第25話:二つの三白眼
――『バシリカ分家・当主ゲオルグの陣中日記(未完)』より抜粋。
「正門が吹き飛び、城内はパニックに陥っている。だが恐れることはない! 我がバシリカ分家には、古代より受け継がれし禁断の守護兵器『魔導機兵・黒狼』があるのだ! たとえ天陽教の聖女や狂戦士が相手であろうと、この黒狼の爪と牙で八つ裂きにしてくれるわ!」
この記述を最後に、ゲオルグの日記は途絶えている。のちに編纂された『北方戦役記録』において、歴史家たちはこの一節を「慢心が生んだ喜劇の序幕」として引用した。彼が絶対の自信を寄せていた古代の守護兵器が、地下から姿を現した「二人の三白眼」によって、戦闘開始からわずか十数秒でただの鉄屑へと変貌するなどとは、当時の誰一人として予想し得なかったのである。
――ドガァァァァンッ!!
猛吹雪が舞う黒狼城の中庭は、まさに地獄絵図――いや、一方的な蹂躙の場と化していた。
難攻不落を誇ったはずの黒鉄の正門は、クルミが放った三百ミリ魔導カノン砲の直撃によって跡形もなく蒸発し、瓦礫の山からもうもうと黒煙が上がっている。
「たぁぁぁっ! どけ、雑魚ども! 神王様の陽動を仰せつかったからには、城の柱の一本残らず叩き斬ってくれるわ!」
「うふふっ、皆さん逃げ足が速いですねぇ♪ ほら、大人しく私のクワで耕されて、北の大地の栄養になってくださーい♪」
「光よ、邪悪なる異端者どもを焼き払いなさい! ついでに私の活躍をレオン様の瞳に焼き付けるのですわーっ!!」
身の丈を超す大剣で分家の暗殺部隊を竜巻のように吹き飛ばすトモエ、満面の笑みで血塗れのクワを振り回して追いかけるニコル、そして極大の閃光魔法を花火のように乱射するマリエット。
迎撃に出てきたバシリカ分家の黒装束たちは、「ひぃぃっ、話が違う! なんで天陽教の聖女と暗部と王国の狂戦士が同時に攻めてくるんだぁっ!?」と悲鳴を上げながら、木の葉のように舞い散っていた。
そこへ――中庭の隅にある地下階段の扉を蹴り開けて、レオン、オルハ、カガリ、ニアの四人が飛び出してきた。
「お、おい貴様らぁぁっ!! どこが『ちょっとした騒ぎ』だ!? 正門が消滅して城が半分燃えてんじゃねえかぁぁっ!!」
頭を抱えて絶叫するレオンの声を聞きつけ、後方で腕を組んで高笑いしていたルナと、クナイを構えていたシノがパッと振り返った。
「あら、神王様! それに……オルハお姉様っ!!」
「オルハお姉様、ご無事で何よりです……っ!!」
ルナとシノが瞳を潤ませて駆け寄ると、漆黒のロングメイド服を翻したオルハが「まあ、ルナ様、シノちゃん……!」と感極まったように両腕を広げた。
――ギュウウウウッ!!
「ああ、お二人とも、なんて美しく凛々しく成長されたのでしょう! 私のような役立たずのために、こんな寒い北の果てまで足を運んでくださるなんて……本当にありがとうございます!」
オルハは長身の身体でルナとシノをまとめて胸元へ抱きすくめ、頬ずりしながら惜しみない博愛のハグを浴びせた。
「きゃっ、お、お姉様、少し苦しいですわ……!」「はふぅ、オルハお姉様の香り……でも首の骨が鳴っております……!」と悶絶する二人。
その光景を初めて目にしたトモエ、マリエット、ニコル、そして装甲車のハッチから顔を出したクルミの四人は、ピタリと動きを止めて息を呑んだ。
彼女たちの視線の先では、絶世の美貌を持つ長身の麗人メイドが、ルナとシノを抱きしめながらこちらを見て「ふふっ、あなた方がレオンくんの新しいお仲間ですね。私なんてただのしがない従者ですが、どうか仲良くしてくださいね」と、しおらしく微笑みかけていた。
――ただし、その切れ長の瞳から、氷の刃のごとき『極上の三白眼』の覇気をギラリと放ちながら。
「む、むむっ……!? あの麗しいメイド、レオン殿と瓜二つの鋭い『三白眼』を持っているぞ!?」
「な、なんという底知れぬ威圧感ですの……! 口では謙遜しながらも、あの絶対零度の眼光……間違いなく『少しでもレオン様に害をなせば首を刎ねる』という無言の牽制ですわ……!」
「ふふっ、私たちの急所を瞬時に見抜くあの視線……さすがはバシリカ本家の筆頭メイド、闇の女帝といったところですね♪」
ただ純粋に「レオンくんに素敵なお友達がたくさんできて嬉しいな♪」とニコニコしているだけのオルハなのだが、ヒロインたちの脳内では瞬く間に『神王の影武者にして最凶の女幹部』としてインプットされていく。
「いや、だからお前ら、人の話を聞けって! 俺はこっそりオルハ先輩を救い出して帰るだけだって言ったよな!?」
「……カガリ、もう諦めよ。この人たち、最初から隠密って言葉が辞書に載ってないんだよ……」
呆れ果てるレオンと、遠い目をするニア。
――だが、その時だった。
――ズシィィィン……ズシィィィン……ッ!!
地響きのような重い金属音とともに、黒狼城の本館正面の大扉が内側からもぎ取られるように吹き飛んだのである。
「――ええい、どいつもこいつも、我が黒狼城を好き勝手に荒らしおってぇぇっ!!」
吹き飛んだ本館の大扉の奥から、怒号とともに異形の巨影が姿を現した。
全高五メートルを超える、漆黒の重装甲に覆われた狼型の古代魔導ゴーレム――バシリカ分家が最終兵器として秘匿していた『魔導機兵・黒狼』である。
その禍々しい機兵の肩の上には、豪華な毛皮のコートを着込んだ肥満体の男――分家当主のゲオルグが、血走った目で仁王立ちしていた。
「ルナ! そして魔力なしの落ちこぼれ、レオン! 貴様らがオルハを助けにのこのことやって来ることは、最初から計算通りよ!」
ゲオルグは手にした魔導杖を振りかざし、中庭のレオンたちを見下ろして唾を飛ばした。
「我が分家に伝わるこの古代兵器『黒狼』は、あらゆる魔法を吸収し、鋼鉄すら紙切れのように引き裂く無敵の守護神だ! 貴様ら全員、ここでミンチにして『神王の遺骸』の在処を吐かせてくれるわ!」
さらにゲオルグは、レオンの背後に立つオルハ、カガリ、ニアの三人へと忌々しげに視線を向けた。
「そしてオルハ! 貴様のような誰からも見向きもされぬ不気味な目つきの女が、本家の筆頭メイド気取りで私に逆らうなど百年早い! カガリとニアもだ! 拾ってやった恩も忘れ、まんまと敵に尻尾を振った使い捨ての駄犬どもめ、まとめてスクラップにして――」
――ピタリ。
ゲオルグの下品な罵声が、そこで凍りついたように止まった。
いや、止めざるを得なかったのだ。
なぜなら、中庭の中央に並んでいたレオンとオルハの二人が、まったく同じタイミングで一歩前へと足を踏み出し――下からゲオルグを、『二つの三白眼』でギロリと睨み上げたからである。
「……おい、おっさん。俺のことを落ちこぼれと呼ぶのは勝手だがな、俺の大切な先輩と幼馴染たちを『使い捨ての駄犬』呼ばわりするのは、ちょっと聞き捨てならねえな」
「……あの、ゲオルグ様。私のような未熟者が口を出すのは大変恐縮なのですが……こんなに可愛くて頑張り屋なカガリちゃんやニアちゃんを悪く仰るのは、少しお行儀が良くないと思いますよ?」
レオンは純粋な怒りから静かに目を細め、オルハはあくまで謙虚に「たしなめた」つもりだった。
――だが。
生まれつき極上の『三白眼』を持つ師弟二人が、完全にシンクロした角度で下から見据えたその光景は、正面のゲオルグと分家の兵士たちにとって、地獄の底から双頭の魔王が睨みつけてきたかのような錯覚を引き起こした。
――ゴオオオオオォォォォッ!!
物理的な突風が吹いたわけではない。しかし、二人の切れ長の瞳から放たれた絶対零度の『眼力』だけで、中庭に舞っていた吹雪がピタリと静止し、周囲にいた分家の暗殺者たちが「ひ、ひぃぃっ!?」と白目を剥いて次々に尻餅をついた。
「な、なな、なんだこの目つきはぁぁっ!? 二人揃って、人間を見る目ではないぞぉぉっ!?」
「……カガリ、見た? レオンとオルハお姉様が並んで睨むと、迫力が二倍じゃなくて百倍になってるよ……」
「う、うむ……! これぞバシリカ本家に伝わる伝説の暗殺眼、『双竜の凶眼』……! 味方であるはずの私ですら、今すぐ土下座して謝りたくなるほどの威圧感だ……!」
カガリとニアが後ろでブルブルと武者震いする中、恐怖で顔を引きつらせたゲオルグは、半狂乱になって魔導杖を振り下ろした。
「ひ、怯むな! ただ目つきが極悪なだけのハッタリだ! やれ『黒狼』、あいつらを八つ裂きにしろぉぉっ!!」
――グオオオオオォォンッ!!
魔力を充填した『魔導機兵・黒狼』の赤い双眼が輝き、地面を砕きながらレオンとオルハの二人へ向かって猛然と突撃を開始した。
「レオンくん、危ないですから下がっていてくださいね。私のような非力な従者には、足元のちょっとした『お掃除』くらいしかできませんけれど……」
「いや、あんたが本気で掃除したら城ごとなくなるって! ……よし、先輩が動きを止めてくれ。トドメの解体は俺がやる!」
迫りくる五メートルの鋼鉄の巨狼を前に、三白眼の師弟は一歩も引くことなく、不敵に(オルハは謙虚なつもりで)唇の端を吊り上げたのだった。
――ズダダダダダッ!!
地面を抉りながら突進してくる全高五メートルの『魔導機兵・黒狼』。その鋼鉄の鉤爪がレオンたちの頭上へ振り下ろされた瞬間、漆黒のロングメイド服を翻したオルハが、ふわりと優雅に前へと滑り出た。
「では、失礼して……少しだけお足元を縛らせていただきますね」
――シュパァッ! キィィィンッ!!
オルハの両袖とスカートの裾から、目にも留まらぬ速さで無数の『極細の暗殺鋼線』が蜘蛛の巣のように射出された。
ただの糸ではない。バシリカ本家に伝わる秘伝の操糸術によって極限まで張力を高められた鋼線が、突進してきた『黒狼』の巨大な四肢の関節と顎の隙間へ、ミリ単位の狂いもなく絡みついたのである。
「な、なんだと!? 糸ごときで古代機兵の動きが止まるわけが――」
ゲオルグが鼻で笑おうとした直後、オルハが両手の指先を「キュッ」と軽く引いた。
――ガギィィィィンッ!! ズシャアアアアッ!!
凄まじい金属の軋み音とともに、巨狼の四肢が完全にロックされ、自らの突進の勢いを受け止めきれずに前のめりに大転倒した。
「よし、ナイスだオルハ先輩! あとはこいつの動力源を止めるだけだな!」
転倒して暴れる黒狼の背中へと、レオンが軽やかな身のこなしで跳び乗った。
彼の狙いは、黒狼の額の中央で赤黒く明滅している『魔力吸収コア』の接続を外すこと――つまり、古代機械のスイッチを物理的に切るだけの、極めて地味な裏方作業だった。
「えいっ、ここを叩けば回路がズレて止まるはずだ! ――って、まだ指の傷が塞がってねえな」
レオンが振り上げた右手には、先ほど地下の氷牢で錠前を弾いた際に切った親指から、まだほんのわずかな『神王の真血』が滲んでいた。
――パァンッ!
レオンは黒狼の額の魔力吸収コアへ、なんてことのないただの『手刀』をペチッと叩き込んだ。
「はっはっは、馬鹿め! そのコアはあらゆる魔力攻撃を吸い込んで自らの力に変える無敵の機関だ! 魔力なしの貴様が素手で叩いたところで――」
ゲオルグが高笑いを上げた、まさにその瞬間だった。
――ドクンッ!!
黒狼の『魔力吸収コア』が、レオンの手刀に付着していた極微量の血液――すなわち、神話級の神聖エネルギーの塊である『神王の真血』を、限界まで全力で吸い込んでしまったのである。
(……あれ? なんかコアがすごい勢いで光り始めたぞ……?)
レオンが目をパチクリとさせた直後。
許容量を遥かに超える純粋無垢な神聖力を取り込んだ暗黒の魔導機兵は、内部から猛烈な『過剰浄化』を引き起こした。
――ピキピキピキッ……パァァァァァンッ!!
「「「な、なんだこの神々しい光はぁぁぁっ!?」」」
黒狼の全身の装甲が内側から黄金の閃光を噴き上げて弾け飛び、禍々しかったはずの古代兵器が一瞬にしてキラキラと輝く光の粒子と、真っ白に浄化されたただの『綺麗な鉄屑の山』へと分解されてしまったのだ。
「ば、ばかな……!? 我が分家の最終兵器が、ただのチョップ一撃で……成仏しただとぉぉっ!?」
鉄屑の山から転がり落ちたゲオルグは、黄金の後光を背負って立つレオンと、その横で「まあ、お見事ですレオンくん♪」と三白眼をキラキラ(ゲオルグからはギラギラに見える)させて拍手するオルハの姿を見上げ――。
「ひ、ひぃぃぃっ……! 化け物……二人とも、人間じゃねぇぇぇっ……!」
プシュウウウ、と口から白い泡を吹いたゲオルグは、そのまま白目を剥いて仰向けに気絶した。
「当主様が一撃で泡を吹かれたぞーっ!!」
「こ、降参だ! 神王様と氷の女帝様に逆らうなんて無理に決まっている! 全員武器を捨てて土下座しろぉぉっ!!」
残っていた分家の暗殺者たちも、一斉に武器を放り出して雪の中へひれ伏し、難攻不落を誇った黒狼城は、戦闘開始からわずか五分あまりで完全陥落したのだった。
「……いや、なんでだよ。俺はただ、誰にも気づかれずにこっそりオルハ先輩を連れて帰るつもりだったのに……なんで分家の城を丸ごと落としてんだよぉぉっ!?」
土下座する何百人もの黒装束たちに囲まれながら、レオンが涙目で天を仰ぐ。
そんな彼の背中へ、オルハが後ろから「ギュウウッ♪」と飛びつき、その頬に自分の端麗な顔をすり寄せた。
「ふふっ、さすがは私の可愛いレオンくんですね! 私なんかを助けるついでに、腐敗した分家まで綺麗にお掃除してしまうなんて……ああ、本当に頼もしい弟弟子ですこと♪」
「お、おいオルハ先輩、だからくっつきすぎだって! 首が締まるし、後ろでルナとマリエットたちがめちゃくちゃ怖い目で睨んでるから離れてくれぇぇっ!!」
こうして、北のバシリカ分家を巡る戦いは、レオンの意図とはまったく正反対の「圧倒的な武力制圧(と過剰なスキンシップ)」によって幕を閉じたのだった。
――『バシリカ本家・復権宣言書(ルナ・バシリカ記)』より抜粋。
「この日、反逆者ゲオルグは神王レオン様と筆頭従者オルハの『双眸の覇気』と『浄化の神撃』によって討ち果たされ、黒狼城は再び正当なる本家の手へと還った。特筆すべきは、神王様とオルハが並び立った際、二人の『三白眼』から放たれた威圧感だけで敵軍の八割が戦意を喪失し、さらには古代機兵『黒狼』すらも神王様の素手の一撃で光の塵へと還ったという事実である」
この宣言書は、のちに編纂された『白山神王正史』において、北方戦役の決定的な転換点として記録されている。後世の軍事研究家たちは、神王レオンと筆頭従者オルハが並び立つことで発動したこの広域精神制圧を『双竜の凶眼』と名付け、バシリカ一族が誇る究極の暗殺奥義として畏怖した。なお、戦闘直後にオルハが神王の背後から首を絞めるように抱きついた記録については、「勝利の余韻に浸る神王の隙を突いた、実戦形式の厳しい護衛訓練であった」と解釈されるのが歴史学会の通説となっている。




