第23話:湯上がりの尋問と装甲馬車
――『無明院・防犯日報(シノ記)』より抜粋。
「昨夜、大浴場から若い娘たちの艶めかしい吐息が聞こえるとの通報(クルミ様より)を受け、全員で男湯へ突入した。そこには、バシリカ分家の処刑部隊『黒鴉』の二名が、当主様の特製ミルクを飲み干して幸せそうにふやけている姿があった。さすがは当主様、丸腰の裸一貫で敵の精鋭を籠絡されるとは……私も今すぐお背中を流しに行かねばならない」
この一節は、のちに編纂された『白山神王正史』において、バシリカ分家の最高機密と要塞の見取り図がいかにして神王軍の手に渡ったかを示す最重要史料として扱われている。当時の歴史家たちは、血も涙もない処刑部隊を文字通り「裸一貫」で無力化し、一滴の血も流さずに寝返らせたこの夜の出来事を『世界一平和でホカホカな捕虜尋問』と呼び、神王の底知れぬ人心掌握術の象徴として絶賛したという。
「……くっ、ころせ……! たとえこの身を八つ裂きにされようとも、バシリカ分家の機密はなにひとつ喋らないぞ……っ!」
湯上がりの清潔な香りが漂う、無明院の本堂。
濡れた黒装束を没収され、マリエットが用意したふわふわの桃色の浴衣(湯上がり着)を着せられたカガリは、ぽかぽかと床暖房の効いた大広間の真ん中で、涙目になりながら必死に虚勢を張っていた。
その周囲を、ルナ、シノ、トモエ、マリエット、ニコル、そしてクルミの六人が、まるで珍しい小動物でも観察するかのようにぐるりと取り囲んでいる。
「あらあら、お姉様の筆頭であるシノ様に睨まれているというのに、ずいぶんと威勢の良いこと♪ なんでしたら、私が暗部秘伝の『くすぐり拷問』からの『ミンチコース』で、優しくお口を割らせてさしあげましょうか?」
「むむっ、待てニコル! ここはまず、私と大剣で千本打ち合いをして、肉体言語で語り合うのが筋というものだ!」
物騒な笑顔でクワを構えるニコルと、暑苦しく腕まくりをするトモエに、カガリが「ひっ……!」と肩をすくめる。
だが、そんな緊迫(?)したカガリのすぐ隣では――。
「……はふぅ、もぐもぐ……。カガリ、この掘りごたつっていう罠、一度入ったら二度と出られない悪魔の兵器だよ……。お尻がぬくぬくして、意識が溶けちゃう……」
同じく子ども用の可愛い浴衣を着せられたニアが、掘りごたつに顎まで埋まりながら、完全に野生を失ったトロンとした目でくつろいでいた。
しかも彼女の両手には、ほかほかと白い湯気を立てる『極上の温泉まんじゅう』が握られている。
「お、おいニア! 貴様、敵の施しを勝手に食べて餌付けされるんじゃない! 毒が入っていたらどうするのだ!」
「……ん、これ毒じゃないよ。だって、中に入ってる黒くて甘いあんこ……食べた瞬間、お口の中で小豆の優しい香りがふわぁって広がって、魂が天国へ飛んでいくもん……」
幸せそうに頬を緩めて二個目のまんじゅうを頬張るニアを見て、そこでレオンがせいろを抱えながら「はいはい、蒸したてのお代わりだぞ」と掘りごたつへやってきた。
「毒なんて入ってねえよ。裏の畑で育てた特上の小豆を、地下の源泉の蒸気でふっくら蒸し上げた、俺特製の『湯上がり黒糖まんじゅう』だ。ほらカガリ、お前も意地張ってないで食えって。せっかく風呂で温まったのに、腹が減ってちゃ風邪ひくぞ」
そう言ってレオンは、ツヤツヤと黒光りする出来立ての温泉まんじゅうを、カガリの口元へとひょいと差し出した。
裏の畑――すなわち、レオンの『神王の真血』と聖遺物の神聖力がたっぷり染み込んだ土壌で育った、奇跡の小豆である。
薄皮が破れ、中から顔を覗かせた極上の粒あんから、暴力的なまでに芳醇で甘い香りがカガリの鼻腔を直撃した。
(くっ……! な、なんだこの甘美な香りは……! 先ほどのフルーツ牛乳といい、このまんじゅうといい、私の理性を直接溶かしにきている……!)
ゴクリ、とカガリの喉が大きく鳴った。
北のバシリカ分家では、暗殺者は感情を持たぬ「道具」として扱われ、味気ない兵糧丸と冷水ばかりを与えられてきた。こんなふうに湯上がりに浴衣を着せてもらい、「風邪ひくぞ」と温かいお菓子を差し出された経験など、彼女の人生には一度たりともなかったのである。
「ほら、あーんしろ、カガリ。昔、訓練で怪我した時も、こうやって俺が隠れて甘いもん口に放り込んでやっただろ?」
「っ……! わ、私はもう、あの頃の泣き虫な子どもではない……っ! ……あ、あむっ」
レオンの「お兄ちゃんムーブ」に抗えず、カガリはついに観念して、差し出されたまんじゅうに小さくかぶりついた。
――その瞬間。
ふっくらと柔らかい黒糖の皮と、舌の上でさらりと溶ける極上の小豆あんが、神聖な浄化の波動とともにカガリの口内へと広がった。
「んんっ……!? あ、あまぁぁい……っ!!」
カガリの大きな瞳がカッと見開かれ、その頬がみるみるうちにバラ色に染まった。
小豆に宿る高濃度の魔力と神聖力が、彼女の身体の奥底に溜まっていた冷えと呪縛を優しく解きほぐしていく。
「な、なんて優しくて、温かい甘さなんだ……っ! いつもお腹を空かせて、凍えながら任務に就いていたのが馬鹿みたいに思えてくる……っ!」
もぐもぐと夢中でまんじゅうを咀嚼しながら、カガリの目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
さらにレオンが、彼女の頭を「よしよし、よく頑張ってきたな」と大きな手で優しく撫でたことで、カガリの心にあった最後の防壁が音を立てて崩れ落ちた。
「う、うわあああんっ! レオンの馬鹿ぁっ! こんな、こんな美味しいおまんじゅうと温かいこたつを出されたら……もう、あの冷たい分家の屋敷になんて帰れないではないかぁぁっ!!」
掘りごたつに突っ伏して、子どものように声を上げて泣きじゃくるカガリ。
その横で、ニアが三つ目のまんじゅうを頬張りながら「……カガリ、陥落するの早すぎ。はい、渋い緑茶も飲むとさらに飛ぶよ……」と湯呑みを差し出すのだった。
「……うぅ、ぐすっ……。あんなに冷酷な処刑人として鍛えられたというのに、おまんじゅう一つで全てを白状することになるなんて……暗殺者失格だ……」
三つ目の黒糖まんじゅうを綺麗に平らげ、渋い緑茶で「ほぉ……」と一息ついたカガリは、赤い目元を浴衣の袖でゴシゴシと拭いながら、観念したように重い口を開いた。
「レオン、そしてルナ様、シノ姉様。……あなた方が懸念されている通り、現在、筆頭メイドのオルハ様は、バシリカ分家の本拠地である『黒狼城』の地下最深部――通称『氷牢』に幽閉されています」
「氷牢ですって……!?」
ルナが息を呑み、シノの周囲からゴッと黒い殺気が噴き上がった。
「あそこは極寒の冷気と魔力封じの鎖で、罪人の気力と体力を少しずつ削り取る処刑場……! ゲオルグの奴、オルハお姉様にそんな残酷な仕打ちを……!」
「……ん。でも、オルハ様は全然屈してないよ。分家の連中がどれだけ脅しても、『ルナ様とレオンがいずれお前たちの首を洗いに来るわ』って、逆に睨み返してた……」
こたつの中でみかんの皮を剥きながら、ニアが補足する。
カガリも悔しそうに唇を噛み、膝の上で拳を握りしめた。
「分家当主のゲオルグは、オルハ様を『ルナ様と神王の遺骸をおびき寄せるための生餌』として利用するつもりだ。城の周囲には何重もの結界と暗殺部隊を配置し、助けに来たところを一網打尽にする算段になっている」
そこでカガリは、つらそうに視線を落とした。
「……実を言えば、私とニアも、昔オルハ様には何度も折檻から庇ってもらった恩がある。だから、こんな卑劣な作戦には反対だったのだが……ゲオルグに『白山でレオンの首を取ってこなければ、貴様らも反逆者としてオルハと一緒に処刑する』と脅されて……」
「……つまり、お前らも最初から使い捨ての駒にされてたってわけか」
レオンが静かに呟いた。
いつもの気の抜けた声ではなく、低く、どこか底冷えのするような響き。
「自分たちの欲と保身のために、昔俺たちの面倒を見てくれたオルハを氷漬けにし、カガリやニアみたいな若い子まで脅して死地へ送り込む……。あいつらの腐りきった根性は、俺が追い出された頃から何一つ変わっちゃいねえな」
レオンがすっくと立ち上がり、パキ、ポキ、と軽く指の関節を鳴らした。
彼の脳内では、(よし、要塞の構造も分かったし、正面から行けば罠があるってことも分かった。つまり、カガリとニアに抜け道を案内させて、俺一人でこっそり氷牢に忍び込み、オルハを背負って夜逃げするのが一番安全だな!)という、いつも通りの「徹底した隠密・事なかれ主義プラン」が組み立てられていた。
「カガリ、ニア。お前らはもう、あんなブラックな実家に帰る必要はねえ。今日からはこの無明院で、好きなだけ風呂に入って、腹いっぱいまんじゅうを食って暮らせ」
「レ、レオン……! お前、裏切り者の私たちを許してくれるというのか……!?」
「当たり前だろ、昔馴染みじゃねえか。――ただし、その前に一つだけ仕事を手伝ってもらうぞ。黒狼城の抜け道、お前らが一番よく知ってるよな?」
レオンがニヤリと笑って振り返ると、カガリとニアは弾かれたように顔を上げ、力強く頷いた。
「も、もちろんだ! 地下水道から氷牢へ直結する、分家の連中も知らない隠し通路がある!」
「……ん。レオンのおまんじゅうと温泉の恩返し、きっちり案内するよ」
「よし、決まりだ! じゃあ大騒ぎになる前に、俺とカガリとニアの三人で、誰にも気づかれずにこっそりオルハだけを救い出して――」
レオンが「少数精鋭での極秘潜入ミッション」を宣言しようとした、まさにその時だった。
「――ふっふっふ!『誰にも気づかれずにこっそり移動する』ですって? だったら、あたしが昨日の夜から徹夜で組み上げた『究極の隠密機動兵器』の出番ね!!」
スパナを振り回しながら、目の下にクマを作ったクルミが、不敵な高笑いを上げて本堂の襖を蹴り開けたのだった。
「……おいクルミ。嫌な予感しかしねえんだが、お前が言う『究極の隠密機動兵器』って、一体なんだ?」
嫌な汗をかきながら境内の表へと出たレオンは、山門の前に鎮座していた『巨大な白い布塊』を見て、ピタリと足を止めた。
「ふっふっふ、驚いて腰を抜かすんじゃないわよ、三白眼! 天陽教から届いた最高純度の魔導大理石と、黒鉄堂の超合金技術、そして地下の古代炉から抽出した高圧縮魔力エンジンを融合させた最高傑作……これぞ、強襲隠密装甲馬車『ホワイト・ジャガーノート号』よっ!!」
クルミがドヤ顔で布をバッと引き剥がした瞬間、秋の朝日を浴びて、とんでもない代物が姿を現した。
それは、聖都の大聖堂のような『純白の極厚大理石』と『漆黒のトゲ付き装甲板』で覆われた、全長十メートルを超える超巨大・八輪魔導装甲車であった。屋根にはどう見ても魔導カノン砲としか思えない太い砲身が据え付けられており、車体の後部からは温泉の湯気までシュウシュウと噴き出している。
「どこが隠密だぁぁぁっ!? ピカピカの大理石にトゲトゲの装甲がついてんじゃねえか! こんな成金魔王の移動要塞みたいなもんが街道を走ったら、一秒で国軍に通報されるわ!!」
頭を抱えて絶叫するレオンに、クルミは「フン、素人はこれだから困るのよ」と鼻を鳴らし、車体側面のレバーをガチャンと引いた。
――ブゥゥゥン……シュゥゥッ!
空気を震わせる低い駆動音とともに、巨大な大理石の車体が光の屈折を起こし、みるみるうちに周囲の景色と同化して『完全な透明』へと変わったのである。
「なっ……!? き、消えただと!?」
「これが古代魔導工学の粋を集めた『完全光学迷彩』と『無音推進システム』よ! 外からは姿も見えないし足音もしない! しかも車内は空間拡張術式で本堂と同じ広さがあって、源泉掛け流しの足湯と掘りごたつまで完備してあるんだから、北の国境まで揺れゼロで快適に行けるわよ!」
「す、すごいですわクルミ様! これなら道中もレオン様とお肌を寄せ合って、ホカホカの混浴ドライブが楽しめますわね♪」
「ふふっ、車内の換気ダクト(覗き穴)の設計もバッチリ手伝っておきましたよ♪ さあ、私も愛用のクワを積み込みますね!」
「うむ、屋根の上の特等席は私がもらおう! 風を切って素振りをするのに最適だ!」
マリエット、ニコル、トモエが目を輝かせながら、透明になった装甲車のタラップへと次々に乗り込んでいく。さらにはルナとシノまでが「当主様の凱旋ですわ!」「お茶とおまんじゅうのせいろも積み込み完了しました!」と手際よく引っ越しレベルの荷物を運び込んでいた。
「お、おい待てお前ら! 俺はカガリとニアの三人だけで、こっそりスマートに忍び込むって言ったよな!? なんで全員フル装備で乗り込んでんだよ、これじゃただの慰安旅行じゃねえか!」
「何を仰いますのレオン様! バシリカ分家を地図から消滅させる『聖戦』に、私たちが遅れを取るわけにはいきませんわ!」
「……ん。レオン、あきらめて早く乗ろ。中のこたつ、すっごく温かいよ……」
「くっ……これが白山の神王軍による電撃侵攻……! 分家の連中、今頃震えて眠っているがいい……!」
すでに車内のこたつに潜り込んでいるニアと、すっかり神王軍の先鋒気取りで目を輝かせているカガリにまで背中を押され、レオンは涙目でタラップへと押し込まれた。
「発進準備完了! 出力最大、北の黒狼城へ向けて――ぶっ飛ばすわよぉぉっ!!」
――キュオオオオオォォンッ!!
クルミが操縦桿を倒した瞬間、透明な超重装甲キャンピング馬車は、音速に近い猛スピードで白山の山道を駆け下り始めた。
「ぎゃあああああっ!? スピード出しすぎだクルミぃぃっ! 俺の静かな隠密ミッションを返せぇぇぇっ!!」
レオンの悲痛な絶叫と、少女たちの賑やかな笑い声、そして極上の温泉と黒糖まんじゅうの甘い香りを撒き散らしながら、見えざる移動要塞は北の大地へと爆走していくのだった。
――『バシリカ分家・国境監視砦の緊急報告書』より抜粋。
「本日未明、南の街道より『透明な何か』が暴風のごとき猛スピードで砦の横を通過していった。姿は一切視認できなかったにもかかわらず、すれ違いざまに極上の硫黄の香りと、蒸したての小豆の甘い匂い、さらには少女たちの楽しげな笑い声と『スピード出しすぎだクルミぃぃっ!』という男の絶叫だけが虚空から響き渡った。……隊員一同、極度の恐怖により現在も震えが止まらない」
この奇妙極まりない報告書は、のちに編纂された『北方戦役記録』において、神王レオンが用いた伝説の隠密行軍術『無形神行』の動かぬ証拠として引用されている。当時の軍事研究家たちは、敵の国境防衛網を文字通り「姿を見せず、甘い香りと哄笑のみを残して突破した」この高度な心理戦術を分析し、神王軍の魔導技術と精神的余裕がいかに次元を超えていたかを畏怖とともに語り継いだという。




