第10話 挨拶代わり
「残念だが、2人は屋上へ行けなくなったようだ。そりゃあそうだよな。なんせ俺が2人を拘束しちまったんだからな。フッ、フッ、フッ......」
それはとても低くて太く、そして残忍な声だった。
そんな声を聞いた途端、圭一の身体は俄に震え出し、帝工本社ビルを見下ろす2つの目は正に鬼と化していた。そして喉の奥から嗚咽擬きの声を絞り出す。
「貴様は......だ・れ・だ?」
「俺か? アラルからやって来たただの旅人だよ。そんなことより、とっととビルから離れた方がいいぞ。これはな、俺から挨拶代わりの贈り物だ。
また近く会うことも有ろう。その時まで元気で居てくれ。EMA探偵事務所の藤・堂・圭・一・君! ハッ、ハッ、ハッ......」
カシャ、ツー、ツー、ツー......
「な、何てこった! 2人が捕まっちまった! 予定変更だ。俺は今からビルに突入する!」
「そりゃあ無茶ですよ! あと30秒足らずでビルの電力が復活しちゃいます。敵がウジャウジャ居るところに1人で行ったって犬死にするだけですよ!」
「犬死にでも猫死にでも関係無い! 俺はエマさんから2人の命を託されてんだ。とにかく行け! 早く!」
「りょ、了解しました......」
パイロットの冷静なる忠告も虚しく、死神に取り憑かれた圭一は、100%の死地へ飛び込んで行くことに躊躇は無かった。 2人を残して1人だけ逃げ帰るなどと言う選択肢は、彼の兵法書には載った無かったのだろう。
やがて何も知らぬヘリは、程なくビルの直上へと到達した。そして圭一が下部ハッチを開いて縄ばしごに手を掛けたその時のことだった。
突如、
ドッカ~ン!!!
いきなり大爆音が響き渡ったかと思えば、次の瞬間には、炎の嵐が巻き起こったでは無いか!
気付けば、闇夜が一瞬にしてオレンジ色と化し、真っ黒の煙が蹂躙を始めてる。それに呼応するかのように、窓ガラスは木っ端微塵に吹き飛び、その衝撃は隣接するビル群にも波及していった。
それは百戦錬磨の圭一ですら経験したことの無いとてつもなく大きな爆発だった。
そんな巨大なエネルギーが、宙に浮いてるだけのヘリの真下で放出されようものなら当然の如く、
「うわぁ、か、舵が効きません!」
ヘリコプターは爆風に煽られ、一気にバランスを崩す訳である。
「墜落したきゃ墜落しろ! でも俺を屋上に降ろしてからだ!」
「墜落なんてさせません。ですから早くハッチを閉じて下さい! 振り落とされますって! とにかくまずはここから離脱します」
「ダメだ、俺を降ろせ! これは命令だ!」
この時、圭一は間違い無く冷静さを失っていたに違い無い。それは彼の無茶な言動の数々がそれを証明してる。
エマさんから2人の命を預かっている......それは確かに彼の言う通りなのだろう。
かと言って、今圭一が暴挙に走って命を失いでもしたら、この後誰が2人を救えると言うのだろうか?
むしろこの時、一番冷静だったのはヘリコプターのパイロットだったのかも知れない。
「圭一さん、2人は間違い無く無事です。さっき電話の相手が言ってたじゃないですか。2人を拘束したって。
この爆発を見て私は確信したんですが、あの時彼は、これから大爆発が起こるけど、2人は確保したから心配しなくていいぞって言ってたんじゃないですかね?
しかも我々に早くビルから離れろとも言ってました。ヘリが墜落したら大変ですから。
それら全てが彼の言うところの【挨拶代わりの贈り物】だったんだと思いますよ。
失礼を承知で言わせて貰います。そんな冷静な彼のところへ今冷静さを失った圭一さんが行ったところで絶対に勝てないと思います。ちょっと器がデカ過ぎますよ」
手足が10本有るかのように、巧みな技術でヘリを立て直しながらも、脳と語調だけは冷静なパイロットだったのである。
「な、な、なんだと?!」
「残念ですが......それが現実です。ここは一旦引いて、万全の策を持って彼と再戦すべきじゃ無いでしょうか?」
そんなパイロットの的を得た言葉の数々に、圭一は返す言葉が見付からなかった。
全てが正論であり、正論に対抗するには暴走した感情論で戦うしか術は無い。
しかし圭一足りとも数々の死地を潜り抜けてきた強者。ここで暴走した感情論を繰り出すことがいかに愚かであることを彼は直ぐに悟ったのである。
「......」
その後、圭一は一切口を開かなかった。それはせめてもの意地だったのかも知れない。
この時既に圭一は予感していた。
この【マーメイド】を取り巻く事件の中で、まだ知らぬこの電話の相手こそが、自分の最大なるライバルであることを。
やがて東の空に朝日が顔を出し始めた。そんな朝日を横目に見ながらヘリは元来たポートへと舵を取って行く。
屈辱を闘志に変え、明日の勝利を誓った猛犬を後ろに乗せて......




