3.昼間の優秀で素敵な旦那さま♡
ベサニーの夫テオドールの異常な優秀さは、すぐに露呈した。
と言っても、侯爵家で暮らし始めたテオドールは、結婚するまでは侯爵家の仕事に関わろうとはしていない。
ベサニーも両親も痩せ細り疲れた顔をした王子さまに仕事を手伝わせる気はなかった。
だからベサニーや両親がその優れた知性と突出した感性を本当の意味で知ることになる日は、結婚した後になるのだけれど。
結婚するまでのテオドールは、べサニーがいつ部屋を覗いても手紙を書いていた。
あて先は祖国、この国、その他の国々、と様々で。
相手の立場も、王族、貴族、文官、騎士、商会長、工房の一職人、作家、画家、庭園の管理人……と、実に多様だった。
最初の頃のベサニーは。
──まぁ、お友だちが沢山おりますのね。
なんて呑気に微笑ましく見守っていたのだけれど。
ある日のこと、テオドールはそれらの手紙をまとめ、この国の王家に届けるようにと願った。
添えたこの国の王への手紙には、王家で内容を検めて記録して欲しいという依頼と、問題ないと判断したものだけを宛先の者に送って欲しいこと、その費用はテオドールの私的財産で払うこと、そして手間を掛けたお詫びの言葉が書き連ねられていたことを、ベサニーは少し後に知ることになる。
──こんなにも優秀で……なんて不憫な方なのかしら。
べサニーはそう思ったが、手紙を検めて内容を知った王は、テオドールを大絶賛。
小国の王子であるテオドールのことは以前から見知っていて、元々王はテオドールを気に入っていた。
だから無礼としか言えないような酷く一方的な内容の書簡を持ち、疲れた様子でテオドールが現れたとき、王は迷わずテオドールを受け入れたのだ。
かの国が優秀な王子を要らぬというならば、有難く我が国で頂戴する。
そのかの国の指示通り処理したのだから、今さら返せとは言わせない。
王の決断と素早い行動には、ベサニーも感謝をしているけれど。
──適齢期の王女がいれば、是非に王家と縁付いて欲しかったと口に出しやがりましたことだけは、今でも許しておりませんことよ。
思い出してイラっとしたベサニーは、少々淑女としては口悪く不敬なことを考えつつも。
王の想いに賛同する。
──あのような国。滅びて然るべしですわ。
日中にベサニーが心の内に吐き出す呪いの言葉はいつも短く少しだけ。
だって昼間のべサニーは忙しいから。
今日だってベサニーには朝から予定が詰まっていて、それが急遽空いた時間が出来たものだから、もう大忙しだ。
淑女然としても隠し切れないウキウキとした足取りで廊下を歩むべサニーは、執務室へと急いだ。
執務室の扉の前には騎士が二人。
侯爵邸の騎士はよく分かっていて、べサニーが唇に右手の人差し指を添えるだけで、そっと静かに扉を開く。
執務室の中では、机に座る夫が書類を処理していた。
次期侯爵はベサニーだ。
テオドールはやがて侯爵夫君という立場になる。
だからべサニーはテオドールに出会う前から、父親である侯爵から少しずつ当主としての仕事を学び、受け継いでいる最中だった。
しかし今や、ベサニーの負担は当時より軽く、テオドールの方がより多く侯爵の仕事を継承中だ。
テオドールが今処理している書類もそれ。
女性が当主となる場合に、その夫君が当主代理として働くことは特に珍しいことではない。
女性には女性だけの社交というものがあってその時間を捻出しなければならないし、妊娠、出産というどうしても働けなくなる時間を考慮すれば、それは自然な対応と言えるだろう。
だからベサニーも少しは手伝ってくれたら嬉しいとテオドールに願った日があったけれど。
テオドールは放っておけば、ベサニーの仕事がないくらいに、それどころか現侯爵であるベサニーの父親が仕事を失うくらいに、全部の仕事を処理してしまう。
今はベサニーたちが逆に制限を掛けて、テオドールが働き過ぎないように抑えている状況だった。
しかしそれは婿が優秀だから生じる問題を懸念してのことではない。
テオドールの優秀さは、仕事を完遂する結果だけに留まらなかった。
いつでも侯爵家を尊重し、当主の判断が必ず上にあるように見せ、次代としても常に自分よりベサニーを立てながら、自身に侯爵家を乗っ取る野心が微塵もないことを巧妙に外にも内にも伝え続ける配慮を仕事中常に行っているのである。
おかげで一族の者たちも、概ねテオドールを好意的に見ており、今では亡国の話題に触れる者もない。
それでもテオドールは、誰に仕事振りを褒められたときにも、微笑みながら言うのだ。
『これくらいしか、私が役に立てることはないから』
そのどこか寂しそうな夫の笑みも、悲し気に響くその声も、ベサニーは狂おしいほど大好きだ。
夫が侍従に書類を差し出したところで、ベサニーは声を掛ける。
「旦那さま。お忙しいところ、失礼いたしますわ。わたくしとお茶をする時間はありますかしら?」
「ベサニー、ちょうどいいところに来てくれたね。私もそろそろ休憩をしようと思っていたところだった。彼女たちは帰ったのかい?」
跳ねるように顔を上げ、可愛い嘘を吐く夫の笑顔を目にすれば、べサニーも嬉しくて胸を高鳴らせてしまうけれど──。
以前とは違い健康的な容姿で、よく働く夫を見ていても、べサニーは安心出来なかった。
──わたくしが、陽が差す時間にもう大丈夫と心から思えるときは来るかしら。
侯爵家の仕事に深く関わるテオドールが、ある日突然すべてを放り出し、消えてしまうことはないだろう。
テオドールは無責任になれる人ではない。
それを誰よりよく分かっているとベサニーは自負していても、日中のベサニーには常に不安が付き纏った。
こんなにも賢いテオドールだ。
一日も過ごせば、夫がまた同じ結論を導くことを、誰より夫を理解するベサニーは知っているから。
つまりそれは今でもテオドールの中でそれが最適解であるということ。
ベサニーは不安と同時に、堪らない悔しさを抱えなければならない。
──どうしたらテオさまは分かってくださるのかしら?わたくしという個人の最適解を。
昼間ベサニーが憂いた通り、今夜も寝室の扉の先には、絨毯に座る夫の姿があった。
けれどもベサニーは昼間のようには不安を抱かない。
「ベサニー。私と離婚してくれないだろうか?」
夫の優しい声が寝室を満たしたら、今夜も夫婦の長い夜は約束された──。
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