大工と医者と編集者。上
陣佐の背を追い掛けて向かった先は、町外れの建築現場であった。真新しい建材の木の匂いが立ちこめ、むき出しになった柱の間を忙しなく職人たちが動いている。周囲をきょろきょろと物珍し気に見渡する雷蔵を横目に、陣佐は現場に向かって大声を張り上げた。
「寛二ー! 居るか?!」
すると奥の方で釘打ちをしていた青年がひょっこりと顔を出し、陣佐を捉えるや否や目を丸くした。
「陣さん! どうしたよ現場まで来て!」
「いやぁね、お前さん今月原稿出したかって聞きに来たのよ」
寛二と呼ばれた青年は、鉢巻の似合う気の良さそうな大工だった。首に掛けた手拭いで顔の埃をゴシゴシと取ると、親方に一礼してから陣佐のもとへ駆け寄ってくる。
「いぃや、今月は出してねぇ。見ての通り忙しくてよぉ」
「そうかそうか。なら良かった。お前さんの原稿が見当たらねぇから、こっちが失くしちまったのかと思ってな」
陣佐の言葉を寛二は困るぜぇと肩をすくめ、軽快に笑い飛ばした。そして、その様子を後ろで見守っていた雷蔵を見つけるや否や、寛二は「おっ!」と声を上げる。
「ひょっとして、お前が波留ちゃんが言ってた雷蔵か?!」
寛二は雷蔵の返事を待たずにぐいと間合いを詰め、顎に手を当て雷蔵をまじまじと観察した。日に焼けた健康的な肌や逞しい筋肉の体躯に気圧され、雷蔵は息を詰めて仰け反る。しかしそれも僅か一瞬のことで、寛二は不躾に雷蔵の服の袖をまくって腕を掴むと、うひゃー! と叫び声を上げた。
「なんだぁこの細くて白っこい腕は! 折れちまいそうだ! というか、頬だってこけちまってるし、こんなんじゃあ女にモテねぇぜ! 損だなァ! ……いや、この白い肌によく通った鼻筋……元は大層な美人なんじゃねぇのか? それなら尚更こんなガリじゃもったいねぇなぁ!」
雷蔵はべらべらと捲し立てる寛二の勢いに肩を震わせると、まるで臆病な猫のようにピャッと縮こまり、細い身体を陣佐の背に隠す。陣佐は当然怯える雷蔵を庇い、寛二へ鉄拳制裁を飛ばした。ゴチンと鈍い音が響いた後、寛二はいてぇと脳天を押さえて地面をゴロゴロと転がる。
「この馬鹿! 先ずテメェが名乗れ! 失礼ばっか言いやがって!」
呻く寛二を陣佐は仁王立ちして見下ろした。痛みが治まった頃、寛二はへらりと苦笑いを浮かべて服に付いた埃を払いながら立ち上がる。そして改めて雷蔵に向かい合い、今度はしっかりと胸を張って名乗ってみせた。
「悪かったな。俺は太田寛二! 見ての通り大工だ! よろしくな!」
そう言って差し出された掌はごつごつと肉刺だらけで、とても綺麗とは言えない。しかし紛れもなく洗練された職人のものだった。そしてその主は、人懐っこく、飾り気のない笑顔を浮かべている。
「……達川雷蔵だ。宜しく」
「雷蔵といえば、あの『介錯』! 難しくて俺にはちょーっとしか分からなかったが、何か凄かったぜ!」
寛二は手を握ってくれた雷蔵の薄く細い掌をブンブンと振って、興奮冷めやらぬといった様子で声を上ずらせた。雷蔵は自分の作品を読んでくれた人を前にし、少し頬を染めてはにかみながら首を傾げる。
「ありがとう……。君は、何を上げたんだ? 日々是好日に、太田寛二という作家はいなかったような……」
「あぁ、俺は物を書くときは大木始って名乗ってるんだ!」
「始……。あの随筆か」
雷蔵は頭の中で日々是好日を開き、その作家の名を思い出した。
何気ない日々を不器用な言葉で綴る、大木始。日々是好日でも常連の投稿者だ。稚拙な語彙で内容も庶民的でありきたり。でも温かい。そんな文章を生み出していた人間は、意外かはたまた想像通りか、太陽のような笑顔の、酷く普通な青年であった。
「……何で君は、日々是好日に文を寄せるんだ?」
大工という職の青年が文を書く。雷蔵は当然のように浮かび上がった疑問を寛二にぶつけた。すると寛二は「おぉっ?! 訊いちまうかー!」と白い歯を見せ嬉しそうに笑う。そしてごほん、とわざとらしく咳払いをしたかと思えば、足を肩幅に開き、自信満々に胸を張った。
「この俺、太田寛二は、その生まれの貧しさゆえ、小学校も碌に通えなかった! 家の手伝いをし、年頃になれば大工の奉公に出されたのさ。だがしかし! 俺はずっと小学校の図書室が忘れられなくてよぉ……! ガキながらに、作家になる道もいいなって思ってたわけだ! でも俺は馬鹿だし金もねぇしでそんなの夢のまた夢。ところがどっこい! ある時道端に捨てられていた朝星新聞を拾った時、俺の人生は変わった!」
まるで演説をする政治家のような雄弁さだ。身振り手振り激しく、芝居掛かった寛二の語りにポカンとする雷蔵の隣で、陣佐はこの講釈を何度も聞いたことがあるのか、クツクツと腹を抱えて笑い声を堪えている。
「誰でも何でも文を寄せても良いって雑誌ができるって広告を見て、これだ! って思ったわけよ!」
グッと拳を握り、力強く話を続ける寛二。気分は二枚目の歌舞伎役者や、活動写真の俳優といったところだろうか。
「使わなくなった設計図の裏紙に、何の掟も分からないまま書いて陣さんの所に持って行った! 馬鹿にされるかと思ったけれども、陣さんも波留ちゃんもこんな莫迦で身の程知らずの俺を受け入れてくれたんだ……!」
そして自分で語って過去を思い出し、感極まったのか、寛二は涙をボロボロ流し始める。雷蔵はその騒がしさにギョッとして、まじまじと寛二を見つめた。
「日々是好日初めての寄稿者だって『始』なんて名前までくれてさぁ……! だから俺は、馬鹿にされようが何だろうが書くんだよ! それにな、書くことを探そうと思えば、一日一日を一寸丁寧に生きている気がするんだ。それって何だか最高に粋じゃねぇか?! だから、書くことは丸ごと、俺の人生になるんだ!」
ごしごしと腕で涙を粗っぽく拭えば、寛二は勢いよく雷蔵の細い手を取り、力強く握り締める。
「雷蔵、雷蔵だって日々是好日の大切な仲間だ! 俺、雷蔵の小説がちゃんと分かるようにもっと勉強する! 難しい文芸誌だって読む! 今は、文藝礼讃だけだけど、杜若だって、すてらだって読んでやる! 俺の可能性は、無限大だ-っ!」
両手の拳を突き上げて叫んだ寛二。そんな一人劇場を無事に見届けた陣佐が、目をパチクリさせる雷蔵の肩をポンと叩いて笑った。面白くて堪らないというように肩を震わせながら、波留日から渡された紙袋に手を突っ込んでどら焼きを渡す。
「はい演説お疲れぇ。はい、これ、土産だ」
「おー! どら焼きだぁ! ありがとう陣さん! いただきまーす! うん、旨い!」
寛二は陣佐からそれを受け取るや否や口に放り込み、もぐもぐと頬を膨らませながら叫んだ。その遠慮のなさと思い切りの良さに、陣佐はケタケタと笑って目元に浮かんだ涙を指で拭う。
「はははっ……! それは良かった! じゃあ俺達はこれでお暇するぜ。また余裕が出来たら原稿待ってるぜ、大木始先生!」
「おうよ! わざわざ来てもらってありがとな、陣さん! それに、雷蔵も! またな!」
踵を返す陣佐と、深々と頭を下げてそれについて行く雷蔵の後ろ姿が見えなくなるまで、寛二はひらひらと掌を振って見送ったのだった。
「嵐のように騒がしくて面白い奴だろ? あんな人間文壇にはいねぇ」
思い出し笑いを止められず肩を震わせる陣佐に、雷蔵も苦笑い半分、楽しさ半分という風に頷く。
「そうですね、文壇にはあんなに無邪気で純粋な人はいないかも」
「いい奴だろ? 俺のお気に入りだ。波留日がお前に肩入れするなら、俺にとっての寛二がそれに近いかもなァ」
そうして陣佐は寛二に出会ってからの面白おかしい話を並べ連ねた。先程の数分で嫌というほど分かったが、彼は相当のお調子者で、それでいて純粋。陣佐が嫌うわけの無い男であった。
雷蔵も寛二の話を聞き、声を上げて笑いながら街を歩いていると、陣佐がふと足を止める。
「さぁ、次だ」




