第7話 学園征服劇、開幕
クリスマスパーティー当日。
鏡星学園は、反省という言葉を知らない学校だと思う。
いや、正確には、反省はする。
校舎が壊れれば修理するし、怪しい可学機材には使用許可申請が必要だし、生徒会は事件報告書を書く。
でも、それと行事を止めるかどうかは、まったく別問題らしい。
旧校舎の壁には、まだ新しい補修跡が残っていた。
破損部分は透明な強化パネルで覆われていて、そこに生徒会の掲示が貼られている。
『立入禁止区域です。演出ではありません』
わざわざそう書いてあるところが、鏡星学園だった。
正門から校舎へ続く道には、イルミネーションが飾られていた。
青と白の光が冬の夕方に揺れている。
中庭には仮設ステージ。
体育館にはクラスごとの出し物スペース。
メディアアーカイブ前には、映像発表用の巨大スクリーン。
校舎の窓には、雪の結晶の形をしたシール。
購買部前には、なぜかプリンの残数を表示する電光掲示板。
百瀬先輩いわく、プリンは戦略物資なので監視が必要らしい。
そこまでか。
そして俺は、二年B組の舞台袖にいた。
姫役ではない。
ここは重要だ。
俺は姫役ではない。
最終的に、姫役は高橋になった。
くじ引きである。
高橋は最初、「俺、王子やるつもりだったんだけど」と言っていたが、西野に「時雨くんに似合うからって言ったの、高橋くんだよね」と笑顔で言われ、黙った。
人は自分の言葉に責任を取るべきだ。
高橋は今、ピンクがかった白い衣装を着て、舞台袖で魂の抜けた顔をしている。
「時雨」
「何だ、姫」
「その呼び方やめてくれ」
「俺にも同じこと言った人が何人もいた」
「ごめん」
「わかればいい」
「いや、本当に悪かった。これ、思ってたより精神に来る」
高橋はフリルのついた袖を見下ろしながら、心底疲れた顔をした。
「衣装着た瞬間、みんな写真撮ろうとするしさ。似合う似合うって言われるの、最初は笑えるけど、だんだんどう反応していいかわかんなくなる」
「だろ」
「うん。だろ、って思った」
高橋は俺を見て、少しだけ真面目な顔をした。
「ごめんな、時雨」
「もう聞いた」
「二回目」
「三回目はいらない」
「わかった」
高橋は頷いた。
悪い奴ではない。
悪気なく雑な奴だっただけだ。
それが一番面倒なのだが、少なくとも今は、少しわかってくれたらしい。
俺の役は、裏方だった。
舞台装置補助。
兼、音響補助。
兼、非常時の逃走経路確認。
最後のやつは、生徒会から追加された役目だ。
鳴海愛が真顔で言った。
「君は今回、役者ではなく裏方として動く。その選択をしたのは君だな?」
俺は答えた。
「はい」
裏方に逃げた、と言われればそうかもしれない。
でも、今回は少し違う。
少なくとも、勝手に決められたわけではない。
自分で選んだ。
俺は舞台袖の暗がりで、ケーブルを確認しながら小さく息を吐いた。
ステージの上では、クラスメイトたちが最終確認をしている。
現代風童話劇『眠れる森の配信者』。
タイトルは最後まで変わらなかった。
姫が百年眠るのではなく、配信中に謎の睡眠アプリで眠り続ける。
王子は視聴者参加型投票で選ばれる。
魔女はスポンサー契約を盾に呪いをばらまく。
森の動物はコメント欄担当。
意味がわからない。
でも、練習しているうちに、なぜか少し面白くなってきた。
「直樹」
背後から美咲の声がした。
振り向くと、美咲がスタッフ用の腕章をつけて立っていた。
彼女は今回、舞台進行補助だ。
動ける人間はだいたい裏方に回される。
美咲は俺の顔を見るなり、にやっと笑った。
「裏方、似合ってるじゃない」
「褒めてるのか、それ」
「うん」
「本当に?」
「本当に。顔は目立つけど、やってることは地味で直樹っぽい」
「褒めてないだろ」
「半分褒めてる」
「半分か」
「今のあんたにはちょうどいいでしょ」
俺は言い返そうとして、やめた。
半分。
最近、その言葉に妙に敏感になっている。
俺の半分。
ナオキ。
あいつはまだ見つかっていない。
いや、正確には、何度も痕跡はあった。
購買のプリンが一時間だけすべて予約済みになった。
全校放送で「姫役立候補者は自分の意思で名乗れ」という謎のメッセージが流れた。
玉藻先生の屋敷から、ドローンと照明機材が消えた。
タロウくん3号は、旧体育倉庫の裏に足跡だけ残して消えた。
ナオキはどこかで準備をしている。
今日、必ず来る。
そう全員がわかっていた。
生徒会は朝から警戒態勢だった。
鳴海愛は中央ステージ横の管理テントにいる。
椎凪翼は校内放送システムの監視。
百瀬真一は風紀委員と一緒に動線整理。
玉藻先生は、可学機材の管理責任者として、生徒会の監視下に置かれている。
本人は「今日は安全第一よぉん」と言っていたが、白衣の内側に怪しいリモコンを三つ隠していたため、愛に没収された。
反省中ステッカーは、まだ背中に貼られている。
剥がれないらしい。
「ナオキちゃん、来ると思う?」
美咲が聞いた。
「来るだろ」
「だよね」
「来ないなら、学園征服劇なんて言わない」
「直樹はどうするの?」
「止める」
「それだけ?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「何を言うかは、まだ決まってない」
美咲は俺をじっと見た。
「逃げる?」
「逃げない」
「本当に?」
「今日はこたつがない」
「そこ?」
「逃げ場所がないとも言う」
美咲は少し笑った。
「じゃあ、逃げられないね」
「ああ」
その時、舞台袖の反対側から、宙が現れた。
相変わらず静かな歩き方だ。
人形のアリスを抱えている。
アリスには、小さなサンタ帽がかぶせられていた。
「似合ってるな、アリス」
俺が言うと、アリスがにやっと笑う。
「オマエよりナ」
「俺はかぶってない」
「かぶったら似合うゾ」
「かぶらない」
宙がぽつりと言う。
「……もうすぐ」
「何が」
「幕が上がる」
「演劇の?」
宙は首を横に振った。
「……全部」
嫌な言い方だ。
宙の言葉はだいたい説明不足で、だいたい当たる。
俺は舞台袖から中庭の中央ステージの方を見た。
校内は夕方の光とイルミネーションで、少し浮かれている。
生徒たちは模擬店を回り、写真を撮り、ステージ発表を待っている。
校舎の壊れた部分すら、ライトアップされているせいで、妙に演出っぽく見える。
危険区域です。演出ではありません。
掲示がなければ、本当にそう思ってしまいそうだった。
そして、六時。
クリスマスパーティーの開会ベルが鳴った。
体育館や中庭から拍手が上がる。
鳴海愛が中央ステージに立ち、開会挨拶を行う。
黒を基調にした制服アレンジ。
白いリボンタイ。
背筋の伸びた立ち姿。
彼女がマイクの前に立つだけで、ざわめきが少し落ち着く。
『本日は、鏡星学園冬季クリスマスパーティーに参加いただき、ありがとうございます』
いつも通りの落ち着いた声。
俺は舞台袖のモニターでそれを見ていた。
『一部校舎に補修中の区域があります。指定区域外への立ち入りは控えてください。また、未承認の可学演出、放送システムへの不正介入、ロボットの無断運用は禁止されています』
「完全にナオキ向けだな」
俺が言うと、美咲が頷く。
「でも、あれでやめるとは思えない」
「だよな」
愛は続けた。
『それでは、今年のクリスマスパーティーを――』
そこで、マイクにノイズが入った。
ざざっ。
照明が一瞬ちらつく。
モニターの映像が乱れる。
俺は、反射的に顔を上げた。
「来た」
宙が言った。
アリスが笑う。
「幕開けダ」
全校放送のスピーカーから、別の声が流れた。
『これより、鏡星学園征服劇を始める』
校内全体が静まった。
声はナオキだった。
愛が中央ステージ上で目を閉じた。
そして、珍しく頭を押さえた。
「……始まったか」
モニター越しでも、少し疲れているのがわかった。
椎凪の声が無線から飛ぶ。
『会長、放送システムが乗っ取られています。第七系統、旧校舎側から迂回接続。遮断します』
玉藻先生の声も混じる。
『あらぁん、そこ使ったのねぇ。ナオキちゃん賢いわぁ』
『玉藻先生、感心している場合ではありません』
椎凪の声が冷たい。
次の瞬間、ステージ照明が勝手に動いた。
青、白、金。
校舎の壁面に光が走る。
仮設ステージの幕が自動で開く。
体育館の音響が鳴り、購買前の電光掲示板が勝手に文字を変える。
『征服劇 第一幕』
生徒たちがざわつく。
「何これ?」
「演出?」
「すごくない?」
「ナオキちゃん来た?」
「今年の出し物、規模おかしい!」
最初は混乱だった。
でも、すぐに空気が変わり始める。
音楽が流れた。
妙に本格的なオーケストラ風の曲。
可学ドローンが光をまとって空中を飛び、雪の結晶のような光を撒く。
玉藻先生の小型ロボたちが、列を作って中庭に現れる。
タロウくん1号、2号。
さらに見たことのない小型タロウくんたち。
胸に『タロウくん4号補助型』『タロウくん5号試作』『タロウくん6号たぶん安全』と書いてある。
「最後のやつ不安すぎるだろ!」
俺は叫んだ。
ドローンがステージ上に光の文字を描く。
『誰かに配役される前に』
次に、巨大スクリーンが起動する。
『自分で舞台を奪え』
生徒たちが拍手し始めた。
拍手?
なぜ拍手?
違うだろ。
事件だろ。
でも、確かに演出としては派手だった。
音楽、照明、ドローン、ロボット、巨大スクリーン。
全部が連動している。
壊れた旧校舎の補修パネルにまで映像が投影され、まるで廃墟ステージのようになっている。
愛の声が無線に入った。
『直樹、聞こえるか』
「聞こえます」
『現状、被害は確認されていない。生徒の避難誘導は継続するが、パニックは起きていない』
「むしろ盛り上がってます」
『事件なのか演劇なのか、判断に困る』
本当に困っている声だった。
鳴海愛が頭を抱えるところなんて、めったに見られない。
『だが、ナオキは必ず君を呼ぶ。動けるか』
俺は舞台袖から外を見た。
ステージの光が、校舎の壁を走っている。
ドローンの群れが中庭から旧校舎へ向かっている。
どこかにナオキがいる。
俺は息を吐いた。
「動きます」
自分で言って、少し驚いた。
美咲が横で頷く。
「行くよ」
宙もアリスを抱き直した。
「……道、見える」
「どこだ」
宙は廊下の奥を指差した。
「旧校舎」
「やっぱりか」
旧校舎は立入禁止区域だ。
だが、ナオキが舞台に使うなら、あそこが一番似合う。
壊れた場所。
補修された場所。
未完成のまま見せられている場所。
今の俺たちみたいだ。
「行くぞ」
俺は走り出した。
美咲が隣に並ぶ。
宙が後ろをついてくる。
アリスが俺の肩越しに叫ぶ。
「ヒメサマ裏方、走レ!」
「だからその呼び方やめろ!」
廊下に出ると、照明が自動で俺たちの進行方向を照らした。
赤い光。
まるで道案内だ。
「これ、罠じゃない?」
美咲が言う。
「たぶん罠だ」
「行くの?」
「行くしかないだろ」
「ちょっと主人公っぽい」
「嬉しくない」
階段を駆け上がる。
途中で、廊下の壁に設置されたモニターが一斉についた。
そこに、映像が映る。
俺は足を止めた。
「……何だよ、これ」
映っていたのは、昔の俺だった。
小学校低学年くらいの俺。
ピンクのリボンを髪につけられて、庭でむくれている。
隣には小さい美咲がいた。
手にはおもちゃのカメラ。
小さい美咲が笑っている。
『直樹、かわいい!』
小さい俺は、ふてくされた顔で言う。
『かわいくない』
『かわいいよ。女の子みたい』
『俺、男だもん』
『でも似合うよ』
映像が切り替わる。
中学の教室。
女子たちが俺にウィッグをかぶせている。
『やば、時雨、女子より可愛い』
『写真撮っていい?』
『嫌だって』
『いいじゃん、ちょっとだけ』
俺は笑っていた。
困ったように。
怒らずに。
ちゃんと嫌だと言わずに。
映像がまた変わる。
廊下。
知らない男子が俺に告白している。
『ずっと女子だと思ってて……いや、男子でも、いいっていうか』
当時の俺は固まっていた。
何を言えばいいかわからなかった。
相手が悪いわけじゃない。
でも、俺はどうしていいかわからなかった。
映像が変わる。
高校の文化祭準備。
クラスメイトが俺に衣装を当てている。
『時雨、これ絶対似合うって』
『やめろって』
『嫌がる顔もかわいい』
笑い声。
俺の笑い声。
ごまかすための笑い声。
現在の俺は、拳を握っていた。
「勝手に見せるな!」
廊下に声が響いた。
モニターの映像がノイズに包まれる。
その中から、ナオキの声がした。
『勝手に見てきたのは、周りの方だ』
俺は言い返そうとして、言えなかった。
モニターに、今のナオキの姿が映る。
黒いマント。
白い制服。
俺と同じ顔。
でも、俺よりまっすぐこちらを見ている。
『子どものころから、勝手に見られてきた。可愛い。女の子みたい。似合う。面白い。嫌がる顔もいい。そうやって、勝手に役をつけられてきた』
「だからって、こんな映像を全校に流すな!」
『全校には流していない。今のところ、おまえたちだけだ』
俺は一瞬黙った。
「……そうなのか?」
『さすがにそこまで無神経ではない』
「やってることは十分無神経だろ!」
『必要な分だけだ』
美咲が一歩前に出た。
「ナオキちゃん、これは直樹が嫌がるよ」
『知っている』
「知っててやるの?」
『直樹は、自分でも見ようとしないから』
ナオキの声は静かだった。
怒っているのに、冷えていた。
『私は、見られることから逃げない。どうせ見られるなら、こっちから見せてやる』
「それが学園征服かよ」
『そうだ』
「無茶苦茶だ」
『無茶苦茶にされたものを、整ったふりで返せると思うか?』
胸の奥に、重いものが落ちた。
ナオキの怒りが、わかった。
嫌になるくらい、わかった。
俺は今まで、見られることから逃げてきた。
でも逃げきれなかった。
だったら、最初から自分で見せる。
笑われる前に、自分で演出する。
押しつけられる前に、自分で名乗る。
それがナオキの答えだ。
正しくない。
でも、完全に間違いとも言い切れない。
なぜなら、その怒りは俺の中にもあったからだ。
俺は奥歯を噛んだ。
「ナオキ」
『何だ』
「俺は、そんなふうにはできない」
『知っている』
「でも、勝手に俺の過去を使うな」
『おまえの過去は、私の過去でもある』
「それでもだ」
少しだけ、声が震えた。
「俺が見たくなかったものを、おまえが勝手に舞台装置にするな」
モニターの中のナオキが、ほんの少しだけ目を細めた。
『なら、見ろ』
「何を」
『私を』
ナオキの映像が消えた。
代わりに、旧校舎の地図が映る。
赤い線が、階段を上へ伸びていく。
中央ステージへ向かう連絡通路。
美咲が地図を見た。
「誘導してる」
「罠だな」
「でも行くんでしょ」
「ああ」
宙が小さく言った。
「……半分が、待ってる」
アリスが続ける。
「逃げたら、また半分になるゾ」
「これ以上分裂してたまるか」
俺たちは再び走った。
旧校舎の階段は薄暗かった。
補修中のため、壁の一部にはむき出しの鉄骨が見える。
そこにナオキの照明が当たり、まるで舞台セットみたいになっていた。
途中、廊下の窓から中庭が見えた。
生徒たちはまだ騒いでいる。
ナオキの演出は続いている。
ロボットたちは踊るように動き、ドローンは雪の光を降らせ、照明は次々に色を変える。
最初は事件だった。
でも今、校庭の多くの生徒は、これをすごい演出として受け取っている。
遠くで、愛が指示を出しているのが見えた。
彼女は本当に頭を抱えていた。
「事件なのか演劇なのか、判断に困る」
さっきの声が、また思い出された。
たぶん、どちらでもある。
ナオキにとっては事件で、演劇なのだ。
俺たちは連絡通路を抜け、中央ステージ裏へたどり着いた。
息が切れている。
足が重い。
でも、止まれない。
舞台袖の暗がりには、赤い非常灯がついていた。
そこから、中央ステージが見える。
ステージの中央に、ナオキが立っていた。
黒いマントを外し、白と黒を基調にした衣装になっている。
姫ではない。
王子でもない。
女王、というには少し未完成で。
舞台の主役、というには少し孤独だった。
けれど、誰かに着せられた衣装ではない。
自分で選んだ衣装だと、一目でわかった。
ナオキの背後には、タロウくん3号の巨大な影がある。
ただし、暴れてはいない。
膝をつき、ステージ装置のように控えている。
ドローンの光が、ナオキの周囲に円を描く。
生徒たちの視線が集まっている。
歓声とざわめき。
拍手。
困惑。
全部が混ざった音。
ナオキはその中心に立っていた。
見られることから逃げずに。
むしろ、見せつけるように。
俺は舞台袖で足を止めた。
美咲が隣に来る。
宙が少し後ろで立ち止まる。
ナオキが、こちらを見た。
目が合った。
同じ顔。
違う表情。
でも、今はそれだけではなかった。
同じ怒り。
違う選び方。
同じ記憶。
違う立ち方。
ナオキはマイクを持たずに言った。
それなのに、声はステージ全体に通った。
「直樹」
俺は返事をしなかった。
できなかった。
ナオキはまっすぐ俺を見る。
「おまえは、何者として舞台に立つ?」
その問いは、観客席のざわめきよりも、音楽よりも、ドローンの羽音よりも、はっきり聞こえた。
何者として。
姫ではない。
可愛い役でもない。
逃げる裏方でもない。
ただの被害者でもない。
ナオキの元になった男でもない。
俺は。
時雨直樹は。
何者として、この舞台に立つのか。
俺は舞台袖の暗がりで、拳を握った。
答えはまだ出ていない。
でも、もう逃げる場所もなかった。
こたつもない。
言い訳もない。
目の前には、俺の半分が立っている。
そして俺に、選べと言っている。
クリスマスの光に包まれた学園中央ステージで、俺は初めて、本当の意味で舞台に立つかどうかを問われていた。




