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最終話 ツインズ!

 ステージの上で、俺とナオキは黙っていた。


 さっきまで、俺たちは並んで立っていた。


 俺は俺だ。


 私は私だ。


 そう言った。


 全校生徒の前で。


 マイクを通して。


 逃げずに。


 ごまかさずに。


 俺は姫役なんかやらない、と言った。


 ナオキは、私は私の役を選ぶ、と言った。


 その瞬間、暴走していた可学装置は落ち着き、ドローンは静かになり、タロウくん三号の胸の赤い光は青へ変わった。


 クリスマスのイルミネーションが、ステージを白と金に染めている。


 遠くでは、生徒たちの拍手がまだ残っていた。


 だが、今の俺にはその音がやけに遠かった。


 玉藻先生が言ったからだ。


「今なら、二人を一人に戻せるわよ」


 その言葉だけが、ステージの真ん中に落ちていた。


 ナオキは黙っていた。


 俺も黙っていた。


 美咲も、宙も、鳴海愛も、何も言わない。


 言えないのだと思う。


 俺はナオキを見る。


 ナオキも俺を見る。


 同じ顔。


 けれど、もう同じだとは思えなかった。


 昨日までは、俺の分身だった。


 俺から出てきた、俺の一部だった。


 そう言えば済むと思っていた。


 でも、さっきナオキは言った。


 私は私だ、と。


 そして俺も言った。


 俺は俺だ、と。


 その直後に、一人に戻れると言われた。


 それは、どちらかの言葉を取り消すことのように感じた。


「玉藻先生」


 鳴海愛が静かに口を開いた。


「詳しく説明を」


「ええっとねぇ」


 玉藻先生は、手元のタブレットを見ながらステージに上がってきた。


 白衣の背中には、まだ『反省中』のステッカーが貼られている。


 この場面でそれが見えているのは、正直かなり台無しだった。


 でも、誰も突っ込まなかった。


 それくらい、空気が重かった。


「可学装置の暴走は止まったわ。ナオキちゃんの周りに集まってた幻実因子も安定してる。さっき二人が自分を自分だって言ったことで、自己同一性の軸が固定されたのねぇ」


「日本語で」


 俺が言うと、玉藻先生は少し考えた。


「今なら安全に戻せる」


「戻すって」


 ナオキが小さく言った。


「私が、直樹に?」


「そう」


 玉藻先生の声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「二人を一人に戻せば、全部安定する。幻実因子の反応も収まる。直樹ちゃんは元の直樹ちゃんに戻る。たぶん、記憶も感情も統合される」


「たぶん」


 俺は思わず繰り返した。


「ここでたぶんって言うな」


「正直に言ってるのよぉ」


 玉藻先生は珍しく、ふざけた顔をしていなかった。


「完全に未知の現象だから、絶対とは言えない。でも、今が一番安全なのは確か。逆に、このタイミングを逃すと、ナオキちゃんの存在を別の形で安定させる必要がある」


「別の形?」


 美咲が聞く。


「ナオキちゃんを、ナオキちゃんとしてこの世界に固定する方法」


「できるんですか?」


「難しいわぁん。すごく面倒。可学的にも、書類的にも、社会的にも」


「書類?」


 俺が聞くと、鳴海愛が静かに答えた。


「存在証明、学籍、保護者確認、戸籍に準じる仮登録、学園内データベース、メディアアーカイブへの固定記録。現実に存在する者として扱うなら、処理は多い」


「急に現実的すぎる」


「現実に残るとは、そういうことだ」


 愛の声は静かだった。


 ナオキは自分の手を見た。


 白い指。


 俺より少し細い手。


 ステージの光を受けて、輪郭がほんの少し揺れているように見えた。


「……私、薄くなってる?」


 ナオキが言った。


 美咲が息をのむ。


 俺も、その時初めて気づいた。


 ナオキの身体の輪郭が、わずかに光を通していた。


 はっきり消えかけているわけではない。


 だが、ステージの光の中で、ナオキの姿が少しだけ不安定に揺れている。


 玉藻先生がタブレットを見ながら言った。


「幻実因子の反応が弱まり始めてる。暴走が止まった分、ナオキちゃんを支えていたエネルギーも減ってるの」


「それ、まずいんじゃないのか」


「放っておくのはよくないわねぇ」


 先生は俺とナオキを交互に見た。


「選ばないといけない」


 選ぶ。


 またその言葉だ。


 姫役をやるかどうか。


 舞台に立つかどうか。


 逃げるかどうか。


 そして今度は、ナオキを戻すか、残すか。


 俺は、こんな大きな選択をしたことがない。


 朝起きるか、あと五分寝るか。


 こたつから出るか、出ないか。


 紅茶を飲むか、もう一杯飲むか。


 俺の人生の選択肢は、その程度でよかったはずだ。


 なのに、目の前にはナオキがいる。


 消えたくないと言った、俺の半分がいる。


 ナオキは少しだけ笑った。


「なら、戻せばいい」


 美咲が顔を上げる。


「ナオキちゃん?」


 ナオキは美咲を見た。


 それから、俺を見た。


「もともと私は、直樹から分かれただけだから」


 声は落ち着いていた。


 落ち着きすぎていて、逆に怖かった。


「直樹に戻るなら、それが一番自然だ。学園にも迷惑をかけない。玉藻先生にも、鳴海先輩にも、美咲にも、宙にも、みんなにも」


「だけ、じゃないでしょ」


 美咲の声が鋭く響いた。


 ナオキが驚いたように美咲を見る。


 美咲は一歩前に出た。


「直樹から分かれただけ? だけって何? 昨日うちに来るって決めたのはナオキちゃんでしょ。私の手を取ったのも、可愛いって言ってくれたのも、今日あんな格好で堂々と舞台に立ったのも、ナオキちゃんでしょ」


「美咲」


「迷惑かけたから消えればいいなんて、そんなの違う」


 美咲の目は怒っていた。


 でも、その怒りはあたたかかった。


「迷惑なら直樹だって昔からかけてるわよ。朝起きないし、サボるし、こたつから出ないし、変なところで意地張るし」


「俺への流れ弾がひどい」


「でも、だから消えろなんて思わない」


 ナオキは黙った。


 宙が小さく歩み出る。


 アリスを抱えたまま、ナオキを見上げる。


「……偽物なら」


 宙の声は小さい。


 でも、ちゃんと届いた。


「偽物なら、寂しいって思わない」


 アリスが口を開く。


「消えたくナイって思ったなら、もう偽物じゃナイ」


 ナオキの瞳が揺れた。


 鳴海愛も一歩前に出た。


「時雨ナオキ」


 呼び方は、はっきりしていた。


 直樹の分身でも、女性個体でもなく。


 時雨ナオキ。


「本人の意思を無視した処理は、生徒会として認めない」


 ナオキは、少し困ったように笑った。


「私は、生徒なんですか?」


「現時点では未登録だが」


 愛は静かに言った。


「少なくとも、処理対象ではない」


 ナオキは、今度こそ泣きそうな顔をした。


 俺は、何を言えばいいのかわからなかった。


 みんなが言ってくれた。


 美咲が怒ってくれた。


 宙が言ってくれた。


 愛が認めてくれた。


 なのに、俺が何も言わないのは違う。


 そう思った。


 でも、言葉が出ない。


 喉が重い。


 胸の奥が苦しい。


 その時だった。


「直樹!」


 ステージ横から、聞き慣れた声がした。


 俺は振り向いた。


 母親だった。


 なぜここに。


 いや、学校から保護者に連絡が行ったのだろう。


 旧校舎破損、可学機器暴走、息子が分裂、もうひとりの娘っぽい息子が学園征服宣言。


 情報量が多すぎて、保護者にどう説明されたのか想像したくない。


 母さんはステージ脇に立っていた。


 コート姿のまま、少し息を切らしている。


 その後ろには、美咲の家の近所でも見かける学年主任がいて、さらに玉藻先生を睨んでいた。


 玉藻先生は目をそらした。


「母さん」


「怪我は?」


「ない」


「本当に?」


「本当に」


 母さんは俺を上から下まで見て、それからナオキを見た。


 目を丸くした。


 当然だ。


 自分の息子と同じ顔の少女が、ステージ上にいるのだから。


 普通なら叫ぶ。


 気絶する。


 または玉藻先生を問い詰める。


 母さんは数秒、ナオキを見ていた。


 それから、妙に落ち着いた声で言った。


「ご飯、食べる?」


 俺は全力で突っ込んだ。


「まずそこ!?」


 母さんは当然の顔をした。


「お腹が空いてる子を放っておく方が問題でしょ」


「いや、もっと他に聞くことあるだろ!」


「事情はさっき先生から少し聞いたわ」


 母さんは玉藻先生を見た。


「ほとんどわからなかったけど」


「それは正常な反応です」


 玉藻先生が小声で言う。


「でも」


 母さんはナオキを見る。


「寒そうな顔してる」


 ナオキは、自分でも気づいていなかったように肩を震わせた。


 母さんは続ける。


「直樹と同じ顔で、同じように我慢してる顔。そういう時の直樹は、だいたいお腹が空いてるか、寒いか、言いたいことを我慢してる時」


「母さん、観察が鋭いな」


「親だからね」


 母さんはナオキに向かって、少しだけ笑った。


「あなたも来なさい。鍋にするから」


 ナオキは言葉を失っていた。


「……私も?」


「もちろん」


「でも、私は」


「話は食べながら聞くわ。立ったまま大事な話をすると、たいていこじれるのよ」


 母さんはそう言って、俺を見る。


「直樹。今日は帰るわよ」


「クリスマスパーティーは?」


「どうせ仕切り直しになるんでしょ?」


 鳴海愛が静かに頷いた。


「安全確認のため、本日のステージ進行は一部延期します。二年B組の演目は、後日仕切り直しとします」


「だそうよ」


 母さんは言った。


「帰って、ご飯」


 ナオキの目に、光がにじんだ。


 泣きそうだった。


 それを見て、俺は胸の奥が少し痛くなった。


 母さんはナオキを、説明不能な存在としてではなく、まず寒そうでお腹が空いている子として見た。


 それがたぶん、ナオキには効いた。


 ステージの上で結論は出なかった。


 だから、その夜、俺の家で鍋をすることになった。


 どうしてそうなる。


 いや、母さんがそう決めたからだ。


 家に戻ると、母さんは手際よく台所に立った。


 俺の家のリビングには、なぜか人がどんどん増えた。


 美咲は当然のようにいる。


 宙もいる。


 鳴海愛も「状況確認のため」と言って来た。


 椎凪翼と百瀬真一も資料を持って来た。


 玉藻先生は「研究責任者としてぇ」と言いながら来たが、母さんにエプロンを渡され、台所の下働きに回された。


 白衣の上からエプロン。


 背中に反省中。


 非常に情報量が多い。


「玉藻先生、白菜切れます?」


「可学的には切れるわぁん」


「普通に切ってください」


 母さんは強い。


 玉藻先生が普通に従っている。


 俺はこたつに入っていた。


 家に帰ったら、まずこたつ。


 これは当然だ。


 ナオキもこたつに入っていた。


 俺の向かい側。


 初めてこの部屋に来た時と同じように、少し落ち着かない顔をしている。


 ただ、その輪郭はさっきより安定しているように見えた。


 玉藻先生いわく、母さんが「家へ帰る」と言ったことで、ナオキの幻実因子が一時的に安定したらしい。


 意味はわからない。


 でも、家という言葉が効いたのなら、少しだけわかる気もした。


 鍋がテーブルに置かれる。


 湯気が上がる。


 白菜、豆腐、鶏肉、きのこ、ねぎ。


 冬の匂いがした。


 母さんが言った。


「はい、食べて」


 全員が箸を取る。


 なぜか愛まで自然に座っている。


 百瀬先輩は鍋を見て、少し嬉しそうだった。


「うまそうですね」


「たくさん食べてくださいね」


「はい」


 椎凪先輩は端末を横に置きながら、具材をきっちり順番に取っている。


 宙は豆腐をじっと見ている。


 アリスが言った。


「白くて四角いナ」


「豆腐だよ」


 美咲が普通に返した。


 この状況に慣れすぎだろ。


 ナオキは箸を持ったまま、鍋を見ていた。


 母さんが小皿に具材を取って、ナオキの前に置く。


「熱いから気をつけて」


「……ありがとうございます」


 ナオキは小さく言った。


 そして、豆腐を少し食べた。


 その瞬間、表情が少しだけ緩んだ。


「おいしい」


「よかった」


 母さんは普通に笑った。


 その普通さが、やけに胸に来た。


 食事が進むうちに、少しずつ会話も戻ってきた。


 玉藻先生は、愛と椎凪先輩に現実定着案の説明をしている。


 説明の半分くらいは専門用語で、残り半分は「なんとかなるかもぉん」だった。


 愛は容赦なく言った。


「なんとかする、に言い換えてください」


「はい」


 百瀬先輩は、購買のプリンがナオキに独占されかけた件について真剣に語っている。


「プリンの安定供給は、学園の平和に関わる」


「そこまでですか」


 俺が聞くと、百瀬先輩は真顔で頷いた。


「甘味は大事だ」


 宙は鍋の湯気を見ながら、ぽつりと言った。


「……湯気、消えるけど、あったかい」


 アリスが続ける。


「ナオキも消えナイ方がいいナ」


 ナオキは箸を止めた。


 部屋の空気が少し変わる。


 ナオキは小皿を見つめたまま言った。


「私がいると、みんなに迷惑をかける」


 誰もすぐには答えなかった。


 湯気だけが上がる。


 鍋の音が、ことことと小さく鳴っている。


「学校は壊した。ロボットを勝手に動かした。放送も乗っ取った。直樹の過去も勝手に使った。美咲にも、宙にも、鳴海先輩にも、玉藻先生にも、迷惑をかけた」


「私は自業自得も混ざってるわぁん」


 玉藻先生が小声で言った。


 愛が見た。


 玉藻先生は黙った。


 ナオキは続ける。


「私が戻れば、全部丸く収まるんじゃないかって思う」


「もう十分かけてる」


 俺は言った。


 ナオキが顔を上げる。


「え?」


「迷惑なら、もう十分かけてる。今さらだろ」


 ナオキはうつむいた。


 言い方が悪かったかもしれない。


 でも、俺は続けた。


「でも、今さら一人減ったら、もっと面倒だ」


 ナオキが、ゆっくり顔を上げた。


 全員の視線が俺に集まる。


 やめろ。


 見られるのはまだ慣れない。


 でも、言うしかない。


「おまえがいなくなったら、説明が面倒だ。美咲も怒る。宙もたぶん変なこと言う。玉藻先生は新しい実験を思いつく。鳴海先輩は書類を作り直す。母さんは、鍋の具が余る」


「最後」


 美咲が呟いた。


 母さんは真面目に頷いた。


「余るわね」


「ほら」


「そこ大事なの?」


 ナオキが少し笑った。


 俺は顔をそらした。


「だから」


 言葉が詰まる。


 こういうことを言うのは苦手だ。


 でも、言わないとまた面倒なことになる。


 俺は湯気の向こうのナオキを見た。


「別に、このままでいいんじゃないか」


 ナオキは目を見開いた。


「本当に?」


「世界征服とかしないならな」


 ナオキは少し考えた。


「しない。たぶん」


「たぶんはやめろ」


「じゃあ、しない」


「本当だな」


「たぶん」


「戻すな」


 ナオキは笑った。


 今度はちゃんと笑った。


 美咲が目元を少し押さえている。


「何だよ」


「別に」


「泣いてるのか?」


「泣いてない」


「目が赤いぞ」


「鍋の湯気」


「便利だな、湯気」


 宙が小さく頷いた。


「……便利」


 アリスが言う。


「感動隠しに使えるナ」


 美咲がアリスを軽くつついた。


「うるさい」


 愛は静かにナオキを見た。


「時雨ナオキ。君の意思を確認する」


「はい」


「統合処理ではなく、現実定着処理を希望するか」


 ナオキは少しだけ姿勢を正した。


 それから、はっきり言った。


「はい。私は、私のままでいたいです」


 愛は頷く。


「了解した。本人意思として記録する」


 玉藻先生がタブレットを取り出した。


「じゃあ、現実定着プランBねぇん」


「プランBがあるんですか」


 俺が聞くと、玉藻先生は胸を張った。


「可学者は常に複数案を持つものよぉ」


「プランAは?」


「統合」


「プランBは?」


「定着」


「プランCは?」


「根性」


「不安だな」


 愛が淡々と言う。


「プランBで進めます」


 その夜遅くまで、俺の家のリビングでは、妙な会議が続いた。


 鍋を食べながら。


 紅茶を飲みながら。


 母さんが追加のうどんを入れながら。


 結論として、ナオキをこの世界に安定させるには、二つのことが必要らしい。


 一つは、幻実因子の固定。


 これは鏡星学園メディアアーカイブの未分類領域を使う。


 『アリスがゆく!』の一件以降、あそこには物語的存在や幻実現象を記録し、安定させるための仮登録システムがあるらしい。


 聞いたことがない。


 でも、聞いたら面倒そうなので深く聞かなかった。


 もう一つは、学園内での身分。


 ナオキは、俺の双子の妹という形で仮登録されることになった。


「なんで妹なんだよ」


 俺は文句を言った。


 美咲が即答する。


「ナオキちゃんの方がしっかりしてるから、姉でもいいけど?」


「妹で」


 即答した。


 姉は嫌だ。


 同じ顔の姉とか、圧が強すぎる。


 ナオキは面白そうに笑った。


「お兄ちゃん」


 俺は固まった。


 ナオキが首を傾げる。


「どうした?」


「やめろ。破壊力が高い」


「そうか。お兄ちゃん」


「やめろと言っただろ!」


 美咲が腹を抱えて笑った。


 母さんも少し笑っている。


 愛でさえ、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。


 玉藻先生は「これはデータとして貴重ねぇん」と言って、愛に止められた。


 その夜、鏡星学園メディアアーカイブの地下未分類サーバーに、ナオキの記録が登録された。


 俺はその場に立ち会った。


 メディアアーカイブは、夜になると少しだけ別の建物みたいに見える。


 昼間はガラス張りの大きな図書館。


 夜は、光を内側に隠した巨大な箱。


 地下の未分類領域は、空気がひんやりしていた。


 古い紙と電子機器が混ざった匂いがする。


 玉藻先生、愛、椎凪先輩、アーカイブ管理担当の先生、それから俺とナオキ。


 美咲と宙もついてきた。


 ナオキは登録端末の前に立った。


 画面に、文字が浮かぶ。


『時雨ナオキ』


 分類候補。


 幻実因子由来存在。


 自己分裂事例。


 仮学籍対象。


 備考。


 本人意思により、統合処理を保留。


 ナオキは画面をじっと見ていた。


「これで、私は残れる?」


 玉藻先生が頷く。


「理論上はねぇ」


「そこは理論上じゃなくて、残れるって言ってください」


 美咲が言うと、玉藻先生は笑った。


「残れるわ」


 ナオキは、小さく息を吐いた。


 その身体の輪郭が、淡く光った。


 ふわりと揺れていた存在が、少しずつ落ち着いていく。


 俺には、そう見えた。


 ナオキは俺を見た。


「直樹」


「何だ」


「ありがとう」


「別に」


「素直じゃない」


「おまえにだけは言われたくない」


 ナオキは笑った。


 俺も、少しだけ笑った。


 クリスマスパーティーは、後日仕切り直しになった。


 鏡星学園は、やっぱり反省という言葉を知らない。


 いや、反省はした。


 生徒会は警備体制を強化したし、玉藻先生の可学機材は半分以上没収された。


 タロウくん三号は、中央ステージ裏で巨大な舞台装置として再利用されることになった。


 胸の『タロウくん3号』の文字はそのままだった。


 意味はわからない。


 だが、生徒たちには妙に人気だった。


 二年B組の演劇も再開された。


 俺は裏方。


 これは変わらない。


 自分で選んだ役だ。


 音響のタイミング、舞台装置の操作、暗転時の誘導。


 地味だ。


 でも、悪くない。


 高橋は姫役をやり切った。


 思ったより似合っていた。


 本人は複雑そうだったが、最後には妙な達成感のある顔をしていた。


 そして、ナオキは女王役として舞台に立った。


 台本は少し書き換えられた。


 現代風童話劇『眠れる森の配信者』は、なぜか最後に女王が出てきて、眠る姫にこう言う話になった。


「誰かに決められた役でも、自分で選び直せば、それは自分の役になる」


 ナオキは、ステージの中央で堂々とそう言った。


 その瞬間、客席が静かになった。


 ただの台詞のはずだった。


 でも、ナオキが言うと、台詞以上のものになった。


 女王役の衣装は、白と黒を基調にしたものだった。


 前回の征服劇の衣装より、少し舞台向けに整えられている。


 マントは短くなり、銀色の飾りも控えめになった。


 でも、誰かに押しつけられた衣装ではない。


 ナオキが、自分で選んだ衣装だった。


 俺は舞台袖からそれを見ていた。


「……俺より似合ってるじゃねぇか」


 小さくつぶやいたつもりだった。


 だが、美咲には聞こえていた。


「妬いてる?」


「妬いてない」


「じゃあ、寂しい?」


「うるさい」


「図星?」


「違う」


「ほんとかな」


「美咲、暗転の準備」


「逃げた」


「仕事だ」


 美咲は笑いながら、舞台袖の反対側へ移動した。


 宙は少し後ろで、アリスと一緒に舞台を見ていた。


 アリスが言う。


「女王ナオキ、悪くナイ」


 宙が頷く。


「……直樹も、悪くない」


「俺は裏方だ」


「……選んだ」


 その言葉に、俺は少し黙った。


「そうだな」


 選んだ。


 それだけのことが、俺にはずいぶん難しかった。


 演劇は無事に終わった。


 いや、無事と言っていいのかはわからない。


 途中でタロウくん三号の右腕が勝手に動き、姫役の高橋を祝福するように花びらを散らした。


 玉藻先生は「演出よぉん」と言い張ったが、愛にしっかり睨まれていた。


 それでも、観客は笑った。


 拍手が起きた。


 二年B組の出し物は、なぜか今年のクリスマスパーティーで一番話題になった。


 終演後、ナオキが舞台袖に駆け込んできた。


 息を弾ませている。


 頬が少し赤い。


 目がきらきらしている。


「直樹!」


「走るな。衣装が引っかかるぞ」


「どうだった?」


 ナオキは真正面から聞いてきた。


 逃げ場がない。


 俺は腕を組み、少しそっぽを向いた。


「まあ、悪くなかった」


 ナオキはじっと俺を見る。


「それだけ?」


「何だよ」


「もっとあるだろ」


「調子に乗るな」


「素直じゃない」


「おまえにだけは言われたくない」


 ナオキは笑った。


 それから、小さく言った。


「楽しかった」


「そうか」


「舞台、怖かったけど」


「だろうな」


「でも、楽しかった」


「……そうか」


 俺はそれ以上、何も言えなかった。


 でも、ナオキが楽しそうなら、それでいい気がした。


 変な話だ。


 昨日まで存在しなかった俺の分身が、舞台に立って楽しかったと言っている。


 それを見て、俺は少しだけ安心している。


 人生は、本当に何が起きるかわからない。


 クリスマスパーティーが終わる頃には、学園はすっかり夜になっていた。


 イルミネーションが、校舎の窓に反射している。


 冷たい空気の中を、俺たちは並んで歩いた。


 俺とナオキ。


 少し後ろに美咲。


 宙はアリスを抱えて、その横をゆっくり歩いている。


 愛は生徒会の後処理。


 玉藻先生は反省文。


 百瀬先輩は購買のプリン在庫確認。


 椎凪先輩は報告書作成。


 みんな、それぞれ忙しい。


 俺はマフラーに顔を埋めた。


「寒い」


 ナオキも同じように肩をすくめた。


「寒いな」


「やっぱり寒がりは引き継いでるのか」


「直樹から出てきたからな」


「悪いところばっかり引き継ぐな」


「紅茶が好きなのは悪いところじゃない」


「それはいいところだ」


「こたつは?」


「最高の文明」


「同感」


 二人で同時に頷いた。


 美咲が後ろから言う。


「ほんと、似てるのに違うね」


 俺とナオキは同時に振り返った。


「「当たり前だろ」」


 声が揃った。


 美咲は目を丸くしたあと、笑った。


「そこは同じなんだ」


「同じじゃない」


「同じじゃない」


 また揃った。


 ナオキが俺を見る。


 俺もナオキを見る。


 数秒、無言。


 それから、どちらともなく笑った。


 家に帰ったら、こたつがある。


 母さんはたぶん、ナオキの分のマグカップをもう用意している。


 明日の朝、俺はたぶん起きられない。


 ナオキもたぶん起きられない。


 美咲が怒鳴り込んでくる。


 そして、俺たちは文句を言いながら学校へ行く。


 そんな日常が、始まろうとしていた。


 前より少し面倒で。


 前より少し騒がしくて。


 でも、たぶん前より少しだけ悪くない日常が。


 その夜。


 鏡星学園メディアアーカイブの地下未分類サーバーに、新しい記録が追加された。


『ツインズ!』


 分類:幻実因子による自己分裂事例。


 状態:安定。


 備考:本人たちの希望により、統合処理は保留。


 関連項目:鏡星学園ファントム事案・第四分類。時雨直樹。時雨ナオキ。玉藻妖狐可学事故記録。クリスマスパーティー征服劇。


 処理担当:生徒会長・鳴海愛。


 監修:鏡星学園メディアアーカイブ未分類領域管理班。


 画面の文字が、静かに保存される。


 その片隅で、一瞬だけ、小さなマークが点滅した。


 ウサギの懐中時計。


 針は、ちく、ちく、と動いている。


 まるで、どこかで誰かが、次のページをめくるのを待っているみたいに。

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