第27話:角煮と雪見酒
――『無明院・冬季改修工事および食材記録(クルミ記)』より抜粋。
「黒狼城から分捕ってきた『超高純度・聖魔結晶』と『古代の大型魔導エンジン』を連結し、無明院の周辺全域を覆うドーム型の防寒・魔導温室結界を完成させた。これで真冬の吹雪の中でも、裏の畑では夏野菜が年中収穫でき、露天風呂のお湯も一秒たりとも冷めることはない! さらに今夜は、分家の蔵から押収した霜降り肉と、白山の氷結した渓流でしか獲れない幻の冬魚『寒イワナ』を使った大宴会よ!」
この記録は、のちに編纂された『白山神王正史・内政篇』において、大陸史上初の全天候型・自給自足要塞『白山神域ドーム』の誕生を示す最重要史料として扱われている。後世の軍事学者たちが特に注目したのは、この夜に振る舞われた白山固有の霊魚『寒イワナ』と、熟成肉、そして百年物の神酒の組み合わせであった。のちに北方の魔導帝国との間で繰り広げられる熾烈な攻防戦において、神王軍の幹部たち――そして誰より神王レオン自身が、常軌を逸した生命力と覚醒の力を発揮することになるのだが、その膨大なエネルギーの源泉が、まさにこの夜の「何気ない冬の晩餐」によって彼らの肉体深くへと蓄積されていた事実は、当時の誰一人として知る由もなかったのである。
白山の山頂付近に吹き荒れていた猛吹雪が、無明院の敷地をぐるりと取り囲む『不可視の巨大な光の膜』にぶつかり、シャボン玉が弾けるように音もなく消滅していく。
黒狼城から帰還した翌日。
クルミが徹夜で組み上げた『古代の大型魔導エンジン』と、レオンが無自覚に精製した『超高純度・聖魔結晶』が連結されたことで、無明院の周辺一帯は、真冬の極寒を完全にシャットアウトする巨大なドーム型の魔導温室結界――のちに『白山神域ドーム』と呼ばれる絶対防御空間へと生まれ変わっていた。
「ふっふっふ、どうよ三白眼! この結界があれば、外が氷点下三十度の猛吹雪だろうと、無明院の敷地内は常に春先みたいなポカポカ陽気よ! 裏の畑の野菜も年中スクスク育つし、ついでに魔導帝国の主力艦隊が主砲を撃ち込んできても、かすり傷一つ付かないわ!」
ゴーグルを額に上げてドヤ顔で胸を張るクルミに、レオンは感激のあまり両手を合わせた。
「す、すげえぞクルミ! これなら冬の間、雪かきをしなくて済むどころか、一歩も外に出ずに春までぬくぬくと引きこもれるじゃねえか!」
(しかも帝国の連中が攻めてきても、このドームに隠れてりゃバレずにやり過ごせる! 完璧な引きこもりライフの完成だぜ!)
レオンが歓喜のガッツポーズを決める一方、無明院の本堂の廊下では、さらなる「新体制」に向けた指導が行われていた。
「――いいですか、皆さん。レオンくんが日々のお疲れを癒やせるよう、床の雑巾がけ一つにも心を込めなければいけませんよ。ほら、腰を低く落として、足音を一切立てずに、風のように滑るのです♪」
漆黒のロングメイド服を優雅に翻し、ニコニコと微笑みながら指導しているのは、筆頭メイドとして合流したオルハである。
本人は「お掃除のコツ」を優しく教えているつもりなのだが――その切れ長の瞳から放たれる『極上の三白眼』のプレッシャーと、残像すら残らない神速の暗殺歩法を目の当たりにしたカガリ、ニア、シノ、マリエットたちは、滝のような汗を流して雑巾を握りしめていた。
「ひ、ひぃぃっ! オルハお姉様、その雑巾がけの速度、完全に首狩りの間合いへの踏み込みですぅぅっ!」
「……ん、床がピカピカになるどころか、摩擦熱で煙が出てるよ……」
「くっ、わたくしも聖女として、お掃除ごときで遅れを取るわけにはまいりませんわ! 光よ、埃を焼き払いなさい――って、魔法を使ったらオルハさんに睨まれましたわぁぁっ!?」
「……おいおい、俺のボロ寺が、いつの間にか最強のメイド養成所みたいになってんぞ」
縁側からその光景を眺めて苦笑いしたレオンは、腕まくりをして厨房の方へと向き直った。
「よし、みんなが掃除を頑張ってくれてる間に、俺は今夜の祝勝会のメシを仕込むとするか!」
厨房へ入ったレオンの目の前には、黒狼城から持ち帰った『北方産・氷結熟成霜降り肉』の巨大な塊と、今朝トモエとニコルが白山の氷結した渓流の氷を叩き割って獲ってきたばかりの冬の川魚――『寒イワナ』がずらりと並んでいた。
冬眠前のこの時期、白山の霊水と地脈の魔力を極限までその身に蓄えた『寒イワナ』は、お腹が黄金色に輝くほど脂が乗っている。
レオンは手慣れた包丁さばきで寒イワナの下処理をし、串に刺して囲炉裏の炭火の周りに立てていった。
「冬の川魚は、こうして遠火の強火でじっくり時間をかけて塩焼きにするのが一番美味いんだよな。そしてメインディッシュは……この特上の霜降り豚とイノシシ肉を使った、トロトロの『特製・大鍋角煮』だ!」
レオンは分厚く切り分けた霜降り肉の表面を香ばしく焼き上げると、裏の魔導温室の畑で採れたばかりの瑞々しい大根、白ネギ、生姜、そしてゆで卵と一緒に巨大な羽釜へと投入した。
そこへ醤油とみりん、黒糖、そして(※クルミに厳重に隠された『百年氷吟』の代わりに)普通の料理酒をたっぷりと注ぎ入れ、落とし蓋をしてコトコトと煮込み始める。
――ただし。
先ほど寒イワナのエラを外した際、鋭いヒレでレオンの指先がほんのわずかに「チクッ」と掠っており、そこから滲んだ目に見えないほど極微量の『神王の真血』の魔力が、寒イワナの身と、角煮を煮込む大鍋の湯気の中へと溶け込んでいたことに、レオン自身はまったく気づいていなかった。
(ふふっ、いい匂いがしてきたな。これだけ栄養のあるもんを食っておけば、今年の冬は風邪一つ引かずに乗り切れるぞ!)
ただの「風邪予防のスタミナ料理」を作っているつもりのレオン。
だが、鍋の中でグツグツと黄金色の泡を立てる角煮と、囲炉裏でパチパチと脂を弾けさせる寒イワナの中には、白山の地脈の霊力と『神王の真血』が融合した、かつてないほど高純度な『神域の生命エネルギー』が凝縮されつつあったのである。
日が暮れ始め、魔導温室ドームの外に白銀の粉雪が舞い散る頃。
無明院の大広間では、露天風呂へと続く障子戸をすべて開け放ち、湯けむりと雪景色を同時に楽しめる特設の宴会場が設えられていた。
「お待たせ! オルハ先輩の救出と、カガリ、ニアの無明院入りを祝って――今夜は腹いっぱい食ってくれ!」
レオンが厨房から運んできた巨大な土鍋の蓋を「パカッ」と開けた瞬間。
甘辛く煮詰められた醤油と黒糖の香ばしい匂いが、黄金色の湯気とともに大広間いっぱいに弾け飛んだ。
鍋の中には、琥珀色の照りをまとってプルプルと揺れる極厚の『豚とイノシシの霜降り角煮』、出汁を限界まで吸い込んで透き通った飴色の大根、そしてツヤツヤの煮卵が惜しげもなく盛られている。
さらに、その隣の囲炉裏からは、皮目がパリッと黄金色に焼き上がり、ジューシーな脂がパチパチと滴る『寒イワナの塩焼き』が、たまらない香りを漂わせていた。
「「「わあああああっ……!!」」」
ヒロインたちの喉が、一斉に「ゴクリ」と鳴った。
「さあ、熱いうちに食おうぜ! まずはこの冬の渓流で獲れた寒イワナと、角煮からだ!」
レオンの掛け声とともに、全員が一斉に箸を伸ばした。
まず腹ペコのニアとカガリが、ホクホクと湯気を立てる『寒イワナの塩焼き』の白身にガブリとかぶりついた。
「……んんっ!? な、なにこれぇ……! 皮はパリパリで香ばしいのに、中の身がびっくりするくらいふわふわで、甘い脂がジュワァッて口いっぱいに広がるよぉ……!」
「くっ……! ただの川魚ではないぞニア! 一口噛み締めるごとに、白山の清冽な霊力と、黄金の生命力が身体の芯へと染み渡っていく……!」
続いてルナ、マリエット、トモエ、ニコルの四人が、箸で持っただけでホロリと崩れそうな『特製・霜降り角煮』と飴色の大根を口へと運んだ。
――ハフッ、トロォリ……ッ!
「あ、ああっ……! なんという神々しい口溶けですの……! これほど分厚いお肉なのに、歯がいらないほどトロトロで、濃厚な旨味と甘辛いタレが舌の上で踊っておりますわ……!」
「むほおおおっ! この大根も凄まじいぞ! 噛んだ瞬間に肉汁と出汁の洪水が溢れ出して、五臓六腑が歓喜の悲鳴を上げておるわ!」
「うふふっ、からしがピリッと効いていて、もうお箸が止まりませんねぇ♪」
一口食べるごとに、ヒロインたちの瞳がキラキラと輝き、身体の奥底からポカポカと黄金色の魔力オーラが立ち昇り始める。
それもそのはず、冬眠前の『寒イワナ』が蓄えていた白山の天然魔力と、北方産の熟成肉、そしてレオンの指先から溶け込んだ『神王の真血』が三位一体となって融合した結果、この料理は単なる美食を超え、食べた者の生命力と魔力回路の限界値を底上げする『究極の霊薬膳』へと昇華されていたのである。
「おお、みんなそんなに気に入ってくれたか! よし、俺も食うぞ……うん、やっぱり冬の川魚と角煮は最高だな!」
自分で作って自分でバクバクと平らげるレオン。
彼自身は「やっぱり俺の料理の腕はなかなかだな!」と満足しているだけだったが――その実、白山の地脈と最も相性の良いレオン自身の肉体にこそ、寒イワナと角煮に宿った膨大な『神域の霊力エネルギー』が誰よりも深く、静かに蓄積されていた。
(……あれ? なんかいつもより身体の奥がポカポカして、力がみなぎってくる気がするな。まあ、生姜をたっぷり入れたからだろう!)
のちに訪れる大激戦において、彼の中に眠る『真なる王』の力を呼び覚ますことになる莫大なエネルギーの貯蔵を、レオンは「生姜の温め効果」の一言で片付けた。
そして――ちょうど全員がお腹を半分ほど満たし、角煮の濃厚な旨味で喉が潤いを求め始めた、まさにそのタイミングだった。
「――ふっふっふ! さあ皆の衆、これだけ極上の角煮と塩焼きが揃ったら、いよいよ『あいつ』の出番よね!」
クルミが満面の笑みを浮かべながら、懐から大事そうに抱えていた純白の陶器の一升瓶――旧バシリカ王家謹製の幻のヴィンテージ酒『天叢雲・百年氷吟』を、バンッと卓袱台の中央へ突き出したのである。
――トクトクトク……ッ。
クルミが震える手で白い一升瓶を傾けると、全員の手元にある切子のお猪口へと、水晶のように透き通った琥珀色の液体が注がれていった。
ただ注いだだけだというのに、大広間いっぱいに白山の雪解け水と百年の歳月が醸し出した、気高くも甘い吟醸香がふわりと広がる。
「いいこと、あんたたち! これは一滴で金貨何十枚もする伝説のヴィンテージ『天叢雲・百年氷吟』なんだから、絶対にこぼさず味わって飲みなさいよ! ……それじゃ、無明院の平和と魔導温室の完成に、乾杯!!」
「「「乾杯ーーっ!!」」」
賑やかな掛け声とともに、レオンとヒロインたちはお猪口を口へと運んだ。
「……おおっ!? なんだこれ、水みたいにスッと喉を通るのに、後から米のフルーティーな甘みと香りがブワッと広がって……めちゃくちゃ美味えじゃねえか! 角煮の脂もスッキリ流してくれるぞ!」
レオンが純粋な美味さに目を丸くした、その直後だった。
――ドクンッ……ポワァァァァッ♡
黒狼城の氷室でレオンが栓を抜いた際、指先の『神王の真血』に触れて文字通りの『神酒』へと超覚醒していた百年氷吟が、ヒロインたちの体内で奇跡の化学反応を引き起こした。
先ほど食べた『寒イワナ』と『霜降り角煮』の膨大な生命エネルギーが、神酒の魔力によって一気に全身の魔力回路へと巡り――彼女たちの肌は内側から輝くように艶めき、同時に、抗いがたいほどの甘美な多幸感が脳髄を直接とろけさせたのである。
「あ、あふぅぅ……っ♡ な、なんですの、このお酒は……! 一口飲んだだけで、身体の芯から甘い熱が湧き上がって……頭がふわふわいたしますわぁ……♪」
「う、うむ……! 私としたことが、お猪口一杯で視界が桃色に染まっていく……! だが、全身に魔力がみなぎって、今なら素手で山を砕けそうなほど気分が良いぞぉ……♪」
「んんっ、お肌がピチピチに若返ってるわ! これ、ただのヴィンテージじゃなくて、神話の時代に神々が飲んでいた『不老長寿の霊酒』そのものじゃない……っ!?」
マリエット、トモエ、クルミの三人が、一瞬にして耳まで真っ赤に染め上げ、トロンと潤んだ瞳でへたり込む。
さらに、隣に座っていたルナとシノ、ニコルまでもが「神王様ぁ、なんだか身体が熱いですわ〜♡」「当主様、お酌をさせてくださいませ……うふふ、徳利が二重に見えます……♪」と、完全に理性のタガが外れたほろ酔いモードへと突入してしまった。
「お、おいお前ら、まだお猪口一杯しか飲んでねえだろ!? なんで全員そんなに出来上がってんだよ!」
次々と肩や背中に寄りかかってくる美女たちに、レオンが慌ててツッコミを入れる。
(ま、まあいいか。ここには誰よりも酒に強くてしっかり者のオルハ先輩がいるしな!)と、レオンが救いを求めるように隣を振り返った――その瞬間だった。
「……ふふっ、レオンくん……♡」
そこには、漆黒のロングメイド服の襟元をほんの少し緩め、いつもは氷のように鋭いはずの『三白眼』を、見たこともないほど甘く、艶やかに潤ませたオルハの姿があった。
「お、オルハ先輩!? あんた昔は底なしの酒豪だったじゃねえか、まさか酔っ払ったのか!?」
「ええ、不思議ですね……。どんな強いお酒でも酔ったことなんてなかったのに、レオンくんが注いでくれたこのお酒は、一口で胸の奥がキュンキュンしてしまって……ああ、可愛い私のレオンくん、もっと近くでお顔を見せてくださいねぇ……♡」
――ガバッ! ギュウウウウッ!!
「うわあああっ!? お、オルハ先輩、後ろから羽交い締めにすんなって! 耳元で吐息を吹きかけるな、くすぐってえぇぇっ!!」
「ずるいですわオルハお姉様! 神王様のお膝の上はわたくしの指定席ですのよ!!」
「待ちなさいルナ、レオン様の右腕はわたくしが抱き枕にいたしますわ!!」
「むふふ、ならば私は左側からレオン殿に酌をしようぞーっ!!」
「やめろぉぉっ! 全員一斉に乗っかってくるな、角煮の鍋がひっくり返る! 俺はただ静かに雪見酒を楽しみたかっただけなんだってばぁぁぁっ!!」
大広間に響き渡るレオンの悲鳴と、ほろ酔い美女(+博愛の兄弟子)たちによる幸せな大乱闘。
神域ドームの外に舞う白銀の雪を背景に、無明院の夜は、かつてないほどの熱気と笑い声に包まれながら更けていくのだった。
――だが、その同じ時刻。
白山から遥か北方に位置する『ガルドニア魔導帝国』の帝都では、黒狼城陥落の報を受けた帝国軍の最高司令部が、白山を地図上から消滅させるための『特務機甲魔導師団』に出撃命令を下そうとしていたことを、今のレオンたちはまだ知る由もなかった。
――『白山神王軍・兵站記録(カガリ記)』より抜粋。
「この夜、神王様自らが振る舞われた『霊魚・寒イワナの塩焼き』『霊獣肉の角煮』、そして百年物の神酒『天叢雲・百年氷吟』によって、我々一同の魔力総量と生命力は平均して三割以上も永久上昇した。ただし、神酒を口にした幹部たちが次々と理性を失い、神王様のお膝の上を巡って熾烈な組討ち(スキンシップ)を繰り広げたため、私とニアはこたつの中で角煮の煮卵を守り抜くのに必死であった」
この兵站記録は、のちに編纂された『白山神王正史』において、帝国軍との決戦を前に行われた伝説の儀式『白山・神酒の誓い』の証拠として引用されている。後世の歴史家たちは、神王レオンが自らの神聖力を宿した料理と神酒を幹部たちに分け与え、全員の限界突破を促したこの夜の宴を「類まれなる戦略的ドーピング」と評した。なお、幹部たちが神王の周囲で激しく組み合ったという記述については、「酔拳を応用した高度な近接護衛術の演武であった」と解釈されるのが定説となっている。




