第5話:覇王の部隊
――魔法とは、旧時代の遺物であり、不確定な妄想に過ぎない。
どれほど強固な結界であろうと、どれほど恐ろしい呪いであろうと、計算された物理的な質量と熱量の前には等しくひれ伏す。
道がなければ、山肌ごと吹き飛ばして道を作れ。
罠が潜む森ならば、木々ごと更地に変えて進め。
我らイグニス覇王軍が信ずべきは、見えざる神仏の加護などではない。圧倒的な『火力』と、それを統率する絶対の『合理性』のみである。
(イグニス覇王軍・重装砲兵隊戦術教本『鋼の理』序文より)
――ズドドドドドォォォォォォンッ!!!
霊峰『白山』の静寂を、天地を揺るがすような規格外の爆音が引き裂いた。
無明院の本堂で、折れた肋骨に湿布を貼りながら渋い茶を啜っていたレオンは、激しい横揺れに盛大にむせ返り、畳の上を転げ回った。
「ブフッ!? ゲホッ、ゴホッ! な、なんだ!? 地震か!?」
「当主様! 一大事です!!」
血相を変えたシノが、縁側に文字通り転がり込んでくる。普段は冷静沈着な彼女が、ここまで取り乱すのは極めて珍しい。
「第一層『迷いの樹海』に仕掛けた警報結界が……いえ、結界ごと、森の『地形そのもの』が消し飛びました!!」
「……は?」
レオンは肋骨の痛みを忘れ、慌てて縁側から身を乗り出した。
見下ろした霊峰の麓。常に深い霧に覆われ、侵入者を拒み続けてきたはずの鬱蒼とした樹海に――まるで神が巨大な定規で線を引いたかのように、真っ直ぐな『更地』の道が出来上がっていた。
もうもうと立ち上る土煙と硝煙。そして、次弾を装填する金属の駆動音が、遠く山の中腹にまで響いてくる。
「嘘だろ……俺の幻覚キノコ畑が……手塩にかけて育てた人食い蔓のアーチが……!」
麓の更地と化した街道。
そこに陣取っていたのは、分家の古めかしい鎧姿とは全く異なる、重厚な鋼色の甲冑に身を包んだ軍勢だった。彼らが構えているのは剣や槍ではない。身の丈ほどもある巨大な金属の筒――最新鋭の兵器『魔導大砲』である。
「報告します、グスタフ隊長! 第四から第八までの砲門、冷却完了。いつでも次弾撃てます!」
「うむ。仰角をさらに十五度上げろ。次の障害物を排除する」
分厚い装甲服に身を包み、口に太い葉巻を咥えた巨漢の男――イグニス覇王軍・重装砲兵隊長グスタフは、無機質な目で山肌を見上げていた。
「隊長。斥候の報告によれば、この山には『見えざる呪い』や『影の刃』など、未知の古代魔術が張り巡らされているとのことでしたが……」
「馬鹿馬鹿しい」
部下の懸念を、グスタフは葉巻の煙と共に吐き捨てた。
「罠というのは、敵が『道』を歩くことを前提とした待ち伏せの戦術だ。ならば、わざわざその上を歩いてやる義理はない。道がないなら山肌ごと吹き飛ばし、罠があるなら地形ごと更地にすればいい。それが最も効率的で、最も『合理的』な進軍だ」
グスタフは手元の作戦図面に無造作にバツ印を書き込んだ。
「魔法などという不確かなオカルトに頼るから、分家の連中は全滅したのだ。我々は純粋な質量と熱量で、あの古臭い神の山をただの石ころの山に変えてやる。……全門、斉射用意!」
グスタフの冷徹な号令と共に、数十門の魔導大砲が一斉に火を吹いた。
――ドドガァァァァァァンッ!!!
再び山を揺るがす大爆発。
第二層へと続く険しい獣道も、そこに仕掛けられていた無数の罠も、ただの圧倒的な『物理』の前に、岩盤ごと跡形もなく粉砕されていく。
「あばばばばばばっ!!? やめろォ!!」
本堂の柱にしがみつきながら、レオンは半泣きで絶叫していた。
轟音が響くたびに心臓が激しく跳ね上がり、ただでさえ折れている肋骨が悲鳴を上げる。
「当主様、このままでは本院まで砲撃が届くのも時間の問題です! 私が下山し、敵の指揮官の首を――」
「バカ言え! あの弾幕の中を突っ込む気か!? ハチの巣にされるぞ!」
レオンはパニックになりながらも、シノを必死に制止した。
相手は、分家のように「バシリカの威光」や「伝説」にビビッてくれる連中ではない。問答無用で遠距離から物理で殴ってくる、最悪のゴリ押し集団だ。
(クソッ、クソッ! 分家をビビらせた時のように、暗殺魔術で脅して追い返すしかない!!)
レオンは震える両手で印を結び、足元の影を操ろうとする。
しかし。
――ズドォォォンッ!!
「ひぃッ!?」
凄まじい砲撃の爆音に驚き、ビクッと肩が跳ねた瞬間。立ち上がりかけていた影の刃が、ポンッという間の抜けた音と共に霧散した。
暗殺魔術の絶対条件は『凪』。突然の爆音で心拍数が乱高下している今のレオンには、ただの影絵ひとつ作ることも不可能だった。
「……終わった。俺の魔術、こういう物理的な『ビックリ』に一番弱いんだった……」
地形と罠は力技で消し飛ばされ、頼みの綱の魔術も爆音のせいで完全に封殺された。
迫り来る圧倒的な近代火力と合理性の前に、辺境の暗殺者は、開戦わずか数分で完全に手詰まりとなってしまったのだった。
「当主様! このままでは無明院が的になります! 一旦、裏山へ後退を!」
「バカ言え、裏山に逃げたら畑が全部踏み荒らされるだろうが! お前たちはルナたちを連れて隠れてろ! 俺が囮になって注意を逸らす!」
シノの制止を振り切り、レオンは半泣きのまま本堂から飛び出した。
大義のためでも、王女を守るためでもない。ただ純粋に、これ以上手塩にかけた自給自足の庭を物理的に削られたくないという、切実すぎる小市民の意地だった。
だが、本堂から外の石段へと飛び出した瞬間、レオンは激しく後悔した。
「目標、前方の石段に単騎で出現! 黒い軽装甲冑、間違いありません! バシリカ本家当主、レオンです!」
「構わん。彼ごと第三層を更地にしろ。撃て」
中腹まで迫っていたグスタフの冷徹な号令と共に、十数門の魔導大砲の砲口が一斉にレオンへと向けられ、轟音と共に火を噴いた。
「ひぃぃぃぃぃッ!? ちょっと待てバカ、オーバーキルにも程があるだろ!!」
レオンは絶叫しながら、石段を転がり落ちるように駆け出した。
ズドドガァァァァンッ!!
直前まで彼が立っていた石段が、砲撃の直撃を受けてクレーターと化し、無数の石の散弾となって降り注ぐ。
「あばっ! 痛ぇ! 今、頭皮かすったぞ! 折れた肋骨に響くゥゥ!」
魔術が使えないレオンには、防壁を張ることも、影に潜ることもできない。
頼れるのは、幼少期からあの三白眼の兄弟子に叩き込まれた「暗殺者としての純粋な反射神経と身体能力」のみだった。
右へ飛び退き、転がって岩陰に隠れ、爆風に背中を押されるようにして前転する。それは傍から見れば、恐怖とパニックによる見苦しいドタバタ劇に他ならなかった。
――しかし。それを遠眼鏡越しに観察していたグスタフの目には、全く別の光景として映っていた。
「……あり得ん」
咥えていた葉巻が、グスタフの口からポロリと落ちた。
「隊長!? 目標の生存を確認、信じられません! あの弾幕を、無傷で抜けてきます!」
「馬鹿な……。まぐれで避けられる弾幕ではないぞ。あのアクロバティックな回避……いや、違う!」
グスタフは双眼鏡を強く握りしめ、冷や汗を流しながら戦慄した。
「一見、無軌道に逃げ惑っているように見えるが、違う。奴は砲口の向き、魔力充填の光、風向きから着弾点を瞬時に演算し、『爆風の威力が完全に相殺される安全地帯』だけを正確に踏んで移動しているのだ!」
(ひいいいっ! 爆発音がデカすぎて心臓止まるゥゥ!!)
「なんという恐るべき身体能力と計算力だ。無駄な魔術など一切使わず、己の肉体と物理法則のみで我が部隊の火力を無力化しているというのか……! これが、旧時代の遺物と侮っていたバシリカ本家当主の真の実力……!」
(もう嫌だ! 早く隠れる場所、隠れる場所……あっ、あそこなら!)
レオンは砲弾の雨の中を涙目で駆け抜け、第三層の崖沿いにぽっかりと口を開けている天然の洞窟へと飛び込んだ。
そこは、レオンが冬を越すために備蓄している『大量の小麦粉』などを保管している、大切な大切な食料庫であった。
「目標、崖下の洞窟へ逃げ込みました!」
「逃げたのではない。我々を狭所に誘い込んだのだ」
グスタフは鋭く目を細め、軍刀を抜いて前線へと歩み出た。
「大砲の仰角が届かない死角……奴は我々に『白兵戦』を挑む気だ。よかろう、魔法に頼らぬ純粋な戦術的知将。このグスタフが敬意を表し、銃殺刑にて応えてやる。重装銃兵部隊、前へ!」
完全なる勘違いを加速させた覇王軍の精鋭たちが、一糸乱れぬ足取りで、レオンの隠れる食料庫へと迫っていくのだった。
薄暗い洞窟の奥で、レオンはガクガクと震えながら頭を抱えていた。
外からは、重装甲のブーツがズシン、ズシンと規則正しく大地を踏み鳴らす音が近づいてくる。
「終わった……完全に終わった。大砲撃ってくる連中に白兵戦なんて勝てるわけねえ……」
絶望の中、レオンの視界に入ったのは、洞窟の壁沿いにうず高く積まれた麻袋の山だった。
中身は大量の『小麦粉』。来るべき厳しい冬を越すため、レオンが血の滲むような思いで畑を耕し、収穫し、自らの手で挽いた、涙ぐましい辺境スローライフの結晶である。
「……おいおい、まさか」
嫌な予感がして洞窟の入り口を振り返ると、逆光の中に、銃を構えた数十名の重装銃兵たちがズラリと横隊を組んでいた。その中央で、軍刀を構えたグスタフが冷酷に言い放つ。
「目標、洞窟最奥部に確認。……魔法に頼らぬ高潔な戦士よ、せめて我々の最大火力で敬意を示そう。第一列、構え!」
「ストォォォォップ!! 待て待て待て!!」
レオンは血相を変えて叫んだ。
自分自身の命ももちろんだが、あんな面制圧の斉射を食らえば、背後に積まれた大切な小麦粉の袋までハチの巣にされてしまう。
「撃てッ!!」
「俺の冬のパンがァァァァァァッ!!!」
悲哀とヤケクソの絶叫と共に、レオンは咄嗟に傍らにあった小麦粉の麻袋を掴み上げ、入り口の部隊めがけて全力でぶん投げた。
直後。放たれた無数の魔導銃弾が、空を舞う麻袋を真っ向から撃ち抜いた。
パンッ!という破裂音と共に、袋の中に限界まで詰まっていたきめ細かい小麦粉が、狭い洞窟の入り口付近に真っ白な煙幕となって散布される。
「……何? 煙幕か? いや、これは――」
グスタフがその粉の正体に気付いた瞬間には、もう遅かった。
洞窟という『密閉空間』。そこに充満した、一定濃度以上の『可燃性の粉塵』。
そこに、覇王軍が自ら放った魔導火器の強烈な『マズルフラッシュ(火花)』が引火した。
――カッ!!!!
世界から一瞬、すべての音が消えた。
次の瞬間。洞窟内に広がる白い粉塵が連鎖的に発火し、莫大な体積膨張を伴う灼熱の爆炎となって入り口へと逆流した。
――ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
「ぐああああああっ!!?」
超大規模な『粉塵爆発』。
魔法の防壁すら貫通する凄まじい爆風と超高温の炎が、洞窟の入り口に密集していた覇王軍の銃兵部隊を丸ごと飲み込んだ。彼らが誇る分厚い重装甲は、皮肉にも熱を逃がさない『オーブン』へと変貌し、部隊は一瞬にして壊滅状態に陥った。
「……ば、馬鹿な……」
爆炎が晴れた後。
全身の装甲を黒焦げにされ、大地に倒れ伏したグスタフは、薄れゆく意識の中で戦慄していた。
「我々の……銃口から迸る火花を、着火剤として利用したとでも……いうのか……?」
自慢の火力が全く通用しなかったばかりか、自らの攻撃を逆利用された。
旧時代の魔法に頼るだけの連中だと侮っていた。だが、違った。あの男は、魔法などという不確かなものではなく、絶対的な『物理法則』を用いて、この部隊を壊滅させたのだ。
「我々の火力を計算し尽くし……閉鎖空間での『粉塵』による体積爆発を、たった一人で引き起こしたというのか……」
グスタフは、洞窟の奥で立ち尽くすレオンのシルエットを見つめた。
「なんという……恐るべき知将、なんという……合理性を持った、化け、物……」
完全に屈服したグスタフは、ガクリと首を落とし、深い気絶の底へと沈んでいった。イグニス覇王軍の先遣隊が、辺境の暗殺者ただ一人に完敗を喫した瞬間だった。
――一方、その頃。
化け物と恐れられた知将・レオンは。
「ああ……俺の……俺の小麦粉が……」
燃えカスとなってパラパラと降り注ぐ小麦粉の残骸を前に、膝から崩れ落ちていた。
「今年の冬……何食って生きていけばいいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
勝利の喜びに沸くどころか、完全に底を突いた冬の食料事情に絶望し、レオンの悲痛な慟哭が、虚しく白山の空に木霊するのであった。
――バシリカ本家当主、レオン・バシリカ。
上層部へ進言する。この男を、旧時代の魔術や権威に依存するだけの時代遅れと侮ってはならない。
奴は我々の最大火力を前にしても一切の魔術を使わず、己の肉体と純粋な『物理法則』のみで我が重装砲兵隊を壊滅させた。あえて閉鎖空間へ我々を誘い込み、我々自身の放った銃撃の火花を逆利用して引き起こした、計算し尽くされた粉塵爆発。
彼こそは、魔法という非合理をとうの昔に捨て去り、真の『理』を修めた戦術の悪魔である。
(イグニス覇王軍・重装砲兵隊長グスタフの敗戦報告書『白山の悪魔』より)




