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番外編 ナオキ、制服を選ぶ

 鏡星学園の制服は、そこそこ評判がいい。


 伝統ある私立校らしく、落ち着いた紺を基調にしていて、襟元や袖口には控えめなラインが入っている。


 男子制服はジャケットにスラックス、ネクタイ。


 女子制服はジャケットにスカート、リボン。


 ただし、鏡星学園はよくも悪くも普通の学校ではない。


 図書館の奥から絵本の世界が漏れ出したり、バレンタインに魔法じみた現象が起きたり、俺が二人に分裂したりする学校である。


 そのため、校則も普通の学校より少しだけ柔軟だった。


 防寒具の着用。


 身体的事情に応じた制服運用。


 実習や事件対応時の装備変更。


 そして、本人の意思によるスラックス、スカート、リボン、ネクタイの選択。


 そこまでは知っていた。


 知っていたが。


「時雨ナオキの制服運用について、正式登録前に確認を行う」


 放課後の生徒会室で、鳴海愛生徒会長がそう言った瞬間、俺は湯呑みを持つ手を止めた。


 冬の午後。


 窓の外は薄曇り。


 校舎の影が長く伸びる時間帯。


 生徒会室には暖房が入っていて、俺はできればこのまま何も起きずに帰りたいと思っていた。


 だが、鳴海会長が言う「確認」は、だいたい普通の確認では終わらない。


 俺の隣では、時雨ナオキが椅子に座り、まっすぐ愛会長を見ていた。


 同じ顔。


 違う表情。


 俺が猫背で湯呑みに手を伸ばしているのに対し、ナオキは背筋を伸ばしている。


 そこだけ見ると、俺より彼女の方がよほど生徒会室に似合っていた。


 少し腹が立つ。


「制服運用?」


 ナオキが聞き返す。


 愛会長は端末を操作しながら頷いた。


「現在、君は仮登録扱いだ。学籍上は、時雨直樹の双子の妹、時雨ナオキとして一時登録されている」


「一時、という言葉がまだ付くのか」


「正式登録の手続きが終われば外れる」


「つまり、私は正式に私になるわけだな」


「そういうことだ」


 ナオキは少しだけ笑った。


 その顔を見て、俺は湯呑みの中の茶を見た。


 時雨ナオキ。


 名前。


 学籍。


 制服。


 少し前までは、そんなものを考える必要すらなかった。


 ナオキが残るかどうか。


 俺の中へ戻るかどうか。


 そっちの方がずっと大きな問題だった。


 それが今は、制服の話をしている。


 たぶん、いいことなのだろう。


 でも、平和な話ほど、妙に引っかかる時がある。


 愛会長は淡々と続けた。


「鏡星学園では、制服の選択について一定の自由が認められている。男子制服、女子制服、スラックス、スカート、リボン、ネクタイ。規定内の組み合わせであれば、本人の意思を尊重する」


「なるほど」


 ナオキはあっさり頷いた。


「似合う方でいい」


 その言葉に、俺は少しだけ眉を動かした。


 小さな違和感だった。


 針で袖を軽く引っかけられたくらいの、微妙な引っかかり。


 だが、無視できなかった。


 生徒会室の端に座っていた佐藤美咲が、こちらを見る。


 美咲は俺の表情に気づいたらしい。


 幼馴染というのは厄介だ。


 本人が隠したつもりの感情を、なぜか先回りして見つけてくる。


 ナオキは気にした様子もなく言った。


「登録上は妹なんだろう。だったら女子制服でいいんじゃないか」


「それは君が決めることだ」


 愛会長は即座に返した。


「登録上の扱いと、本人が着るものは別だ」


「でも、周りはそう見るだろう?」


「周りの見る目で決める必要はない」


「目立つのも面倒だしな」


 ナオキは肩をすくめた。


「女子制服でいい。たぶん似合う」


 俺は湯呑みを置いた。


 音が少し大きく鳴った。


 全員の視線がこちらに向く。


「直樹?」


 美咲が小さく名前を呼ぶ。


 俺は、少し迷った。


 たかが制服だ。


 本人がいいと言っているなら、それでいい。


 俺が口を出す話ではない。


 そう思った。


 思ったのに、口が動いた。


「似合うからって理由で決めるな」


 生徒会室が静かになった。


 ナオキが俺を見る。


 愛会長も、端末から顔を上げた。


 俺は視線をそらさなかった。


「おまえが着たい方を選べ」


 ナオキは少しだけ目を細めた。


「何だ、急に」


「急じゃない」


「急だろ。今まで黙ってたのに」


「今、引っかかった」


「何が」


「似合う方でいい、ってところ」


 言いながら、自分でも少し面倒くさいことを言っていると思った。


 でも、止められなかった。


「おまえが本当に女子制服を着たいなら、それでいい。スカートでも、リボンでも、好きにすればいい。でも、似合うからとか、妹として登録されてるからとか、周りがそう見るからとか、そういう理由で決めるな」


 ナオキは黙った。


 その顔が少しだけ真剣になる。


 俺は続けた。


「そういうの、俺は嫌だった」


 言葉にすると、胸の奥が少し重くなった。


 文化祭。


 クリスマス演劇。


 クラスメイトたちの笑い声。


 似合うから。


 可愛いから。


 時雨ならいけるって。


 本人がどう思っているかより、周りが面白いかどうかで役を決められる感じ。


 俺は、そこから逃げていた。


 面倒くさいと言って。


 寒いと言って。


 眠いと言って。


 でも本当は、嫌だった。


 ナオキは、それを知っている。


 俺の記憶を持っているから。


 俺が言葉にしなかったことも、かなり知っている。


 だからこそ、言う必要があった。


「おまえは俺の代わりに可愛いを引き受ける必要はない」


 ナオキの表情が、わずかに変わった。


 美咲が息をのむ。


 愛会長は何も言わずに聞いている。


「似合うとか、登録上の妹だからとか、そんなのはあとでいい。おまえがどうしたいかで決めろ」


 ナオキは、しばらく俺を見ていた。


 それから、少しだけ視線を落とした。


「……面倒なことを言うな、直樹」


「俺は面倒なんだよ」


「知ってる」


「なら諦めろ」


 ナオキは小さく笑った。


 だが、その笑いはいつもの挑発的なものではなかった。


 少し困ったような、少し迷ったような笑いだった。


「私は、女子制服を着たいのか」


 ぽつりと、ナオキが言った。


「それとも、女子制服を着るべきだと思っているのか」


 答えはすぐに出なかった。


 ナオキは腕を組み、椅子の背に軽くもたれた。


「スカートは嫌じゃない。リボンも嫌じゃない。可愛いと言われるのも、別に嫌ではない」


「だろうな」


「でも、それが私の選択なのか、周りの期待に合わせているのかは……少しわからない」


 珍しい。


 ナオキが迷っている。


 いつもなら、彼女は直感で決める。


 学園を征服すると宣言した時も、クリスマス劇で舞台に立った時も、自分の見られ方を武器にすることをためらわなかった。


 だが、今は違う。


 制服は、毎日着るものだ。


 舞台衣装ではない。


 征服宣言の小道具でもない。


 自分が自分として、朝、袖を通すものだ。


 愛会長が静かに言った。


「結論を急ぐ必要はない。制服店には連絡を入れてある。試着してから決めるといい」


「試着?」


 ナオキが顔を上げる。


 美咲がぱっと表情を明るくした。


「じゃあ、行こう。ナオキちゃん」


「美咲も来るのか」


「もちろん。こういうのは一人で考えると余計に迷うし」


 美咲は俺を見る。


「直樹も来るでしょ」


「俺も?」


「言い出したの直樹じゃない」


「それはそうだが、制服店に俺が行って何をするんだ」


「不機嫌な顔をする」


「役割がひどい」


 ナオキが少し笑った。


「来ればいい。直樹がどういう顔をするか見たい」


「それを目的にするな」


 愛会長は端末に予定を表示し、淡々と言った。


「本日放課後、制服店に仮予約を入れている。私は後から確認に向かう。規定判断が必要になった場合、私が対応する」


「生徒会長も来るんですか」


 俺が言うと、愛会長は当然のように頷いた。


「本人の制服選択に関わる正式確認だ。生徒会として立ち会う」


「頼もしいけど、物々しいですね」


「鏡星学園では、物々しくしておいた方が後で楽なことが多い」


「否定できない」


 こうして、その日の放課後、俺たちは制服店へ向かうことになった。


 鏡星学園指定制服取扱店は、駅前商店街の一角にあった。


 古くからある店で、外観は地味だが、店内は意外と広い。


 壁には鏡星学園の制服が並び、男女それぞれのジャケット、スラックス、スカート、シャツ、ブラウス、リボン、ネクタイ、防寒用ベスト、コートまで揃っている。


 店の奥には試着室が三つ。


 大きな姿見。


 採寸用のメジャー。


 棚には見本のボタンや校章バッジが並んでいる。


 暖房が効いていて、店内は少し眠くなるくらい暖かかった。


 俺は壁際の椅子に座った。


 できれば、そこから動きたくない。


 美咲は楽しそうに制服を見ている。


 ナオキは腕を組み、並んだ制服をじっと見ていた。


「種類が多いな」


「鏡星学園は、わりと柔軟だからね」


 美咲が説明する。


「女子でもスラックスの子いるし、男子でも体調や事情でベストとか組み合わせ変える人もいるし」


「なるほど」


「ナオキちゃんは、まず全部着てみよう」


「全部?」


「そう。迷ってる時は、着てから考えた方が早い」


「全部似合ったら?」


「その時はその時」


 美咲は楽しそうだ。


 完全に着せ替えをする気である。


 ナオキは俺を見る。


「直樹」


「何だ」


「逃げるなよ」


「逃げる必要がない」


「私が何を着ても不機嫌な顔をしそうだからな」


「それは可能性が高い」


「自覚があるのか」


「ある」


 店員さんが採寸を済ませ、まず女子制服の標準セットを用意してくれた。


 ジャケット。


 ブラウス。


 スカート。


 リボン。


 ナオキはそれを持って試着室へ入った。


 カーテンが閉まる。


 俺は椅子に座ったまま、店内の時計を見た。


 数分。


 美咲は少しそわそわしている。


 俺は、別にそわそわしていない。


 ただ、少し落ち着かないだけだ。


 カーテンが開いた。


 ナオキが出てきた。


 女子制服。


 スカート。


 リボン。


 鏡星学園の制服は、彼女に恐ろしく似合っていた。


 元が俺と同じ顔だというのに、いや、同じ顔だからこそというべきか、妙に整っている。


 立ち方がいい。


 目線が強い。


 可愛いというより、可愛さを自分の武器として理解している感じがある。


 美咲が両手を合わせた。


「似合う!」


「そうか」


 ナオキは姿見の前で軽く回った。


 スカートの裾が揺れる。


「悪くないな」


「うん、すごく自然」


 美咲が嬉しそうに言う。


 俺は黙っていた。


 ナオキがこちらを見る。


「直樹」


「何だ」


「何か言え」


「……似合う」


「不機嫌だな」


「似合うから不機嫌なんだよ」


「なんで全部似合うんだよ」


 俺は思わず本音を言った。


 ナオキはにやっと笑った。


「素材が同じだからな」


「それが腹立つ」


「直樹も着れば似合うぞ」


「絶対に着ない」


「似合うのに」


「その言葉の危険性をおまえは知っているはずだ」


 ナオキは少しだけ表情を緩めた。


「知っている」


 それから、姿見の中の自分を見た。


「似合う。たしかに似合う。でも、これを毎日着る私を想像すると……少し、舞台衣装みたいだ」


「嫌?」


 美咲が聞く。


「嫌ではない。ただ、強すぎる。私がこれを選んだというより、これを着た私が勝手に役を始めそうだ」


 ナオキらしい言い方だった。


 女子制服のナオキは、たしかに絵になる。


 目立つ。


 見られる。


 でも、彼女がそれを本当に毎日望むかは、別の話だ。


「次、スラックスにしてみよう」


 美咲が言った。


 ナオキは頷いて、再び試着室へ入る。


 次に出てきた時、彼女は女子制服のジャケットとブラウスに、スラックスを合わせていた。


 リボンはそのまま。


 印象が変わった。


 スカートの時より、少し軽い。


 動きやすそうで、落ち着いている。


 可愛さもあるが、それ以上に、ナオキの強さが自然に出ていた。


 美咲が目を輝かせる。


「これも似合う」


「本当に全部似合うな」


 俺はうっかり言った。


 ナオキは得意そうに笑う。


「素材がいいからな」


「何度も言うな」


「直樹にも返ってくる褒め言葉だぞ」


「なら余計にやめろ」


 ナオキは姿見の前で足を軽く動かした。


「これは楽だな。走れる」


「学校でそんなに走る予定あるの?」


 美咲が聞く。


「鏡星学園だぞ」


「納得した」


 鏡星学園では、走れる服装は大事だ。


 いつ何が追いかけてくるかわからない。


 あるいは、こちらが何かを追いかけることになるかもしれない。


 ナオキは自分の姿を見て、少し黙った。


「女子制服なのに、私が着ている感じがする」


 美咲が頷いた。


「いいんじゃない?」


「いい、のか?」


「ナオキちゃんがそう思うなら」


 美咲の言葉はシンプルだった。


 ナオキは、そのシンプルさを少し眩しそうに受け取っていた。


 次は男子制服だった。


 ジャケット。


 シャツ。


 スラックス。


 ネクタイ。


 ナオキが出てきた瞬間、俺はまた黙った。


 今度は、別の意味で。


 似ている。


 というより、ほとんど俺だった。


 いや、身体の違いはある。


 雰囲気も違う。


 でも、男子制服を着たナオキは、俺の少し強気な別バージョンみたいだった。


 美咲も一瞬言葉を失った。


「……直樹がちゃんとしてるみたい」


「どういう意味だ」


 俺が言うと、美咲は慌てた。


「いや、悪い意味じゃなくて」


「絶対悪い意味だろ」


 ナオキはネクタイを指で整えながら、姿見を見た。


「なるほど」


「どうだ」


 俺が聞くと、ナオキは少し考えた。


「これは落ち着く」


 意外だった。


「女子制服より?」


「うん。たぶん、記憶に近いからだろうな」


 ナオキは俺と同じ記憶を持っている。


 俺が毎朝着ていた制服。


 面倒だと言いながらネクタイを締め、眠い顔で家を出て、鏡星学園へ向かっていた日々。


 それに一番近いのは、男子制服なのだ。


「でも」


 ナオキは続けた。


「これは、直樹の影が少し強い」


「俺の?」


「私が私として着ているというより、直樹の続きを着ている感じがする」


 その言葉に、俺は黙った。


 自分で選べと言ったくせに、何を選んでも簡単ではないのだと、今さら思う。


 ナオキは俺から生まれた。


 俺の記憶を持っている。


 でも、俺ではない。


 女子制服を着れば、周りが期待する「妹」として見られるかもしれない。


 男子制服を着れば、俺の影を着ることになるかもしれない。


 どちらも、ナオキに似合う。


 でも、似合うことと選ぶことは違う。


 俺はその違いを、ようやく少しわかりかけていた。


 美咲が言った。


「じゃあ、組み合わせてみたら?」


「組み合わせ?」


「女子ジャケットにスラックス、ネクタイ。あと、リボンも試して。日によって変えてもいいんじゃないかな」


 ナオキが店員さんを見る。


 店員さんはにこやかに頷いた。


「規定内の組み合わせであれば可能ですよ。最近は、スラックスとリボン、スラックスとネクタイを選ぶ生徒さんも増えています」


「なるほど」


 ナオキは再び試着室に入った。


 次に出てきた時、彼女は女子制服のジャケットにスラックスを合わせ、襟元にはネクタイを締めていた。


 さっきのどれとも違った。


 女子制服ほど舞台衣装めいていない。


 男子制服ほど俺の影が強くない。


 スラックスで動きやすく、ネクタイで少し締まっている。


 ナオキの強気な目とよく合っていた。


 俺は、少しだけ素直に言った。


「……いいんじゃないか」


 ナオキがこちらを見る。


「不機嫌じゃないのか」


「少しは不機嫌だ」


「なぜ」


「似合うから」


 ナオキは笑った。


「ならいい」


 美咲がリボンも持ってきた。


「こっちもつけてみて」


 ナオキはネクタイを外し、リボンをつけた。


 印象が柔らかくなる。


 少し可愛い。


 だが、スラックスのおかげで甘すぎない。


 ナオキは姿見の前で、ネクタイとリボンを交互に見た。


「どっちも悪くない」


「どっちも選んだら?」


 美咲が言った。


「今日はネクタイ。明日はリボン。気分で変えればいいよ」


「気分で」


「うん。ナオキちゃんが選べばいい」


 ナオキは黙った。


 その言葉が、制服店の暖かい空気の中にゆっくり落ちた。


 ナオキちゃんが選べばいい。


 それだけの話だ。


 でも、たぶんそれが一番大事だった。


 その時、店の扉が開いた。


 冷たい外気と一緒に、鳴海愛会長が入ってくる。


 黒いコート。


 落ち着いた足取り。


 制服店の店員さんに丁寧に頭を下げてから、俺たちの方へ来た。


「決まったか」


 ナオキは姿見から愛会長へ向き直った。


「まだ仮だが」


「聞こう」


「女子制服のジャケット。スラックス。リボンとネクタイは両方。日によって変える」


 愛会長は端末を確認した。


「問題ない。鏡星学園は、本人が選んだ制服運用を尊重する」


 淡々とした言葉だった。


 だが、ナオキの表情が少し変わった。


 嬉しそうというほど大げさではない。


 安心したような顔。


「本人が選んだ、か」


「そうだ」


 愛会長はまっすぐ言った。


「君は、時雨直樹の双子の妹として登録される。だが、それは管理上の分類だ。君が毎朝どの制服に袖を通すかは、君が決める」


「私が」


「そうだ」


 ナオキは自分の胸元のリボンに触れた。


 それから、隣に置かれたネクタイを見る。


 スラックス。


 ジャケット。


 姿見に映る自分。


 俺と同じ顔から生まれた、俺ではない自分。


 ナオキは、ゆっくり笑った。


「じゃあ、今日はこれで行く」


 俺は反射的に言った。


「目立つぞ」


 ナオキは俺を見る。


 そして、不敵に笑った。


「目立つなら、私が選んで目立つ」


 その言葉を聞いて、俺は黙った。


 返す言葉が見つからなかった。


 悔しいが、いい言葉だった。


 ナオキらしい。


 いや、ナオキが自分で選んだ言葉だった。


 美咲が小さく拍手した。


「いいと思う」


 愛会長も頷いた。


「では、その内容で申請する。制服の追加購入費については家庭と相談になるが、特例登録に関わる必要経費として一部補助が出る可能性がある」


「補助まであるんですか」


 俺が驚くと、愛会長は当然のように言った。


「鏡星学園は、事件を起こすだけの学校ではない」


「その言い方、事件を起こすことは否定しないんですね」


「否定できない」


 そこは正直だった。


 制服店を出る頃には、外はもう夕方だった。


 駅前商店街の灯りが点き始めている。


 冷たい風が吹く。


 ナオキは試着用の制服から元の服へ戻っていたが、手には購入予約票を持っていた。


 女子制服ジャケット。


 スラックス。


 リボン。


 ネクタイ。


 必要なものが並んでいる。


 美咲は満足そうに歩いていた。


「楽しみだね、ナオキちゃん」


「ああ」


「初登校の日、写真撮ろうね」


「撮るのか」


「撮るでしょ」


「直樹も一緒に」


「俺はいい」


「だめ」


 美咲に即答された。


「二人で制服並んでるところ、ちゃんと残したいし」


「俺は毎日着てるだろ」


「ナオキちゃんが選んだ日だから意味があるの」


 その言葉に、俺は少し黙った。


 ナオキがこちらを見る。


「嫌か」


「……嫌ではない」


「じゃあ決まりだな」


「勝手に決めるな」


「美咲が決めた」


「もっと悪い」


 美咲が笑う。


「二人とも、文句言う顔まで似てる」


「似てない」


「似てない」


 同時だった。


 まただ。


 俺とナオキは互いに目をそらした。


 数日後。


 ナオキの制服が届いた。


 正式登録前の仮運用初日。


 朝の時雨家は、少しだけいつもと違っていた。


 母さんが玄関でカメラを構えている。


 美咲も当然のように来ている。


 俺はいつもの男子制服。


 眠い。


 寒い。


 マフラーを巻きたい。


 その横に、ナオキが立っていた。


 女子制服のジャケット。


 スラックス。


 今日はリボンではなく、ネクタイ。


 髪は少し整えられている。


 いつもの強気な目。


 でも、どこか新しい朝を見るような顔。


 母さんが笑った。


「二人とも並んで」


「母さん、朝から撮影会はやめてくれ」


「記念でしょ」


「何の」


「ナオキちゃんが自分で選んだ制服の日」


 母さんまで美咲と同じことを言う。


 俺は諦めた。


 ナオキは少しだけ照れたように、でも堂々と俺の隣に立った。


 美咲がスマホを構える。


「はい、こっち向いて」


「早くしてくれ。寒い」


「直樹、顔」


「朝から笑えるか」


「ナオキちゃんは?」


「私は笑える」


 ナオキはにやっと笑った。


 俺はむっとした。


「張り合うな」


「張り合ってない。選んで笑ってる」


「何だその言い方」


「気に入っている」


 母さんがシャッターを切った。


 美咲も撮った。


 写真の中の俺は、少し不機嫌そうな顔をしていた。


 ナオキは、少し得意そうに笑っていた。


 同じ顔。


 違う制服の着方。


 違う表情。


 でも、並んでいる。


 登校中、ナオキは何度か周囲の視線を集めた。


 当然だ。


 目立つ。


 かなり目立つ。


 女子制服のジャケットにスラックス、ネクタイ。


 それ自体は珍しすぎるわけではないが、ナオキが着ると目を引く。


 俺は隣で言った。


「だから言っただろ。目立つぞって」


 ナオキは前を向いたまま返した。


「目立つなら、私が選んで目立つ」


「昨日も聞いた」


「何度でも言う」


「強いな」


「強くなりたいからな」


 俺は少しだけ黙った。


 ナオキは続ける。


「直樹」


「何だ」


「言ってくれてよかった」


「何を」


「似合うからで決めるなって」


 俺は視線をそらした。


「別に」


「照れるな」


「照れてない」


「顔」


「見るな」


 ナオキは笑った。


 その笑い方は、やっぱり俺とは少し違った。


 鏡星学園の校門が見えてくる。


 登校してくる生徒たちが、ちらちらとナオキを見る。


 誰かが「ナオキちゃん、制服似合ってる」と言った。


 ナオキは立ち止まらず、軽く手を上げた。


「ありがとう。私が選んだ」


 その返しに、声をかけた生徒が少し驚いて、それから笑った。


「いいね、それ」


「いいだろう」


 ナオキは堂々と歩く。


 俺はその横を、少し眠そうに歩く。


 校舎の窓に、二人の姿が映った。


 同じ顔。


 違う制服。


 違う歩き方。


 どちらも、時雨。


 どちらも、本物。


 美咲が少し後ろから追いついてきて、俺たちの間に並んだ。


「いい朝ね」


「寒い」


 俺が言う。


「悪くない」


 ナオキが言う。


 美咲は笑った。


「二人らしい返事」


 昇降口の前で、鳴海会長が待っていた。


 彼女はナオキの制服を上から下まで確認し、端末に何かを記録した。


「規定上問題なし」


「それだけか?」


 ナオキが聞く。


 愛会長は端末を下ろした。


「よく似合っている」


 ナオキは少しだけ目を丸くした。


 愛会長は続ける。


「ただし、それ以上に、自分で選んだことがよくわかる」


 ナオキは、ふっと笑った。


「ありがとう、会長」


「正式運用として記録しておく」


 愛会長は端末を操作した。


 その指先が、さらりと文字を打つ。


 時雨ナオキ。


 制服運用。


 女子制服ジャケット。


 スラックス。


 リボンおよびネクタイ選択可。


 本人意思による。


 その最後の一文が、妙に大きく感じられた。


 本人意思による。


 ナオキはそれを見て、満足そうに頷いた。


「じゃあ、今日はこれで行く」


 愛会長は頷く。


「行ってこい」


 俺は隣で小さく言った。


「目立つぞ」


 ナオキは笑う。


「目立つなら、私が選んで目立つ」


 もう一度、同じ言葉。


 でも、さっきよりも自然に聞こえた。


 ナオキは校舎の中へ歩き出した。


 俺と美咲もその後に続く。


 その背中を見ながら、俺は少しだけ思った。


 似合うから着るのではない。


 見られるから選ぶのでもない。


 誰かの代わりに引き受けるのでもない。


 ナオキは、ナオキとして選んだ。


 その制服で。


 その足で。


 今日からまた、鏡星学園を歩いていく。


 面倒なことは、きっとまだ起きる。


 玉藻先生は何かをやらかすだろうし、アリス先輩は騒ぐだろうし、見上宙は変なことを言うだろうし、鳴海会長はそれを処理するだろう。


 俺も、また何かに巻き込まれるかもしれない。


 でも、その隣にナオキがいる。


 自分で選んだ制服を着て。


 それは、少しだけ不思議で。


 少しだけ面倒で。


 まあ、悪くはなかった。

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