第4話 ナオキ、学園征服を宣言する
朝が来た。
できれば来ないでほしかった。
いや、正確に言うと、朝そのものに罪はない。罪があるのは、朝という現象に対して、学校へ行け、起きろ、顔を洗え、人間らしくしろ、などと要求してくる社会の方だ。
俺はソファーの上で目を開けた。
天井が違う。
見慣れた自分の部屋の天井ではない。
白い天井。端に小さな照明。カーテンの隙間から差し込む冬の朝日。
そして、身体が痛い。
「……ソファーで寝ると、人生が硬い」
俺はつぶやいた。
寝返りを打とうとして、毛布が床に落ちた。
寒い。
即座に拾う。
俺が寝ているのは、佐藤美咲の家のリビングだった。
昨日、玉藻先生の研究室で、俺の分身――女の身体になったもうひとりの時雨直樹、仮称ナオキが、突然「鏡星学園は私がもらう」と宣言した。
そのあと、俺は美咲に引きずられるようにして研究室を脱出した。
家に戻ることも一瞬考えたが、問題が多すぎた。
まず、親に説明できない。
次に、ナオキの所在がわからない。
さらに、玉藻先生が「念のため直樹ちゃんの家にも観測機器を置いていい?」などと言い出した。
置かせるわけがない。
結果、俺は美咲の家に避難した。
美咲の両親は、現在海外出張中。
家には美咲ひとり。
だから泊まる場所はあった。
ただし、客用布団ではなくリビングのソファーだった。
なぜなら美咲が言ったからだ。
「女子高生の家に泊めてもらえるだけ感謝しなさい。ベッドまで要求したら蹴る」
すでに蹴られたことのある俺は、素直に従った。
「……俺、主人公のはずなんだけどな」
ソファーの上でぼんやりしていると、リビングのドアが開いた。
美咲が入ってくる。
すでに制服姿だった。髪も結んでいる。顔も洗っている。完全に朝の人類だ。
信じられない。
「あ、起きた」
「起きてしまった」
「何その言い方」
「朝に敗北した男の言い方」
「かっこよく言っても、ただの寝起きでしょ」
美咲はテーブルにトーストと目玉焼きとマグカップを置いた。
紅茶の匂いがした。
俺は反射的に身体を起こした。
「紅茶……」
「餌付けみたい」
「命綱だ」
「はいはい」
俺はマグカップを受け取り、ひと口飲んだ。
温かい。
世界が少しだけマシになった。
「美咲」
「何?」
「おまえはいい幼馴染だ」
「紅茶だけで評価が上がるの安いわね」
「こたつがあれば最高だった」
「うちのリビングにこたつはありません」
「文明が遅れている」
「失礼ね」
美咲は向かいの椅子に座った。
手にはスマホ。
眉間にしわが寄っている。
「学校から連絡来てる」
「俺はまだ病欠で押し通せるか?」
「昨日の午後から無断欠席。しかも玉藻先生が『直樹ちゃんは可学的に保護しましたぁん』って職員室に言ったらしいわよ」
「最悪の報告だな」
「クラスでは、あんたが姫役から逃げるために玉藻先生と結託した説が出てる」
「なぜ俺が玉藻先生と結託する」
「知らない。あと、ナオキちゃんの噂も少し出てる」
俺は紅茶を飲む手を止めた。
「もう?」
「昨日、学校の地下研究室で放送システムが一瞬ジャックされたでしょ。映像は全校には流れてないみたいだけど、職員用端末の一部には出たらしい」
「鏡星学園は、情報管理がザルなのか強固なのかどっちなんだ」
「事件が多すぎて、管理しきれてないんじゃない?」
「それは学校としてどうなんだ」
「いまさら?」
美咲はスマホをテーブルに置いた。
「それより、あんた今日どうするの?」
「休む」
「即答しない」
「いや、考えた結果だ。ナオキの所在不明。玉藻先生は信用できない。俺は寝不足。身体も痛い。よって休む」
「最後の二つが本音でしょ」
「前半も本音だ」
「でも学校に行かないと、情報も入らないわよ」
「玉藻先生に任せる」
「昨日、それでどうなった?」
「……学園征服宣言」
「そういうこと」
美咲は立ち上がり、俺の前に立った。
「行くわよ」
「どこへ」
「学校」
「俺はまだ心の準備が」
「準備してる間にナオキちゃんが何かやらかすわよ」
「もうやらかしてる」
「じゃあ、もっとやらかす前に行くの」
正論だった。
正論は嫌いだ。
やっぱり当たるから。
俺はトーストをかじりながら言った。
「自分の分身に家を追い出される主人公ってどうなの」
美咲は即座に返した。
「それ、私の台詞」
「え?」
「自分の分身に家を追い出される主人公ってどうなの」
「言われると腹立つな」
「じゃあ、ちゃんと向き合いなさいよ」
美咲の声が少しだけ真面目になった。
俺はトーストを持ったまま黙る。
「ナオキちゃんは、あんたなんでしょ」
「あいつは俺だけど俺じゃない」
「じゃあ、何?」
「何って……」
「偽物?」
「……それは」
言いかけて、止まった。
偽物。
そう言えば楽だ。
空から落ちてきた謎の光のせいで現れた、俺にそっくりな偽物。
そう片づければ、俺は関係ない。
ナオキが何をしても、あいつが勝手にやったことだと言える。
でも、違う。
ナオキは俺の記憶を持っていた。
俺の癖を知っていた。
俺と同じように寒がって、俺と同じように紅茶を飲んだ。
そして、俺が今まで言えなかったことを、簡単に言った。
美咲は可愛い。
俺は、そんな一言すら口にできなかった。
ナオキは、俺だけど俺じゃない。
なら、俺にとってナオキは何なんだ。
答えは出なかった。
「……わからん」
俺が言うと、美咲は少しだけ表情を緩めた。
「じゃあ、わかるまで追いかける」
「おまえ、たまに行動原理が単純だよな」
「単純な方が動けるでしょ」
「俺は複雑だから動けない」
「低血圧だからでしょ」
「それもある」
美咲は俺の空いた皿を片づけた。
「五分で支度」
「十五分」
「五分」
「十分」
「五分」
「……七分」
「五分」
「交渉の余地がない」
「ない」
結局、俺は七分で支度した。
五分では無理だった。
七分でもだいぶ偉い。
外に出ると、冬の空気が顔を刺した。
昨日より寒い気がする。
いや、俺の心が寒いだけかもしれない。
美咲は自転車を押していた。
俺も、昨日からやたら酷使されている愛車ジャガーにまたがる。
「直樹」
「何だ」
「今日、逃げないでよ」
「逃げない」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「人間に絶対はない」
「またそれ」
美咲はため息をついた。
俺たちは自転車で学校へ向かった。
昨日、謎の光が落ちた住宅街のあたりを通ると、俺は無意識に空を見上げた。
青い。
今日も雲ひとつない。
光る何かは落ちてこない。
その代わり、胸の奥に変な重さがある。
ナオキはどこにいるのか。
何をしようとしているのか。
「学園を征服する」と言った意味は何なのか。
まさか本当に支配者になる気なのか。
いや、俺から分裂した存在だ。
俺にそんな野望はない。
俺の野望といえば、冬休みにこたつで年末特番を見ながら紅茶を飲むことくらいだ。
学園征服とは規模が違いすぎる。
「……あいつ、本当に俺から出てきたのか?」
「何?」
隣を走る美咲が聞き返す。
「いや、独り言」
「不安?」
「そりゃ不安だろ。自分の顔したやつが学園征服とか言い出したんだぞ」
「そうね」
「しかも、あいつの方が行動力ある」
「そこ?」
「重要だろ。俺より俺っぽくない」
「でも、直樹が言えなかったことを言ってる気もする」
美咲の言葉に、俺は黙った。
自転車のペダルが重くなる。
「……何だよ、それ」
「昨日の話。ナオキちゃん、美咲って可愛いって言ったじゃない」
「そこを蒸し返すな」
「私はうれしかったけど」
「……そうかよ」
「でも同時に、あれ、直樹の中にもあった言葉なのかなって思った」
「ない」
「即答」
「ない」
「耳赤い」
「寒い」
「便利ね、冬」
俺は顔をそらした。
美咲はそれ以上追及しなかった。
それが少しありがたくて、少し気まずかった。
学校が近づく。
鏡星学園の通学路は、駅前の商店街を抜け、住宅地を曲がり、大きなメディアアーカイブの横を通る。
アーカイブのガラス張りの建物は、朝の光を受けて静かに輝いていた。
この図書館みたいな巨大施設が、すべての元凶の一部かもしれない。
そう思うと、何でもないガラス窓まで怪しく見える。
その角を曲がったところで、前方に一人の生徒が立っていた。
小柄な少女。
長い髪。
前髪から、ぴょんと二本だけ跳ねた毛がある。
彼女は制服の上からゆったりしたカーディガンを着て、片手に人形を抱えていた。
人形は、青い服を着た少女の形をしている。
見上宙。
同じクラスの、不思議枠だ。
いや、鏡星学園には不思議枠が多すぎるので、単なる不思議枠では弱い。
宙は、その中でも「たぶん本当に何かある」枠である。
「おはよう、宙ちゃん」
美咲が声をかけた。
宙はゆっくりと顔を上げた。
「……ぉはよぅ」
声が小さい。
聞き取るためには、こちらが耳を澄ませる必要がある。
俺は少しだけ警戒した。
宙は苦手だ。
何を考えているかわからない。
いや、考えていることがわからないならまだいい。
問題は、こっちの考えていることを読んでいるように見える時があることだ。
宙は俺をじっと見た。
目が合う。
見上げるような視線。
だが、その奥に妙な深さがある。
「……今日の直樹くん」
「何だよ」
「半分」
俺はブレーキを握った。
自転車がきいっと音を立てて止まる。
「なんで知ってる」
宙は答えなかった。
代わりに、抱えていた人形が、ぎぎっと顔を上げた。
人形の名前はアリス。
宙が持ち歩いている腹話術人形だ。
ただし、腹話術なのか、本当に人形がしゃべっているのか、俺はまだ確信が持てない。
アリスが口を開く。
「見ればわかるゾ。中身が足りナイ」
「こわっ」
思わず本音が出た。
美咲が宙に近づく。
「宙ちゃん、ナオキちゃんのこと何か知ってるの?」
宙は小さく首を傾げた。
「……片方が、歩いてる」
「どこを?」
「学校」
俺の背中に冷たいものが走った。
「ナオキが学校にいるのか?」
アリスが答えた。
「いるゾ。たぶん上の方ダ」
「上?」
「高いところ」
「屋上か?」
宙の前髪が、ぴょんと立った。
アンテナみたいに見えた。
本人に言ったら怒るかもしれないので言わない。
アリスが、にたりと笑う。
「ヤな予感がするゾ」
「おまえが言うと洒落にならないんだよ」
「褒めるナ」
「褒めてない」
その時だった。
遠くで、腹に響くような音がした。
どん。
地面がわずかに震える。
自転車のハンドルが揺れた。
続いて、金属がこすれるような音。
何かが崩れる音。
そして、学園の方角から煙が上がった。
美咲が叫ぶ。
「学校!」
俺は即座にペダルを踏んだ。
昨日から何度目かわからない全力疾走。
ジャガー、おまえには本当に申し訳ない。
宙は当然のように俺の自転車の後ろに乗っていた。
「いつ乗った!?」
「……さっき」
「聞いてない!」
「言ったら乗せてくれた?」
「状況による」
「今は状況が状況」
「それはそう!」
アリスが俺の肩越しに叫ぶ。
「早く走レ、マヌケ!」
「人形に急かされる人生って何だよ!」
美咲も隣で自転車を飛ばす。
俺たちは煙の方へ向かった。
鏡星学園の正門前は、すでに混乱していた。
生徒が集まっている。
教師が叫んでいる。
警備員が校門を封鎖しようとしている。
だが封鎖しきれていない。
なぜなら、校舎の一部が派手に壊れていたからだ。
正確には、旧校舎側の壁が大きくえぐれている。
完全崩壊ではない。
だが、外壁の一部が剥がれ、窓ガラスが割れ、そこから白い煙が上がっている。
生徒たちは遠巻きに見ている。
誰かが叫ぶ。
「また玉藻先生!?」
「今度は何!?」
「クリスマスパーティー中止?」
「いや、むしろ出し物?」
「鏡星だからなあ」
最後の納得はおかしい。
だが、誰も強く否定しない。
鏡星学園とは、そういう学校だった。
俺は自転車を放り出し、校門前に駆け寄った。
「何だよこれ……」
美咲も隣に立つ。
宙は俺の後ろからひょこっと顔を出した。
「……上」
宙が指を差した。
俺は見上げた。
校舎の屋上。
そこに、巨大な影があった。
ロボットだ。
昨日、玉藻先生の研究室にいたタロウくん1号、2号とは比べものにならない大きさ。
人型。
全長は校舎の二階分くらいありそうだ。
肩幅が無駄に広く、腕が太い。
頭部には、なぜか丸い目が二つついている。
胸には大きく『タロウくん3号』と書かれていた。
「三号……」
俺は呆然とつぶやいた。
「いつ作ったんだよ」
隣で玉藻先生の声がした。
「昨日の夜、あたしが寝てる間に、ナオキちゃんが勝手に組み上げたみたいねぇん」
「先生!」
俺が振り返ると、玉藻先生がいた。
白衣の背中には、まだ「反省中」のステッカーが貼られている。
「剥がせよ、それ!」
「剥がれないのよぉん。ナオキちゃん、可学式粘着材を使ったみたい」
「そこだけ技術力高いな!」
玉藻先生はロボットを見上げる。
「タロウくん3号は、本来なら未完成だったの。学園行事用の大型搬送ロボにする予定だったんだけどぉ」
「大型搬送ロボにロケットパンチは必要ないですよね」
「夢は必要でしょぉん?」
「夢で校舎を壊すな!」
その時、タロウくん3号の肩の上に人影が立った。
白い制服。
少し長い髪。
俺と同じ顔。
だが、表情は俺ではなかった。
堂々としていた。
吹きつける風の中で、ナオキは笑っていた。
手には、なぜか黒いマント。
どこから持ってきた。
スピーカーから声が響く。
『聞こえるか、鏡星学園の諸君』
ざわめきが広がる。
「あれ、時雨?」
「え、女子?」
「直樹くん?」
「いや、直樹ちゃん?」
「双子?」
「かわいい」
「昨日の噂の子?」
やめろ。
俺の顔でざわつくな。
ナオキは片手を高く掲げた。
『私は時雨ナオキ』
声が、校舎全体に響く。
『時雨直樹から生まれ、時雨直樹ではない者。今日、この瞬間より、鏡星学園のすべての役は、私が決める』
生徒たちがさらにざわつく。
玉藻先生が「いい声ねぇ」と呟く。
感心している場合ではない。
ナオキは続けた。
『時雨ナオキは、ここに鏡星学園征服を開始する!』
校庭が沈黙した。
一拍置いて、誰かが言った。
「……演劇?」
「クリスマスパーティーの宣伝?」
「今年すごいな」
「でも旧校舎壊れてるよ」
「リアルだね」
違う。
たぶん違う。
いや、もはや何が違うのかわからない。
俺は校庭の真ん中へ飛び出して叫んだ。
「何やってんだ俺!」
全校生徒の視線が俺に向いた。
次に屋上のナオキへ向く。
また俺へ。
またナオキへ。
その反復で、全員が混乱していくのがわかった。
ナオキは俺を見下ろした。
俺と同じ顔で。
俺とは違う笑みで。
『来たか、直樹♂』
「その呼び方やめろ!」
『区別が必要だろう?』
「もっとマシな区別がある!」
『おまえは直樹♂。私はナオキ。もう同じじゃない』
その言葉が、耳ではなく胸に刺さった。
もう同じじゃない。
たしかにそうだ。
ナオキは俺から分かれた。
でも、今あそこに立っているナオキは、俺ではない。
俺なら、あんなふうに屋上で堂々と立てない。
全校生徒に見られて、笑っていられない。
俺の顔で。
俺の声に似た声で。
俺がずっと嫌がっていた「見られること」を、ナオキは自分から選んでいる。
俺は一瞬、言葉を失った。
美咲が横に来る。
「直樹」
「……わかってる」
「何か言い返しなさいよ」
「わかってるって」
でも言葉が出ない。
ナオキはさらに手を掲げる。
『まず第一の命令だ。クリスマス演劇の配役は、私が決める』
「そこかよ!」
俺は思わず叫んだ。
ナオキは真剣だった。
『誰かに似合う役を押しつけるな。似合うなら、本人が奪えばいい。やりたいなら、本人が名乗ればいい。嫌なら、断ればいい』
校庭のざわめきが少し変わった。
さっきまでの混乱と笑いではない。
何かを聞いてしまった、という空気。
ナオキの声は大げさで、芝居がかっていた。
でも、その中にある怒りは本物だった。
『だから私は奪う。舞台も、役も、この学園も』
「いや、最後が飛躍しすぎなんだよ!」
俺は叫んだ。
その瞬間、空から風が降りてきた。
ばたばたばたばたばた。
大きな音。
ヘリコプターのローター音だった。
全員が空を見上げる。
黒いヘリが、学園上空に現れた。
機体側面には、鏡星学園生徒会の紋章がある。
「出た……」
美咲が呟く。
俺も同じことを思った。
出た。
鏡星学園の名物。
ヘリで来る生徒会長。
ヘリは校庭の端に降下した。
強烈な風が巻き起こる。
生徒たちが一斉に距離を取る。
ヘリのドアが開く。
黒を基調にしたクラシカルな制服アレンジ。
白いリボンタイ。
レースの手袋。
長い黒髪。
凛とした立ち姿。
鳴海愛。
鏡星学園生徒会長。
学園内で起きるあらゆる異常事態の最終処理係みたいな人だ。
愛はヘリから降りると、風の中でも一切乱れない足取りで校庭に立った。
周囲の生徒が自然と道を開ける。
美咲が小声で言う。
「やっぱり鳴海先輩、登場から違うわね」
「学校にヘリで来る人間に言うことか、それ」
愛はまず旧校舎の破損状況を見た。
次にタロウくん3号を見た。
屋上のナオキを見た。
そして最後に、俺を見た。
嫌な予感がした。
愛はまっすぐ俺の方へ歩いてきた。
「時雨直樹」
「はい」
なぜか背筋が伸びた。
愛の声にはそういう力がある。
「状況を説明できるか」
「できる範囲と、できない範囲があります」
「できる範囲から」
「昨日、謎の光にぶつかって、俺が二人になりました」
自分で言っていて頭がおかしい。
だが、愛は眉ひとつ動かさなかった。
「続けて」
「片方が女の身体になって、ナオキと呼ぶことにしました。その後、玉藻先生に捕まり、研究室に連れて行かれ、三十分で作った装置に入れられました」
「玉藻先生」
愛が静かに呼んだ。
玉藻先生が肩をすくめる。
「てへ」
「あとで詳しく」
「はい」
玉藻先生が素直にうなずいた。
鳴海愛は強い。
俺は続ける。
「装置が途中で停電して、ナオキが変になって、学園征服を宣言しました」
「変になって?」
「もともと変かもしれませんが、さらに変になりました」
「なるほど」
愛は屋上を見上げた。
ナオキは、愛の登場を楽しむように見ていた。
『生徒会長、鳴海愛か』
スピーカー越しにナオキが言う。
『この学園を管理する者として、まずは君に宣言しておこう。鏡星学園は、私がもらう』
愛は一歩も動じなかった。
「却下する」
声は大きくない。
だが、妙に通る。
校庭が静まり返った。
「鏡星学園は、生徒会長である私の所有物でも、君の所有物でもない。生徒、職員、関係者の活動の場だ」
『ならば、その場を私の舞台にする』
「舞台にする許可も出していない」
『許可は取るものではない。奪うものだ』
「それは侵害という」
『冷静だな』
「君は派手だな」
『褒め言葉として受け取ろう』
「褒めてはいない」
会話が成立しているようで、微妙にしていない。
愛は俺に視線を戻した。
「直樹」
「はい」
「君の片割れだ。責任を取れ」
「俺がやったんじゃない!」
反射的に叫んだ。
校庭の視線がまた俺に集まる。
恥ずかしい。
だが、言わずにいられなかった。
「俺は学校壊してないし、ロボットも作ってないし、征服宣言もしてない!」
「だが、君から生まれた」
愛の声は静かだった。
責めているわけではない。
ただ、事実を置く声だった。
「ナオキが君から生まれた存在であるなら、君にしか届かない言葉があるかもしれない」
「俺に?」
「そうだ」
「でも、あいつはもう同じじゃないって」
「だからこそ、向き合う必要がある」
美咲と同じことを言われた。
逃げ道がどんどん狭まっている。
ナオキが屋上から笑う。
『直樹♂。生徒会長に言われて動くのか? 相変わらず、自分で決めるのが苦手だな』
「うるさい!」
『怒ったか?』
「怒るだろ!」
『それでいい。怒れるなら、まだ半分残っている』
「何言ってんだよ!」
『自分で考えろ』
ナオキはタロウくん3号の肩に手を置いた。
『今日のところは、宣言だけで十分だ。次は、私の舞台で会おう』
「待て!」
俺は叫んだ。
だが、タロウくん3号の背中から、推進装置のようなものが展開した。
玉藻先生が目を丸くする。
「あらぁん、それ未実装だったはずなのに」
「何を作ってたんですか先生!」
「大型搬送用の補助推進」
「絶対違う!」
タロウくん3号が大きく跳んだ。
屋上から校舎の向こう側へ。
巨大な影が空を横切る。
生徒たちが悲鳴を上げる。
愛がすぐに指示を出した。
「警備班、校舎周辺を封鎖。負傷者確認。生徒会広報は、これは学園行事のリハーサルではないと通知」
「リハーサルだと思ってる人いるんですか」
俺が言うと、周囲から数人の生徒が気まずそうに目をそらした。
いるのか。
この学校、やっぱりおかしい。
ナオキとタロウくん3号は、校舎の向こうへ消えた。
煙だけが残る。
愛は俺、 美咲、宙、玉藻先生を順に見た。
「緊急ミーティングを行う。生徒会室へ」
「俺もですか」
「当然だ」
「俺、被害者なんですけど」
「同時に関係者だ」
「関係者って便利な言葉ですね」
「便利だから使っている」
愛は淡々と言った。
美咲が俺の背中を叩く。
「行くわよ、関係者」
「その呼び方やめろ」
宙が小さく言う。
「……捜さないと」
アリスが続けた。
「半分が迷子ダ」
「迷子で済む規模じゃないだろ」
「なら、暴走迷子」
「最悪だな」
生徒会室へ向かう途中、校庭ではまだ生徒たちが騒いでいた。
「今の誰?」
「時雨くんの双子?」
「学園征服って何?」
「クリスマス演劇の宣伝じゃないの?」
「鳴海先輩が来たからガチ事件だろ」
「玉藻先生もいたし」
「あー、じゃあガチだ」
ガチの判断基準が玉藻先生なのはどうかと思う。
俺は廊下を歩きながら、壊れた旧校舎を見た。
割れた窓。
白い煙。
バタバタ走る教師。
冷静に誘導する生徒会役員。
そして、さっきまで屋上に立っていたナオキの姿。
もう同じじゃない。
ナオキの言葉が、まだ耳に残っている。
同じじゃないなら、何なんだ。
俺の分身。
俺の片割れ。
俺から生まれた、俺ではない誰か。
考えるほど、頭が痛くなる。
生徒会室に入ると、すでに何人かの役員が集まっていた。
大きなテーブル。
壁のモニター。
学園内の監視カメラ映像。
壊れた旧校舎の平面図。
いつもの学校とは思えない雰囲気だった。
愛は上座に立つ。
「これより、時雨ナオキによる学園征服宣言事案への対応を協議する」
「その名称、正式なんですか」
俺が聞くと、愛はすぐ答えた。
「仮称だ」
「仮称でも嫌すぎる」
「では、ナオキ暴走事案」
「それも嫌だ」
「時雨直樹分裂事案」
「一番嫌だ!」
美咲が横で笑いをこらえていた。
愛は俺を見た。
「では、本人の希望は?」
「もっとぼかしてください」
「では、鏡星学園ファントム事案・第四分類」
「急に事務的」
「これでいく」
生徒会役員が端末に入力する。
本当にそれでいくらしい。
俺は頭を抱えた。
愛は続ける。
「時雨直樹」
「はい」
「君をナオキ捜索班に任命する」
「拒否権は?」
「ない」
「ですよね」
「佐藤美咲、見上宙も協力を」
美咲はうなずいた。
「わかりました」
宙は小さくうなずく。
アリスが代わりに言う。
「任せロ。半分探しは得意ダ」
「どういう得意分野だよ」
玉藻先生がそっと手を挙げる。
「あたしは?」
愛は静かに見た。
「玉藻先生は、装置とロボットの全データを提出してください」
「企業秘密がぁ」
「提出してください」
「はい」
玉藻先生がすぐ折れた。
鳴海愛は強い。
美咲が俺の方へ身を寄せ、小声で言った。
「直樹」
「何だよ」
「逃げられなくなったね」
「……わかってる」
「ちゃんと向き合いなさいよ」
「今日、何回それ言われるんだ」
「言わないと逃げるから」
「信用ないな」
「あるわよ」
「どこに」
「逃げても、結局戻ってくるところ」
俺は何も言い返せなかった。
生徒会室のモニターには、屋上に立つナオキの映像が静止画で映っている。
俺と同じ顔。
俺ではない表情。
堂々とした笑み。
その姿を見ていると、胸の奥がざわついた。
怒りなのか。
不安なのか。
嫉妬なのか。
自分でもわからない。
ただ一つだけ確かなのは、ナオキはもう俺の知らない場所へ走り出しているということだった。
そして俺は、こたつに戻りたいと思いながらも、たぶん追いかけるしかない。
面倒だ。
最悪だ。
寒い。
でも。
「……あいつ、俺の顔で勝手なこと言いやがって」
俺がつぶやくと、美咲が少し笑った。
「やっと怒った?」
「最初から怒ってる」
「じゃあ、行けるね」
俺はモニターのナオキを睨んだ。
「まずは見つける」
声に出すと、少しだけ腹が決まった。
逃げられないからではない。
責任を取れと言われたからでもない。
俺の顔で。
俺の記憶で。
俺が言えなかったことを勝手に叫ぶあいつに、言いたいことができたからだ。
生徒会室の外では、まだ混乱の声が続いている。
鏡星学園の一日は、始まったばかりだった。
そして俺は、ナオキ捜索班という、人生で一番意味のわからない班に強制加入させられた。




