第31話:氷獄の智将
――『ガルドニア魔導帝国・北方軍最高司令部・極秘作戦会議録』より抜粋。
「ヴァイス大尉の機甲部隊に続き、ゲイル少佐の高速哨戒艇までもが白山にて消息を絶った。だが、狼狽することはない。二度の損失は、我々に敵の正確なスペックを教えてくれた。すなわち、白山には『高度三千メートルまで届く単発の対空迎撃砲』と『熱源を利用した結界ドーム』が存在するということだ。――ならば、まずはその熱源(地脈)を根元から凍らせ、真綿で首を絞めるように神域を窒息させてくれる」
この記録は、のちに編纂された『大陸大戦史・白山防空戦篇』において、帝国随一の智将と謳われた北方軍総司令官・ゼノン元帥が立案した『白山・三重窒息作戦』の冒頭部分である。これまでの指揮官とは一線を画す冷徹な分析と、白山のライフラインである温泉地脈を的確に狙ったこの作戦は、のちに神王軍の幹部たちをして「最も厄介であった知略」と言わしめるほどの危機を無明院にもたらすこととなった。
「――いいこと、ヴァイス、ゲイル! これからこの大納屋の奥で始めるのは、無明院の未来を左右する『極秘魔改造プロジェクト』よ! 完成するまでは、絶対に外へ中身を漏らさないこと!」
「「「はっ! クルミ技師長殿!!」」」
翌朝。無明院の敷地の一番奥にある巨大な古い納屋の前では、ゴーグルを装着したクルミの号令のもと、元・帝国機甲部隊のヴァイスと元・航空隊のゲイルたちが、昨日鹵獲したばかりの高速魔導哨戒艇『シュヴァルツ・ファルケ』の機体を慎重に屋内へと運び込んでいた。
さらにその隣には、先日の黒狼城の戦いでレオンがワンパンで沈黙させ、戦利品として持ち帰っていた『古代機兵の魔導コア』と重厚な装甲パーツが山積みになっている。
「ふふふっ……帝国の最新鋭飛行艇のフレームに、神話時代の古代機兵のコア、そして『高純度・聖魔結晶』を組み合わせれば、私の天才的頭脳にしか作れない究極の切り札が完成するわ……!」
不敵な笑みを浮かべながら納屋の分厚い扉を閉めようとするクルミに、通りかかったレオンが呑気に手を振った。
「おうクルミ、朝から精が出るな! その空飛ぶ鉄の風船を改造して、畑の上から一斉に水やりができる『空飛ぶ全自動じょうろ(農薬散布機)』でも作ってくれるのか?」
「なっ……!? だ、誰がこんな超絶パーツを使ってじょうろなんか作るもんですか! あんたは余計なこと考えずに、美味しいお昼ご飯の準備でもしてなさいよ! ――ほらヴァイスたち、中から鍵をかけるわよ!」
――バタンッ! ガチャリッ!
顔を真っ赤にして納屋へ引っ込んでいったクルミを見送り、レオンは「やれやれ、完成するまでサプライズにしたいんだな。どんな便利な農機具ができるか楽しみだぜ」と満足そうに頷いた。
彼らがいま水面下で造り上げようとしている『白山神王軍の最終隠し玉』が、やがて訪れる帝国本隊との大防空戦において決定的な役割を果たすことになろうとは、当のレオンは夢にも思っていなかったのである。
「うふふっ、レオン様ぁ〜♪ クルミちゃんたちの農機具も楽しみですけれど、こちらの養鶏場でも素晴らしい『奇跡』が起きておりますよぉ〜♪」
そこへ、大きな木のカゴを両手で抱えたニコルと、漆黒のロングメイド服を揺らすオルハが、弾むような足取りでやってきた。
レオンがカゴの中を覗き込むと、そこには――人間の頭ほどもありそうな、黄金色に輝くツヤツヤの『特大タマゴ』がゴロゴロと並んでいた。
「うおっ、なんだこのデカくてピカピカな卵は!? ダチョウの卵よりデカいんじゃねえか!?」
「ええ、昨日空から落ちてきてお仲間になった『霜降り大雷鳥』さんたちが、うちの畑の甘い大根の葉っぱと、レオン様が汲んでくださった霊泉のお水を飲んで、今朝さっそく産んでくれたんですよ♪」
「ふふっ、見てくださいレオンくん。殻のすぐ内側から、とっても濃厚な魔力と栄養が透けて見えるようですわ。これと昨日の残りの霜降り鶏肉を使えば、最高のお昼ご飯が作れそうですね♪」
オルハが切れ長の『三白眼』を期待に潤ませ、背後からひょっこり顔を出したトモエやルナ、シノたちも「「「ゴクリ……!」」」と喉を鳴らす。
「よしっ、これだけ極上の特大卵と霜降り鶏肉が揃ってるなら、昼メシは決まりだな! 畑の甘い『マンドラ・白ネギ』もたっぷり入れて、出汁がジュワッと染みたトロトロの『特大・黄金親子丼』を作るぞ!」
「「「やったぁぁぁっ!!」」」
歓声に背中を押され、レオンは腕まくりをして厨房へと向かったのだった。
――グツグツグツッ……ジュワァァァァッ……!
無明院の広い厨房に、鰹と昆布の一番出汁に醤油とみりんを合わせた『特製割り下』の、甘く香ばしい湯気が立ちこめていた。
レオンが振るう大鍋の中では、一口大に切った『霜降り大雷鳥』のプリプリのモモ肉と、斜め切りにした『マンドラ・白ネギ』が割り下をたっぷりと吸って踊っている。
そこへレオンは、先ほど割ったばかりの黄金色に輝く『特大・霊鳥卵』の溶き卵を、二回に分けて回し入れた。
「よし、一回目の卵で鶏肉とネギの旨味を閉じ込めて、二回目の卵は火を止める直前に流し込んで『半熟とろふわ』に仕上げる……っと! ほら、炊きたての白米の上にたっぷり乗せて、『無明院特製・極上黄金親子丼』の完成だ!」
レオンが湯気立つ大盛りの丼をズラリと並べると、大広間のテーブルで待機していたオルハ、トモエ、ニコル、ルナ、そして作業休憩で駆けつけたクルミやヴァイス、ゲイルたち元・帝国兵の目が一斉に輝いた。
白米を覆い尽くすのは、まるで黄金の絨毯のようにツヤツヤと輝く半熟卵。その中心には、さらに濃厚なオレンジ色をした生の『特大卵黄』が、宝石のように鎮座している。
「「「いただきますっ!!」」」
オルハが代表して箸を入れ、黄金の卵黄をプツリと崩して霜降り鶏肉に絡め、そのまま口へと運んだ。
――トロォォォォッ……ジュワァァァァッ♡
「んんんっ〜♡ こ、これは……! お口に入れた瞬間、ふわふわの卵と特濃の黄身が雪のようにとろけて、その奥から霜降り鶏肉の甘い肉汁とマンドラ・白ネギの香りがブワッと広がりますわ……♪」
「うむっ! 割り下の染みた白米と半熟卵の相性がまさに神域! 噛むほどに全身の細胞が歓喜し、魔力の最大値がまた一段階引き上げられていくのがわかるぞ!」
「うわあああっ、美味すぎるぅぅっ!! 昨日の焼き鳥も衝撃だったが、この『黄金親子丼』とやらは、まさに天上の神々が食す究極の霊薬飯ではないかぁぁっ!!」
ヴァイスやゲイルたち元・帝国軍のエリート将校たちも、ボロボロと感動の涙をこぼしながら夢中で丼をかき込んでいく。
レオンの指先から無自覚に溶け込んだ『真血の浄化魔力』と、霊鳥卵が持つ膨大な生命エネルギーが掛け合わさり、無明院の一同はさらなる高み(無自覚な全体バフ)へと到達していた。
「ふぅ〜、やっぱり産みたての卵で作る親子丼は最高だな! みんな綺麗に平らげてくれたし、俺はちょっと台所で洗い物をしてくるぜ」
食後の余韻に浸るみんなを残し、レオンは空になった大鍋と食器を抱えて厨房の水場へと向かった。
無明院の洗い場には、裏山の源泉から竹筒のパイプを通して、常に温かい温泉のお湯が引き込まれている。
「どれ、油汚れはお湯でサッと流すに限るからな――って、あれ?」
蛇口をひねって出たお湯に手を入れた瞬間、レオンは眉をひそめて首をかしげた。
「……おかしいな。いつもなら湯気が出るくらい熱いはずなのに、なんだか水みたいにぬるくなってるぞ?」
それだけではない。
ふと足元に意識を向けると、今までポカポカと足の裏を温めてくれていた『魔導床暖房(温泉熱利用)』の板の間が、いつの間にかひんやりと冷たくなっていたのである。
「ちょ、ちょっと三白眼! あんた、ボイラー室のバルブでも閉めたんじゃないでしょうね!?」
そこへ、大広間からクルミが慌てた様子で駆け込んできた。その後ろからは、険しい表情をしたオルハとヴァイスたちも続いてくる。
「見てよあれ! ドームの外壁の内側に、白い霜が張り付き始めてるわ! 聖魔結晶の魔力出力は正常なのに、ドーム全体のベース温度になっていた『白山の地脈(温泉熱)』の供給が、急速に失われてるのよ!」
クルミが指差した窓の外――常春の陽気だったはずの魔導温室ドームの畑に、白い冷気がスウッと霧のように漂い始めていた。
(な、なんだって!? このままお湯と暖房が止まったら、せっかく育てた大根や長ネギが凍っちまうし、何より俺の毎日の楽しみである『露天風呂』がただの冷水プールになっちまうじゃねえか!!)
レオンが「風呂が水になる」という一点で顔色を変えた、まさにその時だった。
「……おい、見ろよあれ。ただの湯気や霜じゃねえぞ……」
レオンが厨房の窓から裏庭へ目を凝らすと、魔導温室ドームの地面すれすれを、どこか青白く不気味な光を帯びた『謎の冷たい霧』が、まるで意思を持った生き物のように音もなく這いずり回っていた。
外の猛吹雪が隙間から吹き込んできたわけではない。ドームの結界そのものは傷一つなく稼働しているにもかかわらず、無明院の足元――大地の奥底そのものから、熱と生命力を吸い取るような異質な冷気がジワジワと滲み出しているのである。
「ふふっ……なんだかおかしな霧ですね。風の匂いも、自然の雪山の冷たさとは違いますわ」
オルハがスッと笑顔を消し、切れ長の『三白眼』を鋭く細めて床下を睨みつけた。
試しにレオンたちが裏庭の大露天風呂へと足を運んでみると、いつもなら白濁した湯けむりが勢いよく立ち昇っているはずの岩風呂が、奇妙なほど静まり返っていた。
水面に手を浸したレオンが、ピクリと眉を動かす。
「……ぬるい。しかも、お湯の湧き口から出てくる量が、いつもの半分以下に減ってるぞ。誰かが山の奥の『源泉』にイタズラでもしてんのか……?」
その言葉に、後ろに控えていた元・帝国機甲部隊のヴァイスと、元・航空隊のゲイルが、ハッと息を呑んで顔を見合わせた。
床下から漂う青白い霧の魔力波長を感じ取った二人の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「ま、まさか……この大地から熱だけを強制的に抜き取る、青白い魔導樟脳のような霧の波長は……!」
「間違いない……! し、神王様! これは自然現象や単なる湧き口の詰まりなどではございませぬ! 我がガルドニア魔導帝国・北方軍の最高司令官にして、帝国随一の頭脳を持つ冷徹なる怪物――『氷獄の智将・ゼノン元帥』が直々に動き出した証拠ですぞ!!」
ヴァイスの悲鳴のような報告に、トモエやルナたちが「ゼノン元帥……!?」と身構える。
――同じ頃。
白山の北麓から数十キロ離れた雪原に築かれた、帝国北方軍・前線総司令部。
薄暗い作戦司令室の奥、巨大な白山の立体魔導地図を見下ろす玉座に、銀髪を後ろへ撫でつけた氷のように冷ややかな瞳の男――ゼノン・フォン・ガルドニア元帥が静かに腰掛けていた。
立体地図の上では、白山の裾野を取り囲む東西南北の四箇所に、青白い光を放つ『四本の楔』が点灯し、山頂へ向かってジワジワと青い侵食エリアを広げている。
「元帥閣下! 白山外周の地下深層への、戦略級魔導具『地脈凍結杭』四基の打ち込みが完了いたしました! 現在、白山の地熱エネルギーの吸収率は三十パーセントを超え、順調に山頂の熱源を凍りつかせております!」
参謀の報告を聞き、ゼノン元帥は紅茶のカップを傾けながら、一切の温度を感じさせない微笑を浮かべた。
「うむ、ご苦労。ヴァイス大尉の機甲部隊とゲイル少佐の哨戒艇を失った時はいかなる化け物が潜んでいるかと思ったが、種が割れれば対処は容易い。連中が極寒の白山で活動できるのも、強力な対空迎撃砲や結界ドームを維持できるのも、すべてはその山が持つ『莫大な温泉地脈のエネルギー』あってこそだ」
ゼノン元帥は白手袋をはめた指先で、立体地図の山頂――無明院の位置をコツンと叩いた。
「正面から武力をぶつけるのは愚者の戦術よ。まずは外周から地脈そのものを凍らせて結界と暖を奪い、あの怪しげな霧で視界と魔力感覚を麻痺させる。――そして連中が寒さと混乱で地下の源泉へ目を向けた隙に、第二、第三の刃で真綿で首を絞めるように窒息させてくれるわ」
冷徹な智将が張り巡らせた、見えない氷の蜘蛛の巣。
その不気味な青白い霧は、平和だったはずの無明院の足元を、静かに、しかし確実に蝕み始めていたのだった。
――『白山神王正史・防衛記録(オルハ記)』より抜粋。
「あの日、レオンくんが作ってくれた『黄金親子丼』の余韻に浸っていた私たちは、突如として床下から滲み出した『青白い謎の霧』と、露天風呂の温度低下という未曾有の事態に直面しました。外の吹雪ではなく、足元の大地そのものが死んでいくかのような不気味な冷気――それは平和な白山にとって、いかなる大軍の襲来よりも底知れぬ危機の始まりだったのです」
この記録は、のちに編纂された『大陸大戦史・白山防空戦篇』において、帝国北方軍の総司令官・ゼノン元帥が仕掛けた『白山・三重窒息作戦』の第一段階として詳細に分析されている。神王軍の圧倒的な局地戦闘力を正面から相手にするのではなく、白山の生命線である地脈を地下深層から凍結・遮断するという極めて合理的かつ陰湿な戦術は、これまでの力押しの敵とは次元の異なる脅威として無明院に重くのしかかることとなった。




