第33話:源泉の死闘
――『ガルドニア魔導帝国・北方軍最高司令部・戦況推移記録』より抜粋。
「地下深層の『フロスト・ワーム』三機より、臨界凍結および自爆崩落シークエンス作動の最終信号を受信。これにて白山の主戦力は地下千メートルの氷塊の下へと封印された。――直ちに第二段階へ移行せよ。吹雪に紛れて待機中の『光学迷彩・雪原工作兵団』全隊、熱源を失い無防備となった地上の屋敷へ突入し、残存勢力と動力炉を完全に抹殺せよ」
この記録は、のちに編纂された『大陸大戦史・白山防空戦篇』において、ゼノン元帥の隙のない二段構えの戦術を示す史料として引用されている。たとえ地下の怪物が生き延びたとしても、分厚い氷盤を掘削して地上へ戻るまでには数時間を要する――その絶対的な「時間の空白」こそが、氷獄の智将が狙った真の急所であった。
地下千メートルの『大源泉の間』に、天井が崩れ落ちる耳をつんざくような轟音がこだました。
唯一の退路であった岩門は、厚さ十メートルを超える青白い魔導氷壁によって完全に閉ざされ、絶対零度の冷気で脆くなった天井から、数トンもの質量を持つ氷の岩塊が槍の雨となって降り注ぐ。
「ニコル、絶対に俺の背中から手を離すなよ!」
「は、はいっ、レオン様!」
レオンは震えるニコルを背中に背負い直すと、腰の黒剣を抜き放ち、迫りくる巨大な氷塊へ向かって下から上へと一閃した。
――ザンッ!!
黒い斬撃の軌跡が閃いた瞬間、頭上を押し潰そうとしていた氷の巨岩が、まるで豆腐のように真っ二つに割れ、左右の地面へと轟音を立てて突き刺さった。
だが、息をつく暇すらない。砕け散った氷煙の向こうから、魔導炉心を青白く臨界膨張させた三体の巨大掘削機『フロスト・ワーム』が、超硬ドリルを唸らせながら一斉に突進してきたのである。
『警告、警告。対象を地下空間ごと凍結・圧殺します。自爆カウントダウン開始――十、九、八……』
無機質な機械音声とともに、全長二十メートルの鋼鉄の百足たちが、狭い空洞の全方位からレオンたちをすり潰そうと迫る。
そのうちの一体が、背中のニコルを狙って側面からドリルを突き出した、その刹那だった。
「――レオンくんの背中に、汚い鉄屑が触れないでくださいますか」
氷点下の空気すら凍りつくような、絶対零度の殺気。
普段のおっとりとした微笑みを完全に消し去ったオルハが、漆黒のロングメイド服の裾を翻し、音もなく掘削機の懐へと滑り込んでいた。
彼女の切れ長の『三白眼』が、暗闇の中で冷酷な光を放つ。
帝国が誇る対要塞用の分厚い複合装甲――だが、元・暗殺ギルド最高幹部であるオルハの瞳には、高速回転するドリルの根元にある『わずか数ミリの装甲の継ぎ目』が、スローモーションのように完全に透けて見えていた。
「そこが急所ですね。――お眠りなさい」
――ヒュンッ! ガキィィィンッ!!
オルハの両手に握られた二振りの暗殺用ダガーが、目にもとまらぬ神速で装甲の隙間へと深く突き刺さり、内部の魔力伝達ケーブルと自爆回路を寸分の狂いもなく断ち切った。
それだけではない。彼女は止まったばかりの超硬ドリルの刃を足場にして軽やかに宙を舞うと、すぐ隣を突進していた二体目の『フロスト・ワーム』の頭部へと飛び移り、赤い単眼の奥にある制御中枢へダガーを根元までねじ込んだのである!
――バチバチバチッ……プシューーーッ!!
二体の巨大な鋼鉄怪物が、自爆を発動することすらできずに火花を散らし、糸が切れた操り人形のようにその場へドサリと崩れ落ちた。
「す、すごい……! あんな巨大な鉄の怪物を、ナイフ二本で一瞬で止めてしまうなんて……!」
レオンの背中でニコルが驚愕に目を見張る。
だが、その直後――オルハの攻撃を紙一重でかわした最後のリーダー機が、レオンたちを無視して空洞の中央にある『大源泉の噴気孔』へと真っ直ぐに突っ込んだのだ!
『自爆カウントダウン、三、二――大源泉の主脈を完全破壊します』
「しまっ――! レオンくん、あの機体、源泉の穴の中で自爆して、この山の温泉脈そのものを根元から吹き飛ばす気ですわ!!」
オルハの叫び声とともに、リーダー機の腹部にある魔導炉心が、目を焼くような青白い閃光を放って限界まで膨れ上がった。
ここで爆発されれば、大源泉は二度と元には戻らず、三人もろとも地下千メートルの岩盤の下へ完全に生き埋めとなる。
「――ふざけんなよ。俺の温泉を、てめえらなんかに潰されてたまるかァァァッ!!」
レオンはニコルを安全な岩陰へと下ろすやいなや、地面の氷を砕いて弾丸のように疾走し、今まさに起爆しようとしていたリーダー機の真正面へと躍り出た。
『自爆カウントダウン、一、ゼロ――臨界起爆発動――』
大源泉の噴気孔へと頭から突っ込んだリーダー機の腹部が、直視できないほどの青白い閃光を放ち、内部から膨大な凍結爆破エネルギーが弾け飛ぼうとした、まさにその刹那だった。
「――消えろッ!!」
濁流のような殺気をまとって踏み込んだレオンの黒剣が、閃光よりも速く、リーダー機の巨大な鋼鉄の胴体を真っ向から薙ぎ払った。
――ズバアアアアアアアッ!!
一切の抵抗すら許さぬ神域の一閃。
対要塞用の分厚い魔導装甲と超硬ドリルが、まるで熱したナイフでバターを切るかのように真っ二つに両断された。
さらにレオンは、切断された断面から今まさに爆発しようとしていた『青白い球状の魔導炉心』へ左手を直接突っ込むと、素手のままそのコアを鷲掴みにし、渾身の力で握り潰したのである!
――バキョォォォッ!! シュウウウウウゥゥッ……!!
「なっ……!? 臨界寸前の魔導炉心を、素手で握り潰して爆発そのものをねじ伏せただと……!?」
岩陰から見ていたニコルが、信じられないものを見る目で声を失う。
レオンの掌から溢れ出た『神王の覇気』が、暴走していた帝国の凍結魔力を力ずくで中和・消滅させ、リーダー機の残骸は黒焦げの鉄屑となって氷の床へと転がり落ちた。
「……はぁ、はぁ……っ! 危ねえところだったぜ、あとコンマ一秒遅れてたら源泉ごと吹き飛んでたな……」
レオンが荒い息を吐きながら黒剣を杖代わりに突き立てる。
そこへオルハとニコルが駆け寄ってきたが、三人の表情から緊張が解けることはなかった。
「レオンくん、見てください……! 機械を壊したのに、源泉の氷がまだ分厚くなり続けていますわ!」
オルハが指差した先――リーダー機が突き刺していた冷却パイプの残骸と、岩盤の亀裂を通って、白山の外周四箇所に打ち込まれた『地脈凍結杭』からの呪詛的な冷気が、なおも地下深層へと絶え間なく流れ込み続けていたのである。
――ミシミシミシッ……パキィィィンッ!!
大源泉の噴気孔を塞ぐ青白い氷塊はさらに巨大化し、密室となった地下空洞の気温は氷点下五十度を下回った。吐く息すら瞬時に凍りつき、密室内の酸素も急速に薄れていく。
「くっ……! このままでは、大源泉の脈が完全に死んでしまいます……! でも、これほど強固な呪詛の氷、普通の炎や魔道具ではとても溶かせません……!」
ニコルが凍える手で胸元を押さえ、苦しそうに膝をついた。
分厚い氷の壁に閉ざされた地下千メートルの底。このまま座していれば、地脈が死ぬだけでなく、三人もろとも酸欠と凍死で確実な死を迎える。
(……くそっ、外周の杭から送られてくる冷気のパワーが強すぎる! 俺の魔力を外からぶつけるだけじゃ、氷の表面しか削れねえ……!)
ギリッと奥歯を噛み締めたレオンは、凍りついた噴気孔の奥――青白い氷の底で、今にも消え入りそうに明滅している『白山の地脈の赤い火種』を見据えた。
(外から削ってダメなら、中に眠ってる温泉の大元に直接ガソリン(栄養)をぶち込んで、内側から爆発させるしかねえ……! 黒狼城の結晶や畑の野菜が俺の血でデカくなったんだ、この山の源泉だって同じはずだ!)
覚悟を決めたレオンは、迷うことなく右手の黒剣の刃に、自らの左手のひらを強く押し当てた。
――ザンッ!!
「あっ……!? レオンくん、何を……!?」
「レオン様、お怪我を……!!」
オルハとニコルが悲鳴を上げる中、レオンは真っ赤な鮮血が滴り落ちる左手を、凍りついた大源泉の噴気孔の亀裂へと直接突き入れ、強く拳を握りしめた。
「――起きろ、白山の源泉!! 俺の血をくれてやるから、こんな氷なんか全部まとめて吹き飛ばしやがれェェェッ!!」
――ポタッ……ポタポタッ……!
レオンの傷口から溢れ出た『神王の真血』が、青白い氷の隙間を通り抜け、地底深くで凍え死にかけていた白山の地脈中枢へと吸い込まれていく。
一秒、二秒の静寂。
そして――次の瞬間だった。
――ドクンッ……!! ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ!!
まるで巨大な心臓が目を覚ましたかのように、地下千メートルの大地そのものが、重低音の脈動とともに激しく震え始めたのである。
――ゴオオオオオォォォンッ!!
地下千メートルの大空洞に、まるで太古の龍が咆哮したかのような地鳴りが轟いた。
レオンの掌から滴り落ちた『神王の真血』――万物を浄化し、生命力を無限に引き上げる至高の聖遺物が、死に絶えかけていた白山の地脈中枢と完全に共鳴したのである。
次の瞬間、大源泉の噴気孔を塞いでいた分厚い青白い氷塊の内部から、眩いばかりの『黄金色の熱光』が放射状に突き抜けた!
「……っ!? 二人とも、下がってろ!!」
レオンがオルハとニコルの身体を抱えて後方へ跳び退いた直後だった。
――ドガアアアアアアアアッ!!
呪詛の氷塊を木っ端微塵に粉砕し、黄金色の輝きを帯びた超高熱の霊泉と神聖な蒸気柱が、噴気孔から天井へ向かって間欠泉のように猛烈な勢いで噴き上がったのである!
それだけではない。レオンの真血を取り込んで神域レベルへと超活性化した地脈の熱流は、外周の『地脈凍結杭』から送り込まれていた絶対零度のエネルギーを逆に押し返し、空洞の壁面を覆っていた青い氷をわずか数秒で跡形もなく蒸発させてしまった。
さらには、充満した莫大な神聖蒸気圧が、唯一の退路を塞いでいた厚さ十メートルの魔導氷壁へと殺到する。
――ズガアアアアアアアッ!!
砲弾のように弾け飛ぶ氷壁。地上へと続く螺旋通路を埋めていた氷が、下から吹き上がる黄金の熱風によって一気に融解し、閉ざされていた密室に外の新鮮な空気が流れ込んできた。
「す、すごいですレオン様……! あんなに恐ろしい呪いの氷が、一瞬で溶けて消えてしまいました……! しかも、湧き出しているお湯の力強さが、以前とは比べ物にならないほど神々しくなっています……!」
ニコルが黄金色の湯気を上げる大源泉を見つめ、震える声で感嘆の息を漏らす。
だが、血の滲む左手を布で無造作に巻き付けたレオンの顔に、安堵の笑みは一切なかった。その隣に立つオルハもまた、厳しい『三白眼』のまま開通したばかりの通路の上方を見据えている。
「……オルハ先輩。やっぱりおかしいよな」
「ええ、レオンくん。あの三体の掘削機……私たちがここへ到着するのを待っていたかのように、最初から『出口と天井を崩落させること』だけを最優先にプログラムされていましたわ」
レオンは唇を噛み締め、砕け散った『フロスト・ワーム』の残骸を睨みつけた。
「もし本当に源泉を壊すだけが目的だったら、俺たちが降りてくる前にさっさと自爆してりゃよかったんだ。それをわざわざ俺たちが最深部に入るまで待ってから、入り口を氷で塞ぎやがった。――つまり、あのゼノンとかいう敵の親玉にとって、この地脈凍結は『俺とオルハ先輩を地下の底に閉じ込めて時間を稼ぐための撒き餌』だったってことだ……!」
背筋を駆け上がる嫌な予感。
まさにその時だった。
――ザザッ……! ザザザッ……!!
分厚い氷壁が溶け去り、地上との魔力遮断が解けたことで、レオンの懐に入れてあった『魔導通信機(クルミ特製のトランシーバー)』が、激しいノイズとともに着信音を鳴り響かせたのである。
「……っ! クルミか、トモエか!? 地上は無事か!?」
レオンが通信機をひったくるように耳へ当てた瞬間、スピーカーの向こうから飛び込んできたのは、激しい爆発音と剣戟の火花、そして――かつて聞いたこともないほど切迫したトモエの叫び声だった。
『――っ、レオン殿、オルハ殿、やっと繋がったか!? 大変だ、今すぐ戻ってきてくれ!! 地脈の熱が落ちて白い霧が立ちこめた隙に、光学迷彩で姿を消した帝国軍の暗殺工作部隊が、ドームの死角から屋敷の敷地内へなだれ込んできたのだ!!』
「なっ……!? やっぱり地上を狙ってやがったのか!!」
『敵は完全に透明で気配すら読めぬプロの工作兵団だ! カガリやシノたちと食い止めているが、数が多すぎる! 連中の狙いは――クルミ殿たちが籠もっている大納屋と、屋敷の動力炉だ! くっ、うわあああああっ!!』
――ドゴォォォォンッ!! ザザザザッ……プツンッ!
耳をつんざく爆発音とともに、トモエからの通信が完全に途絶えた。
静まり返った通信機を握りしめるレオンの全身から、周囲の黄金の湯気すら吹き飛ばすほどの、どす黒い憤怒の覇気が噴き上がる。
「――あの野郎、俺の留守中に仲間と家に手を出しやがったな……!! オルハ先輩、ニコル、全力で走るぞ!! 一秒で地上へ戻るッ!!」
「ええ、私たちの大切な家族に傷一つでもつけていたら……全員、ミンチにして差し上げましょうね」
ニコルを再び背負ったレオンと、殺気を研ぎ澄ませたオルハの二人は、黄金の蒸気が吹き上がる螺旋通路を、音速に迫る脚力で地上へと駆け上がっていった。
――『白山神王正史・地底戦記(ニコル記)』より抜粋。
「レオン様がご自身の尊い御血を源泉へと注がれた瞬間、死に絶えかけていた白山の地脈は黄金の輝きとともに蘇りました。けれど、私たちに安堵する暇は一秒たりとも与えられませんでした。地下千メートルでの死闘そのものが、無明院の最高戦力であるお二人を地上から引き剥がすための、ゼノン元帥による冷酷極まりない陽動作戦に過ぎなかったのです」
この記録は、のちに編纂された『大陸大戦史・白山防空戦篇』において、神王レオンが初めて経験した「知略による本拠地強襲の危機」として記されている。地脈の凍結を力ずくで覆した神王の奇跡すらも時間稼ぎの計算に組み込み、手薄となった地上の無明院へ帝国最精鋭の不可視の暗殺部隊『光学迷彩・雪原工作兵団』を送り込んだゼノン元帥――その恐るべき第二の刃は、すでに無明院の




