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辺境の暗殺者はハッタリで生き抜きたい〜「神王の遺骸」なんて無いのに三大勢力が攻めてきた。えっ、俺の血が最強の聖遺物!?〜  作者: ユーディ


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第3話:迷いの樹海

――霊峰『白山《ハクサン》』の第一層、『迷いの樹海《ミスト・フォレスト》』。

決して、あそこに大軍で踏み入ってはならない。濃霧に包まれたあの森は、自然の形を模して作られた巨大な『肉挽き機』である。


足を踏み入れたが最後、我々は姿なき刃と、底知れぬ悪意に満ちた罠によって、文字通り命をすり潰されることとなるだろう。

剣の腕も、数の暴力も、あの呪われた森の前では何の意味も持たないのだ。


(バシリカ分家討伐隊・生き残った小隊長の証言録より)

霊峰『白山《ハクサン》』の第三層に位置する古寺、無明院《テンプル・オブ・オブスキュア》。

普段はレオンとシノの二人だけでひっそりと暮らしているこの静寂の聖域に、今、かつてないほどの重苦しい空気が立ち込めていた。


本堂の古びた畳の上。泥と血にまみれたドレス姿のルナ王女と、傷だらけの銀甲冑を着た護衛騎士のセリアが、緊張した面持ちで正座をしている。

その対面では、漆黒の軽装甲冑《ライトアーマー》を身に纏ったレオンが、腕を組み、目を深く閉じて微動だにせず座っていた。


「……どうぞ。粗茶ですが、お体を温めてください」

「あ、ありがとうございます……」


シノが手際よく淹れた薬草茶を差し出すと、ルナ王女は震える両手で湯呑みを受け取り、ホッと息をついた。

傍から見れば、威厳に満ちたバシリカ本家当主が、客人たちの報告を静かに、そして厳粛に聞き入っているかのような光景である。


だが、レオンの胸中はそれとは真逆だった。

彼の脳内では、警鐘《アラート》がけたたましく鳴り響き、絶望という名の濁流が渦を巻いていた。


(終わった……何もかも終わった。なんで俺の『分家ビビらせ大作戦』が、王都で『本家が南朝に味方する』なんていう特大の勘違いにすり替わってんだよ! しかも本物の王女様がウチに転がり込んでくるとか、最悪の政治的爆弾じゃねえか!)


レオンは心の中で頭を抱え、床を転げ回って絶叫していた。

今すぐ目の前の二人を縄でぐるぐる巻きにして、「すんません、人違いでした!」と分家に突き出したい衝動に駆られる。そうすれば、あるいは辺境の平穏なスローライフは守られるのではないか――。


そんな姑息な算段を脳内で猛スピードで組み立てていたレオンの耳に、セリアの悲痛な報告が叩き込まれた。


「……先ほど、樹海でレオン様に討ち取っていただいたのは、我々を執拗に追跡していた分家の猟犬部隊に過ぎません。恐るべきは、その後方に控えている本隊です。我々が山に入る直前、麓の街道には分家の旗を掲げた先遣隊が陣を敷き始めていました。その数、少なくとも三百……!」

「三百、だと……?」


レオンが思わず低い声で聞き返すと、セリアは痛ましげに頷いた。


「はい。叔父君であられるヴィルヘルムは、レオン様の『大軍を連れてこい』というお言葉を、南朝への明確な加担宣言と受け取ったのでしょう。奴らはルナ殿下の御首《みしるし》のみならず、この霊峰を完全に制圧し、バシリカ本家が隠し持つ『神王の遺骸《オリジン・ボーン》』を力ずくで奪い取る腹積もりです」


セリアはそこで言葉を区切り、ギリッと奥歯を噛み締めた。


「奴らの指揮官が檄を飛ばすのを聞きました。……『伝説の結界など恐るるに足らず。樹海ごと焼き払い、山を丸裸にしてしまえ』と」


ピタリ、と。

堂内の空気が、文字通り凍りついた。


(……は?)


レオンの中で、必死に組み立てていた保身の算段が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

樹海ごと焼き払う? この霊峰を丸裸にする?

それはつまり、レオンが血の滲むような思いで開拓し、何年もかけて手入れをしてきた自給自足の畑や、丹精込めて組み上げた数々の愛おしいトラップたちを、すべて灰燼《かいじん》に帰すという意味に他ならない。


「……山を、焼くだと?」


漏れ出たレオンのその声は、もはや怒りという感情すら通り越し、絶対零度の冷気を帯びていた。

その凄まじい威圧感に、ルナ王女とセリアがビクッと肩を震わせる。バシリカ本家当主の、神王の聖域を穢そうとする愚者への『大いなる怒り』に触れたのだと、二人は畏怖の念を抱いた。


だが、実際のレオンの怒りのベクトルは極めて個人的かつ矮小なものだった。


(ふざけんなヴィルヘルムの犬共が!! 俺の平和なスローライフをなんだと思ってやがる! どんだけ苦労してあの底なし沼の泥を調整したと思ってんだ!!)


レオンは無言のまま立ち上がった。

その顔からは一切の表情が抜け落ち、黒い双眸《そうぼう》の奥にだけ、暗殺者としての純粋にして冷酷な殺意がチロチロと燃え上がっている。


「レ、レオン様……?」

「シノ。お前はここに残り、客人たちの護衛をしろ」


レオンは短剣の鞘を腰のベルトにしっかりと固定し、漆黒の軽装甲冑の留め具を締め直した。


「当主様、まさかお一人で……? 相手は三百の軍勢です。いかに『迷いの樹海《ミスト・フォレスト》』の地の利があるとはいえ……」

「関係ない」


本堂の出口へと歩みを進めるレオンの足取りには、一切の迷いがなかった。


「俺の庭を土足で荒らし、あまつさえ灰にしようと企む輩を、生かして帰す理由がない。……少し、森の掃除をしてくる」


それだけを言い残し、レオンは霧の立ち込める急勾配の石段へと、音もなくその身を投じた。

大義のためでも、王女を守るためでもない。ただ己の平穏な生活と、愛するトラップたちを守るため。

辺境の暗殺者は今、正真正銘の『理不尽な死神』となって、三百の軍勢が待つ森の底へと舞い降りていくのだった。


霊峰の麓。第一層『迷いの樹海』の入り口に、分家が誇る三百の先遣隊が陣を敷いていた。

先頭で立派な軍馬に跨る指揮官――分家の縁戚にあたる傲慢な貴族将校は、目の前に広がる不気味な濃霧を鼻で笑い飛ばした。


「伝説の聖域だの、恐るべき結界だの……馬鹿馬鹿しい。所詮は田舎の山林ではないか」


将校は腰の宝剣を抜き放ち、背後に控える三百の重武装兵たちに向けて高らかに号令を下した。


「いいか! 亡命王女と、小賢しい本家の当主はあの森の中にいる! 生け捕りにする必要はない。邪魔な木々ごとすべて燃やし尽くし、霊峰を我ら分家の物とするのだ! 全軍、突撃!」


「「「おおおおおっ!!」」」


松明や火魔術を掲げた兵士たちが、怒声と共に白い濃霧の中へと雪崩れ込んでいく。

彼らは知らなかった。自分たちが踏み入れた場所が、ただの自然の森などではなく、一人の猟奇的な暗殺者によって数年がかりで魔改造された『巨大な肉挽き機』であるということを。


異変は、軍勢の半数が霧の中へ足を踏み入れた瞬間に起きた。


ポンッ、ポンッ、ポンッ!


先頭集団が、落ち葉の下に隠されていた極細の『仕掛け線』を踏み切った瞬間。周囲の木々に括り付けられていた無数の竹筒が弾け、紫がかった粉塵が霧の中に勢いよく散布された。


「な、なんだこの粉は!?」

「ゴホッ! け、煙幕か……?」


粉塵を吸い込んだ兵士たちが咳き込む。だが、それはただの煙幕などではなかった。レオンが幾度も調合を重ねて生み出した特製品――『幻覚キノコの胞子爆弾』である。


「あ、あああ……! 敵だ! 南朝の化け物どもが囲んでるぞ!!」

「ヒィッ! 来るな、俺を喰うなァ!!」


胞子を吸い込んだ兵士たちの瞳孔が一瞬にして開き、狂乱の叫び声を上げ始めた。彼らの脳内では、隣にいる戦友が異形の化け物に見えているのだ。

パニックに陥った前衛部隊が、あろうことか味方同士で剣を振り回し、凄惨な同士討ちを始める。


「な、何をしている貴様ら! 落ち着け、幻覚だ! 風魔術で粉を吹き飛ばせ!」


後方から指揮官が怒鳴り、数人の魔術兵が慌てて詠唱を始める。

だが、それこそがレオンの『次の罠』へのスイッチだった。


――ヒュンッ! ヒュドッ!


魔力の高まりを感知した瞬間、樹冠のあちこちに仕掛けられていた『魔力感知式の自動弩《オート・クロスボウ》』が一斉に火を吹いた。

放たれたのは、かすり傷一つで全身を麻痺させる猛毒の矢。詠唱中だった魔術兵や小隊長たちが次々と喉笛や眉間を射抜かれ、声もなく崩れ落ちていく。


「ひ、ヒィィッ! どこから撃ってきている!?」

「罠だ! この森、狂って……ギャアアアッ!?」


混乱して後退しようとした重装甲の兵士たちが、今度は一斉に地面へと飲み込まれていく。

ただの平坦な地面に完璧に擬装された、レオン自慢の『底なしの泥沼』である。鎧の重みで身動きが取れなくなった兵士たちは、泥の中で泡を吹きながら次々と底へと沈んでいった。


わずか数分の間に、三百の軍勢は統制を完全に失い、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


「あーあ。せっかく綺麗に枯れ葉で擬装してた泥沼が、血と泥でぐちゃぐちゃじゃねえか。また泥の配合からやり直しだぞ、これ」


木々の枝から枝へ、音もなく滑るように移動しながら、レオンは恨めしそうに眼下の惨劇を見下ろした。

彼の漆黒の軽装甲冑は完全に霧と同化している。幻覚と毒矢と底なし沼。これだけでも軍隊は半壊しているが、彼らの『山を焼く』という暴言を耳にしたレオンの怒りは、まだ収まっていない。


「俺の庭を荒らしたんだ。全員、森の肥やしにしてやる」


濃霧の底へと飛び降りたレオンの指先が、虚空を弾く。

刹那、逃げ惑う兵士たちの足元の影が、鋭利な刃となって跳ね上がった。バシリカ本家一子相伝、『暗殺魔術《アサシン・アーツ》』。


「ガ、ァ……!?」

「う、ぎぃ……!」


もはや戦闘ですらなかった。それは一方的な『処理』だった。

同士討ちの狂乱の中、レオンは風切り音一つ立てずに霧の中を舞い、兵士たちの影を操って次々とその命を刈り取っていく。

白山・第一層『迷いの樹海』。そこは今、分家の軍勢にとって、一歩踏み出せば罠が牙を剥き、立ち止まれば見えない刃に首を刎ねられる、完全なる死の迷宮と化していた。


鼻叫喚の地獄絵図は、わずか十数分で不気味なほどの静寂へと変わった。

先ほどまで三百の軍勢が威勢よく踏み荒らしていた『迷いの樹海』の入り口は、今や濃霧と血の匂いが混じり合う完全な死地と化していた。


「ば、化け物……! 呪いだ、伝説は真実だったのだ……!」


泥と血に塗れた地面を這いずりながら、分家の討伐隊を率いていた貴族将校は、ガチガチと歯の根を鳴らして震えていた。

乗っていた立派な軍馬は既に毒矢を受けて泡を吹いて倒れ、周囲を固めていたはずの精鋭の護衛たちも、誰一人として立っていない。全員が自ら仕掛けた罠にかかるか、あるいは見えない『影の刃』によって急所を裂かれ、首を奇妙な方向に曲げてことごとく絶命していたのだ。


剣の腕も、数の暴力も、この森では何の意味も持たなかった。

生き残ったわずかな兵士たちも、幻覚と恐怖で完全に狂乱し、霧の彼方へと散り散りに逃げ去ってしまった。


その時、将校の目の前の霧が、ゆらりと揺れた。

音もなく、まるで元からそこに立っていたかのように、『漆黒の影』が滲み出た。


「――だから、大軍でも連れてこいと言ったはずだが?」


地獄の底から響くような、絶対零度の声。

顔を上げた将校は、絶望に瞳孔を収縮させた。見下ろすレオンの黒い瞳には、三百の命を刈り取った高揚も、疲労も、一切の感情が宿っていない。ただ、虫けらを見るような冷酷な光があるだけだ。


「ひ、ひぃぃっ! い、命だけは、命だけはお助けを……!」


将校はもはや剣を抜く気力すら失い、額を泥に擦りつけて命乞いをした。

レオンは無言のまま指先を動かす。足元の影がスッと伸び、鋭利な刃となって将校の首筋にピタリと添えられた。肌を斬るギリギリの寸止め。将校がヒュッと息を呑む。


「分家の犬め。ヴィルヘルムに伝えろ」


レオンは、王都にいる叔父へ向けて、最大限の威圧と恐怖を込めた宣言を放った。


「この一方的な蹂躙劇すら、我が一族に眠る『神王の呪い』のほんの欠片に過ぎない。次にこの聖域を穢そうとするならば、次はない。山そのものが王都を飲み込み、一族もろとも灰燼《かいじん》に帰すことになろう、とな」


(よし、完璧なハッタリだ)


声は冷徹な絶対者そのものであったが、レオンの内心は全く別のベクトルで満たされていた。


(これで完全にビビって二度と来ないだろ。ていうかマジで来ないでくれ。罠の再設置にどんだけ金と労力がかかると思ってんだよ! 幻覚キノコの栽培だけで一ヶ月かかるんだぞ! 死体の処理も面倒くさいし、あの泥沼なんて血が混じって土壌のバランス最悪じゃねえか。……分家に修理費の請求書送りつけてえ)


そんな辺境の山守としてのセコすぎる本音など知る由もない将校は、突きつけられた死の恐怖と強大すぎる伝説の力に、完全に心をへし折られていた。


「ひ、ひいいいいいいっ!!」


影の刃が首筋から離れた瞬間、将校は剣も兜も放り出し、濡れたような音を立てて袴を汚しながら、無様に霧の彼方へと逃げ去っていった。

その後ろ姿が完全に見えなくなり、足音すら聞こえなくなるまで、レオンは威風堂々たる姿勢を崩さなかった。


やがて、森に完全な静寂が戻ると。

レオンは深く、深いため息をつき、頭を抱え込んでその場にしゃがみ込んだ。


「……あーあ。この仕掛け直すの、また何日も徹夜じゃんか。……マジで最悪だ」


三百の軍勢を単機で壊滅させた恐るべき辺境の暗殺者は、無惨に破壊された愛しの庭の惨状を見渡し、ただ一人、しがない山守として深く肩を落とした。

――かくして、バシリカ分家の先遣隊三百は、霊峰の霧の中で文字通り「蒸発」した。

生き残った将校が震える声で語った『白山の呪い』と『姿なき暗殺者』の恐怖は、瞬く間に列島中へと広まり、本家の恐るべき伝説をより一層強固なものとした。


だが、歴史とは常に皮肉なものである。

古き魔法と呪いによるこの一方的な虐殺劇の噂は、分家を震え上がらせるという所期の目的を完璧に果たしたと同時に――「古き権威と魔法」を新型の魔導火器によって粉砕し、武力による天下布武を掲げる北の新興勢力、すなわち『イグニス覇王軍』の興味を、この上なく強く惹きつけてしまったのである。


絶対の罠と、見え透いたブラフ。

それが、旧時代を否定する「最新鋭の火力」をこの辺境の霊峰に呼び込むための、最悪の招待状になるとも知らずに。


(後世に編纂された歴史書『神州崩壊異聞』第二章・覇王の影より)

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