最高傑作、犯罪を提案する
「第二王女を誘拐しましょう」
遺跡の出口へ向かう途中、アイリスはもう一度そう言った。
俺は足を止めた。
振り返る。
銀髪の少女は、白い服の裾を少し汚したまま、何ひとつ悪いことを言っていない顔をしていた。
「今、何て言った」
「第二王女を誘拐しましょう」
「聞き間違いであってほしかった」
「聴覚機能の低下を疑いますか」
「疑ってない。お前の常識を疑ってる」
「常識判断モジュールは一部破損している可能性があります」
「可能性じゃなくて確定だろ」
俺は頭を抱えた。
地下遺跡の奥で、古代文明の最高傑作を名乗る銀髪の少女を拾った。
そこまではいい。
いや、よくはないが、まだ飲み込める。
でも、起きて早々に王女誘拐を提案する最高傑作は、さすがに扱いに困る。
「誘拐は犯罪だ」
「救済効率は高いです」
「効率で犯罪を正当化するな」
「では、穏便な誘拐案を再計算します」
「穏便をつければ許されると思うな」
アイリスは青い瞳を明滅させた。
無表情。
真剣。
その真剣さが逆に怖い。
「第二王女エリシア・レーヴェンは、三日以内に死亡する可能性が高いです」
「だから何でそれが分かるんだよ」
「残存タスクに記録されていました」
「その残存タスクってやつが間違ってる可能性は?」
「あります」
「あるのかよ」
「ただし、優先度は最高です」
「答えになってない」
「緊急救済対象です」
「もっと答えになってない」
遺跡の通路は暗い。
ランタンの火が、崩れかけた石壁を赤く照らしている。
アイリスの青い瞳だけが、その火の色に馴染まず、薄く光っていた。
「王女って、アステリア王国の第二王女だろ。俺みたいな辺境の遺跡拾いが会える相手じゃない」
「接触困難であれば、強制接触へ移行します」
「それを誘拐って言うんだよ」
「はい」
「肯定するな」
俺は深いため息をついた。
遺跡の外から、昼の光が差している。
出口までもう少しだ。
普通なら、ここでこの少女を村に連れて帰って、村長に相談する。
村長は腰を抜かすだろう。
それから、教会か王都の役人に連絡する。
そうすれば、俺は関係なくなる。
関係なくなるはずだ。
なのに。
神託。
王女。
死亡予定。
父さんの言葉。
頭の奥で、嫌な形に引っかかっている。
神託は神の声ではない。
構造を見れば分かる。
父さんはそう言って、村を出ていった。
俺はその背中を、今でも半分は恨んでいる。
半分は、まだ信じている。
「……王都へ行くかどうかは、村に戻ってから考える」
「時間損失です」
「人間は考える時間が必要なんだよ」
「非効率です」
「お前、人間を救うための最高傑作なんだろ。少しは人間に合わせろ」
「努力します」
「今のところ期待できない」
アイリスは首を傾げた。
「仮登録者アーデル」
「その呼び方やめろ」
俺は即座に言った。
アイリスがこちらを見る。
「理由不明。記録上、識別名はアーデルです」
「俺の名前はルカだ。ルカ・アーデル」
「姓と名の区別に、現時点で高い処理優先度はありません」
「人間社会ではあるんだよ」
「非効率です」
「効率の話じゃない」
俺は遺跡の出口へ向かって歩きながら、村の方を指差した。
まだ遠いが、岩場の隙間から畑の柵が見え始めている。
あそこには、俺を昔から知っている村人たちがいる。
俺が「ルカ」と呼ばれていることも、当然知っている。
そこで、この少女が急に「アーデル」とか「仮登録者」とか言い出したら、絶対に面倒になる。
「いいか。村では俺をルカって呼べ。アーデルは禁止」
「禁止」
「そうだ」
「なぜですか」
「説明すると面倒だからだ」
「面倒回避のため、仮呼称ルカを使用します」
「仮をつけるな」
「了解。呼称、ルカ」
「それでいい」
アイリスは少しだけ首を傾げた。
「ただし、緊急時、解析時、識別精度を要求された場合は、正式識別名を優先します」
「優先するな」
「仕様です」
「仕様を直せ」
「現在、修正権限が不足しています」
「じゃあ黙ってろ」
「黙る処理を検討します」
「検討じゃなくて実行しろ」
アイリスは数秒だけ黙った。
俺は少し安心した。
その直後、彼女の瞳が青く明滅する。
「ルカ」
「何だ」
「前方三十七メートル、落石予兆」
「そういう時は喋れ!」
俺が叫んだ瞬間、崖の上から小石がぱらぱら落ちた。
続いて、大きな岩が音を立てて転がってくる。
アイリスは淡々と言った。
「左へ半歩」
俺は反射で動いた。
岩が鼻先をかすめて、道の端へ落ちる。
土煙が舞った。
心臓が嫌な音を立てている。
「……今の」
「落石です」
「見れば分かる」
「警告伝達、成功」
「そこを成功扱いするな」
「記録しました」
「するな」
俺は土煙を払った。
今のは、間違いなく助かった。
アイリスの言う通りに動かなければ、俺は岩に潰されていた。
つまり、彼女の予測能力は本物だ。
少なくとも、出まかせではない。
「お前、本当に分かるんだな」
「はい。周辺の振動、空気圧、魔力流動、岩盤亀裂音を統合しました」
「難しい言い方するな。崩れそうだったってことだろ」
「はい」
「それを先に言え」
「簡略化します」
アイリスは頷いた。
その動きだけ見ると、素直に学習しているようにも見える。
たぶん、見えるだけだ。
俺たちは崖道を下った。
ロット村へ続く山道は狭い。
片側は岩壁。
片側は低い谷。
雨が降れば泥になるし、晴れれば砂埃が立つ。
いつもの道だ。
そのはずなのに、今日は妙に落ち着かない。
隣を歩く銀髪の少女が、明らかにいつもの道に馴染んでいないからだ。
白い服。
青い瞳。
遺跡の奥から出てきた少女。
村に入れば、間違いなく騒ぎになる。
「その服、目立つな」
「装備品質が低いという意味ですか」
「逆だ。目立ちすぎる」
「視認性が高いことは、状況によって有利です」
「村では不利だ」
「理由不明」
「人が集まる」
「情報収集に有利です」
「面倒事も集まる」
「面倒回避を優先します」
「さっき覚えた言葉を便利に使うな」
道の先で、草むらが揺れた。
俺は足を止める。
小さな魔物だ。
削岩イタチ。
石を噛んで巣を作る厄介なやつで、噛まれると骨までいく。
ふつうは群れで動く。
「まずいな」
俺は腰の欠けたナイフに手を伸ばした。
ただし、戦えるわけじゃない。
俺は剣士ではない。
魔法使いでもない。
ただの遺跡拾いだ。
逃げるか、追い払うか、何かを壊して道を変えるくらいしかできない。
草むらから、削岩イタチが三匹出てきた。
硬い灰色の毛。
黄色い目。
石を削る前歯。
正直、かわいくない。
アイリスはそれを見て、淡々と言った。
「小型魔物三体。脅威度、低」
「俺には十分高い」
「伏せてください」
「は?」
「伏せてください」
俺は反射でしゃがんだ。
次の瞬間、アイリスが地面に落ちていた小石を蹴った。
小石はまっすぐ飛び、岩壁の一部に当たる。
そこから砂利が崩れた。
削岩イタチたちは、反射的にその音へ向かう。
「今です」
アイリスが言う。
俺は走った。
山道を駆け抜ける。
削岩イタチたちがこちらに気づいた時には、俺たちはもう岩陰を回り込んでいた。
息が切れる。
アイリスは涼しい顔だ。
「追跡なし」
「お前、本当に最高傑作かもしれないな」
「はい」
「謙遜しろ」
「不要です」
「そこも壊れてるな」
俺は膝に手をつきながら、後ろを振り返った。
落石も、魔物も、アイリスは正確に読んだ。
言い方は最悪だ。
手順も雑だ。
けれど、能力は本物。
そう認めるしかない。
「王女が死ぬって話も、そういう予測なのか」
「一部は記録、一部は残存演算です」
「つまり、確定じゃない」
「はい」
「でも、放っておくと危ない」
「はい」
アイリスは短く答えた。
感情は見えない。
でも、嘘をついている感じもしない。
俺はしばらく黙った。
村の屋根が見えてきた。
低い木造の家。
煙突から上がる白い煙。
畑の緑。
ロット村。
俺が生まれ育った、何でも噂になる小さな村だ。
村の広場に近づくと、人が集まっているのが見えた。
村長の家の前。
その横にある神託盤が、青白く光っていた。
「……神託盤?」
俺は足を速めた。
ロット村の神託盤は、村に一つだけある。
古びた石板で、教会から派遣された神官が年に数回手入れをする。
作物の収穫日。
税の納付日。
王国からの告知。
そういうものが表示される。
村人たちはそれを神の言葉として受け取る。
俺は、昔から少し苦手だった。
父さんのせいかもしれない。
広場に入ると、村人たちが神託盤を囲んでいた。
「何だろうねえ」
「王都の告知か?」
「王家の儀式だってよ」
青白い文字が、石板に浮かんでいる。
俺は人垣の後ろから、それを見た。
第二王女エリシア・レーヴェン。
神意に従い、王家更新の儀へ臨むべし。
王家更新の儀。
その言葉を見た瞬間、胸の奥が少し冷えた。
更新。
祝福でも、戴冠でも、祈願でもない。
更新。
壊れた道具の部品を入れ替える時みたいな言葉。
村人たちは、そんなことを気にしていない。
「王女様の儀式だって」
「めでたいねえ」
「王都じゃ見物もできるらしいぞ」
「一度でいいから見てみたいもんだ」
明るい声。
浮かれた顔。
でも、村長だけは違った。
人垣の前で、村長が顔を青くしている。
太った体を小さく丸め、神託盤を見つめていた。
汗が額に浮かんでいる。
「村長?」
俺が声をかけると、村長は肩を跳ねさせた。
「ル、ルカか」
「何かあったのか」
「いや、何も。王家の儀式だ。めでたいことだろう」
「めでたい顔じゃないぞ」
「気のせいだ」
村長は目を逸らした。
明らかに何か知っている。
だが、ここで問い詰めても答えない顔だ。
アイリスが神託盤へ近づこうとした。
俺は慌てて袖を掴む。
「待て」
「神託盤の構造を確認します」
「今やるな。目立つ」
「すでに注目されています」
その通りだった。
村人たちが、俺の隣に立つ銀髪の少女を見ている。
見ない方がおかしい。
白い服。
銀髪。
淡い青の瞳。
ロット村にこんな少女はいない。
「ルカ、その子は誰だい?」
隣家の婆さんが言った。
早い。
相変わらず早い。
「えっと」
俺は言葉に詰まる。
アイリスが一歩前に出る。
「私は――」
「アイリスだ」
俺は即座に被せた。
「名前はアイリス。ちょっと事情があって、しばらく一緒にいる」
「事情?」
婆さんが目を細める。
「遠い親戚みたいなものだ」
「みたいな?」
「そこは流してくれ」
アイリスがこちらを見る。
「虚偽申告ですか」
「黙ってろ」
「了解」
小声で返しただけ、まだ成長かもしれない。
婆さんは俺とアイリスを見比べて、にやにやした。
「まあ、ルカがまた変なものを拾ってきたのは分かったよ」
「ものじゃない」
「最高傑作です」
「そこで名乗るな」
村人たちが笑う。
数人の子どもが遠巻きにアイリスを見て、「精霊かな」「人形じゃないの」とひそひそ言っている。
アイリスは平然としている。
たぶん、注目されても何とも思っていない。
いや。
思っていないというより、意味を分かっていない。
俺は神託盤へもう一度目を向けた。
第二王女エリシア・レーヴェン。
神意に従い、王家更新の儀へ臨むべし。
アイリスが低い声で言った。
「記録と一致」
「やっぱり、この王女なのか」
「はい」
「この儀式で死ぬってことか」
「可能性が高いです」
俺は周囲を見た。
村人たちは、まだ祝い事だと思っている。
村長だけが怯えている。
神託盤は青白く光っている。
遺跡の装置と、どこか似た光だった。
それが、余計に嫌だった。
「……王都へ行く」
自分でも、少し驚くくらい自然に口から出た。
アイリスがこちらを見る。
「同行意思を確認」
「まだ信じたわけじゃない」
「記録しました」
「でも、確かめる」
俺は神託盤を見た。
更新。
王家更新の儀。
村長の顔。
アイリスの予測。
父さんの言葉。
全部が、嫌な形に重なっている。
「王女が本当に危ないなら、放ってはおけない」
「合理的判断です」
「褒めてるのか」
「はい」
「ならもう少し人間らしく褒めろ」
「基準未満にしては良好です」
「下手か」
俺は頭をかき、神託盤の前から離れた。
まずは準備だ。
王都へ行くには金がいる。
食料もいる。
服もいる。
何より、この銀髪の最高傑作を村の外へ連れ出す理由がいる。
「ルカ」
アイリスが言った。
「何だ」
「王都到着後の行動計画を更新します」
「嫌な予感がする」
「まず第二王女に接触します」
「そこまではいい」
「接触失敗時、穏便な誘拐へ移行します」
「だから誘拐から離れろ」
「救済優先度が高いです」
「法律の優先度も高いんだよ」
「人類社会は複雑です」
「お前が単純すぎるんだ」
神託盤の青い光が、背後で静かに揺れていた。
村人たちは、まだ王女の儀式をめでたいものとして話している。
誰も、それが死に繋がるかもしれないとは思っていない。
俺だって、思いたくはない。
でも、もう見なかったことにはできなかった。
王都へ行く。
第二王女に会う。
できれば警告する。
できれば、誘拐はしない。
俺はそう決めた。
その横で、古代文明の最高傑作は当然のように言う。
「では道中で、穏便な誘拐計画を立案します」
「誘拐から離れろ」
その日、俺の平和な遺跡拾い生活は、たぶん完全に終わった。




