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神火と無茶と七三分け。

 冷えた夕暮れの空気に、門松や御飾から外した稲わらの匂いがほのかに漂う。怒涛の年末を乗り越え年が明けた睦月。日々是好日編集部の面々は、それぞれ腕いっぱいに正月飾りを抱え、近所の神社でどんど焼きでお焚き上げをしてもらおうと歩いていた。歩くたびにガサガサと小さな音を立てる。


「これで正月も終わりって感じだな」


 夕焼けが街路を柔らかな陰影で包み、吐く息は白く、冬らしい冷え込みのなかで陣佐は足を止め、空を仰いでしみじみと感嘆の声を漏らした。


「今年は団子かな、お餅かな」


「こういう時ばっかり子供面して貰いに行くんだから虫が良いよな、お前は」


 陣佐はコツンと拳骨を波留日にぶつけて笑う。イテッと波留日は顔をしかめ、次いで頬を膨らませた。


「使えるものは使わなきゃでしょ?」


「ったく、誰に似たんだか」


「それは紛れもなく陣さんでしょう」


 雷蔵が目を細めながら笑えば、陣佐は白い歯を見せて雷蔵の肩を小突く。


「コイツが我儘で図々しいのは俺が会った時からだよ。ったく、お前も言うようになったなァ、雷蔵。……こうしてお前も交えて正月を過ごすのも二回目か。長かったようで短いような、不思議な感覚だ」


「この一年と一寸の密度は本当に凄まじいものだと思います。きっと二年前の俺に言っても信じて貰えない。まさか、日々是好日に拾って貰って、連載小説を書いて、それももう直ぐ一段落するだなんて」


 雷蔵は頷くと、同じように空を見上げてガサリと腕の中の御飾や稲藁を抱え直す。


「そうだ雷蔵、書き損じた原稿も持ってきたよね? ちゃんと焼いて、煙を天に届かせて、もっと上手くなって貰わなくちゃ」


 波留日はそんな雷蔵に釘を刺した。雷蔵ははいはいとそれをいなすと、丁度前方の曲がり角から姿を現した二つの影にパッと目を見開いた。


「あっ、日向端さん達だ」


「あぁ、皆さん、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」


 明彦が荷物を一手に持ち、二人で寄り添い歩く姿はとても微笑ましく見える。陣佐はひょいと片手を上げて明彦の丁寧な挨拶に応えた。


「おう、おめでとさん。上京が遅かったな、何かあったのかと心配していたぜ」


「それが……」


 陣佐の言葉に二人は頬を染めて見つめ合うと、そっと仲睦まじく身を寄せ合う。


「ややが出来たみたいで、産婆さんに色々見てもらったり教えてもらったり、帰省の時期をずらすためにこんな一月も半ばになってしまいました」


 陣佐と雷蔵はその言葉にパァと顔を華やがせた。


「年明けに相応しい吉報ですね! おめでとうございます!」


「じゃあ先月ミチ嬢ちゃんがキミさんを連れてきた時も、その兆しだったのかもな。まぁとにかくめでてぇ! 生まれるのはいつ頃か?」


 キミは頬を染め、明彦の着物の裾をクイと引っ張る。明彦はそっとキミの肩を抱くと、気恥ずかしそうな妻の代わりに応えた。


「夏ごろかと。無事に生まれて来て欲しいものです」


「そうだなァ……徳檀先生お勧めの産婆でも聞いてきてやるよ」


 陣佐は手を顎に当てる。


「ありがとうございます。初産で何かと助けを借りるかもしれませんが……」


 キミが深々と頭を下げれば陣佐は手を振って笑った。


「なぁに、困った時はお互い様よ。俺達なんて毎度締め切り前には徹夜して騒がしくしちまってるんだからなァ。それも控えなくちゃいけねぇな」


 そうして立ち話をしていると、玩具を手にした子供達が皆の間を駆け抜けていった。どうやら神社の催しが始まっているらしい。


「こんな寒い中話すのも良くないな。引き止めちまって悪いな。行こう」


「そうですね。日向端さん、ではまた」


 陣佐に同調して会釈をする雷蔵と波留日。キミもひらりと手を振ると、お飾りを持つ波留日の手がやけに白いことに気付いた。


「……波留ちゃん、その手袋、どうしたの?」


「これ? これはね、正月の台所仕事を気合い入れてしてたら赤切れちゃったの」


 波留日は気恥ずかしそうに手に持ったお飾りを抱え直した。怒りに任せて壁を殴った痕もあるとは口が裂けても言えず、雷蔵と陣佐も苦笑いで互いの顔を見る。


「それは大変! 折角綺麗な御手々なのに……。良い塗り薬があるから、またあげるわね」


「ありがと、……キミちゃん」


 キミの優しい掌にそっと黒髪を撫でられ、波留日は頬を染めて俯いた。



 そうして神社に向かえば、子供達が火を囲んで駆け回り、大人達は甘酒を啜りながらその様子をにこやかに眺める。皆の新年の祈りを纏いもくもくと上がる煙は、夕暮れの空に天高く上っていた。


「おー、陣じゃねぇか! お飾り貰うぜ」


 火の番をしている近所の親父が声を上げる。陣佐は片手を上げ、雷蔵と波留日を引き連れて火の前に立った。櫓の中にお飾りや書き損じた原稿を投げ入れる。それら瞬く間に引火し、黒く焦げ付き、灰になって上昇気流に乗り天へ舞い上がっていった。雷蔵は自然とその様子を見上げてじっと手を合わせる。陣佐はそんな雷蔵を見やりながら、早速受け取った甘酒を啜った。


「……今年は、どんな年になるのかな」


 波留日はぽつりと呟きながら燃え上がる炎を食い入るように見つめる。その大きな瞳に、ゆらゆらと揺れる炎を焼き付けるように。



***



 編集部の机の上、散らかった書類の一番上に日々是好日一月号が鎮座している。日付は一月の十九日。明日、書店や商店の店頭に並ぶ、雷蔵と波留日にとって特別な号だ。波留日はそれを手に取り頁を捲る。


 雷蔵が紡ぎ上げた『砂浜の彼方』の最終回が掲載されていた。波留日は目を爛々と輝かせ、手袋を纏った指先で頬を抓ると、文机に向かいしきりにペンを走らせる雷蔵の後ろに歩み寄る。そして雷蔵の乱れた髪に手を伸ばすと、その髪を適当に括る紐をするりと抜き取った。


 絹の手袋のまま、はらりと零れ落ちる雷蔵の髪を掬い上げ、手櫛でゆっくりと整えていく。


「……手の傷はまだ治らないのか? 壁を殴った手の甲と、赤切れ、だろう?」


 雷蔵は手を止めず、されるがまま呟いた。


「……もうそろそろかな。乾燥が怖いのと、軟膏が周りにつくのが嫌なだけだから。見た目が派手なだけだよ」


「そうか……。あんまり酷い様なら徳檀先生に……」


「はい、できた。随分伸びたし、髪艶がよくなっているね。初めて会った時とは大違いだ」


 波留日は雷蔵の言葉を遮ってポンと両肩を叩いた。雷蔵は結ばれた髪の先に手を伸ばして指を絡めると恥ずかしそうに苦笑いをする。


「あの時は碌なものも食べていなかったからな。髪が伸びたのは切ってないからだ。悪いな、ズボラで」


「別に責めちゃないよ。ただ……あの時にちゃんと出会えてよかったと思ってね」


 波留日は頬を膨らませて不服そうな雷蔵の伸びた髪の束を掬い上げ、そっと唇を寄せた。


「遂に明日だ。君の物語の一部始終が、多くの人の心に触れて繋がる。君が書いたものが多くの人の目に留まる。こんなに喜ばしいことはない。……僕は、僕は、間違っていなかったんだ」


 波留日の言葉尻が微かに震え潤む。背後で突然静かになったことに不安を覚えた雷蔵がペンを止めて振り返った。


「波留日?」


 雷蔵の背後で膝をついていた波留日の瞳からは大粒の涙がボロボロと零れ落ち、畳に何点も染みを作っていた。波留日は慌ててしきりに涙を拭い、その目元は擦れて赤くなってしまっている。雷蔵は驚いて目を見開いた。


「嫌だな……こんな泣くつもりじゃなかったのに……」


 雷蔵はそっと波留日の頬へ手を伸ばし、両手でそっと包みこんだ。頬を包む手の甲に温かい涙が伝う。雷蔵は親指で波留日の赤くなった目元を優しく拭うと、そっと微笑んでみせた。波留日はそんな雷蔵の手に自らの手を重ね、そっと頬を摺り寄せる。絹の滑らかな感触が雷蔵の手に触れた。


「君が文字を紡ぐこの手が好きだ。君が書く物語が好きだ」


「何で、お前はそんなに俺を……」


「君の綴る物語に希望を貰ったからだよ。君の書く物語は、本当に美しくて、未来を照らすようだった」


 その真っ直ぐな波留日の感情に困惑を隠せず、思わず頬を染めたその時。ガラリと音を立てて編集部の襖が開いた。


「感極まっている所悪いな、晩飯だぞ」


 陣佐が呆れ顔で二人を見下ろしている。



***



 焼き魚とたくあん、味噌汁と雑穀。ヒサが作った夕餉を、ちゃぶ台にて日々是好日編集部の三人と新聞部の若者達で狭苦しく囲む。カチャカチャと箸が茶碗に当たる音や、味噌汁を啜る音が静かな部屋に響いた。


「ねぇ陣佐、また無茶なことを言ってもいい?」


 味噌汁に映った自分の顔を暫し見つめた波留日は、意を決したように一度箸置きに箸を置くと、そう言って顔を上げる。陣佐はあと一枚残っていたたくあんをポリポリと噛んで飲み込み、緑茶を飲み干して湯飲みを置いた。


「何だよ、坊っちゃん。言ってみな。無茶振りには慣れてるぜ」


「……本を出したいんだ、雷蔵の。『介錯』と、『砂浜の彼方』。そして、今までの未発表原稿や高岩鬱空名義時代に書いていたものを纏めてさ、雷蔵の本を、短編集を出そう」


 陣佐の仕方ないなァと言わんばかりの様子に後押しされ、波留日は口を開く。それを聞いて一番驚いたのは雷蔵だ。目を丸くして茶碗を取り落としそうになる。


「どうして急に」


「そりゃぁいい! 砂浜の彼方完結記念だな! 新進気鋭で勢いのあるうちだ! 雷蔵、溜めてた原稿持って来い! 何が無茶なもんか、そういうのは実現させたもの勝ちだろ」


 陣佐は膝を打ち豪快に笑い声を上げた。眉を下げて不安そうだった波留日の顔が華やぐ。


「ありがとう……! 流石陣佐だね」


「取り敢えずそうだなァ、資金繰りか? そういうのは俺が考えといてやるよ」


「おめでたいわね、そうだ、ビールがあった筈よ。皆さん飲みます?」


 ヒサがニコニコと笑顔を浮かべて両手を打つ。そうすれば若手の男達が酒に盛り上がって歓声を上げた。そうして瞬く間に並べられるグラスに注がれる黄金の酒。雷蔵は一口だけ注いでもらい、乾杯の声と共に腕を上げる。小気味のいい音が響き、次いでゴクゴクと喉を越すが場を支配した。


 雷蔵はビールを口に含める程度に留めると、ぷはーっと気持ちよさそうに息をつく波留日の横顔を、唇を真一文字に引き結んでそっと眺めた。



***



 カラカラと安い呑み屋の引き戸が開く。中では仕事終わりの男達がその腹を満たすために無駄話をしながら酒やつまみを煽っている。いらっしゃいと女将が顔を上げれば、たった今来店した上背のある色男に頬を染めた。半間陣佐はそんな女将に軽く手を上げると、先に酒瓶を開けているネクタイにベスト、七三分けの四角の銀縁メガネを掛けた男の向かいに腰を下ろす。


「よう、鎌田、久しぶりだな」


「久しぶりって程間は空いていないだろ。……君から連絡を寄越す、そういう時は大概無茶な要求を持ってくるって俺は知っているんだが」


 鎌田は空のグラスにビールを注ぎ、肩を竦めて苦笑いをする。何を隠そうこの男、陣佐の友人であり、三大文芸誌・文藝礼讃擁する偕成出版の文芸部の編集者だ。


「鋭いな。御名答。此度もう一度偕成の力を借りようと思ってな」


 陣佐は注がれたビールを威勢よくゴクゴクと飲み干すと、空になったグラスをドンと卓の上に置いた。


「……達川雷蔵の短編集を出したい。お前らの会社で出せないか。利益の全部くれてやってもいい」


 鎌田はハハハと高らかに腹を抱えて笑い、ひとしきり手を叩いた後、一転して腕を組んで真面目に考え込む様子を見せる。


「……文芸好きの間でしか知らないような、ほぼ無名、そして検閲及び杜若から後ろ指を刺されている日々是好日の専属作家の作家の書籍化、か……。また無理難題を持って来るねぇ」


「無理を承知で言っている。何とかならねぇか? うちの坊ちゃんのお願いなんだよ」


 陣佐は身を乗り出して鎌田の顔を覗き込んだ。


「うちはね、多少無茶でも勝機があれば、売れるなら良いって言うからねぇ……。ただ、この場合それだけじゃ動かない……橘波留日の原稿が欲しい。朝星が唯一偕成に有意であれる部分が橘波留日の窓口であるということだ。それは存分に活用しよう。そして雷蔵君にも御手並み拝見としてウチの誌に一本書いてもらおうか。それが最低条件だな。最終的にはウチの桑原慶治先生に直接会って判断してもらうし、……まぁ、俺の一存だけでどうこうできるものではない。ってのが今の答えだな」


「よしきた。その程度なら痛くも痒くもねぇな。それに、雷蔵が無名であるのだってそう長くはない筈だぜ。アイツは直に池田川を獲る」


 陣佐は刺身を突いて満面の笑みを浮かべた。その爛々とした気迫を前に、鎌田は噴き出して笑い声を上げる。


「あんなに荒んでいた陣がねぇ……こんなにも一生懸命に文芸に奔走しているだなんて信じられないよ。橘波留日は、君の人生を大きく変えてみせたね」


「よせやい。俺はもとより熱い大馬鹿者さ。その舞台が政治から文芸に変わっただけだ」


 陣佐は眼鏡を取ってしみじみとする鎌田を前に、気恥ずかしそうに鼻を掻いた。


「そうだな。いつかのお前よりは、ちゃんと生きてる感じがするよ。数年前より全然いい」


 鎌田は熱燗を注文すると、御猪口に酒を注いでくぃと煽る。眼鏡越しの目元が赤い。


「そういえば、この前桑原先生と華幻楼に行った時、涼風がお前が最近来ないと愚痴っていたぞ。忙しくて大変だとは思うが、あの気難しい娘だ、ちゃんと相手してやれよ」


 男二人の酒の席、酔いが回れば話題は色恋へと移り変わる。鎌田が浮ついた目で陣佐を見やった。


「いやぁ……俺は別にアイツの旦那って訳じゃないんだがなぁ……」


 陣佐は困ったようにちくわの天ぷらを箸の先で突く。


「そういうお前はどうなんだよ。いい女は居るのかよ」


 そして話題を逸らしてやろうと言わんばかりに言い返してみせれば、鎌田は身を乗り出し、誇らしげに最近であった町娘やら地方出張で出会った遊女の話を始めた。陣佐は適当に相槌を打ち、内心しめしめとほくそ笑む。


 まるで青春を謳歌する少年のような空気が、二人の間には流れていた。





「……じゃあ上には相談しておくから、進展があったらお互い報告という形で頼む」


「あぁ。感謝するぜ」


 酒場の引き戸を開ければ、睦月の夜に相応しく、凍えるような寒さが二人を包む。酒で火照った身体から吐き出される息は白い靄となって夜空へ混じり消えて行った。二人は互いにヒラヒラと手を振り、帰路へと歩きだす。


「さて……頑張りますか」


 ぽっかりと浮かぶ月を見上げてぐいぐいと腕を回すと、陣佐は寒さでかじかむ手で煙草に火をつけた。吐息でない白い煙が、ふんわりと夜空へ浮かんでは消える。


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