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ありふれたローファンタジーの端っこで  作者: 3番目の純情


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第3話 闇医者と狐耳の特効薬


 白み始めた空が、雨上がりの冷たい空気を連れてくる。

 遠くそびえる『巨塔』の極彩色のネオンが、夜明けと共に少しずつその輝きを薄れさせていく時間帯。巨塔の周囲に広がる華やかな中央区から数駅離れたこの場所は、取り残されたように静まり返っていた。

 錆びついたアーケード、シャッターの下りたままの店舗、ひび割れたアスファルト。

 かつては人々の活気に溢れていたであろう商店街は、今や完全に時代の波に取り残され、社会の端っこで息を潜めるように存在している。


「……あー、腰が痛ぇ。まったく、どいつもこいつも無茶しやがって」


 商店街のさらに外れ、ひっそりとした裏路地を歩きながら、シズは深くため息をついた。

 白髪を無造作に後ろで束ね、白衣の代わりに着古したカーディガンを羽織った初老の女だ。彼女の指先には、まだ微かに血の匂いが染み付いている。

 シズは、この廃れた商店街で非合法の診療所を営む、いわゆる『闇医者』だった。


 巨塔がもたらしたダンジョン産業は、一握りのトップ探索者たちに莫大な富をもたらした。しかし、その足元には、搾取され、使い捨てられる無数の下級探索者たちがいる。大手ギルドの過酷なノルマに追われ、高価なポーションを買う金すらなく、怪我を負えばそのまま社会から見捨てられる。

 そうした『正規の病院に行けないワケありの連中』が、夜な夜なシズの元へと転がり込んでくるのだ。


 昨夜もひどいものだった。ダンジョン下層の魔物に片腕を食いちぎられかけた若い剣士に、安物の魔法具マジックアイテムの暴走で全身に重度の火傷を負った魔術師。

 彼らを徹夜で縫い合わせ、なんとか命だけは繋ぎ止めたが、シズ自身の体力はとうに限界を迎えていた。骨の髄まで疲労が染み込み、胃袋は空っぽで不快な酸の匂いを上げている。


(とにかく、ガツンと精のつくもんを胃袋に入れないと、こっちが倒れちまう)


 シズの足取りは、自然と商店街の片隅にある一軒の店へと向かっていた。

 色あせた赤提灯が目印の小さな定食屋、『お食事処 えんど』。

 こんな寂れた場所で、しかも夜から早朝にかけてというふざけた営業時間で店を開けている、奇特な定食屋だ。シズの診療所から近いこともあり、徹夜明けには必ずと言っていいほど立ち寄る常連になっていた。

 重い足を引きずり、店の前に辿り着いたシズは、そこで思わず足を止めた。


「……何やってんだい、あんた」


 店の勝手口の前に、見慣れない少女がいた。

 まだひんやりと冷たい雨上がりの空気の中、泥だらけの男物のシャツをぶかぶかに着込んだ小柄な少女が、古びた竹箒を持って一生懸命に路地裏の落ち葉やゴミを掃いていたのだ。


 琥珀色の髪の間から、ふさふさとした獣の耳が飛び出している。そして、腰のあたりで同じ色の立派な尻尾が忙しなく揺れていた。


「あ、おはようございます!」


 シズの声に気づいた少女は、手を止めて元気よく頭を下げた。だが、その顔色は青白く、寒さで小刻みに震えているのがわかる。


「亜人……かい。こんな朝早くから、店の掃除なんて感心だね。あの無愛想な店主も、ついにバイトを雇う気になったのかい?」


 シズが呆れたように言うと、狐耳の少女――リリィは、ぴたりと動きを止めて、へにゃりと情けない顔になった。


「い、いえ……その……。昨日の夜、店主さんに助けてもらった恩返しに、ここで働かせてくださいってお願いしたんですけど……『いらん。帰れ』って、三分で追い出されちゃいまして……」

「はぁ?」

「でも! わたし、行く当てもないし、あの人のご飯すっごく美味しかったし! だから、外の掃除でもしてアピールし続ければ、きっと心が動いてくれるんじゃないかって……!」


 ぐっ、と小さな拳を握りしめて力説するリリィを見て、シズは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「あんたねぇ……いくら亜人でも、こんな冷え込む朝っぱらから外に突っ立ってたら、またぶっ倒れるよ。……まったく、あのデカブツは、相変わらず血も涙もないねぇ」


 シズは竹箒を奪い取って壁に立てかけると、リリィの腕を引っ張った。


「ほら、アタシが入るついでだ。中に入りな」

「えっ、で、でも……」

「いいから。アタシはここの常連なんだ。常連のツレなら、あの無愛想だって追い出しやしないさ」


 遠慮するリリィの背中を押し、シズはガラガラと音を立てて引き戸を開けた。


「よぉ、生きてるかい、店主」


 薄暗い店内。

 L字型の古いカウンターの奥、換気扇の下で、巨大な男がタバコをふかしていた。

 身長百八十センチを優に超える、規格外の巨躯。分厚い胸板に、丸太のような腕。グレーに黒が混じった無造作な短髪の下にある瞳は、深海のように暗く、冷たい。

 ただ定食屋の親父の格好をしているだけで、その全身から立ち上る『ただならぬ気配』は、裏社会のワケありの人間を嫌というほど見てきたシズでさえ、本能的な恐怖を覚えるほどだ。


 シズは男の過去も正体も知らないが、絶対に深く関わってはいけない人間だということだけは理解していた。もっとも、料理の腕だけは本物なのだが。

 店主は、入ってきたシズと、その背中に隠れるようにして狐耳をペタンと伏せているリリィを交互に見ると、微かに眉間を寄せた。


「……いらんと言ったはずだがな」

「固いこと言うんじゃないよ。仔犬拾ったんなら、最後まで面倒見な。雨上がりの外で震えてたんだ、死なせたいのかい?」



 シズが呆れたように言うと、店主は深くタバコの煙を吐き出し、無言で視線を外した。追い出す気はないらしい。


「お、お邪魔しまーす……」


 リリィは申し訳なさそうに小さくなりながら、シズの隣の丸椅子にちょこんと座った。


「で? 今日は何にする」


 店主が、灰皿にタバコを押し付けながら低く掠れた声で問う。


「ガツンと精がつくもんを出しておくれ。昨夜は一晩中、馬鹿なガキどもの千切れた腕を縫い合わせてたんだ。血生臭いのは御免だが、胃袋にガツンとくる肉が食いたい。酒もだ」


 シズがカウンターに突っ伏しながら愚痴をこぼすと、店主は短く「わかった」とだけ応え、冷蔵庫からドサリと重そうな肉塊を取り出した。

 それは、どす黒い赤紫色をした、巨大な内臓肉だった。


「ひっ……それってレバー……ですか?」

「ダンジョンボアのレバーだ。昨日仕込んでおいた」


 隣に座っていたリリィが、それを見て顔を青ざめさせた。

 ダンジョンの中層付近に生息する魔猪、ダンジョンボア。その肉は美味として知られるが、内臓、特にレバーは別だ。


 強烈な獣臭さと血生臭さがあり、おまけに魔力由来の微量の毒素を含んでいる。高度な錬金術師か、あるいは一流の解体業者でなければ完璧な血抜きと毒抜きは不可能であり、下級探索者がうっかり食べれば、三日は腹を下して寝込む代物だった。


「おいおい店主、アタシを殺す気かい? いくら精がつくって言っても、そんなゲテモノ……」

「黙って見てろ」


 店主は無愛想に言い放つと、文化包丁を手に取った。

 次の瞬間、シズとリリィの目を疑うような光景が繰り広げられた。

 巨漢の男の手首が、ブレた。

 ただそれだけに見えた。しかし、まな板の上の巨大なレバーは、瞬く間に均等な薄切りへと解体されていた。

 さらに、男が切り分けたレバーをボウルに入れ、謎の液体(おそらくただの水と酒だ)を注いだ瞬間、本来なら何時間もかかるはずの『血抜き』が、文字通り一瞬にして完了したのだ。どす黒かった肉が、鮮やかで瑞々しいルビー色へと変化している。


(相変わらず、何をしてるのか全く見えやしないね……)


 シズは呆れ半分、感心半分でその手元を見つめた。

 微かな魔力のようなものを纏っているようにも見えるが、シズの目には、それがどのような技術なのか全く理解できない。ただ、目の前の大男が、食材の細胞レベルにまで干渉するような常軌を逸した精密操作を行っていることだけは確かだった。

 ゴォォォォッ!!

 中華鍋の下で、ガスコンロの火が爆発的な勢いで立ち上がった。

 店主はそこに油を引き、大量のニラとモヤシ、そして下処理を終えたダンジョンボアのレバーを放り込んだ。

 ジャァァァァァッという激しい音と共に、暴力的なまでに香ばしい匂いが店内を席巻する。醤油、ニンニク、生姜、そして何らかの隠し味が焦げる匂い。


 つい先ほどまで限界だったはずのシズの胃袋が、その匂いを嗅いだだけで悲鳴のような音を立てて空腹を訴え始めた。


「……食え」


 ものの数分で、カウンターにどんぶり飯と、湯気を立てる大皿がドンと置かれた。

 照り輝くレバーと、鮮やかな緑色のニラ。添えられたのは、熱燗の入った徳利と猪口だ。


「ほんじゃ、いただこうかしらね」


 シズは箸を割り、まずはレバーを一切れ口に運んだ。


「――っ!」


 シズの目が、カッと見開かれた。

 臭みが、全くない。それどころか、レバー特有のパサつきすら皆無だった。

 歯を立てた瞬間、表面はカリッと香ばしく、中は信じられないほどトロトロで滑らか。濃厚な肉の旨味と、ニンニク醤油のパンチの効いたタレが、口の中で完璧な爆発を起こしている。

 そこにシャキシャキのニラとモヤシを放り込み、すかさず白飯を掻き込む。

 美味い。美味すぎる。

 さらに、シズの身体に驚くべき変化が訪れた。

 胃袋にレバーが落ちた瞬間、徹夜の手術で鉛のように重くなっていた肩や腰の痛みが、嘘のようにスッと引いていったのだ。それどころか、内臓の底から熱い活力が湧き上がり、全身の細胞が若返ったかのように視界がクリアになっていく。



「くぅぅっ……! 相変わらず、あんたのメシは魔法みたいだねぇ!」



 シズは熱燗をグイッと煽り、至福の吐息を漏らした。

 最高だ。この一口のために、地獄のようなスラムでの医者稼業を続けていると言っても過言ではない。


「はぁ……はむっ、んぐっ……」


 隣から、何かおかしな音が聞こえた。

 シズが横を向くと、リリィが両手でカウンターの縁を強く握りしめ、目を血走らせながら、シズの食べているレバニラを凝視していた。

 狐の耳はピンと立ち、口の端からはツーッとよだれが一筋垂れている。昨夜、病人用の雑炊を食べたとはいえ、成長期の亜人の胃袋には到底足りていないのだろう。

 シズは苦笑し、厨房の奥でタバコをふかしている店主を見た。


「ほら、店主。あんなどこにも行けない仔犬が、腹空かせて待ってるじゃないか。いつまで意地張ってるつもりだい?」


 店主はシズの言葉に、チッと短く舌打ちをした。

 そして、深く吸い込んだ紫煙を換気扇に向かって吐き出すと、ゆっくりと振り返り、冷たい目で見上げるリリィを見下ろした。



「…………賄いは、一日二食までだ」



 ぼそりと、掠れた声で落とされた言葉。


「え……?」


 リリィが、ぽかんと口を開けた。


「何度も言わせるな。食費もタダじゃねぇんだ。その分、店と外の床拭きからきっちりやらせるからな」

「あ……ああ……っ!」


 リリィの瞳に、ぶわっと大粒の涙が溢れ出した。

 彼女は椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がると、狐の尻尾をちぎれんばかりに振り回し、深々と頭を下げた。


「はいっ!! ありがとうございます、店主さんっ!! わたし、粉骨砕身、馬車馬のように働きます!!」

「……うるせぇ。ほら、余りもんだ。さっさと食え」


 店主がカウンターに置いたのは、シズに出したものと同じ、山盛りのレバニラ定食だった。

 リリィは「いただきます!!」と叫ぶと、顔を突っ込むようにしてどんぶり飯を掻き込み始めた。美味い、美味いと泣きながら頬張るその姿は、見ていて不思議と心地よいものだった。


「ふふっ。賑やかになりそうだねぇ」


 シズは熱燗の最後の一滴を飲み干し、窓の外を見た。

 雨は完全に上がり、雲の隙間から朝日が差し込み始めている。

 世界の端っこにある、廃れた商店街の片隅。この静かすぎた定食屋に、今日からほんの少しだけ、騒がしくも温かい日常が始まるのだと、シズは確信していた。

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