16 最終話〜愛しいあなたの元へ、私はもう幸せです〜
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エメルディ公爵家。アリッサの部屋。
明日は、ブルーノ様の元へ嫁ぐ日。
公爵家の馬車置き場には、たくさんの馬車が止まっている。
その中には、私の婚礼品が詰め込まれている。
公爵様とは、夜の庭園でダンスをしてから、一度もお会いできていない。
フォリーやミレーヌさんに頼んでみても、お忙しくて王城泊まりが続いていると言われるばかり。
そして婚礼道具は邸の中にどんどんと増え、昨日から積み込みが始まった。
そんなにいただけないと何回言っても誰も聞いてくれない。
パステーラ侯爵家のお祖母様は、私の嫁入りの指揮のために公爵家にしばらく滞在していて、嬉々として侍女たちと準備をしている。
一人取り残された私は、お部屋で刺繍をしている。
手巾に公爵家の紋章を刺繍していたのに、プリシラの騒ぎで、どこかにいってしまった。
どんなに探しても見つからない。
あれだけ細かく緻密な刺繍をする時間はもうないから、お花を刺繍する事にした。
償いは終わった、なんて。
償いにもお礼にもなってないのよ。
初めて公爵様にお会いした日、償いが楽しみだっておっしゃっていたのに。
なのにダンスだけ?
理由を聞きたかったけれど、お会いすらできない。
お祖母様にご相談してみたけれど、幼馴染と婚姻するのだからいいじゃない、って。
なんか突き放されたみたい。
私の被害妄想かしら。
あのダンスをした夜、庭園で、真紅の薔薇の間に真っ白なマーガレットが揺れていた。
真紅の薔薇の花言葉は、不変の究極の愛。
その隙間のマーガレットを、青緑色の手巾に刺そうと思って。
「アリッサ、お茶にしましょう」
扉を軽く叩き、お祖母様が入ってらした。
そしてお祖母様が突然、笑い出された。
「あらまあ、ふふふっ、アリッサったら、ほほほほ」
「何かおかしいでしょうか、お祖母様」
「おかしくはないけれど、ふふっ、すごい大作なのね」
「え?」
お祖母様の視線の先は、私の手元。
ええーーーーーーーっ!
やってしまった。
「ずいぶん静かにしていると思ったら、ふふっ」
私の手元の刺繍が。
手巾全面に、マーガレットがぎっしりと咲いていた。
どうしよう。やり直す時間がない。
もう泣きそう。公爵様にせっかくお渡ししようと思ったのに。
「公爵様へのお礼でしょう」
「……」
「ブルーノ様には、サフィエルの紋章を刺していたでしょう?なら、それはお礼ね。そのままお渡しなさい。随分とご迷惑をおかけしたのだから」
「許してくださるかしら」
「アリッサがつくったものなら何でも大丈夫よ」
「そんなわけには」
「公爵様はお心が広い方。普通は一輪だけ刺すものだけど、お礼の気持ちがたくさん、ということでよろしいんじゃないかしら。ねえ、ミレーヌもフォリーもどうかしら」
「もちろんです。パステーラのお祖母様の仰る通りです」
「素敵です、アリッサ様のお心がこもっておりますよ」
皆、そんな生暖かい視線で笑いすぎよ。
「アリッサ、刺繍はそのくらいにして、明日のために、全身に磨きをかけましょう。ミレーヌ、あとは任せましたよ。さあ、アリッサ、お道具をおしまいなさい」
そこからは、王家御用達の美容の専門の方々が来て、私はもみくちゃにされ、お伽話のお姫様のように髪もお肌もつやつやになっていく。
その夜も公爵様にはお会いできなかった。
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夜遅く、公爵邸サロンにて。
「閣下、本当によろしいのですか」
「祖母殿、もう決めた事です」
「わかりました、ではこれをお納めくださいませ。孫が刺したものです。前に刺していた手巾が、あの噛みつき女の騒ぎから消えてしまったらしく、あまり時間がないので、こうなったそうですわ」
祖母殿から、手渡された手巾は、私の瞳の色だった。
色付きの手巾への刺繍は珍しい。
そして広げて絶句した。
「つけた家庭教師が悪かったのかしら。マーガレットの花言葉を忘れてはいないと思うのですけれど。おほほほ」
そう言って祖母殿はサロンを辞した。
私の瞳色の手巾に、ところ狭しとマーガレットの花が刺繍されている。
あの夜、あの庭園に誘ったのは、私の気持ちでもあった。
真紅の薔薇は、不変の究極の愛。
マーガレットの花言葉は『心に秘めた愛』。
アリッサ、あなたは私を悶死させる気か。
人が断ち切ろうとしているのに。
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公爵邸、アリッサの自室
婚姻の日。
純白のドレスに身を包む。
真っ白な長い手袋をフォリーがはめてくれる。
そしてお祖母様が、ミレーヌさんに声をかける。
ミレーヌさんが、何かがのっている銀盆を差し出した。
「古くからある貴族の言い伝えよ。古いものを一つ身につけていくの。幸せが続くよう思いを込めて。好きなものをお選びなさい」
「お母様もお祖母様も、身につけられたのですか」
「ええ、もちろん。古いものを集めたのよ」
私は、その銀の盆が目の前に来た時から惹かれていたリボンを手にした。
少し色褪せている。青色のような細いリボン。
ミレーヌさんとフォリーが破顔する。
「きっとお幸せになられます」
お祖母様が、その色褪せた細いリボンを手首に結んでくださった。
「アリッサ、パステーラ侯爵家の縁を継ぎ、ベルモント伯爵家の縁を継ぐ者よ。あなたの幸せが領民の幸せ。自身の心を信じて踏み出しなさい。あなたの道はあなたが決めるのよ」
私は立ち上がり、お祖母様に深くカーテシーをする。
「お祖母様、ここまで導いてくださりありがとうございました」
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お部屋の前には、公爵様が正装で立ってらした。
失神するのではないかと思うほど、凛々しいお姿だった。
公爵様と目が合う。
漆黒の髪、引き込まれそうな青みがかった緑の瞳。
何か言わなくては。でも声がでない。
「この世の全ての美と叡智を集めたような美しい花嫁だ。パステーラ侯爵家より、馬車までのエスコートを賜った。お手を」
公爵様が差し出した手に、手をのせた。
瞬間、公爵様が、え?
驚愕の顔で私を見てらっしゃる。
何かした?
「公爵閣下、よろしくお願いします」
お祖母様の声で、皆が動き出す。
公爵様に手を取られて、階段を降りエントランスを目指す。
ここに来た時を思い出す。
お母様が亡くなって半年後にプリシラが来て。
そのあとお父様は一年もしないうちに亡くなってしまった。
その後、王家からの縁談の書状を見つけたプリシラが、ここに押しかけて、私は、すぐに呼び出された。
あれから、もうすぐ一年になるのね。
それが、もう遠い昔のように感じる。
公爵家での日々。
色々な事があって、私はこんなに元気になることができた。
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公爵邸エントランス。
春の日差しに恵まれ、真っ青な空がどこまでも広がっている。
エントランスに出ると使用人が勢揃いをしている。
サフィエル侯爵家の紋章の馬車が先頭に。ブルーノ様が正装で立っている。
その後ろには、パステーラ侯爵家の馬車。
更に後ろには、数えられないほどの、エメルディ公爵家の紋章がついた青緑色の馬車が続いている。
こんなに。こんなに。私。
公爵様の手が離れる。
私は深々とカーテシーをした。
「このご恩は生涯わすれません、心よりの感謝を」
「アリッサ嬢、幸せになりなさい。もう自分のものは誰にも譲らずに生きていけるな」
「はい」
私が顔を上げると公爵様が微笑んでいる。
公爵様が上着の内側から手巾をだして、私の目尻にそっと当てた。
「喜びの日だ。これで押さえなさい」
あれ、私、泣いていたの?
「ありがとうございます」
振り向くと、ブルーノ様がエスコートの手を差し出していた。
サフィエル侯爵家の馬車の前にはサイアス様と公爵家の騎士団が並んでいる。
「花嫁の護衛を賜った。馬上より失礼する」
サイアス様の口上で、気持ちが引き締まる。
私が感謝を述べて、騎士の方々へ手を振ると、サイアス様が私の手元を見て微笑まれ、先頭へ戻って行かれる。
細いリボンが揺れている。
私は振り返らずに、馬車に乗った。
「出立!」
サイアス様の号令が聞こえて、馬車が動き出す。
公爵家の大門を出たら、私は、サフィエル家の人間になる。二度とここには戻らない。みんなありがとう。
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サフィエル侯爵家馬車の中で。
「アリッサ、やっと、あなたを迎えられる」
ブルーノ様が私の手を握る。
急に涙が溢れて来た。
必死で手巾で目を押さえるけれど、波が止まらない。
鼻水まで出そう。
「アリッサ、大丈夫か。お祖母様とはまた会える」
「うん」
「父上が御壮健の間は、私達はベルモント伯爵家に住むのだから、そんなに泣かずとも」
「うん」
嬉しいはずなのに、どうしてこんなに涙が出るの?
「それに、公爵閣下がベルモント伯爵家の後見を申し出てくださったのだ」
「……えっ!」
どう言うこと?
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公爵家のエントランスでは、まだまだ花嫁道具の馬車が続いている。
「皆、最後の馬車が出るまで見送ってやってくれ」
使用人全員が頷く。
「私は少し遠乗りをしてくる。馬をここへ」
家令が指示を出す。
「祖母殿。では私はこれで」
「閣下、もう少し、見送ってやっていただけないでしょうか」
「……祖母殿もたいがい、お人が悪い」
「悪いことばかりではありませんよ。孫が選んだ古き良きもの、ご覧になったでしょう」
「ミレーヌが渡したのかと」
「いいえ、五十ほど並べた中から、アリッサが自ら選び取ったのです。私も驚きましたが。代々の公爵夫人が嫁ぐ際に身につけられたと、伺っておりますが」
「……まさか。そんな偶然が」
そして、大門辺りが騒がしい。大声が聞こえてくる。
「何だ、何かあったのか」
公爵は、連れてこられた馬に飛び乗り走りだす。
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サフィエル侯爵家の馬車の中。
「アリッサ、そんなに泣くな。俺は嬉しくて仕方がないのに」
「うん」
私は、涙ですっかり濡れてしまった手巾をたたみ直して、気がついた。
これは。
一文字足りない、これ。
どうして、どうして、こんなものを持っていたの。
「ブルーノ様、ごめんなさい、私、行かなきゃ」
「何を言っているんだ」
「馬車を止めて!お願い、止めて!」
「アリッサ、今、この馬車を降りたら、二度と僕のところに戻れないぞ」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「公爵夫人がどれほどの重荷を背負うのか、わかっているのか」
「わかってる」
あの人一人に、背負わせられない。
どんな思いで私を送り出してくださったの。
ずっと、私たちの幸せのために、ベルモント領民のために、これから何十年も。
今、決めないと、一生後悔する。
「ブルーノ様、素敵な恋をありがとう。そしてごめんなさい」
「……わかった。これを見た時に、こうなるかと」
ブルーノ様が、私の手首に結ばれた細い色褪せたリボンに触れる。
「これがどうかしたの?古き良きもの、言い伝えよ」
「エメルディ公爵家の紋章が入っている、気がついてなかったのか」
「あ……」
ブルーノ様が微笑まれた。
「完敗だな。アリッサ、俺に構うな。そして二度と戻って来るなよ」
「うん、ありがとう」
私は馬車を飛び出して走る、公爵家のエントランスへ向かって走る。
後ろでサイアス様の大声が聞こえる。
「花嫁が逃げたぞー」
捕まったりしない。ああ絹の靴が走りにくい。
靴を脱ぎ捨てて、走る。
花嫁道具の馬車が反対に進んで行く。
「アリッサ様が、走っておられまーす」
門番も庭師もみんなが叫んでいる。
向こうから、白い馬が。
ああ、オスカー様。
馬上からオスカー様が手を差し伸べてくださる。
私は走りながら手を差し出すと、オスカー様はその手をしっかり掴み引き上げてくださった。
そして馬上で抱きしめられる。
「あなたは何をやっているのだ」
「戻って来ました」
息が切れる。
「なぜ、戻ってきた」
「私は、もう、幸せをいただいてました」
「あなたと言う人は。公爵家に戻ったら、二度とあなたを離してやれないぞ、わかっているのか」
「離さないでください。ただ」
「まだ、ただ、があるのか」
「ただ、ただ、オスカー様と一緒にいたいのです」
「っ!アリッサ、この償いは大きいぞ」
「出戻った償いは、一生かけて、愛し続けます」
顎を取られ、口付けをされる。
周りで大きな歓声が上がっている。
「アリッサ」
「はい」
「また靴を脱いだのか」
「走りにくかったのです」
「そうか、しかも今日は、素足で、私に向かって手を差し出した。まずは、その責任から取ってもらおうか」
「あ」
絹の靴下は走っている間に脱げ落ちていたらしい。
でも覚悟の上。
オスカー様の破顔したお顔を初めて見たわ。頭がクラクラする。
「あ、あと」
「まだあるのか」
「刺繍が、一文字まだ終わってないのです」
〜Fin〜
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