥那子だった。
再び窓の外を見る。
「神楽岡さん、中学のときの知り合いとか、おらんの?」
「おるけど」
「仲良かった子?」
「……別に」
「そうなんや」
「あんたは?」
「わたしも、あんまり知ってる子おらんくて」
「……そうなん」
また沈黙。
弥那子は、そろそろこの会話終わるかな、と思った。
そのとき。
「なぁ、神楽岡さん」
「ん?」
「かわいいな」
「…………は?」
弥那子が勢いよく振り向いた。
「な、何言うとるん、急に!」
「あ、ごめんごめん」
珠美は笑った。
「同じクラスになったときから思っててん。かわいい子おるなーって」
「な、な、なんやねん、それ!」
「ほんまやって」
「別にかわいないし!」
「そんなことないて」
「……」
弥那子は、改めて珠美を見る。
「…………」
そして思った。
――いや。
なんや。
自分より、この子のほうがかわいいやん。
しかも。
――背ぇ、高っ。
――なんやこの人。
――かわいくて、スタイルまでええんかいな。
弥那子が密かにツッコんでいると、珠美が立ち上がった。
「なぁ、今日一緒に帰らへん?」
「え?」
「家どこなん?」
「……吉田山のほう」
「なんや、偶然やな。わたしもそっち方面」
「……ほんま?」
「ほんまほんま。ほな、一緒に帰ろ」
「……まぁ、ええけど」
なぜか少し照れくさい。
そんな自分が、弥那子はちょっと不思議だった。
*
放課後。
「神楽岡さん、帰ろ」
「うん」
珠美に声をかけられ、弥那子は席を立った。
教室を出ようとした、そのとき。
「なぁ」
「ん?」
「わたしの名前、分かる?」
振り返って弥那子の顔を覗き込む珠美。
「…………」
弥那子の足が止まった。
入学二日目。
クラスで自己紹介があった。
もちろん、珠美も名前を言っていた。
……が。
弥那子がまともに聞いていたかというと。
「……」
「……」
沈黙。
珠美が、ふふっと笑った。
「やっぱな」
「……」
「わたし、白川珠美」
「……白川さん」
「中学のときは、白玉って呼ばれてた」
「……白川さん」
「そこ繰り返すん?」
「いや……名前、覚えてなくてごめん」
「そんなん、別にええって」
珠美は笑った。
「わたしもまだ覚えてない人、ようさんおるし
「そうなん?」
「うん。でも…」
珠美が、にこっと笑う。
「神楽岡さんのことは、すぐ覚えたで」
「……」
弥那子は、また少し照れた。
なんや、この子。
かわいいやん。
……いや。
かわいすぎるやろ。
そんなことを考えながら、二人は学校を出た。
並んで歩いてみて、改めて思う。
――身長差、えらいことなっとるな。
隣を見る。
珠美は普通に歩いている。
その横で、弥那子は少しだけ見上げる。
「……」
なんか悔しい。
「どうしたん、神楽岡さん?」
「なんでもない」
「そう?」
「なんでもない」
そんな二人でのはじめての帰り道だった。
* * *
「なぁ、みなこ」
「ん?」
「帰りコンビニ寄らん?」
「ええで。何買うん?」
「新しいアイス出たんやって。食べてみよ」
「ええやん。何味?」
「なんやったけな」
「なんでやねん!」
弥那子は笑った。
「知らんと食べたいんかい!」
「まぁ、新しいやつはおさえとかんと!」
「そこだけ妙に詳しいな!」
二人は笑いながら歩いている。
いつもの道。
いつもの会話。
いつもの二人。
……でも。
ふと、弥那子は思い出していた。
一年前のあの日の帰り道のことを。
何を話したのか。
どこに寄ったのか。
どんな話で笑ったのか。
もう、ほとんど覚えていない。
本当に、何でもない帰り道だった。
ただ、今になって思う。
あの日。
珠美が声をかけてくれて、本当によかった。
もし、あの日。
珠美が話しかけてくれなかったら。
自分は、今でも窓際の席で一人で外を眺めていたのかもしれない。
「みなこ?」
「……ん?」
「ぼーっとしてるで」
「ああ、ごめん」
「どうしたん?」
「なんでもない」
「またそれ?」
「なんでもないって」
弥那子は笑った。
そして心の中で、ひとつだけ思う。
――あのとき声かけてくれて、ほんまにありがとう。
でも。
これは絶対に本人には言わない。
なんとなく恥ずかしいから。
「ほな、アイス買いに行こ!」
「うん!」
二人は並んで歩いていく。
青い空の下。
いつもの帰り道を。
何でもない出会いから始まった二人の毎日は――
今日も、何でもないように続いている。
――そして、たぶん。
そういう何でもないことが、一番大切だったりするのだ。
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