第24話:氷牢の麗人
――『黒狼城・地下氷牢の看守日誌』より抜粋。
「反逆者である筆頭メイド・オルハを極寒の氷牢に幽閉してから十日が経過した。誰もが見惚れるほど中性的で端麗な美貌をしているが、その鋭い『三白眼』から放たれる覇気は氷の悪魔そのものだ。当人は『私のような非力な者に、こんな立派な牢屋なんて恐縮です……』と口ではしおらしく謙遜しているが、ギロリとあの目で微笑まれるだけで看守の半数が失禁しかけている。……本当にどちらが囚人なのか分からない」
この看守日誌は、のちに編纂された『白山神王正史・北方解放伝』において、神王レオンの兄弟子にしてバシリカ本家の筆頭従者・オルハの底知れぬ威圧感と忠節を証明する史料として引用されている。当時の黒狼城の兵士たちは、オルハのあまりに麗しいメイド姿から疑うことなく「氷の女傑」として恐れおののいていたが、のちに明かされるその真の素性と、男女の枠を超えてあらゆる者を魅了した博愛の逸話は、後世の歴史家たちの間でも最大のミステリーとして語り継がれることとなる。
――ヒュオオオオオォォ……ッ!
鉛色の雲が低く垂れ込める北の国境地帯。猛烈な吹雪が舞う針葉樹林の奥深くに、バシリカ分家の本拠地である難攻不落の巨城『黒狼城』が、黒い牙を剥くようにそびえ立っていた。
その城の裏手に広がる森の茂みへと、音もなく滑り込んできた『透明な巨大物体』があった。
クルミが徹夜で組み上げた強襲隠密装甲馬車『ホワイト・ジャガーノート号』である。
「――ふぅ、到着したわよ! どう、古代炉エンジンのフルドライブと光学迷彩の組み合わせは! 白山から北の国境まで、揺れひとつなく数時間で走破してあげたわ!」
運転席からゴーグルを上げたクルミが、得意げに胸を張る。
車内の掘りごたつでぬくぬくと温まっていたレオンは、窓の外に広がる極寒の吹雪と、目の前にそびえる禍々しい黒狼城を見上げてゴクリと唾を飲んだ。
「いや、マジで助かったよクルミ。外はこんな猛吹雪なのに、車内は足湯のおかげでポカポカだもんな。……さて、ここからが本番だ」
レオンは掘りごたつから立ち上がると、黒装束の上から防寒用の外套を羽織り、やる気満々で武器を構えているヒロインたちの顔を順番に見渡した。
「いいかお前ら、よぉく聞けよ。今回の目的はあくまで『地下の氷牢に捕まっているオルハ先輩を、誰にも気づかれずに救い出すこと』だ。間違ってもお前らが全員で城に突っ込んで、大戦争を起こすことじゃねえからな!」
レオンが釘を刺すように指を突きつけると、ルナとシノが「もちろんですわ!」「心得ております、当主様!」と神妙な顔で頷く。
「多人数で動けばそれだけ見つかるリスクが跳ね上がる。だからまずは、昔この屋敷で訓練を受けていた俺と、案内役のカガリ、ニアの三人だけで、地下水道の隠し通路からこっそり氷牢へ忍び込む。お前たちはこの透明な馬車の中で、おとなしく待機しててくれ」
「えーっ、そんなぁ! せっかくレオン様のために太陽神の錫杖をピカピカに磨いてきましたのに、お留守番ですの!?」
「そうですよ神王様! 私も久々に北の冷たい空気の中で、新鮮なミンチをたくさん作れるとワクワクしていたのですが♪」
「うむ! 私の大剣も、あの分厚い城門を真っ二つにしたくてウズウズしているぞ!」
不満そうに頬を膨らませるマリエット、ニコル、トモエの三人を見て、レオンは(やっぱりこいつらを連れてきたのは間違いだったか……!)と冷や汗を拭った。
しかし、ここで完全に留守番を命じれば、かえって勝手に暴走しかねない。レオンは苦肉の策として、彼女たちに『安全な役割』を与えることにした。
「……わかった、じゃあこうしよう。俺たちが万が一城の中で見つかって警報が鳴った時だけ、お前らが表で『ちょっとした陽動』をしてくれ」
「「「陽動、ですか!?」」」
「ああ。俺たちが脱出する隙を作るために、城門の前で『ちょっと騒ぎを起こして、見張りの注意を引く』くらいでいい。いいか、あくまで『ちょっとした騒ぎ』だからな! 絶対にやりすぎるなよ!」
レオンとしては、「花火でも打ち上げるか、石でも投げて見張りを誘い出す」程度の、暗殺者の基本である陽動を頼んだつもりだった。
――だが。
「ふふっ、なるほど……! 神王様が地下からオルハお姉様を救い出すと同時に、私たちが正面から『分家の戦力を根こそぎ引きつけて殲滅せよ』という、二面強襲作戦ですわね!」
「ええ、ルナ様! 当主様の仰る『ちょっとした騒ぎ』とは、すなわち『黒狼城の地上部分を更地に変える程度の小競り合い』という意味に違いありません!」
「そういうことなら任せなさい! このジャガーノート号の屋根に積んだ『口径三百ミリ・古代魔導カノン砲』の試射にピッタリの仕事じゃない!」
ルナ、シノ、クルミの三人が、互いに目配せをしながら物騒すぎる翻訳を完了させる。
そんな彼女たちの脳内会議など知る由もないレオンは、「よし、じゃあ行ってくるぞ!」とカガリとニアを連れ、装甲車のハッチから吹雪舞う森の中へと飛び出していった。
「……カガリ、今の聞いた? あの人たちの目、どう見ても『ちょっと騒ぎを起こす』だけの目じゃなかったよ……」
「う、うむ……。だが、私たちには神王レオン様から託された『極秘潜入の先導』という大役がある! 行くぞニア、オルハお姉様を救い出すのだ!」
こうしてレオンたち三人は、黒狼城の断崖絶壁の下にある凍りついた地下水道の入り口へと、音もなく潜り込んでいったのだった。
黒狼城の地下深くに張り巡らされた、凍てつく地下水道の隠し通路。
カガリとニアの先導で薄暗い石造りの回廊を進みながら、レオンは久々に「本来の自分」である暗殺者としての感覚を研ぎ澄ませていた。
「……レオン、あの角の先に見張りの暗殺者が二人いる。分家の精鋭だから気をつけ――」
カガリが小声で警告し終えるよりも早く、レオンの姿が陽炎のように揺らいだ。
――シュンッ……トン、トン。
音すら立てずに死角から滑り込んだレオンは、見張りの男たちが気づく間も与えず、その首筋へ的確に手刀を叩き込んだ。二人の暗殺者は「うっ……」と小さな呻き声すら漏らさず、糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちる。
「……よし、気絶したな。風邪ひくと悪いから、壁際に寝かせといてやるか」
「「…………っ!!」」
手際よく見張りを片付けるレオンの背中を見て、カガリとニアはゴクリと息を呑んだ。
(す、すごい……! 分家の手練れを、まるで道端の小石でもどかすかのように一瞬で無力化してしまったぞ……!)
(……カガリ、レオンの動き、全然音もしなかったし殺気もゼロだったよ……。やっぱりこの人、底が知れない化け物だよ……)
レオンとしては、昔オルハ先輩に叩き込まれた「なるべく相手を傷つけずに眠らせる不殺の隠密術」を忠実に実践しただけなのだが、二人にとっては神業にしか見えない。
そのまま罠も警備も難なく突破した三人は、ついに黒狼城の最深部――冷気が白い霧となって渦巻く『氷牢』の入り口へと辿り着いた。
「……ここだ。この奥にオルハお姉様が……」
ところが、鉄扉の隙間から中を覗き込んだ三人の目に飛び込んできたのは、想像していたような「凄惨な拷問風景」とはかけ離れた、異様な光景であった。
「ひ、ひぃぃぃっ! お、オルハ様、どうかその恐ろしい目で睨まないでくださいぃぃっ! 今すぐ温かいお白湯をお持ちしますからぁぁっ!!」
なんと、見張り役であるはずの屈強な看守たちが、ガタガタと膝を震わせながら鉄格子の前で一斉に土下座しており、ついには悲鳴を上げて廊下の奥へと逃げ出してしまったのである。
「……えっ? あの、私、ただ『もしご迷惑でなければ、少しお白湯をいただけると嬉しいのですが……』って、お願いしただけなんですけど……」
誰もいなくなった氷牢の奥から、困り果てたような、しかし鈴を転がしたように澄み渡る美しい声が響いた。
分厚い万年氷の鉄格子の向こう側。
重厚な魔封じの鎖に両手足を繋がれながらも、漆黒のロングメイド服を優雅に着こなし、氷の床にぺたんと座り込んでいる長身の『麗人』がそこにいた。
艶やかな銀色がかった黒髪に、女とも男ともつかない、見る者すべての息を呑ませるほど端麗で中性的な美貌。
――ただ一点、その切れ長の瞳が、氷の刃のように鋭い『極上の三白眼』であることを除けば。
「……相変わらずだな、オルハ先輩。看守の方がちびりそうになって逃げてったぞ」
レオンが苦笑いしながら鉄格子の前へ姿を現すと、鎖に繋がれた麗人――オルハの瞳がパッと大きく見開かれた。
オルハの胸の内には、(ああっ、私の可愛い弟弟子であるレオンくん! こんな危険な場所まで、私なんかを助けにわざわざ来てくれたなんて……なんて頼もしくて優しい子なの! 本当にありがとう!)という、溢れんばかりの感動と感謝が込み上げていた。
しかし。
極寒の牢で顔がこわばっていた上に、生まれつきの鋭すぎる三白眼と、低めで凛とした声が組み合わさった結果――オルハの口から飛び出した第一声は、こうなった。
「――よく来れたな、レオンッ!!」
――ズオオオオオォォンッ!!
まるで「貴様ごときがなぜここへ来た、迎え撃ってくれるわ!」と言わんばかりの、魔王のごとき絶対零度の眼光とド迫力の重低音。
「ひっ!? す、すみませんオルハ先輩っ、助けに来るのが遅くなって本当にすみませんでしたぁぁっ!!」
昔のスパルタ訓練の記憶がフラッシュバックしたレオンは、条件反射でビシッと直立不動になり、半泣きで頭を下げた。その後ろで、カガリとニアも「ひゃあっ! オルハお姉様がお怒りだぁっ!」とガタガタ震えて耳を塞いでいる。
「えっ……!? あ、あれっ!? ちょっと待ってくださいレオンくん、カガリちゃん、ニアちゃん! 私、怒ってなんていませんよ!『こんな危険な場所までよくぞ無事に来てくれましたね、ありがとう』って言ったつもりだったんですが……っ!?」
慌てて両手を振って弁明しようとするオルハだが、動くたびに鎖がジャラジャラと不気味に鳴り、三白眼がギラリと光るため、どう見ても「今から貴様らを八つ裂きにしてやる」と凄んでいるようにしか見えないのだった。
「……なーんだ、そういうことか。びっくりさせないでくださいよオルハ先輩、昔みたいに『たるんでるぞレオン!』って竹刀で尻を叩かれるのかと思いましたよ」
「もう、人聞きの悪いことを言わないでくださいレオンくん。私は昔から、可愛い後輩たちを優しく撫でていただけじゃないですか……」
ホッと胸を撫で下ろすレオンと、しおらしく頬に手を当てるオルハ。
だが、その「優しく撫でていた」はずの切れ長の三白眼がギラリと光るたび、後ろのカガリとニアは「ひぃぃっ、やっぱり目が笑ってない!」と震え上がっていた。
「とにかく、こんな寒い場所からはさっさと出ましょう。今、その鎖を外しますから」
レオンが氷の鉄格子へと歩み寄ると、カガリが慌ててその袖を掴んだ。
「ま、待てレオン! その鉄格子とオルハお姉様を縛る鎖は、分家に伝わる『万年氷と魔封じの呪鉄』で出来ている! 鍵は分家当主のゲオルグしか持っていないし、並の武器や魔法では傷一つ――」
「大丈夫だって。俺のピッキング技術は、他でもないオルハ先輩直伝だからな」
レオンは懐から針金を取り出すと、氷の錠前にガチャガチャと差し込んだ。
――しかし、あまりにも冷え切っていたせいで指先が滑り、氷の鋭い角でレオンの親指が「チクッ」と浅く切れてしまった。
「……っと、あいたた。手が悴んでやがる。ええい、こうなったら昔オルハ先輩に教わった『衝撃解錠』で芯をズラすか!」
レオンは親指にほんのわずかな血の雫が滲んだまま、魔封じの巨大な錠前に向かって「パチンッ!」と軽くデコピンを放った。
――その瞬間。
『神王の真血』が呪鉄に触れたことで、錠前に込められていた邪悪な魔封じの呪いが「過剰浄化」を引き起こした。
――パァァァァァンッ!! キラキラキラァッ……!!
眩い黄金の閃光が氷牢全体に弾け飛び、絶対に壊れないはずの『万年氷の鉄格子』と、オルハを縛り付けていた『呪鉄の鎖』が、まるで綿飴のようにシュワシュワと光の粒子となって跡形もなく消滅したのである。
それどころか、余波として広がった神聖な熱量によって、極寒の氷牢は一瞬にして春先のようなポカポカの室温へと塗り替えられた。
「「な、なんだとぉぉぉっ!?」」
目を剥いて顎を外すカガリとニア。
鎖から解放されたオルハも、目をパチクリと瞬かせた後――感激に打ち震えながらすっくと立ち上がった。
「まあ……! 私なんかが教えた rudimentary(初歩的)な解錠術を、指先一つで呪いごと浄化する神話級の奇跡にまで昇華させてしまうなんて……! ああ、なんて素晴らしい成長ぶりなの……!」
――ドサッ! ギュウウウウッ!!
長身のロングメイド服を翻したオルハは、目にも留まらぬ速さでレオンに飛びつくと、その頭を自分の胸元へと力いっぱい抱きしめ、頬ずりしながら頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「よしよし、よく頑張りましたね、私の可愛いレオンくん! 昔はあんなに小さくて泣き虫だったのに、こんなに逞しく、美しくなって……! おいで、カガリちゃんもニアちゃんも! 無事で本当によかった、愛しい私の後輩たち……!」
そのままオルハは、呆然としていたカガリとニアの二人も片腕でガバッと引き寄せ、三人まとめて自分の胸へと抱きすくめた。
男女の枠など一切関係なく、ただ純粋に「愛しい後輩たち」を全力で愛でるオルハの過剰なまでの博愛スキンシップ。
しかし、抱きしめられているカガリとニアの目には、至近距離でギラギラと輝くオルハの『三白眼』と、逃げ場を完全に塞ぐ絶対強者のホールドが、恐怖の処刑技にしか映っていなかった。
「ひ、ひゃあああっ!? お、オルハお姉様、苦しい、首が締まってますぅぅっ!?」
「……あ、あふぅ……お姉様のいい匂いがするけど、目の迫力が怖すぎて魂が抜けそう……」
「お、おいオルハ先輩、俺も息ができねえって! 相変わらず距離感がバグってんだよあんたは!」
レオンがどうにかオルハの腕から顔を出し、「よし、これで誰にもバレずに救出完了だ! このまま地下水道を戻って、静かにトンズラしようぜ!」と親指を立てた――まさにその直後だった。
――ズドォォォォォォォンッ!! ゴゴゴゴゴゴッ!!
突然、黒狼城の全体が天変地異でも起きたかのように激しく揺れ動き、氷牢の天井から大量の氷塊と埃がバラバラと降り注いだ。
さらに地上の方角からは、大気が裂けるような魔導砲撃の轟音と、「「「いざ、陽動開始でーす♪」」」という聞き覚えのある美女たちの楽しげな大合唱、そして分家の兵士たちの断末魔が地鳴りのように響き渡ってきたのである。
「……え? おい、なんだ今の爆発音は……?」
「あらあら、地上はずいぶんと賑やかですね、レオンくん。まるで城門ごと正面から吹き飛ばしたような音ですが……」
三白眼を細めて小首を傾げるオルハの横で、レオンは真っ青な顔で頭を抱え、地下牢の天井に向かって絶叫した。
「あ、あのバカどもぉぉぉっ!!『ちょっと騒ぎを起こす』の意味を、絶対一万倍くらい履き違えてるだろぉぉぉっ!!」
――『黒狼城・防衛隊長の手記』より抜粋。
「悪夢だ。何の前触れもなく、正面の虚空から極大の閃光魔法と三百ミリ魔導砲撃が同時に降り注ぎ、難攻不落を誇った黒狼城の正門が一撃で蒸発した。しかも爆煙の中から、身の丈を超す大剣を振り回す女騎士と、満面の笑みで血塗れのクワを振り回す修道女が突撃してくるではないか! ……これが神王軍の『ただの陽動』だとすれば、地下へ潜入した本隊は一体どれほどの化け物なのだ!?」
この手記は、のちに戦史研究家たちの間で『黒狼城・五分間の崩壊』として知られる電撃戦の貴重な証言として扱われている。後世の学者たちは、神王レオンが単身で地下氷牢の呪縛を粉砕し、伝説の筆頭従者オルハを解放したのと完全に同秒に、地上部隊が城の防衛機能を物理的に消滅させたこの連携を「神算鬼謀の二面強襲作戦」と高く評価した。なお、解放された直後のオルハが、神王および『黒鴉』の二名を同時に抱きすくめて悶絶させたという記録については、そのあまりに超越的な博愛精神ゆえに、長らく「高難易度の暗殺体術の指導であった」と誤解され続けたという。




