表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/49

信念と夢と拾う神。 中

 東京に戻った二人は、各々自分のやるべきことに取り掛かり始めた。手始めに物置と化していた社屋の奥の部屋を片付けて文芸誌編集部とし、波留日はそこへ住まった。古く小さな文机に向かい、一心不乱にペンを走らせる。


 一方陣佐は、文芸誌を印刷するための紙や印刷所の確保、そして発行した後置いて貰うための本屋や商店への交渉に奔走していた。そして今宵陣佐が乗り込んだのは、華幻楼のとある座敷。


「三ヶ沢修之介先生であらせられますかァ?」


「……何者だ貴様。この座敷には呼んでいない人間だな」


 どんちゃん騒ぎも闌になった中、名残惜しく女郎にしなだれ掛かる、脂ぎった中年男。


「……少し御話良いですかァ?」


 突如現れた慇懃無礼な大男を前に、三ヶ沢は警戒心を剥き出しにする。あの男をつまみ出せと女郎達に騒いでも、彼女らは素知らぬ顔でそっぽを向いている。


「おい、お前達……」


「一寸見て貰いたいモノがありましてねぇ」


 陣佐は小脇に抱えていた鞄から数枚の書類を取り出すと、三ヶ沢の眼前へと突き出してみせた。途端に男の顔面から血の気が引き、脂汗が噴き出る。陣佐はその書類一枚一枚へ丁寧に指を滑らせた。


「これはアンタと外国の会社の取引の契約書。これはその金の流れを記した書類だ。そしてこの名簿に書かれた役員は翌年に根こそぎ人事異動……。一体誰が何の為に一枚噛んでいるんだろうなァ? 三ヶ沢セーンセ?」


 陣佐の手には古びた手帳が握られている。その頁には、所狭しと文字が綴られ、懸命なる取材の跡が刻まれていた。


「う、嘘だ。これは捏造だ」


 絞り出された声。しかし陣佐は抵抗を見せようとする三ケ沢を遮った。


「勿論証拠はこれだけじゃねぇ。今此処にあるやつを山羊に喰われたって、俺はお前を豚箱にぶち込む事ができる」


「お前は誰だ」


「半間陣佐。新聞記者をやっていた者だ」


「どうやって嗅ぎ付けた? 隠蔽は完璧だった筈……」


「そりゃあ足ですよ、人脈ですよ。それ以外に何があるってんですか」


 陣佐はさも当然というように吐き捨て、どっかりと畳に胡坐を掻いて鋭い視線を向けた。


「因みに、これは俺だけが知っている事だ。すっぱ抜いてやろうと思ったが諸般の事情により御蔵入りしている。この書類を持っているのも俺だけだ」


 空気が張り詰め、井草の香りがまだ立ち上る畳はまるで針の筵のようである。三ヶ沢とてタダで転ぶような人間ではない。互いの意地と矜持が冷え切った金属のように互いの首へひたりと触れる。


「何が狙いだ……?」


 絞り出された三ヶ沢の声に陣佐はニヤリと口角を上げると、胡坐を掻いていた膝に肘を立て頬杖をついた。


「ちょっと金を援助して欲しい事業がありまして……。三ヶ沢大先生のお力添えを賜りたく馳せ参じた訳ですよ。なぁに、黒い話じゃない。いずれ貴方にも利が出る」


 陣佐の人差し指がトントンと自らの精悍な頬を叩く。返答を急かすようなその間合いに、三ヶ沢はごくりと唾を飲み込んだ。



***



 小さな足と大きな足。年端もいかぬ美麗な少年と、顔の良い背広の大男。夜の帳が降り始めた町を歩く、兄弟とも親子とも言えぬようなちぐはぐな二人組は、どうしたって道行く人の目を引く。大通りを横切ろうとして馬車が通った。二人はそれを待ちながら栗毛の馬がぶふぅとため息のような声を出したのを目で追う。


「記者時代に温めておいた特ダネで揺すりを掛けて金をせしめるって……陣佐が一番黒いね。ふふふ」


 ガタガタと馬車の音を聞きながら、暇つぶしのように波留日が呟いた。


「悪いことをする奴が悪いんだよ。俺はそれを利用したまでだ」


 悪びれもせず煙草をふかす陣佐。紫煙が夕焼けの橙と藍色の混ざった空に消えていく。


「これで金のアテはついた。偕成に渡す用の原稿をお前が書いている間に、印刷所とも紙屋とも折り合いをつけて、商店や本屋にも話はしておいた。あとは……今からの勝負ってわけだ」


 陣佐は馬車の去った大通りへ足を進めた。陣佐の一歩は波留日の二歩。二人はいよいよだという高揚感に打ち震えながら、日の暮れかけた街を歩く。陣佐の鞄の中には、波留日が必死に書き殴った何本もの小説の原稿があった。この分厚い原稿の束は、陣佐からすれば短期間によく、完成度の高い小説を書き上げたものだと感心するものであった。


「……そうだ。まだ決まったわけじゃねぇが、誌の名前はどうする。そういう夢のある話で勢いづけて行こうぜ」


 陣佐はポケットから煙草の箱を取り出し、トントンと次の一本を取り出す。波留日はじっと民家が立ち並ぶ屋根の向こう、薄紫と紺が入り混じる空を見上げ、暫く唸って考え込んだ後、そっと微笑んで口を開いた。


「……『日々是好日』にしよう。僕達がこの時代に存在し、生きていくこの一日一日が、尊く、かけがえのないものとなれるように」


 陣佐は新しい煙草の新鮮な煙を吐き出し、声を上げて笑った。


「やっぱりお前、タダの子供じゃねぇなァ」


 波留日はその言葉に頬を膨らませ、拗ねたようにそっぽを向く。


「それを君が気にしたら御仕舞いだろう?」


「はは、そりゃそうだな。最高だよ、波留!」


 陣佐は小さな波留日の頭に掌を乗せてガシガシと撫でる。出会ってから変わらないその高さ。掌には、髪の毛の隙間から興奮で汗ばむ湿気を感じる。小さな体に漲る情熱を垣間見た気がして、むず痒くなった陣佐はその身体をひょいと持ち上げると、肩に乗っけた。波留日は抵抗するどころか足をゆらゆらと揺らして上機嫌に高い視界を楽しんでいる。波留日の目には、きっと目的地である花街の大門が見えているであろう。




 「小生の前で嘘は要らない。あの原稿を書いたのは其方だと存じている」


 華幻楼の座敷。三ヶ沢の支援金で作った宴席にて。勿論陣佐と波留日が招いたのは鎌田と文壇の重鎮の一柱、桑原慶治だ。落ち着いた色の着流しを纏う慶治はゆったりと席につき、陣佐から波留日の紹介を受けるや否や、そう言い放ってみせた。


「その纏う雰囲気と話す言葉に知性と才が滲み出ている。其方は、陣の言う翁の作家の遣いではなく、書き手本人であろう」


 陣佐と波留日は思わぬ言葉に目を丸くして顔を見合わせる。


「では何で……」


「君を隠すには、偕成は大き過ぎる。子供が出入りし小生や鎌田と接触すれば、どうしたって目につく」


「だから俺はお前に小僧の話をしたんだ」


 そう言って酒を煽る偕成の二人組に、陣佐は肩の力を抜いて乾いた笑い声を上げた。


「結局お宅らの掌かよ。例えば、俺が波留日の原稿に心打たれなければ、決断をしなければどうするつもりだったんだ」


「野垂れ死ねば良いと思った。人ひとり、自らの行く末に思い悩む者の心を動かせなければ、桑原先生が後ろに立つ価値などあるまいよ。なぁ、波留ちゃん」


 陣佐の問いかけに、鎌田はあっけらかんと言葉を放つ。波留日はそんな冷静で冷酷な鎌田を前に冷や汗をかいて苦笑いをした。


「酷い言い草だな」


「結果は小生らの望むようになったわけだ。何ら問題はあるまいよ。さぁ波留や、君の命を見せておくれ」


 思わず陣佐が零した言葉を慶治が拾う。そして陣佐から受け取った波留日の原稿を一枚一枚、丁寧に目を通していった。その静寂は、隣の座敷のどんちゃん騒ぎや花街の喧騒を運んでくる。


 陣佐と鎌田は、波留日の手並み拝見の邪魔にならないよう小声で何やら難しい話をしている。取引や権利、金銭の話だろうと波留日は大人しく慶治の前に正座し、一定の速度で動く慶治の黒目を目で追った。


「さて、波留や。文藝礼讃に載る君の小説への講評は小生が書こう」


 トン、と卓に原稿を揃え、波留日の魂の欠片を読み終えた慶治が顔を上げる。その表情は、穏やかな日だまりのようだった。


「やはり気に入った。君の命は、その小さな体躯に似合わぬ程の智と刻で燃え盛っている。同じ時代に生きていなくて良かった。同年代であれば少なからず影響を受けていたであろう。我々にとっての池田川、か」


 そう言う慶治はどこか懐かしそうに目を伏せて波留日の原稿を撫でた。


「じゃ、じゃあ、偕成でのデビユウの話は……!」


「小生が許可する。其方らは文壇の力を嫌うかもしれぬが、初めは頼れるものを頼ればよかろう。駆け出しが大事。独り立ちは後でも良い。其方らは小生らの力がなくとも、実力だけでやる胆力はあると見る」


 波留日と陣佐は顔を見合わせ、間髪入れずに喜びを爆発させて互いの身体を掻き抱く。


「有難き幸せ!」


 そして恭しく頭を下げた二人に、慶治はにっこりと目を細めた。





「陣さん、忘れ物だよ」


 呼び止められ振り返る。そこには、山吹の妹女郎であり、最近人気が出てきた遊女である菜乃葉が手にハンケチを持っていた。


「あぁ、菜乃葉。悪いな、今日は場所だけ借りたようなもので」


 陣佐がポケットをまさぐり自らのものだと確認し、バツが悪そうにそれを受け取った。


「構わないよ。おっかさんも陣さんならいいと言っていたわ」


 廊下を歩きそのまま帰ろうとする陣佐を菜乃葉が呼び止める。


「ねぇ、今日は涼風の所にはいかないのかい?」


「あぁ、今日は帰って仕事したいんでね。波留、行くぞ」


 陣佐は最近特に自分を気に入り声を掛けてくる新造の涼風の名を聞き、少し困ったように眉を下げて波留日の名を呼んだ。


「うん! ねぇ陣佐、早く話を進めよう? のんびりなんてしていられないよ!」


「……やっぱり似てる」


 陣佐に返事をしてその大きな背中を追い掛ける波留日に、ぽつりと菜乃葉が言葉を零した。


「似てる……? 誰に?」


 振り向いて首を傾げる波留日に菜乃葉はそっと歩み寄ると、白い雪のような掌で波留日の黒髪を撫でる。


「波留がね、そうやって好きなものに目を輝かせて、一生懸命に物事を追い掛けるところとか、その華奢な感じとかが、故郷に残してきた幼馴染の男の子に似てるの。後ろ姿とかそっくりだわ。まぁ、もう二十歳を超えたいい大人になっているんだけれどね」


「へぇ……」


 懐かしそうに微笑んで菜乃葉は昔話を語る。


「あの子は頭がいいけれど、家に仕事を決められていた。きっと、私と違ってその仕事を全うする立派な人間になっているさ。……柄にもなく思い出話をしちまった。では陣さん、波留、また御厚意に」


 廊下は終わり、いつの間にやらやり手婆が支配する帳場に行き着いていた。雑談の終わりを悟った菜乃葉は、決まり文句とともにしゃなりと頭を下げる。


「うん、またね、菜乃葉」


「あぁ、先生と鎌田には良い子を付けてやっておくれよ」


 ひらりと小さな掌を振って波留日が笑う。陣佐も片手を上げて爽やかな笑顔を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ