第7話:天陽聖騎士との攻防
――天より降り注ぐ光は、あらゆる悪意を退ける。
邪なる者の刃も、呪われし暗殺の魔術も、絶対なる『信仰』の前にはただ地に落ちるのみ。
我ら天陽の騎士が纏うは、純真無垢なる祈りの盾。
敵対者の放つ殺意が強ければ強いほど、害意が深ければ深いほど、光の結界はより強固に輝きを増し、すべてを弾き返す。
ゆえに恐れるな。我らの心に迷いがなく、ただひたすらに神の光を信ずる限り、我らの純潔なる盾が破られることなど、天地がひっくり返ろうともあり得ないのだから。
(天陽教教典『光盾の章』第十二節より)
白山の第二層。かつては鬱蒼とした木々に覆われ、多数の凶悪なトラップが潜む死地であったその場所は、覇王軍の砲撃によって見通しの良い荒野と化していた。
そこを、太陽の紋章を掲げた白銀の軍勢が一糸乱れぬ足取りで行軍していた。南朝が誇る国教『天陽教』の実働部隊、聖堂騎士団である。
先頭を歩くのは、部隊の指揮官にして聖騎士筆頭、トモエ。
長く艶やかな黒髪を高く結い上げ、無駄な装飾の一切ない純白の甲冑に身を包んだ彼女は、身の丈ほどもある白銀の薙刀を手に、凛とした足取りで歩みを進めていた。
「隊長。先行した斥候からの報告です。前方の土中に、無数の毒矢と爆薬による多重トラップが確認されました」
「構わん。そのまま進め。我らの前には等しく道が開かれる」
トモエが薙刀の石突で力強く大地を突くと、彼女の全身から眩い光が溢れ出し、部隊全体を包み込む巨大な半球状の結界を形成した。
それは天陽教の奥義『絶対防御の光盾』。敵の殺意や害意に反応し、あらゆる物理的・魔術的攻撃を弾き返す無敵の障壁である。
ズガァァァンッ!!
ヒュンヒュンヒュンッ!!
騎士団がトラップ地帯に足を踏み入れた瞬間、凄まじい爆発と共に無数の毒矢が死角から降り注ぐ。
しかし。光の結界に触れた瞬間、爆風は掻き消え、毒矢はポキポキと音を立てて弾き落とされた。聖騎士たちは、爆発の真っ只中を、文字通り涼しい顔で無傷のまま通り抜けていく。
「……見たか、シノ。あれが南朝の『絶対防御』だ」
「はい。当主様の指示で私が徹夜で仕掛けた最新の『内臓破裂トラップ』が、何一つ機能しておりません。……あれは、少々反則かと」
第三層の入り口に潜み、双眼鏡でその様子を観察していたレオンとシノは、ドン引きした顔で顔を見合わせた。
暗殺者にとって最大の武器である「不意打ち」と「殺意」が、向こうの結界にとってはむしろ最高のエネルギー源になってしまうのだ。あれでは、どんな凶悪な罠を仕掛けても意味がない。
「クソッ、どうすんだよあれ! 砲撃してくるなら逃げ道もあるが、あんな無敵のバリア張ってジリジリと物理的に歩いてこられたら、絶対捕まるぞ!」
「……当主様。残念ですが、ここは私が特攻して囮になります。その隙に、王女様を連れて裏山から――」
「だから特攻すな! お前が死んだら誰が三食の飯を作るんだ!!」
レオンはパニックになりながら、背負っていたリュックサックをひっくり返した。中から転がり出たのは、手書きの「罠設計図」の束だ。
「ええい、殺意に反応して硬くなるなら、殺意をゼロにするしかない! シノ、第三層に仕掛けた『侵入者絶対殺すトラップ』は全部停止しろ! その代わり、昔俺が遊び半分で作った『絶対に死なないけど超ムカつく嫌がらせトラップ』を全部起動だ!」
「……殺傷能力ゼロの、あの『泥沼』や『粘着ツタ』ですか? そんなもので、あの聖騎士の足止めができるとは思えませんが」
「いいからやれ! もう殺さなくていい! とにかく足止めして、俺たちは一目散に逃げるんだよ!!」
レオンのヤケクソの叫びと共に、第三層に張り巡らされた「ただの嫌がらせトラップ」群が、次々と起動音を上げ始めた。
「ふっ……次々とトラップの気配が消えていく。邪教の徒め、我らの光の前に心を折られ、戦意を喪失したか」
山の中腹へと差し掛かったトモエは、光の結界の中でふっと冷ややかな笑みを浮かべた。
殺意を感じない。あれほどまでに山肌に満ちていた悍ましい暗殺の気配が、嘘のように消え去っている。己の純粋な信仰心が、邪悪な暗殺者の心を浄化し、平伏させたのだ。そう確信したトモエは、勝利を確信して堂々と足を踏み出した。
ズルゥゥゥゥッ!!
「……へ?」
凜とした聖騎士の口から、およそ似つかわしくない間抜けな声が漏れた。
彼女が踏み出した先。そこは、殺傷能力など一切ない、単なる『めちゃくちゃ滑るだけのヌルヌルの泥沼』だった。
結界は「敵の殺意」に反応して硬くなる。
ゆえに、レオンの「ただ逃げるためだけの、殺意ゼロの自然現象(泥沼)」に対しては、結界は「これは攻撃ではない」と判定し、一切の防御機能を発動することなく、完全にスルーしてしまったのだ。
「あっ、きゃあっ!?」
想定外の足元の感覚に、無敵の聖騎士の体勢が、スローモーションのように大きく崩れていくのだった。
無敵を誇る光の結界の内側で、聖騎士筆頭トモエの身体が宙に浮いた。
どんな凶悪な呪毒も、鋼鉄を砕く物理攻撃も弾き返す『絶対防御の光盾』。しかし、それは「ただのツルツル滑る泥」という、大自然の物理現象にして純度100%の嫌がらせを前に、何の役にも立たなかった。
「た、隊長!?」
後続の騎士たちが悲鳴を上げる中、トモエは美しい黒髪を泥にまみれさせながら、無様に背中からスッ転んだ。
一方、その泥沼地帯の少し先。
「よっしゃあ! 足止め成功! あの女騎士がコケてる今のうちに、一目散に裏山へ逃げるぞシノ!」
「はっ。ただちに」
作戦が完璧にハマり、歓喜の声を上げるレオン。彼は勢いよく背を向け、全速力でダッシュを切った。
――が、彼には致命的な欠陥があった。極度の焦りとパニックにより、自分の足元もまた『自分が仕掛けた殺意ゼロの泥沼』であることを完全に失念していたのだ。
「……あ」
ツルッ、と。
レオンの足もまた見事に泥に滑り、彼自身の身体が空高く放り出された。
そして無情なる重力と慣性の法則に従い、レオンの身体は、ちょうど仰向けに倒れ込んでいたトモエの真上へと落下していく。
「「えっ」」
ボフッ。
鈍い音と共に、レオンの両手は、トモエの純白の甲冑の胸部――その装甲の隙間に収まっていた、聖騎士の柔らかな双丘を見事に、かつ正確に揉みしだいていた。
時間が、止まった。
(……やわらかっ。じゃなくて!!)
一瞬の天国から、即座に地獄の底へと突き落とされるレオン。
(やばいやばいやばいやばい!! 殺される! ただでさえ狂信者のヤバい女騎士の胸を、よりによって大勢の部下の前で!! 絶対に八つ裂きにされるゥゥゥ!!)
レオンは顔面を蒼白にし、ガクガクと震えながらトモエの顔を見下ろした。彼女の顔は首の先まで真っ赤に染まり、その瞳は限界まで見開かれている。終わった。神の裁きが下る。レオンが死を覚悟した、その時。
「……ひっ」
トモエの口から漏れたのは、怒りの咆哮ではなく、恐怖に引き攣った悲鳴だった。
(私の『光盾』を……いとも容易くすり抜けた!? いや、違う。この男は最初から、私を『殺す』気など微塵もなかったのだ!)
真っ赤な顔で震えながら、トモエの脳内では凄まじい論理の飛躍が起きていた。
(命を奪うのではなく、衆人環視の中で純潔の誇りを汚し、羞恥を刻み込むこと。それによって私の『神への信仰心』そのものを根底からへし折りにきたというのか!? なんという恐ろしく、そして悍ましい精神攻撃……!)
ただ泥で滑って胸を揉んだだけの男は、トモエの目には『肉体ではなく精神を蹂躙しにきた、極悪非道な邪教の知将』として映っていた。
「あ、悪魔……っ!!」
トモエの心に、生涯で初めて「恐怖」と「激しい羞恥」が入り混じった強烈な動揺が走る。
絶対防御の結界は、彼女の純粋な信仰心と平穏な精神が基盤である。その精神が、極限の羞恥と混乱によって乱された瞬間。
――パリンッ!!!
まるでガラスが割れるような甲高い音と共に。
天陽教が誇る無敵の『絶対防御の光盾』は、レオンの一度のラッキースケベによって、跡形もなく粉々に砕け散ったのだった。
パリンッ、という甲高い音と共に、天陽教が誇る『絶対防御の光盾』が砕け散った。
強固な結界を形成していた純白の光は、まるで雪が解けるように霧散し、霊峰の風に流されて消えていく。
「た、隊長の光盾が……破られた!?」
「あり得ない! 神の奇跡が、あんな……あんな泥に塗れただけの男のセクハラで!?」
後続の騎士たちが恐慌状態に陥る中、レオンは我に返り、慌ててトモエの上から転がり退いた。
「あわわわわ! ち、違う! 今のは完全に不可抗力っていうか、足が滑っただけで……!」
泥だらけの両手を必死に振って弁解しようとするレオン。しかし、羞恥と恐怖で涙目になっているトモエの目には、それが『計算通りの屈辱を与え、余裕たっぷりに嘲笑っている悪魔の仕草』にしか見えなかった。
「くっ、殺せ……! 誇りを汚し、信仰を砕いた上で、さらに嬲る気か……!」
「だから違うって言ってんだろ! 話を聞け狂信者!」
レオンがパニックになりながら叫んだ、その時である。
チャッ……チャッ……チャッ……。
泥濘む地面を、ゆっくりと、しかし確実に踏み締める足音が響いた。
一部始終を物陰から見ていたルナ王女が、氷のように冷たく、しかしどこか嬉しそうな微笑みを浮かべて歩み寄ってきたのだ。
彼女の背後からは、目に見えるほどの『ドス黒いオーラ』が立ち上っている。
「……素晴らしいわ、天陽教の聖騎士トモエ」
「ル、ルナ王女……! 異端の魔女め……!」
トモエが泥だらけの身体を起こし、睨みつける。しかし、ルナは全く動じることなく、むしろ恍惚とした表情でトモエを見下ろした。
「レオン様に、そこまで直接的な『指導』をさせるなんて。これまでどんな敵に対しても冷徹だったあの方に、あのような直接的な接触を選ばせた。あなたのその高潔さと美しさ……一人の女として、心から敬意を表します」
「……は? し、指導……? スキンシップ……!?」
トモエの顔が再びボンッと沸騰する。
しかし、ルナの言葉は止まらない。彼女は胸の前で両手を組み、うっとりとした、純度100%のヤンデレの瞳でトモエを見つめた。
「ええ、本当に素晴らしいわ。私だってまだ、あんな風に押し倒されたことなんてないのに。……あなたとは、とても良いお友達になれそう」
ルナの唇が、三日月のように吊り上がる。
友情と敬意。そして、それに比例して膨れ上がった、底知れぬ嫉妬と殺意。
「だからこそ……あなたがレオン様の隣に並び立つ前に、私がここで、確実に息の根を止めて差し上げますわ」
極上の笑顔と共に放たれた、純粋すぎる殺気。
それは、ある意味で天陽教の「光の結界」よりも遥かに重く、悍ましい執念の塊だった。
「ひっ……!」
精神をへし折る極悪非道なセクハラ戦術(不可抗力)を仕掛けてきた男と。
常軌を逸した「友情という名の殺意」を笑顔で向けてくる、ヤンデレの亡命王女。
強固な信仰心で守られていたはずのトモエの心は、この二つの理不尽すぎる暴力(主に精神的)の前に、完全にポッキリと折れた。
「こ、これが神王の力……恐るべき、邪教の山……!」
ボロボロと涙をこぼし、トモエは泥まみれになりながら部下たちへ向かって絶叫した。
「全軍、撤退! 撤退ィィィッ!! ここは、我々が踏み入って良い領域ではない!!」
かつてない恐怖に駆られ、天陽教の精鋭部隊は、武器もプライドも泥沼に投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように山を下っていった。その背中は、覇王軍の時よりも遥かに悲惨で、哀愁に満ちていた。
後に残されたのは。
「ふふっ……またいつでもいらしてね、私のお友達」と、逃げゆく親友(殺害対象)の背中を満足げに見送るルナと。
「俺……なんかまた、とんでもなく厄介なフラグ立てた……?」
泥だらけのまま座り込み、完全に虚無の表情で遠い目をする、辺境の暗殺者だけであった。
――霊峰『白山』は、底知れぬ悪魔の巣窟である。
彼らは我らの『光盾』の性質を完璧に看破し、あえて殺意を消した泥沼の罠によって我々の足元を掬った。
そしてあの男、バシリカ本家当主レオン。奴は私の命ではなく、衆人環視の中で純潔を蹂躙するという最も悍ましい精神攻撃をもって、私の信仰心を粉砕したのだ。
さらに、異端の魔女ルナ。あの日、私に向けられた敬意と殺意の入り混じったあの笑顔を、生涯忘れることはないだろう。彼女は私を『友』と呼んだ。ならば私も、一人の高潔な騎士として、全霊をもって彼女に立ち向かわねばなるまい。
(天陽教聖騎士筆頭トモエの懺悔録『泥に塗れた光』より)




