番外編 ナオキ、制服を選ぶ
鏡星学園の制服は、そこそこ評判がいい。
伝統ある私立校らしく、落ち着いた紺を基調にしていて、襟元や袖口には控えめなラインが入っている。
男子制服はジャケットにスラックス、ネクタイ。
女子制服はジャケットにスカート、リボン。
ただし、鏡星学園はよくも悪くも普通の学校ではない。
図書館の奥から絵本の世界が漏れ出したり、バレンタインに魔法じみた現象が起きたり、俺が二人に分裂したりする学校である。
そのため、校則も普通の学校より少しだけ柔軟だった。
防寒具の着用。
身体的事情に応じた制服運用。
実習や事件対応時の装備変更。
そして、本人の意思によるスラックス、スカート、リボン、ネクタイの選択。
そこまでは知っていた。
知っていたが。
「時雨ナオキの制服運用について、正式登録前に確認を行う」
放課後の生徒会室で、鳴海愛生徒会長がそう言った瞬間、俺は湯呑みを持つ手を止めた。
冬の午後。
窓の外は薄曇り。
校舎の影が長く伸びる時間帯。
生徒会室には暖房が入っていて、俺はできればこのまま何も起きずに帰りたいと思っていた。
だが、鳴海会長が言う「確認」は、だいたい普通の確認では終わらない。
俺の隣では、時雨ナオキが椅子に座り、まっすぐ愛会長を見ていた。
同じ顔。
違う表情。
俺が猫背で湯呑みに手を伸ばしているのに対し、ナオキは背筋を伸ばしている。
そこだけ見ると、俺より彼女の方がよほど生徒会室に似合っていた。
少し腹が立つ。
「制服運用?」
ナオキが聞き返す。
愛会長は端末を操作しながら頷いた。
「現在、君は仮登録扱いだ。学籍上は、時雨直樹の双子の妹、時雨ナオキとして一時登録されている」
「一時、という言葉がまだ付くのか」
「正式登録の手続きが終われば外れる」
「つまり、私は正式に私になるわけだな」
「そういうことだ」
ナオキは少しだけ笑った。
その顔を見て、俺は湯呑みの中の茶を見た。
時雨ナオキ。
名前。
学籍。
制服。
少し前までは、そんなものを考える必要すらなかった。
ナオキが残るかどうか。
俺の中へ戻るかどうか。
そっちの方がずっと大きな問題だった。
それが今は、制服の話をしている。
たぶん、いいことなのだろう。
でも、平和な話ほど、妙に引っかかる時がある。
愛会長は淡々と続けた。
「鏡星学園では、制服の選択について一定の自由が認められている。男子制服、女子制服、スラックス、スカート、リボン、ネクタイ。規定内の組み合わせであれば、本人の意思を尊重する」
「なるほど」
ナオキはあっさり頷いた。
「似合う方でいい」
その言葉に、俺は少しだけ眉を動かした。
小さな違和感だった。
針で袖を軽く引っかけられたくらいの、微妙な引っかかり。
だが、無視できなかった。
生徒会室の端に座っていた佐藤美咲が、こちらを見る。
美咲は俺の表情に気づいたらしい。
幼馴染というのは厄介だ。
本人が隠したつもりの感情を、なぜか先回りして見つけてくる。
ナオキは気にした様子もなく言った。
「登録上は妹なんだろう。だったら女子制服でいいんじゃないか」
「それは君が決めることだ」
愛会長は即座に返した。
「登録上の扱いと、本人が着るものは別だ」
「でも、周りはそう見るだろう?」
「周りの見る目で決める必要はない」
「目立つのも面倒だしな」
ナオキは肩をすくめた。
「女子制服でいい。たぶん似合う」
俺は湯呑みを置いた。
音が少し大きく鳴った。
全員の視線がこちらに向く。
「直樹?」
美咲が小さく名前を呼ぶ。
俺は、少し迷った。
たかが制服だ。
本人がいいと言っているなら、それでいい。
俺が口を出す話ではない。
そう思った。
思ったのに、口が動いた。
「似合うからって理由で決めるな」
生徒会室が静かになった。
ナオキが俺を見る。
愛会長も、端末から顔を上げた。
俺は視線をそらさなかった。
「おまえが着たい方を選べ」
ナオキは少しだけ目を細めた。
「何だ、急に」
「急じゃない」
「急だろ。今まで黙ってたのに」
「今、引っかかった」
「何が」
「似合う方でいい、ってところ」
言いながら、自分でも少し面倒くさいことを言っていると思った。
でも、止められなかった。
「おまえが本当に女子制服を着たいなら、それでいい。スカートでも、リボンでも、好きにすればいい。でも、似合うからとか、妹として登録されてるからとか、周りがそう見るからとか、そういう理由で決めるな」
ナオキは黙った。
その顔が少しだけ真剣になる。
俺は続けた。
「そういうの、俺は嫌だった」
言葉にすると、胸の奥が少し重くなった。
文化祭。
クリスマス演劇。
クラスメイトたちの笑い声。
似合うから。
可愛いから。
時雨ならいけるって。
本人がどう思っているかより、周りが面白いかどうかで役を決められる感じ。
俺は、そこから逃げていた。
面倒くさいと言って。
寒いと言って。
眠いと言って。
でも本当は、嫌だった。
ナオキは、それを知っている。
俺の記憶を持っているから。
俺が言葉にしなかったことも、かなり知っている。
だからこそ、言う必要があった。
「おまえは俺の代わりに可愛いを引き受ける必要はない」
ナオキの表情が、わずかに変わった。
美咲が息をのむ。
愛会長は何も言わずに聞いている。
「似合うとか、登録上の妹だからとか、そんなのはあとでいい。おまえがどうしたいかで決めろ」
ナオキは、しばらく俺を見ていた。
それから、少しだけ視線を落とした。
「……面倒なことを言うな、直樹」
「俺は面倒なんだよ」
「知ってる」
「なら諦めろ」
ナオキは小さく笑った。
だが、その笑いはいつもの挑発的なものではなかった。
少し困ったような、少し迷ったような笑いだった。
「私は、女子制服を着たいのか」
ぽつりと、ナオキが言った。
「それとも、女子制服を着るべきだと思っているのか」
答えはすぐに出なかった。
ナオキは腕を組み、椅子の背に軽くもたれた。
「スカートは嫌じゃない。リボンも嫌じゃない。可愛いと言われるのも、別に嫌ではない」
「だろうな」
「でも、それが私の選択なのか、周りの期待に合わせているのかは……少しわからない」
珍しい。
ナオキが迷っている。
いつもなら、彼女は直感で決める。
学園を征服すると宣言した時も、クリスマス劇で舞台に立った時も、自分の見られ方を武器にすることをためらわなかった。
だが、今は違う。
制服は、毎日着るものだ。
舞台衣装ではない。
征服宣言の小道具でもない。
自分が自分として、朝、袖を通すものだ。
愛会長が静かに言った。
「結論を急ぐ必要はない。制服店には連絡を入れてある。試着してから決めるといい」
「試着?」
ナオキが顔を上げる。
美咲がぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、行こう。ナオキちゃん」
「美咲も来るのか」
「もちろん。こういうのは一人で考えると余計に迷うし」
美咲は俺を見る。
「直樹も来るでしょ」
「俺も?」
「言い出したの直樹じゃない」
「それはそうだが、制服店に俺が行って何をするんだ」
「不機嫌な顔をする」
「役割がひどい」
ナオキが少し笑った。
「来ればいい。直樹がどういう顔をするか見たい」
「それを目的にするな」
愛会長は端末に予定を表示し、淡々と言った。
「本日放課後、制服店に仮予約を入れている。私は後から確認に向かう。規定判断が必要になった場合、私が対応する」
「生徒会長も来るんですか」
俺が言うと、愛会長は当然のように頷いた。
「本人の制服選択に関わる正式確認だ。生徒会として立ち会う」
「頼もしいけど、物々しいですね」
「鏡星学園では、物々しくしておいた方が後で楽なことが多い」
「否定できない」
こうして、その日の放課後、俺たちは制服店へ向かうことになった。
鏡星学園指定制服取扱店は、駅前商店街の一角にあった。
古くからある店で、外観は地味だが、店内は意外と広い。
壁には鏡星学園の制服が並び、男女それぞれのジャケット、スラックス、スカート、シャツ、ブラウス、リボン、ネクタイ、防寒用ベスト、コートまで揃っている。
店の奥には試着室が三つ。
大きな姿見。
採寸用のメジャー。
棚には見本のボタンや校章バッジが並んでいる。
暖房が効いていて、店内は少し眠くなるくらい暖かかった。
俺は壁際の椅子に座った。
できれば、そこから動きたくない。
美咲は楽しそうに制服を見ている。
ナオキは腕を組み、並んだ制服をじっと見ていた。
「種類が多いな」
「鏡星学園は、わりと柔軟だからね」
美咲が説明する。
「女子でもスラックスの子いるし、男子でも体調や事情でベストとか組み合わせ変える人もいるし」
「なるほど」
「ナオキちゃんは、まず全部着てみよう」
「全部?」
「そう。迷ってる時は、着てから考えた方が早い」
「全部似合ったら?」
「その時はその時」
美咲は楽しそうだ。
完全に着せ替えをする気である。
ナオキは俺を見る。
「直樹」
「何だ」
「逃げるなよ」
「逃げる必要がない」
「私が何を着ても不機嫌な顔をしそうだからな」
「それは可能性が高い」
「自覚があるのか」
「ある」
店員さんが採寸を済ませ、まず女子制服の標準セットを用意してくれた。
ジャケット。
ブラウス。
スカート。
リボン。
ナオキはそれを持って試着室へ入った。
カーテンが閉まる。
俺は椅子に座ったまま、店内の時計を見た。
数分。
美咲は少しそわそわしている。
俺は、別にそわそわしていない。
ただ、少し落ち着かないだけだ。
カーテンが開いた。
ナオキが出てきた。
女子制服。
スカート。
リボン。
鏡星学園の制服は、彼女に恐ろしく似合っていた。
元が俺と同じ顔だというのに、いや、同じ顔だからこそというべきか、妙に整っている。
立ち方がいい。
目線が強い。
可愛いというより、可愛さを自分の武器として理解している感じがある。
美咲が両手を合わせた。
「似合う!」
「そうか」
ナオキは姿見の前で軽く回った。
スカートの裾が揺れる。
「悪くないな」
「うん、すごく自然」
美咲が嬉しそうに言う。
俺は黙っていた。
ナオキがこちらを見る。
「直樹」
「何だ」
「何か言え」
「……似合う」
「不機嫌だな」
「似合うから不機嫌なんだよ」
「なんで全部似合うんだよ」
俺は思わず本音を言った。
ナオキはにやっと笑った。
「素材が同じだからな」
「それが腹立つ」
「直樹も着れば似合うぞ」
「絶対に着ない」
「似合うのに」
「その言葉の危険性をおまえは知っているはずだ」
ナオキは少しだけ表情を緩めた。
「知っている」
それから、姿見の中の自分を見た。
「似合う。たしかに似合う。でも、これを毎日着る私を想像すると……少し、舞台衣装みたいだ」
「嫌?」
美咲が聞く。
「嫌ではない。ただ、強すぎる。私がこれを選んだというより、これを着た私が勝手に役を始めそうだ」
ナオキらしい言い方だった。
女子制服のナオキは、たしかに絵になる。
目立つ。
見られる。
でも、彼女がそれを本当に毎日望むかは、別の話だ。
「次、スラックスにしてみよう」
美咲が言った。
ナオキは頷いて、再び試着室へ入る。
次に出てきた時、彼女は女子制服のジャケットとブラウスに、スラックスを合わせていた。
リボンはそのまま。
印象が変わった。
スカートの時より、少し軽い。
動きやすそうで、落ち着いている。
可愛さもあるが、それ以上に、ナオキの強さが自然に出ていた。
美咲が目を輝かせる。
「これも似合う」
「本当に全部似合うな」
俺はうっかり言った。
ナオキは得意そうに笑う。
「素材がいいからな」
「何度も言うな」
「直樹にも返ってくる褒め言葉だぞ」
「なら余計にやめろ」
ナオキは姿見の前で足を軽く動かした。
「これは楽だな。走れる」
「学校でそんなに走る予定あるの?」
美咲が聞く。
「鏡星学園だぞ」
「納得した」
鏡星学園では、走れる服装は大事だ。
いつ何が追いかけてくるかわからない。
あるいは、こちらが何かを追いかけることになるかもしれない。
ナオキは自分の姿を見て、少し黙った。
「女子制服なのに、私が着ている感じがする」
美咲が頷いた。
「いいんじゃない?」
「いい、のか?」
「ナオキちゃんがそう思うなら」
美咲の言葉はシンプルだった。
ナオキは、そのシンプルさを少し眩しそうに受け取っていた。
次は男子制服だった。
ジャケット。
シャツ。
スラックス。
ネクタイ。
ナオキが出てきた瞬間、俺はまた黙った。
今度は、別の意味で。
似ている。
というより、ほとんど俺だった。
いや、身体の違いはある。
雰囲気も違う。
でも、男子制服を着たナオキは、俺の少し強気な別バージョンみたいだった。
美咲も一瞬言葉を失った。
「……直樹がちゃんとしてるみたい」
「どういう意味だ」
俺が言うと、美咲は慌てた。
「いや、悪い意味じゃなくて」
「絶対悪い意味だろ」
ナオキはネクタイを指で整えながら、姿見を見た。
「なるほど」
「どうだ」
俺が聞くと、ナオキは少し考えた。
「これは落ち着く」
意外だった。
「女子制服より?」
「うん。たぶん、記憶に近いからだろうな」
ナオキは俺と同じ記憶を持っている。
俺が毎朝着ていた制服。
面倒だと言いながらネクタイを締め、眠い顔で家を出て、鏡星学園へ向かっていた日々。
それに一番近いのは、男子制服なのだ。
「でも」
ナオキは続けた。
「これは、直樹の影が少し強い」
「俺の?」
「私が私として着ているというより、直樹の続きを着ている感じがする」
その言葉に、俺は黙った。
自分で選べと言ったくせに、何を選んでも簡単ではないのだと、今さら思う。
ナオキは俺から生まれた。
俺の記憶を持っている。
でも、俺ではない。
女子制服を着れば、周りが期待する「妹」として見られるかもしれない。
男子制服を着れば、俺の影を着ることになるかもしれない。
どちらも、ナオキに似合う。
でも、似合うことと選ぶことは違う。
俺はその違いを、ようやく少しわかりかけていた。
美咲が言った。
「じゃあ、組み合わせてみたら?」
「組み合わせ?」
「女子ジャケットにスラックス、ネクタイ。あと、リボンも試して。日によって変えてもいいんじゃないかな」
ナオキが店員さんを見る。
店員さんはにこやかに頷いた。
「規定内の組み合わせであれば可能ですよ。最近は、スラックスとリボン、スラックスとネクタイを選ぶ生徒さんも増えています」
「なるほど」
ナオキは再び試着室に入った。
次に出てきた時、彼女は女子制服のジャケットにスラックスを合わせ、襟元にはネクタイを締めていた。
さっきのどれとも違った。
女子制服ほど舞台衣装めいていない。
男子制服ほど俺の影が強くない。
スラックスで動きやすく、ネクタイで少し締まっている。
ナオキの強気な目とよく合っていた。
俺は、少しだけ素直に言った。
「……いいんじゃないか」
ナオキがこちらを見る。
「不機嫌じゃないのか」
「少しは不機嫌だ」
「なぜ」
「似合うから」
ナオキは笑った。
「ならいい」
美咲がリボンも持ってきた。
「こっちもつけてみて」
ナオキはネクタイを外し、リボンをつけた。
印象が柔らかくなる。
少し可愛い。
だが、スラックスのおかげで甘すぎない。
ナオキは姿見の前で、ネクタイとリボンを交互に見た。
「どっちも悪くない」
「どっちも選んだら?」
美咲が言った。
「今日はネクタイ。明日はリボン。気分で変えればいいよ」
「気分で」
「うん。ナオキちゃんが選べばいい」
ナオキは黙った。
その言葉が、制服店の暖かい空気の中にゆっくり落ちた。
ナオキちゃんが選べばいい。
それだけの話だ。
でも、たぶんそれが一番大事だった。
その時、店の扉が開いた。
冷たい外気と一緒に、鳴海愛会長が入ってくる。
黒いコート。
落ち着いた足取り。
制服店の店員さんに丁寧に頭を下げてから、俺たちの方へ来た。
「決まったか」
ナオキは姿見から愛会長へ向き直った。
「まだ仮だが」
「聞こう」
「女子制服のジャケット。スラックス。リボンとネクタイは両方。日によって変える」
愛会長は端末を確認した。
「問題ない。鏡星学園は、本人が選んだ制服運用を尊重する」
淡々とした言葉だった。
だが、ナオキの表情が少し変わった。
嬉しそうというほど大げさではない。
安心したような顔。
「本人が選んだ、か」
「そうだ」
愛会長はまっすぐ言った。
「君は、時雨直樹の双子の妹として登録される。だが、それは管理上の分類だ。君が毎朝どの制服に袖を通すかは、君が決める」
「私が」
「そうだ」
ナオキは自分の胸元のリボンに触れた。
それから、隣に置かれたネクタイを見る。
スラックス。
ジャケット。
姿見に映る自分。
俺と同じ顔から生まれた、俺ではない自分。
ナオキは、ゆっくり笑った。
「じゃあ、今日はこれで行く」
俺は反射的に言った。
「目立つぞ」
ナオキは俺を見る。
そして、不敵に笑った。
「目立つなら、私が選んで目立つ」
その言葉を聞いて、俺は黙った。
返す言葉が見つからなかった。
悔しいが、いい言葉だった。
ナオキらしい。
いや、ナオキが自分で選んだ言葉だった。
美咲が小さく拍手した。
「いいと思う」
愛会長も頷いた。
「では、その内容で申請する。制服の追加購入費については家庭と相談になるが、特例登録に関わる必要経費として一部補助が出る可能性がある」
「補助まであるんですか」
俺が驚くと、愛会長は当然のように言った。
「鏡星学園は、事件を起こすだけの学校ではない」
「その言い方、事件を起こすことは否定しないんですね」
「否定できない」
そこは正直だった。
制服店を出る頃には、外はもう夕方だった。
駅前商店街の灯りが点き始めている。
冷たい風が吹く。
ナオキは試着用の制服から元の服へ戻っていたが、手には購入予約票を持っていた。
女子制服ジャケット。
スラックス。
リボン。
ネクタイ。
必要なものが並んでいる。
美咲は満足そうに歩いていた。
「楽しみだね、ナオキちゃん」
「ああ」
「初登校の日、写真撮ろうね」
「撮るのか」
「撮るでしょ」
「直樹も一緒に」
「俺はいい」
「だめ」
美咲に即答された。
「二人で制服並んでるところ、ちゃんと残したいし」
「俺は毎日着てるだろ」
「ナオキちゃんが選んだ日だから意味があるの」
その言葉に、俺は少し黙った。
ナオキがこちらを見る。
「嫌か」
「……嫌ではない」
「じゃあ決まりだな」
「勝手に決めるな」
「美咲が決めた」
「もっと悪い」
美咲が笑う。
「二人とも、文句言う顔まで似てる」
「似てない」
「似てない」
同時だった。
まただ。
俺とナオキは互いに目をそらした。
数日後。
ナオキの制服が届いた。
正式登録前の仮運用初日。
朝の時雨家は、少しだけいつもと違っていた。
母さんが玄関でカメラを構えている。
美咲も当然のように来ている。
俺はいつもの男子制服。
眠い。
寒い。
マフラーを巻きたい。
その横に、ナオキが立っていた。
女子制服のジャケット。
スラックス。
今日はリボンではなく、ネクタイ。
髪は少し整えられている。
いつもの強気な目。
でも、どこか新しい朝を見るような顔。
母さんが笑った。
「二人とも並んで」
「母さん、朝から撮影会はやめてくれ」
「記念でしょ」
「何の」
「ナオキちゃんが自分で選んだ制服の日」
母さんまで美咲と同じことを言う。
俺は諦めた。
ナオキは少しだけ照れたように、でも堂々と俺の隣に立った。
美咲がスマホを構える。
「はい、こっち向いて」
「早くしてくれ。寒い」
「直樹、顔」
「朝から笑えるか」
「ナオキちゃんは?」
「私は笑える」
ナオキはにやっと笑った。
俺はむっとした。
「張り合うな」
「張り合ってない。選んで笑ってる」
「何だその言い方」
「気に入っている」
母さんがシャッターを切った。
美咲も撮った。
写真の中の俺は、少し不機嫌そうな顔をしていた。
ナオキは、少し得意そうに笑っていた。
同じ顔。
違う制服の着方。
違う表情。
でも、並んでいる。
登校中、ナオキは何度か周囲の視線を集めた。
当然だ。
目立つ。
かなり目立つ。
女子制服のジャケットにスラックス、ネクタイ。
それ自体は珍しすぎるわけではないが、ナオキが着ると目を引く。
俺は隣で言った。
「だから言っただろ。目立つぞって」
ナオキは前を向いたまま返した。
「目立つなら、私が選んで目立つ」
「昨日も聞いた」
「何度でも言う」
「強いな」
「強くなりたいからな」
俺は少しだけ黙った。
ナオキは続ける。
「直樹」
「何だ」
「言ってくれてよかった」
「何を」
「似合うからで決めるなって」
俺は視線をそらした。
「別に」
「照れるな」
「照れてない」
「顔」
「見るな」
ナオキは笑った。
その笑い方は、やっぱり俺とは少し違った。
鏡星学園の校門が見えてくる。
登校してくる生徒たちが、ちらちらとナオキを見る。
誰かが「ナオキちゃん、制服似合ってる」と言った。
ナオキは立ち止まらず、軽く手を上げた。
「ありがとう。私が選んだ」
その返しに、声をかけた生徒が少し驚いて、それから笑った。
「いいね、それ」
「いいだろう」
ナオキは堂々と歩く。
俺はその横を、少し眠そうに歩く。
校舎の窓に、二人の姿が映った。
同じ顔。
違う制服。
違う歩き方。
どちらも、時雨。
どちらも、本物。
美咲が少し後ろから追いついてきて、俺たちの間に並んだ。
「いい朝ね」
「寒い」
俺が言う。
「悪くない」
ナオキが言う。
美咲は笑った。
「二人らしい返事」
昇降口の前で、鳴海会長が待っていた。
彼女はナオキの制服を上から下まで確認し、端末に何かを記録した。
「規定上問題なし」
「それだけか?」
ナオキが聞く。
愛会長は端末を下ろした。
「よく似合っている」
ナオキは少しだけ目を丸くした。
愛会長は続ける。
「ただし、それ以上に、自分で選んだことがよくわかる」
ナオキは、ふっと笑った。
「ありがとう、会長」
「正式運用として記録しておく」
愛会長は端末を操作した。
その指先が、さらりと文字を打つ。
時雨ナオキ。
制服運用。
女子制服ジャケット。
スラックス。
リボンおよびネクタイ選択可。
本人意思による。
その最後の一文が、妙に大きく感じられた。
本人意思による。
ナオキはそれを見て、満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日はこれで行く」
愛会長は頷く。
「行ってこい」
俺は隣で小さく言った。
「目立つぞ」
ナオキは笑う。
「目立つなら、私が選んで目立つ」
もう一度、同じ言葉。
でも、さっきよりも自然に聞こえた。
ナオキは校舎の中へ歩き出した。
俺と美咲もその後に続く。
その背中を見ながら、俺は少しだけ思った。
似合うから着るのではない。
見られるから選ぶのでもない。
誰かの代わりに引き受けるのでもない。
ナオキは、ナオキとして選んだ。
その制服で。
その足で。
今日からまた、鏡星学園を歩いていく。
面倒なことは、きっとまだ起きる。
玉藻先生は何かをやらかすだろうし、アリス先輩は騒ぐだろうし、見上宙は変なことを言うだろうし、鳴海会長はそれを処理するだろう。
俺も、また何かに巻き込まれるかもしれない。
でも、その隣にナオキがいる。
自分で選んだ制服を着て。
それは、少しだけ不思議で。
少しだけ面倒で。
まあ、悪くはなかった。




