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古代AI少女と始める異世界救済旅 〜知識は神話級なのに、常識だけが致命的に足りない〜  作者: 磯辺


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7/30

暗殺者より先に捕まる男

 背後で、瓦が鳴った。


 若い近衛騎士が追ってくる。


 息は乱れていない。


 足音も乱れていない。


 屋根の上だというのに、石畳でも走っているみたいな速さだった。


「アーデル、右です」


「右は隣の屋根だろ!」


「跳躍可能距離です」


「俺の足を何だと思ってる!」


「低性能ですが、努力値は確認済みです」


「褒めてるのか、それ!」


「部分的に」


 俺は屋根の端を蹴った。


 赤茶色の瓦が滑る。


 足の裏がずれた。


「うおっ」


 落ちかけた身体を、アイリスが袖ごと引っ張る。


 細い腕のくせに、信じられないくらい強い。


「姿勢制御が雑です」


「人間は屋根の上を走るようにできてないんだよ!」


「王都標準兵士より移動効率が低いです」


「比較するな!」


 背後から声が飛ぶ。


「止まれ!」


 近衛騎士の声は、怒鳴っているのに冷静だった。


 それが余計に怖い。


 俺は振り返らずに走る。


 眼下には王都の通り。


 人々が見上げている。


 屋根の上を走る俺たちを見て、口々に何か叫んでいる。


「何だあれ!」


「泥棒か!?」


「王城の方から来たぞ!」


「銀髪の子、綺麗だな」


「見るところそこか!?」


 最後のは俺の声だった。


 アイリスは平然と前を見ている。


「左前方、煙突。右へ避けてください」


「分かった!」


「その後、前方の屋根を二枚滑ります」


「滑るな!」


「滑走移動です」


「人間社会では落下って言う!」


 煙突の横をすり抜ける。


 背後で金属音がした。


 近衛騎士が煙突の上を軽く蹴って越えた音だった。


「嘘だろ」


「追跡者の身体能力は高水準です」


「分かりたくない情報ばっかりだな!」


「補足します。剣術適性も高いです」


「補足するな!」


 俺は屋根の傾斜を滑りかけ、瓦の端を掴んだ。


 指先に痛みが走る。


 昨日の魔導コンロの痺れと、今の瓦のざらつきが重なった。


 手が痛い。


 でも離したら落ちる。


「アーデル、下の庇に降りれば追跡を回避できます」


「高さは?」


「落下時の負傷確率、六十二パーセント」


「却下!」


「では近衛騎士を無力化します」


「それも却下!」


「非殺傷です」


「非殺傷でも駄目だ!」


「要求が多いです」


「犯罪をしないってだけだろ!」


 その瞬間、背後から風が切れた。


 近衛騎士が屋根を蹴り、俺たちの斜め前へ着地した。


 早い。


 俺は急停止する。


 瓦が足元で割れた。


 アイリスが俺の袖を掴んで止める。


 目の前に、近衛騎士。


 背後に、追ってくる兵士の声。


 右は屋根の端。


 左は煙突と壁。


 詰んだ。


「逃げ足は悪くない」


 近衛騎士は剣の刃先を下げたまま、俺たちを見据えた。


「第二王女殿下に何を渡そうとした」


「さっきも言った。警告だ」


「何の警告だ」


 俺は口を開きかけた。


 言葉が詰まる。


 王女が死ぬ。


 神託を疑え。


 ペンダントが反応した。


 古代認証。


 照合失敗。


 どれを言っても、まともに聞こえない。


 横でアイリスが一歩前に出た。


「説明します」


「やめろ」


「第二王女エリシア・レーヴェンは、二日後の王家更新の儀において、死亡する可能性が高いです」


 屋根の上の空気が止まった。


 近衛騎士の顔から表情が消える。


「……何だと」


「予測結果です」


「貴様、殿下を侮辱する気か」


「侮辱ではありません。救済対象です」


 近衛騎士は剣を上げた。


「詳しく聞かせてもらう。城でな」


「アーデル」


「何だ」


「交渉失敗です」


「言われなくても分かる」


「次案を提示します」


「誘拐はなし」


「近衛騎士を無力化し、拘束を回避します」


「却下!」


 近衛騎士が踏み込んだ。


 速い。


 剣が俺の腕ではなく、腰の工具袋の紐を狙った。


 切られた紐が跳ねる。


 工具袋が瓦の上に落ち、中身が散らばった。


 精密ヤスリ。


 補修用の魔導針。


 古代ネジ。


 小さな釘。


 焦げた炭の欠片。


 俺の武器ではない。


 俺の仕事道具だ。


「抵抗するな」


「抵抗したくてしてるわけじゃない!」


「なら膝をつけ」


「それは嫌だ!」


「では強制する」


 近衛騎士の剣が、足元の瓦を打った。


 割れた瓦が跳ねる。


 俺は反射的に後ろへ下がった。


 踵が精密ヤスリを踏んだ。


 ずるり、と足元が滑る。


 小さな釘が瓦の上を転がり、屋根の端から消えた。


 ロット村からずっと使っていた釘だった。


 拾う手は、出せなかった。


 指先が、瓦の隙間に引っかかっていた曲がった針金に触れる。


 ロット村のゴミ溜めから拾った、使い道の分からない細い針金。


 ほとんど反射で、それだけを握った。


 ついでに、割れた工具袋の端に残っていた欠けたナイフの破片も、手の中に押し込む。


 それ以上は無理だった。


 精密ヤスリも。


 魔導針も。


 古代ネジも。


 屋根の端から、ばらばらと落ちていく。


 胸の奥が、変な音を立てた。


 拾う手は、もう出せない。


 その背中を、アイリスが押した。


「左へ半歩」


「え?」


「今です」


 近衛騎士の剣が、俺の服の端をかすめた。


 布が裂れる。


 危なかった。


「説明が短い!」


「戦闘中です」


「そうだけど!」


 アイリスは無表情で近衛騎士を見ている。


「対象の動作予測。次撃、右肩狙い」


「右肩!?」


「伏せてください」


 俺は反射的に伏せた。


 剣が頭上を抜ける。


 近衛騎士の目がわずかに変わった。


「その少女、ただ者ではないな」


「黙っていればな!」


「不当な評価です」


「今は黙ってろ!」


 俺は残った針金と欠けたナイフの破片を握りしめたまま、散らばった工具を踏まないように下がった。


 足場が狭い。


 精密ヤスリは瓦の上を滑り、屋根の端へ向かっている。


 焦げた炭の欠片は黒い点みたいに転がっている。


 古代ネジは小さく跳ねて、雨樋の向こうに消えた。


 まともな道具が、ひとつずつ手の届かない場所へ行く。


 屋根の端が近い。


 下を見ない方がいい。


 見てしまった。


 高い。


「アーデル、後退非推奨です」


「知ってる!」


「後方三歩で落下します」


「数えるな!」


「二歩半です」


「細かい!」


 近衛騎士が構えを変えた。


 今度は剣ではなく、腰の革紐を抜く。


 捕縛用の紐だ。


「危険発言、王女殿下への不審物投擲、王城警備区域での逃走。十分だ」


「投げたのは手紙だ!」


「油の染みた紙を丸めたものだろう」


「そうだけど!」


「貧しい暗殺道具に見えます」


「見えるか!」


 アイリスが首を傾げた。


「暗殺道具としては効率が低すぎます」


「そういう訂正はいらない!」


 近衛騎士が踏み込む。


 革紐が飛んだ。


 俺は避けようとして、瓦に足を取られた。


 身体が傾く。


 屋根の端。


 落ちる。


 アイリスが俺の腕を掴んだ。


 同時に、近衛騎士の革紐が俺の手首に絡んだ。


 三人の動きが一瞬止まる。


 俺は屋根の端に片足だけ残して、ぶら下がりかけていた。


「……あの」


「動くな」


 近衛騎士が低く言う。


「動いたら落ちる」


「それは俺も分かってる」


「アーデル、姿勢維持を推奨します」


「今それ以外に何がある!」


「近衛騎士の腕部関節を外せば脱出可能です」


「やるな!」


「では落下します」


「二択が極端!」


 近衛騎士は歯を食いしばりながら、俺の手首を引いた。


 アイリスも逆側から引く。


 結果、俺は屋根の上に引き戻された。


 顔面から瓦に落ちた。


「ぐえっ」


「拘束する」


「今、助けた流れじゃなかったか!?」


「落とすつもりはない。逃がすつもりもない」


「律儀だな!」


 近衛騎士は俺の腕を後ろに回し、革紐で縛った。


 早い。


 手慣れている。


 俺が抵抗する前に、両手は使えなくなっていた。


「アーデルを解放してください」


 アイリスが言った。


 声が少し冷たい。


「断る」


「では実力行使へ移行します」


「やめろ!」


 俺は叫んだ。


 アイリスの足が止まる。


「やめろ。相手は殺そうとしてない」


「しかし拘束されています」


「俺が変なことしたからだ」


「変ではありません。救済行動です」


「王都の法律では変なんだよ」


「不条理です」


「分かってる!」


 近衛騎士が俺とアイリスを見比べた。


「お前たち、何者だ」


「ただの遺跡拾いと、拾った迷子だ」


「迷子?」


「私は古代文明の最高傑作です」


「迷子で通せ!」


「不正確です」


「今は不正確でいい!」


 近衛騎士の眉がさらに寄る。


「先ほど、男はルカと名乗った」


「はい」


「だが、その少女はお前をアーデルと呼んでいる」


「……それは」


 来た。


 来てほしくないところに来た。


「どちらが本名だ」


「どっちも本名です」


「ふざけているのか」


「ふざけてません!」


 アイリスが胸を張った。


「補足します。この個体の識別名はアーデルです」


「補足するな!」


「現地呼称ルカとの併用を確認しています」


「だから今それを言うな!」


 近衛騎士の目が冷たくなる。


「偽名を使い分ける不審者、ということか」


「違います!」


「状況証拠は増えたな」


「増やしたのはこいつです!」


「私は正確性を優先しました」


「人間社会では黙る正確性もあるんだよ!」


「難解です」


 遠くから兵士たちが屋根に上がってくる声がした。


 足場を鳴らしながら、何人も近づいてくる。


 完全に終わった。


 近衛騎士は俺の腕を引き、立たせた。


「王城警備詰所へ連行する」


「せめて話だけでも聞け」


「詰所で聞く」


「それ、だいたい悪い意味なんだよ」


「抵抗すれば牢に入れる」


「抵抗しなくても入りそうだな……」


 アイリスが横から言う。


「アーデル、拘束状態を経由することで王城内部への接触経路が発生しました」


「前向きに言うな」


「救済成功率は微増しています」


「俺の人生成功率は急落してる」


「社会的評価はすでに低下中です」


「分かってる!」


 俺たちは屋根から下ろされた。


 下では通りの人々がまだざわついている。


 誰かが指をさす。


 誰かが笑う。


 誰かが怯えた顔で神託碑の方を見る。


 不審者。


 王女様に何か投げた男。


 銀髪の変な少女。


 偽名を使う遺跡拾い。


 噂が走る音が、聞こえる気がした。


 王城の脇にある警備詰所へ向かう途中、俺は中央広場を横切らされた。


 白い柵の内側。


 さっきまでは近づくこともできなかった場所だ。


 今は、両手を縛られて歩いている。


 ひどい近道だった。


「アーデル」


 アイリスが隣で言う。


「何だ」


「接触制限区域への侵入に成功しました」


「連行されてるんだよ」


「結果は同一です」


「過程が最悪なんだよ」


 広場の奥では、儀式の準備が続いていた。


 王家の旗。


 白い柱。


 花を運ぶ侍女たち。


 神官らしい白衣の男たち。


 その中心に、低い白石の壇がある。


 丸い壇。


 周囲には金の線で美しい模様が描かれていた。


 王女は、その壇の近くにいた。


 遠くからでも分かる金の髪。


 青いドレス。


 胸元のペンダント。


 エリシア王女は、神官に何か説明されている。


 立ち位置の確認だろうか。


 白石の壇の中央へ、一歩進む。


 アイリスが止まった。


「歩け」


 兵士が促す。


 アイリスは動かない。


「アイリス?」


 俺は振り向いた。


 アイリスの瞳が、また細かく明滅している。


 さっきのペンダントを見た時より、冷たい光だった。


「……下」


「下?」


「対象個体の足元」


 俺は王女の方を見た。


 白石の壇。


 金の模様。


 王女の靴。


 一瞬、雲が太陽を隠した。


 広場の光が薄くなる。


 その時だけ、白石の模様の下に、青白い線が見えた。


 細い。


 丸い。


 絡み合うような線。


 祝福の模様じゃない。


 人を、そこへ固定するための線だった。


 俺の喉が詰まる。


「おい……」


 兵士が俺の肩を押した。


「止まるな」


「待て。あそこ――」


「黙れ」


「王女の足元に何かある!」


 近くの兵士が俺の腕を強く引いた。


「まだ騒ぐか」


「違う! 本当に――」


「連れていけ」


 俺は振りほどこうとした。


 でも両手が縛られている。


 足を踏ん張る。


 肩を押される。


 アイリスが王女の足元を見たまま言った。


「システムによる対象個体の消去術式痕跡。待機状態。起動条件は、儀式時の神託出力と同期しています」


「アイリス、あれは」


「自然発生ではありません」


「だよな」


「対象固定。殺傷方向への魔力収束を確認」


 背中に冷たいものが走った。


 短剣を持った誰かが、柱の陰に隠れているんじゃない。


 足元だ。


 王女が立つ場所そのものが、もう仕掛けられている。


 近衛騎士が振り返った。


「今、何と言った」


 俺は彼を見た。


「王女の足元に、術式がある」


 近衛騎士の顔が強張る。


 ほんの一瞬。


 だがすぐに、冷たい表情に戻った。


「王家の儀式陣だ。部外者が見るものではない」


「違う。あれは――」


「黙れ」


 近衛騎士はそう言った。


 でも視線だけは、白石の壇へ向いていた。


 見たのか。


 見えなかったのか。


 分からない。


 雲が流れ、陽が戻る。


 青白い線は、金の模様の下に消えた。


 何もなかったみたいに。


 王女は神官に促され、壇から降りた。


 周囲の人々は拍手をしている。


 誰も気づいていない。


 アイリスだけが、じっとそこを見ていた。


「アーデル」


「何だ」


「対象個体の死亡予測は、上昇しました」


「分かってる」


 俺はまだ壇を見ていた。


 白い石。


 金の模様。


 その下に隠れた青白い線。


 王女の青い瞳。


 ひらりと落ちた包み紙。


 届かなかった警告。


 第二王女エリシア・レーヴェンは、本当に殺される。


 そして俺は。


 その消去術式より先に、捕まっていた。


 王城脇の警備詰所。


 石の壁。


 小さな窓。


 木の机。


 椅子が二脚。


 隅には拘束用の鉄環。


 牢屋ほどではない。


 でも、自由でもない。


 俺は椅子に座らされ、両手を縛られたまま机の前に置かれた。


 アイリスは隣に立たされた。


 縛られてはいない。


 ただし、兵士が三人も周囲にいる。


 アイリスが小さく言う。


「拘束が不完全です」


「何もしないでくれ」


「脱出成功率は高いです」


「何もしないでくれ」


「二回言いました」


「大事だからな」


 若い近衛騎士が、机の向こうに立った。


 先ほど弾かれた包み紙が、机の上に置かれる。


 油の染みた紙。


 炭の文字は少し潰れている。


 それでも、読めた。


 王家更新の儀は危険。


 第二王女の命が狙われている。


 青いペンダントに古代認証反応あり。


 神託を疑え。


 近衛騎士は最後の一文を見て、目を細めた。


「神託を疑え、か」


 詰所の空気が重くなる。


 俺は答えなかった。


 喉が乾いていた。


「この一文を書いたのはお前か」


「俺だ」


「何の根拠がある」


 俺はアイリスを見た。


 アイリスは胸を張る。


「私です」


「お前を根拠と呼ぶな」


「私は古代文明の最高傑作です」


「その説明は通じないって何回言えば分かるんだ」


 近衛騎士はアイリスを見た。


「古代文明」


「はい」


「本気で言っているのか」


「当然です」


「証明できるか」


「この建物の西壁内部に旧式の魔導配線があります。三箇所劣化。うち一箇所は火災危険域です」


 詰所の兵士たちが、一斉に西壁を見た。


 近衛騎士も少しだけ眉を動かす。


「適当を言うな」


「適当ではありません。さらに机の右脚は内部から腐食しています。強く押すと折れます」


「そんなわけ――」


 兵士の一人が机に手をついた。


 ぎし、と音がした。


 机の右脚が少し沈む。


 兵士が固まった。


 俺も固まった。


「お前、そういうのは先に言えよ」


「先に言いました」


「今すぎるんだよ」


 近衛騎士はしばらく黙っていた。


 それから、ゆっくりと包み紙に視線を戻す。


「王女殿下の足元にあったという術式。あれも、お前が見たのか」


「はい」


 アイリスは即答した。


「システムによる対象個体の消去術式痕跡です」


 詰所が静まり返った。


「消去、だと」


「はい」


「どういう意味だ」


「対象固定。殺傷方向への魔力収束。儀式時の神託出力と同期する待機状態の術式です」


 近衛騎士の目が、わずかに揺れた。


「神託出力だと」


「はい」


「神託が、殿下を害するというのか」


「可能性が高いです」


 詰所の兵士が怒鳴った。


「無礼な!」


 アイリスは瞬きもしない。


「無礼ではありません。解析結果です」


「黙れ!」


「黙ると救済成功率が低下します」


「下がってるのは俺たちの立場だ!」


 俺は思わず叫んだ。


 近衛騎士が手を上げ、兵士を制した。


 詰所が静かになる。


「お前たちの目的は何だ」


 彼は俺に聞いた。


「王女を助けること」


「誘拐ではなく?」


「それはこいつの案だ」


「アーデルも最終的に採用する可能性があります」


「採用しない!」


「現状、通常ルートによる救済コードの送信は遮断されています」


「詰所で言うな!」


 近衛騎士の目がまた冷たくなる。


「救済コード」


「気にしないでください」


「気にする」


「ですよね」


「俺たちは、王女様を殺したいわけじゃない」


「ならなぜ逃げた」


「捕まりたくなかったからだ」


「なぜ捕まりたくなかった」


「王女に警告できなくなるからだ」


「結果、捕まったな」


「……はい」


 痛いところを突く。


 若いくせに容赦がない。


 近衛騎士は包み紙を指で叩いた。


「これを殿下に渡したかったのか」


「ああ」


「こんなものを渡されて、殿下が信じると思ったのか」


「思ってない」


「ではなぜ」


 俺は、油の染みた紙を見た。


 炭の歪んだ文字。


 神託を疑え。


「他に何もなかった」


 それだけ言った。


 近衛騎士は黙った。


 しばらく、何も言わなかった。


 外では鐘が鳴っている。


 王都の鐘。


 王女の儀式まで、あと二日。


 近衛騎士は包み紙を折り、懐に入れた。


「お前たちは正式な拘束対象だ」


「やっぱり牢屋か」


「まだ牢ではない」


「まだ、って何だ」


「殿下の警備上、ここで一時拘束する。儀式が終わるまで外には出せない」


「それじゃ遅い!」


 俺は思わず立ち上がろうとした。


 兵士が肩を押さえる。


 椅子が鳴る。


「二日後じゃない。あれは、もう仕込まれてる。立ち位置の確認で、王女様はもうその上に立ってた」


「儀式陣は前日から設置される」


「だから危ないんだよ!」


 近衛騎士は俺を見る。


 冷たい目。


 でも、完全には閉じていない目だった。


「確認はする」


「本当か」


「ただし、お前たちは動くな」


「動かなかったら間に合わないかもしれない」


「動けば確実に捕まる」


「もう捕まってる」


「なら、これ以上悪化させるな」


 正論だった。


 腹が立つくらい正論だった。


 アイリスが隣で言う。


「アーデル」


「何だ」


「システムによる消去対象より先に、捕獲されました」


「言うな」


「事実です」


「言うなって言っただろ」


 近衛騎士がこちらを見る。


「システムによる消去対象、か」


 俺は彼を見返した。


「あんたは、どう思う」


 近衛騎士は答えなかった。


 ただ、懐に入れた包み紙を一度だけ押さえた。


 それから、扉の方へ歩き出す。


「……私は近衛騎士、ラインハルト・クロウだ」


 扉の前で、彼は一度だけ振り返った。


「お前たちの不敬も、言葉の真偽も、すべてこの目で確かめる」


 外で、王城の鐘がもう一度鳴る。


 その音が、石の壁を震わせた。


 暗殺者なんて、どこにもいなかった。


 王女を殺そうとしているのは、たぶん。


 神託そのものだ。


 そして俺は。


 それより先に、捕まっていた。

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