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「放っておけないんだ」と仰るあなたを、私は放っておきます  作者: 秋月 もみじ


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7/10

第7話 「昔から私が一番なんです」


王宮主催の貴婦人茶会は、宮中晩餐の事案から五日後の、晴れた春の昼下がりに開かれた。


中庭に面した白い大広間が、今日の会場だった。楽団は弦楽四重奏のみ。給仕は、王宮の正式給仕に加えて、見習いの若い女性給仕が、二名、補助に入っていた。


差配は、再びノエル様だった。王妃陛下が、本日もご自分の助言役として、わたくしを賓客席へお招きくださった。先日の召喚状の通り、来週の宮中晩餐の差配は、正式にわたくしが受けることになっていた。ただ、今日の貴婦人茶会は、ノエル様の二度目の差配機会として、もう一度、機会を与えられていた。


アルベリク殿下も、外交特使として、正式に参列なさっていた。ヴァロワール王国側からの、正式な参列継続の表明だった。


殿下のお席は、賓客席のわたくしの隣。先日の宮中晩餐の席次の組み直しは、本日は王宮事務局の側で行われていた。つまり、本日の席次は、ノエル様ではなく、事務局が組んだ。ノエル様の差配は、お席に立たれてから、会の進行を取り仕切る部分だけだった。


「皆さま、本日はようこそお越しくださいました」


ノエル様のご挨拶が始まる。先日よりは、声が落ち着いていた。ご自宅でしっかりお休みになったか、あるいは、ご家族から何か助言があったのかもしれなかった。


挨拶の最後、ノエル様は、卓の脇に立つレオン殿下の方へ目を向けられた。レオン殿下は、本日、参列者の中でも、最上段の王族席にお座りだった。王太子候補としての公的なお席は、まだ、保留にはなっていなかった。


レオン殿下が、ご自分の上着の内側から、一つの小箱を取り出された。紫紺色の天鵞絨で覆われた、銀の縁取りの細長い箱。箱の底に、王宮宝飾庫の出庫印が、薄く押されていた。


レオン殿下は、その箱を、ノエル様の方へ差し出された。


「先日の差配のお詫びに、と思って。それから、本日の差配の励みに、と」


会場の貴婦人方の視線が、一斉にその箱に集まった。ノエル様は、頬を、ほんの少し上気させて、両手で、その箱を受け取られた。


「殿下、ありがとうございます」


そう仰って、ノエル様はその箱を、卓の上で、開けた。人前で、開けられた。


中から現れたのは、繊細な銀細工の、ひと連なりの首飾りだった。中央に、楕円のオパールが嵌められていた。


会場の真ん中で、ふっ、と空気が薄くなる音がした。


わたくしの隣の老侯爵夫人デルフィーヌ様の扇が、開きかけて、途中で止まった。夫人は、扇を口元に上げて、低い声でわたくしに仰った。


「ジゼル様、あれは……」


「はい」


「あれは、王家の宝飾棚に、お祖母君がお遺しになった首飾りでございます。王太子妃となる方に、継承されるもの。婚約者ですらない方が、人前で、お開けになるものではございません」


王宮事務局長の付き添い侍女が、賓客席の脇で、半歩、足を引いた。侍女の顔色が、灯火の下で、半分だけ青ざめていた。


会場の空気が、もう一段、冷えた。アルベリク殿下は、わたくしの隣で、卓上の紅茶のカップに視線を落としたまま、何も仰らなかった。ただ、お顔の角度が、ほんのわずかわたくしの方を向きかけて、戻った。


ノエル様は、その首飾りを、ご自分の胸元に、軽く当てて、満足そうに微笑んでおられた。


「皆さま、本日はわたくしから、ご挨拶をもう一言、申し上げたく存じます」


ノエル様は、首飾りを胸の前に置いたまま、続けられた。


「わたくし、レオン殿下のお隣で、長年お世話をしてまいりました。これからは、もっと、お役に立てるよう、励みたいと思っております」


「だって、昔から私が一番、なんです」


会場の中の音が、止まった。


楽団の弦の最後の余韻だけが、半秒、空中に残った。弦の音が消えた瞬間の静寂は、わたくしが四年間で聞いた中で、最も深い静寂だった。


ノエル様は、ご自分が何を仰ったか、半分しか分かっておられない顔をしておられた。レオン殿下のお顔から、ゆっくりと、血の気が引いていく。


王太子妃確定が四年間保留されていた女性が、ジゼル・オルランドだった、ということを、ノエル様のお言葉は、社交界の真ん中で、完全に否定された。


老侯爵夫人デルフィーヌ様が立ち上がった。


「皆さま、本日は、急な用事を思い出しましたわ。先に、失礼させていただきます」


夫人の声は、いつもの社交辞令の調子だった。夫人はわたくしの方を一度だけ見て、ほんの微かに、頷いてくださった。それから、扇を畳んで、出口の方へ向かわれた。


夫人が会場を出る前に、もう一人、別の侯爵夫人が立ち上がられた。


「わたくしも、失礼いたしますわ」


続けて、伯爵夫人が三人、立ち上がられた。合計、五人。その後、もう三人。ほぼ一分のうちに、会場の三分の二の貴婦人方が、退席なさった。


退席は、足音の揃った退席ではなかった。それぞれの方が、それぞれの呼吸で、ご自分のドレスの裾を、ご自分の手で、整えながら、出ていかれた。楽団は、演奏を続けていた。弦の音が、会場の三分の一しかいない参列者の頭の上を、いつもの曲のまま、流れていった。


レオン殿下は、何かを仰ろうとして、口を半分開きかけて、結局、何も仰らなかった。ノエル様は、首飾りを、胸の前に当てたまま、震え始めておられた。


「ジゼル様、私……、何か、間違えました……?」


ノエル様の声が、わたくしの方に届いた。低く、けれど、はっきりと届いた。


わたくしはすぐには答えなかった。


その時、出口の方へ向かっておられた老侯爵夫人デルフィーヌ様が、もう一度、会場の中へ戻ってこられた。夫人は、退席した貴婦人方の中で、お一人だけ、戻ってこられた。


夫人は、ノエル様の卓のすぐ前で、ゆっくりと腰を下ろされた。


「ノエル様」


夫人の声は、低く、けれど、責めるものではなかった。


「お一人で、茶会を差配されるのは……本日が初めてでございますか」


ノエル様は、首飾りを胸に押し当てたまま、頷かれた。


夫人は、ご自分の扇を、卓の上に、ゆっくりと置かれた。しばし、何か言葉を探されていた。


「……そう」


夫人の指が、扇の縁を、軽く撫でた。


「ご家族や、レオン殿下がいらっしゃるときには、皆さま、あなたを、庇護なさる方が、たくさんいらしたのですわね。ですから、あなたは、社交界の本当のお顔を、ご覧になる機会が、ございませんでしたの」


夫人の声は、貴婦人の声というよりも、もっと年長の親類のような声だった。


「今日、皆さまが席を立たれたのは……あなたを罰するためでは、ないのですわ。お分かりになるかしら。あなたが、ご自分の足で、お立ちになる訓練を、始めるべき時が来た、と、皆さまは、お告げになっているのです」


ノエル様は、何か言いかけて、唇が震えただけで、声にならなかった。


「それから、ノエル様」


夫人は、ノエル様の胸元の首飾りに、視線を落とされた。


「その首飾りは、お返しになった方がよろしいですわ」


夫人のお声は、優しかった。


「それは、あなたが、お受け取りになってよいものでは、ございません。王家のお祖母君が、王太子妃となる方のために、お遺しになったもの。レオン殿下のご厚意は、ご厚意として、けれど、お受けする物が違うのです」


ノエル様の指が、首飾りの留め金を震えながら外した。紫紺色の天鵞絨の箱の中に、首飾りが戻された。蓋が閉じる小さな音だけが、会場の中で聞こえた。


夫人は、ノエル様の卓の上に、ご自分の扇を置いたまま、立ち上がられた。ノエル様の肩を、一度だけ、軽くお撫でになって、それから、もう一度、出口の方へ向かわれた。


夫人が出口を出る前に、ノエル様の方をもう一度、お振り返りになった。


「ノエル様、本日のことは、ご家族で、ゆっくり、お話し合いになってくださいませ」


それだけ仰って、夫人は、会場を出ていかれた。


会場の中の空気が、ほんの少し緩んだ。ノエル様は、卓の上に残された首飾りの箱を、両手でそっと押し戻された。


レオン殿下が、ようやくノエル様の方へ手を伸ばされた。伸ばしかけて、途中で止めた。殿下は、ご自分の手を、卓の縁に置いたまま、しばらく、動かなかった。


楽団は、演奏を続けていた。


 


茶会の正式終了時刻になる前に、王妃陛下がお席を立たれた。陛下は、会場の中央で、参列されている方々全員に礼を取られた。


「本日は、ご参集、ありがとう存じました。残りの式次第は、本日はこれにて、終了とさせていただきます」


陛下のお声は、いつもの陛下の声だった。そのまま、陛下は退席なさった。


陛下のお出ましとお引きの場では、参列者全員が立ち上がるのが、慣例だった。本日は、その慣例に従わない方は、お一人もいらっしゃらなかった。陛下の足音が、会場の出口に向かう間、わたくしの席から、ちらりとこちらを振り返って、頷かれた。それは、わたくしと、もう一人、賓客席のアルベリク殿下に向けられた頷きだった、と思った。


 


茶会の参列者が、ほぼ退席し終えた頃。


わたくしは、賓客席で、紅茶のカップを、卓の上に置いた。ノエル様は、すでに、ご家族のもとへお戻りになっていた。レオン殿下は、王太子付きの侍従と共に、王族棟へ戻られた。


わたくしの隣で、アルベリク殿下が、卓の縁にご自分の右手を、軽く置かれた。


「ジゼル嬢」


殿下のお声は、いつものものだった。


「お疲れになっていらっしゃいますね」


「……いいえ、殿下、わたくしは――」


その時、わたくしの目元が一瞬、伏せた。意識して伏せた、わけではなかった。楽団の最後の音と、ノエル様の震えと、デルフィーヌ夫人のお声と、四年間のいくつかの夜と、それから、母が「四年で五回」と仰った応接間の柱時計の音が、全部、一度に、頭の中で重なった。


その重さに、目蓋が、半秒、勝てなかった。たった半秒だった。


殿下が、隣の侍従に、低く合図を送られた。


「給仕を下げさせなさい」


侍従が、頷いて、賓客席の周りの給仕に、合図を回した。


「ジゼル嬢を、別室にお連れする」


殿下のお声は、わたくしのためだけに、低く保たれていた。


「殿下、わたくしは、まだ――」


「ジゼル嬢」


殿下の声は、初めて、優しいだけではなかった。優しさの中に、譲らない調子があった。


「あなたの『大丈夫です』を、本日は、お預かりいたします」


それだけ仰った。


侍従が、わたくしの椅子の脇に立った。侍従の所作が迷いのないものだった。つまり、殿下が、こういう合図を出される場合の手順を、侍従はあらかじめ、把握しておられた、ということだった。


わたくしは立ち上がった。立ち上がってから、足元が、少しだけ、覚束ないことに気がついた。四年間、わたくしは、こういう自分を、誰にも見せたことがなかった。


 


別室は、賓客用の小さな控えの間だった。楽団の音が、扉一枚を挟んで、遠くなる。


殿下が、給仕に、温い水を持ってくるように頼まれた。水だった。紅茶ではなかった。


殿下は、ご自分の上着の前を軽く整えてから、わたくしの正面の椅子に、腰を下ろされた。


「ジゼル嬢」


殿下は、卓の上に、ご自分の両手を、組んでお置きになった。


「これは、外交特使としての発言ではございません」


殿下のお声が、低くなった。


「わたくし個人としての、言葉です」


わたくしは、両手で、給仕の運んできた水の杯を受け取った。水の冷たさが、指先からようやくわたくしの皮膚に届いた。


「わたくしは、あなたを、慰めたい。けれど、慰めると、わたくしの本音が、漏れます。ですから、わたくしは、二年間、あなたに、直接、何も申し上げず、執務室で、席次表の写しを、眺めるだけにしておりました」


殿下は、一度、ご自分の右手の指を、軽く組み直された。


「本日、初めて、わたくしは『私個人として』と、申し上げております。これは……わたくしが、外交特使という殻を、一つ、お脱ぎした、ということでございます」


殿下の視線が、上がった。わたくしの方をまっすぐにご覧になった。


水の杯を両手で包んだまま、わたくしは、しばらく何も言えなかった。殿下のお言葉の意味は、半分くらい、受け取れた。残り半分は、受け取るのに、もう少し時間が、いりそうだった。


「殿下、わたくし、まだ――」


「いいえ、ジゼル嬢」


殿下は、わたくしの言葉を遮らずに、けれど、続けて仰った。


「お返事を、求めているのでは、ございません。本日のわたくしのお言葉は、本日のわたくしから、本日のあなたへの、ただの報告でございます。お返事は、いつでも、結構です。もしかしたら、お返事はいただかなくても、結構かもしれません」


殿下の指がもう一度、軽く組み直された。


「ただ、わたくしが、二年間、執務室の席次表だけを見ていたわけではないことを、本日のお疲れの中の、片隅に、置いていただければ、それで」


殿下はそこで、一度、息を整えられた。


「それから、本日、あなたが、お疲れの目を、一瞬伏せたこと――それを、わたくしが、見ていたことも」


水の杯を支える指の温度が、ようやくわたくしの手のひらと揃った。殿下はもう何も仰らなかった。二人とも、しばらく、卓の上の、ご自分の手元を見ていた。楽団の音が、扉の向こうで、最後の一曲を奏で終わった。


 


別室を出る時、殿下は廊下まで送ってくださった。廊下の角の手前で、殿下は立ち止まられた。


「ジゼル嬢、本日は、こちらで、失礼いたします。馬車寄せまでは、王宮の侍従が、お送りいたします」


「殿下、本日は……ありがとう存じました」


殿下は、一礼を返してくださった。その一礼は、本日のうちで、最も深い、一礼だった。


殿下が、廊下の角を曲がる前に、もう一度、わたくしの方を振り返られた。何かを仰ろうとして、結局、仰らなかった。代わりに、頭を下げて、角を曲がって行かれた。足音が、いつもより、ほんの少しだけ、速かった。


殿下のお顔が、少しだけ、お赤くなっていらした、ように見えた。灯火の角度のせいだったかも、しれなかった。


 


その夜、屋敷に戻ると、机の上に、新しい召喚状が置かれていた。


王妃陛下の、私用紋ではなかった。王宮事務局の、公務紋だった。


召喚状の表書きは、いつもより、改まっていた。


オルランド侯爵令嬢ジゼル殿。三日後、王宮謁見の間にて、本事案に関する正式な事案整理を、執り行う。先日の貴婦人茶会における外交礼法違反、ならびに、これに連なる王太子候補殿下のご資質について、関係者一同にて、事案整理を行うものとする。詳細は、別紙の通り。王妃クロディーヌ。


別紙の関係者一覧の中に、わたくしの名前と、母の名前と、レオン殿下のお名前と、ノエル様のお名前と、ブランシュ伯爵のお名前と、それから、アルベリク・ヴァロワール殿下のお名前が、外交特使として、参列、と書かれていた。国王陛下のお名前は、最上段に書かれていた。


紅茶のカップを、もう一度、引き寄せた。今度のは、まだ冷めていなかった。

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