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古代AI少女と始める異世界救済旅 〜知識は神話級なのに、常識だけが致命的に足りない〜  作者: 磯辺


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6/30

誘拐する前に自己紹介しろ

「アイリス!」


 俺の声は、王都の大通りにあっさり呑まれた。


 鐘の音。

 車輪の音。

 屋台の呼び込み。

 王女を讃える歓声。


 どこを向いても人だらけだった。


 肩がぶつかる。

 背中を押される。

 誰かの荷袋が足に当たる。


 人の波は、馬車列を見ようと道の端へ寄っているはずなのに、後ろからはまだどんどん押し寄せてくる。


 俺は旅袋の紐を握り直した。


 指先が、まだ少し痺れている。


 昨日、魔導コンロを直した時の痛みだ。


「アイリス!」


 もう一度叫ぶ。


 人波の向こうで、銀色の髪が揺れた気がした。


 屋台の方。


 いや、違う。


 王女の馬車列の方だ。


「くそっ」


 俺は人をかき分けて進んだ。


「すみません、通してください!」


「押すなよ!」


「こっちも押されてるんだ!」


「王女様が見えないだろ!」


 知らない男に睨まれた。


 見物どころじゃない。


 足が止まった。

 瞳が明滅した。

 声が低くなった。


 認証反応。


 記録層との照合に失敗。


 王女の馬車列は、ゆっくりと中央広場の方へ進んでいる。


 近衛騎士たちは馬車の左右に並び、槍を立てていた。

 金の飾りをつけた白馬。

 青い旗。

 王家の紋章。


 そのすぐ後ろ、人々の隙間に銀色が見えた。


「アイリス!」


 俺は人波を抜けた。


 いた。


 道の端に、アイリスが立っていた。


 ただ、いつものように胸を張っていない。


 長すぎる袖が、力なく垂れている。

 淡い青の瞳は、王女の馬車を追ったまま細かく揺れていた。


「アイリス!」


 俺は駆け寄り、外套の袖を掴んだ。


 アイリスはすぐには振り向かなかった。


「……照合失敗」


「おい」


「認証反応、再取得不可。記録層、断片応答。該当項目、破損」


「アイリス!」


 少し強く呼ぶと、アイリスの瞳の明滅が止まった。


 ゆっくりと俺を見る。


「……アーデル」


「戻ったか?」


「私は常に正常です」


「今のどこが正常だったんだよ」


「一時的な処理負荷です」


「迷子だろ」


「迷子ではありません。位置情報の保持に一時的な遅延が発生しただけです」


「それを人間社会では迷子って言うんだ」


「不本意です」


 いつもの調子に戻ってきた。


 俺は息を吐いた。


 すぐそばでは、王女の馬車列が中央広場の方へ消えていく。


 あの窓辺にいた少女。


 第二王女エリシア・レーヴェン。


 胸元の青いペンダント。


 アイリスはまだ、その方向を見ていた。


「さっきの反応、何だったんだ」


「不明です」


「不明ばっかりだな」


「記録層との照合に失敗しました」


「それは聞いた」


「該当する情報が存在する可能性はあります。しかし、アクセスが拒否されています」


「誰に」


「不明です」


「便利だな、不明」


「不便です」


 アイリスは小さく眉を寄せた。


 ほんの少しだけ。


「胸部装飾品に、古代認証系統に類似した反応を確認しました」


「ペンダントのことだな」


「はい。対象個体エリシア・レーヴェンは、救済対象である可能性が上昇しました」


「もともと救うために来たんだろ」


「救済優先度が上昇しました」


「どのくらい」


「非常に」


「数字で言わないのか」


「現在、数値化が困難です」


 アイリスが数字を出さない。


 それだけで、少し嫌だった。


 俺は馬車列が消えた先を見た。


「とにかく、本人に警告する」


「同意します」


「お、珍しくまともだな」


「警告成功後、必要に応じて誘拐へ移行します」


「まともが一秒で死んだ」


「救済成功率を考慮すれば当然です」


「誘拐の前に自己紹介しろ」


「自己紹介」


「そうだ。まず名乗る。次に事情を説明する。それから警告する」


「非効率です」


「人間社会ではそれを礼儀と言う」


「礼儀は救済成功率に寄与しますか」


「少なくともいきなり誘拐するよりはする」


「検討します」


「検討じゃなくて採用しろ」


 アイリスは不満そうに袖を揺らした。


 王女の馬車列は中央広場の奥へ入っていったらしい。

 人々はまだ広場の方へ流れている。


「中央広場に行くぞ」


「了解しました、アーデル」


 俺たちは人の流れに乗って歩き出した。


 ……が、すぐにアイリスが俺の袖を引いた。


「この進路では間に合いません」


「馬車列の方が速いか」


「はい。ですが、中央広場の大門前で儀式準備による一時停車が発生します。約五分」


「見えるのか、そんなことまで」


「都市導線、警備配置、群衆の流れから推定可能です」


「便利すぎるだろ」


「もっと敬ってください」


「調子に乗るな。道は?」


「右の路地です」


「また路地かよ」


「人間は直線で移動できないため、今回は曲線移動を採用します」


「覚え方が腹立つ」


 俺たちは人の流れを外れ、屋台の裏へ回った。


 油の匂い。

 積まれた木箱。

 水を撒いた石畳。


 アイリスの示す細い路地を抜けると、白い石畳の広い空間が開けた。


 王都の中央広場は、村の広場とは比べものにならなかった。


 白い石畳。

 噴水。

 王家の旗。

 儀式用の柱。

 高い神託碑。


 広場の奥には、王城へ続く大きな門がある。


 その門の前に、王女の馬車列が止まっていた。


 ただし、近づける距離ではなかった。


 騎士が多すぎる。


 広場の外周に兵士。

 内側に近衛騎士。

 馬車の周りに槍を持った護衛。

 王城門の前にも別の兵士。


 一般人は白い柵の外で止められていた。


「無理だな」


「接近困難です」


「見れば分かる」


「警備密度は高いですが、配置効率に偏りがあります」


「偏り?」


 アイリスは広場を見回した。


 俺には人と旗と槍しか見えない。


「正面と右側に過剰配置。左後方の導線が薄いです」


「そこから近づけるのか?」


「物理的には可能です」


「なら――」


「ただし、騎士三名を無力化する必要があります」


「却下」


「非殺傷で対応可能です」


「そういう問題じゃない」


「では、煙幕を用いて視界を遮断し――」


「却下」


「では、王城門前の馬を暴走させ――」


「却下!」


 近くにいた親子がこちらを見た。


 俺は慌てて声を落とす。


「ここで物騒な作戦会議をするな」


「作戦会議は必要です」


「内容が犯罪なんだよ」


「救済です」


「犯罪寄りの救済をやめろ」


 その時、広場の奥で歓声が上がった。


 馬車の扉が開く。


 金髪の少女が降り立った。


 エリシア王女。


 さっき窓越しに見た時より、ずっとはっきり見えた。


 白と青のドレス。

 肩にかかる金の髪。

 背筋はまっすぐで、視線も逃げない。


 周囲の歓声に、慣れている顔だった。


 でも、笑ってはいなかった。


 胸元の青いペンダントが、陽の光を受けて淡く光る。


 隣のアイリスが、また少し固まった。


「アイリス」


「……処理負荷上昇」


「見るな。いや、見ろ。でも落ちるな」


「難解な命令です」


「俺もそう思う」


 エリシア王女は、近衛騎士に囲まれながら王城門の方へ歩いていく。


 このまま門の奥へ入られたら、もう接触できない。


 俺は白い柵の前へ進んだ。


「すみません!」


 近くの兵士が俺を見た。


「下がれ。ここから先は一般人立入禁止だ」


「第二王女様に伝えたいことがあります」


「手紙なら受付所に出せ」


「急ぎなんです」


「皆そう言う」


「命に関わる話です」


 兵士の目つきが変わった。


「脅迫か?」


「違う!」


「では何だ」


「王女様が危ないんです」


 言った瞬間、周囲の視線がこちらに集まった。


 まずい。


 思ったより声が通った。


 兵士は槍を少し下げた。


「詳しく話せ」


「ええと、その、三日後……いや、今は二日後か。王家更新の儀で、王女様が――」


 俺は言葉に詰まった。


 死ぬ。


 そう言えばいいのか。


 でも、こんな場所でそんなことを叫んだら、普通に危ない人間だ。


 兵士の眉が寄る。


「王女殿下が、何だ」


「危険です」


「何が」


「儀式が」


「神託を疑うのか」


 周囲が一瞬静かになった。


 その静けさが、冷たかった。


 神託を疑う。


 ただそれだけの言葉が、王都では刃物みたいに響く。


「俺は、そういうわけじゃ――」


「神託に選ばれた王家の儀を妨害する気か」


「違う。俺はただ、警告を――」


「名前は」


「……ルカ」


「出身は」


「ええと、王都の西の方で――」


「不正確です。この個体は西辺境ロット村所属の遺跡拾いです」


「お前は黙ってろ!」


 兵士は俺の服、旅袋、隣のアイリスを見た。


 アイリスは少しも悪びれていない。


「怪しいな」


「怪しくないです」


「怪しい者ほどそう言う」


「まあ、それはそうだけど」


「自覚があります」


「お前は黙れ!」


 俺はアイリスを肘で軽く押した。


 兵士は別の兵士に合図した。


 まずい。


 完全に変なやつ扱いされている。


 いや、変なやつではある。


 主に隣が。


「アーデル」


 アイリスが小さく言った。


「現状、警告成功率は一・八パーセントです」


「今言うな」


「修正案を提示します」


「誘拐はなしだぞ」


「第二案。対象個体エリシア・レーヴェンを確保し、王都外へ移送します」


「それを誘拐って言うんだよ」


「では名称を変更します。緊急保護」


「言い換えるな」


 兵士が一歩近づいた。


「何を話している」


「何でもありません」


「今、確保とか移送とか聞こえたが」


「妹が物騒な芝居にハマってまして」


「また妹ですか、アーデル」


「乗れよ!」


「不本意です」


 兵士が槍を構え直す。


「お前たち、少し来てもらおう」


「いや、ちょっと待ってください。話せば分かります」


「話は詰所で聞く」


「それは困る!」


「困る理由があるのか」


「あるけど、犯罪的な意味じゃなくて!」


「十分怪しい」


 終わった。


 警告どころか、王女に近づく前に捕まる。


 俺は周囲を見た。


 王女はもう王城門の手前まで進んでいる。


 今しかない。


 せめて、何か渡せないか。


 手紙。


 頭の中に、その言葉が浮かんだ。


「アイリス」


「はい」


「紙と筆、あるか」


「携帯筆記具はありません」


「ないのかよ」


「必要性を検出していませんでした」


「こういう時に必要なんだよ!」


「記録しました」


 俺は旅袋を探った。


 紙はない。

 あるのは古い布、工具、針金、干し肉、空になりかけの財布。


 それから、昨日宿屋でもらった包み紙。


 焼き菓子を包んでいた薄い紙だ。


 油が少し染みている。


 書けるか。


 俺は工具袋から炭の欠片を取り出した。


 魔導コンロの焦げを削った時に残ったものだ。


「これで書く」


「可読性は低いと推定」


「ないよりましだ」


 俺は包み紙を広げ、炭で文字を書いた。


 手が少し震える。


 王家更新の儀は危険。

 第二王女の命が狙われている。

 青いペンダントに古代認証反応あり。

 神託を疑え。


 最後の一文で、手が止まった。


 神託を疑え。


 喉が鳴った。


 俺は炭を握り直した。


 油の染みた紙に、黒い線が少し歪んで伸びる。


「アーデル、文章が乱れています」


「急いでるんだよ」


「署名がありません」


「いらないだろ」


「匿名警告は信用度が低下します」


「署名したら捕まる可能性が上がる」


「すでに上昇中です」


「嫌なこと言うな」


 俺は包み紙を折った。


 王女の近くにいる侍女か、騎士に投げるか。


 いや、投げたら完全に不審物だ。


 渡すしかない。


 白い柵の向こう、王女の通る道に一番近い場所。


 そこに、花束を持った子どもたちがいた。


 祝福の花を王女に渡すため、特別に許可されているらしい。


 あそこなら。


「アイリス」


「はい」


「子どもたちのところまで行けるか」


「可能です」


「騒ぎを起こさずに」


「難度が上昇します」


「騒ぎを起こさずに」


「再確認しました。可能です」


「本当だな?」


「努力します」


「やめろ。その返事は信用できない」


 兵士が近づいてくる。


「おい、何を持っている」


「手紙です」


「誰への」


「第二王女様へ」


「駄目だ。出せ」


「無理です」


「出せ」


 兵士が手を伸ばした。


 俺は半歩下がる。


 その瞬間、アイリスが俺の前に出た。


「警告します」


「何だ」


「現在、対象個体エリシア・レーヴェンの救済成功率が急速に低下しています」


「何を言っている」


「あなたの拘束行動は、王国存続に対する間接的阻害要因です」


「だから何を言っている!」


「簡単に言います」


 アイリスは胸を張った。


「邪魔です」


「言い方!」


 兵士の顔が変わった。


「拘束しろ!」


「最悪だ!」


 俺は反射的に走り出した。


 白い柵沿いに、人をかき分ける。


「待て!」


 兵士の声が後ろから飛ぶ。


 周囲の人々が悲鳴を上げた。


「何だ!?」

「不審者だ!」

「王女様の前で何を!」


 最悪だ。


 完全に不審者だ。


 でも止まれない。


 王女はもう門の前だ。


 金色の髪が見える。

 青いペンダントが見える。

 近衛騎士に囲まれて、こちらには気づいていない。


「王女様!」


 俺は叫んだ。


 当然、届かない。


 歓声と兵士の怒号に混ざって消える。


「王女様!」


 また叫ぶ。


 白い柵の内側にいた騎士がこちらを向いた。


 まずい。


 俺は包み紙を握った。


 投げるしかない。


 でも、王女に直接投げるのは危険すぎる。


 なら、近くの侍女。


 王女の左後ろに、青い衣を着た侍女がいる。


「くそっ」


 俺は包み紙を丸めた。


 その瞬間、アイリスの声が横から飛ぶ。


「角度を右へ四度。力を弱めてください」


「急に有能!」


「今です」


 俺は投げた。


 丸めた包み紙は、人の頭の上を越えた。


 侍女の方へ飛ぶ。


 届く。


 そう思った瞬間、近衛騎士の槍の柄が、紙を弾いた。


 包み紙はひらりと舞い、白い石畳に落ちた。


 王女の足元から、少し離れた場所。


 エリシア王女が、ふとこちらを見た。


 一瞬だけ。


 青い瞳だった。


 次の瞬間、近衛騎士たちが一斉に俺の方を向いた。


「捕らえろ!」


 俺は踵を返した。


 アイリスが隣に並ぶ。


「警告失敗を確認」


「まだ完全には失敗してない!」


「包み紙は未達です」


「見れば分かる!」


「では誘拐へ移行します」


「今するな!」


「対象個体は視認範囲内です。左後方の導線が薄く、騎士三名を無力化すれば確保可能です」


「だからそれが犯罪だ!」


「救済です」


「自己紹介も終わってない!」


「では走りながら自己紹介を行います」


「王女を抱えて走りながら!?」


「時間効率が高いです」


「人間社会を覚えろ!」


 背後から兵士たちの足音が迫る。


 前方には露店。

 右には果物水の屋台。

 左には布屋の張り出し。


 人が多すぎる。


「アーデル、右です」


「屋台だぞ!」


「下をくぐれます」


「人間は直線で移動できないって教えただろ!」


「今回は曲線です」


「そういう問題じゃない!」


 俺は果物水の屋台の脇をすり抜けた。


 後ろで兵士が屋台にぶつかり、木の杯が派手に転がる。


「すみません!」


「謝罪は非効率です」


「必要なんだよ!」


 布屋の張り出しの下をくぐる。


 アイリスの長すぎる袖が布に引っかかった。


「引っかかってる!」


「装備品質が低いです」


「服のせいにするな!」


 俺は袖を引っ張って外した。


 その間に、兵士との距離が詰まる。


「止まれ!」


「止まったら捕まる!」


「捕まれば王女への接触経路が変化します」


「牢屋経由だろ!」


「可能性はあります」


「嫌だ!」


 俺たちは路地へ飛び込んだ。


 大通りの喧騒が少し遠ざかる。


 狭い路地。

 洗濯物。

 積まれた木箱。

 犬が吠える声。


 王都は表通りだけじゃない。


 裏に入ると、急に生活の匂いがした。


「アイリス、道は!」


「左。次に右。行き止まりを越えます」


「越えるな!」


「では右。次に左。汚水路を通過します」


「通過したくない!」


「選択肢が多すぎます。人間の好みは非効率です」


「好みじゃなくて衛生だ!」


 俺は右へ曲がった。


 兵士たちの足音が、少し遅れた。


 路地の角で、俺は立ち止まりかける。


 息が切れる。


 でも、アイリスがすぐに袖を引いた。


「停止非推奨です」


「分かってる……!」


「追跡者三名。追加二名接近中」


「詳しいな!」


「基礎観察です」


「迷子になったくせに!」


「位置情報の保持に一時的な遅延が発生しただけです」


「まだ言うか!」


 角を曲がる。


 人通りの少ない小道に出た。


 少し先に、古い神託碑が立っている。


 大通りのものより小さく、石も古い。


 その前で、何人かの住民が足を止めていた。


 青白い文字が浮かんでいる。


 俺は走りながら、思わず見た。


 王家更新の儀、二日後執行。

 周辺警備を強化。

 不審言動を発見次第、通報せよ。


 俺は目をそらした。


 アイリスは一瞬だけ神託碑を見た。


 背後から兵士の声がした。


「いたぞ!」


「全然まけてない!」


「アーデル、左の木箱を倒してください」


「店のものだろ!」


「追跡阻害に有効です」


「弁償できない!」


「資金不足です」


「知ってる!」


 俺は木箱を倒さず、その横をすり抜けた。


 アイリスが不満そうに言う。


「妨害成功率が低下しました」


「人のものを壊すな」


「救済のためです」


「それで全部許されると思うな」


 路地の先に、狭い階段があった。


 上へ続いている。


 アイリスがすぐ指をさす。


「あそこです」


「上か?」


「屋根伝いに移動可能です」


「また屋根かよ!」


「壁より推奨です」


「比較対象がおかしい!」


 でも他に道はなかった。


 俺は階段を駆け上がる。


 息が苦しい。


 足が重い。


 アイリスは平然としている。


「体力効率が低下しています」


「うるさい」


「アーデルの身体性能は王都標準兵士より低いです」


「知りたくなかった」


「ただし、逃走意欲は高いです」


「褒めてるのか?」


「部分的に」


「全部褒めろ!」


 階段の上は、低い屋根へ続く足場だった。


 洗濯物を干すための木の渡し台らしい。


 下を見ると、兵士たちが路地へ入ってくる。


「止まれ!」


「止まれるか!」


 俺たちは屋根の上へ出た。


 王都の屋根は、赤茶色の瓦で並んでいる。

 足場は悪い。


 アイリスが前方を指す。


「あちらへ移動すれば、大通りの裏側へ出られます」


「落ちたら?」


「負傷します」


「説明が正直!」


「落下しないでください」


「できるだけな!」


 俺は屋根を走った。


 いや、走ったというより、滑らないように必死で進んだ。


 アイリスは軽く跳ぶように進む。


 長い袖だけが邪魔そうだった。


 下から兵士の怒鳴り声が上がる。


「屋根に上がったぞ!」

「回り込め!」


 遠くで、中央広場の鐘が鳴った。


 王女はもう王城の中へ入っただろうか。


 手紙は届かなかった。


 警告も届かなかった。


 ただ、目は合った。


 あれだけだ。


 あれで何か伝わるはずがない。


 俺は歯を食いしばった。


「アーデル」


 アイリスが隣の屋根に降り立つ。


「通常ルートによる救済コードの送信は遮断されました。現時点における唯一の最適解を提示します」


「言うな」


「第二王女を誘拐しましょう」


「だから、誘拐する前に自己紹介しろって言ってるだろ!」


 俺の声が、王都の屋根の上に響いた。


 下の通りから、誰かが見上げる。


 アイリスは真顔で首を傾げた。


「では、自己紹介後に誘拐します」


「誘拐を固定するな!」


 鐘の音が、もう一度鳴った。


 王女の儀式まで、あと二日。


 王女への警告は、失敗。


 そして俺たちは、王都に来て半日も経たないうちに、衛兵に追われて屋根の上にいた。


 古代文明の最高傑作は、胸を張って言った。


「アーデル。人間社会の警告手続きは、救済効率が低すぎます」


「お前の救済手続きは、犯罪率が高すぎるんだよ」


 その時、背後の屋根から瓦が鳴った。


 振り返ると、若い近衛騎士が一人、屋根の上まで上がってきていた。


 鎧は軽装。

 腰に剣。

 息は乱れていない。


 普通の衛兵じゃない。


 騎士は俺たちを見据えた。


「そこの二人、止まれ」


 俺は思わず後ずさった。


 アイリスが小さく言う。


「戦闘能力、アーデルより上です」


「分かりたくなかった」


 近衛騎士は剣の柄に手を置いた。


「第二王女殿下に何を渡そうとした」


 俺は息を整えながら、答えた。


「警告だ」


「誰からの」


「俺から」


「何者だ」


「……ただの遺跡拾いだ」


 騎士の目が細くなる。


「ただの遺跡拾いが、なぜ王女殿下の儀式を危険だと言う」


 アイリスが一歩前に出た。


「説明します」


「やめろ」


「第二王女エリシア・レーヴェンは、二日後の王家更新の儀において、死亡する可能性が高いです」


 空気が止まった。


 近衛騎士の顔から表情が消える。


「……何だと」


「予測結果です」


「貴様、殿下を侮辱する気か」


「侮辱ではありません。救済対象です」


 近衛騎士は剣を抜いた。


「詳しく聞かせてもらう。城でな」


「アーデル」


「何だ」


「交渉失敗です」


「言われなくても分かる」


「次案を提示します」


「誘拐はなし」


「逃走です」


「それは採用!」


 俺たちは同時に屋根を蹴った。


 背後で近衛騎士が追ってくる。


 王都の屋根の上を、俺とアイリスは走った。


 王女を救うために来たはずなのに。


 自己紹介すら、まともにできないまま。

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